すれ違う海賊団6

 サンジが布の奥に飛び込んだ瞬間、目に入ったのは銃を持った夫人の姿だった。ベッド付近に隠し持っていたのだろう。小さな銃はそれほど威力があるようには思えないが、至近距離では脅威となる。それが、先ほどの格闘家の女性──腰が抜けたようにへたり込んでいる──に向いていた。
 サンジより早く、チョッパーの手が銃を叩き落したが、夫人はそれでも必死に銃に手を伸ばす。サンジがその腕を掴み、視線を合わせると、はっとしたように顔を逸らした。
「……殺してやる」
 か細い声で、震えながら夫人は言った。
「お、奥さま、私は」
「うるさい…!」
 おそらく精一杯だろう怒鳴り声をあげたあとは、咳こむ夫人。女性も口を閉ざしてしまった。サンジは改めて夫人の顔に目を向ける。
 サンジたちが入ってきて、夫人を目にしたときから気付いていたこと。
 夫人の顔は、病気のためなのか、肌がひどく崩れていた。元は美人だったのであろうが、今は醜く変貌している。先ほど目にした女性は悲鳴を上げた。おそらく、見られたくなかったのであろう。これが、領主が妻から人を遠ざけ、女性のメイドですら顔を見ることも適わなくなったという話の真相。彼女は自ら人を遠ざけていたのだ。
 格闘家の女性──この島の人間の侵入を許してしまったことにサンジは舌打ちしそうになった。
 医者の拒絶すら、彼女の意思だったのだろうか。
 夫人は銃を奪われ、体もろくに動かせないことを改めて感じて諦めたような溜息をつく。
「ねえ…私を救うって言ってたわね…」
 チョッパーが夫人を見るが、夫人は顔を合わせない。
「もう遅いわ…。この顔で完治したって嬉しくもなんともない…! そうなんでしょ? 治っても顔はこのままなんでしょ?」
「…………」
 チョッパーは沈黙する。それが答えだった。もっと早くに見せていれば…と呟くように言ったが、それも今更な話だった。
 夫人は、ふっと笑う。
「いいの。もう覚悟は出来てる。私にはお供がたくさんついてきてくれるから…」
 その言葉には全員がはっとする。静かな空間だ。廊下まで聞こえていたかもしれない。
「お、お前。知ってるのか? お前が死んだら島中の若い娘が…」
「ええ」
 チョッパーの言葉を遮るように、夫人は言った。
「私が頼んだんだもの」
「…………」
 呆然として、誰も言葉が出ない。格闘家の女性はただ俯いてひたすら震えていた。
「私が死んだら、あの人が私より若い子を妻にするかもしれないでしょ。だから、一緒につれていこうとおもって…!」
 苦しげな呼吸の中から出される言葉は血を吐くような叫びだった。
 34歳までというのは、女性より年下のものを差していたのか。
「…………」
 沈黙のあと、サンジはタバコを手にして火をつける。
「チョッパー…。薬はどれくらいで出来る」
「材料は持ってるもんで大丈夫だ! すぐ出来るぞ」
「ああ、頼むぜドクター」
 銃を奪い、へたり込んでいる女性に手を差し出してサンジは部屋を出る。
 連れ出すべき女性はここには居なかった。
 廊下にたむろしていた男たちは何故かサンジたちに対して道を開ける。
「サンジくん、何やってんの」
「そっちは無事終わったかしら?」
「ナミさん! ロビンちゃ〜ん!」
 沈んだ気持ちで上がりきらなかったテンションに、ナミとロビンが不思議そうな顔をしていた。










「ルフィー。どこだよルフィー」
 港での戦闘は小康状態にあった。海軍は元々戦闘に来たわけではない。上陸してくる海兵を片っ端から吹き飛ばすゾロに、段々遠巻きになった挙句、進撃も止めてしまっていた。メリー号に近づく輩も居なくなって、ウソップはルフィを探す方に専念する。
 本当に、ちょっと目を離した隙に居なくなったルフィ。目の前に敵がいて、どこかに行ってしまうとは考えられない。いや、でも肉に釣られたなら可能性が…? とウソップは匂いを頼りにルフィの足取りを想像してみる。鼻に集中していたせいか、すぐ側まで近づいてきていた少女に気付くのが遅れた。
「う、ウソップさん」
「ん? ああ、チャコじゃねぇか」
 昨日会った、ウソップたちに食べ物を与えてくれたレストランの娘。
「どうした? 父ちゃんの側に居なくていいのか?」
「お父さんは…城の方に行っちゃった」
「ああ…」
 あの中に居たのか。少し遠目だったのもあって気付かなかった。昨日の様子からいっても、確かに、参加しないわけがなかった。本職は料理人らしいがそれなりに体格も良く、ウソップはバラティエのコックを思い出す程だった。
「それより…あのね、麦わらのお兄ちゃんが…」
「ルフィ!? ルフィ見たのか?」
「海軍の人に、連れて行かれちゃって…」
「はああああ!?」
 思わず大声を出せば、少女はびくっと体を揺らす。こういうノリに慣れていないのは昨日気付いていたはずなのに。慌てて怖がるな、と手を振ってウソップは少女から少し距離を取る。
「ルフィが? 捕まったのか?」
「あの…ね。お兄ちゃん、地面で眠っちゃってて。フルーツ売りのおじさんがそこに来たんだけど、海軍の人が、この男は我々が回収するって…」
「…………」
「フルーツ売りのおじさん…多分…懸賞金目当てで…」
「あー…」
 そういうことか、とウソップは肩を落とす。おじさんが、捕まえたのはおれだと叫んでた、と続けられるが、そこはどうでもいい。ルフィにフルーツを差し出していた男。眠り薬か何かが入っていたのか。そして海軍も、ゾロを巧みに避けて上陸していたものがいた。
 って、それじゃあここも危ねぇ!
 思わずきょろきょろあたりを見回す。ゾロの後ろだから安全圏だと思っていたのに。
「って、だからそれどころじゃねえ!」
 最後に思わず声に出すと、またチャコが怯える。だがもう構っていられなかった。
 ルフィが海軍に捕まった。眠らされているということは自分からは出てこられない。あいつは眠り薬の類がやたらに効く。覚めても寝続けてるぐらい効く。まして、海楼石の手錠など使われていたら。
 とにかく、ゾロに知らせに行こう。
「ありがとうチャコ! お前は隠れてろよ!」
 そう言ってゾロに向かおうとしたとき、空気が変わった。
「え…」
 海兵たちは武器を構えたまま海側に引いている。その中心に、正義コートを羽織った男が姿を現わしていた。ついに、上官の出現らしい。余裕の表情だったゾロの顔が少し引き締まる。邪魔出来ない空気になってウソップは焦った。思わず背後の城の方を振り返る。
 ゾロが駄目ならサンジっ…!
 思っている間に、戦闘が始まった。
 ルフィは、どこに捕まっているのか。海軍の船か。海軍の寄合場所でもこの島にあるのか。いや、そんなものは聞いたことがない。ただ領主は元海軍で、海軍とも親しくしている。ならば、城の可能性もあるか。
 海軍を全部倒せば、助け出せるかもしれない。見る限り軍艦一隻。将校は、おそらく一人か、多くても二人ぐらいか。どの程度の敵かはわからない。ゾロは、苦戦しているように見えた。
 邪魔は出来ない。
 ウソップは迷いを捨て、城の方へと駆けて行った。










 ルフィは軍艦の中に居た。後ろ手に普通のロープで縛られたままうつ伏せで眠っている。一つしかない牢の中は、他にも数人の男でひしめいていたが、ルフィを気にするものは居ない。
 牢から少し離れたところで見張りをしているのは、この船のもう一人の海軍将校。出世欲が強すぎる上官の、お守り役でもあった。オペオペの実の能力者という情報に飛びついて、ほぼ無断で船を動かしている。男にはその実の価値はよくわからない。だが、捕えるべき者なら、捕えるべきだ。
「島に来てから結構状況が変わってねぇ」
 男は呟くように言葉に出す。牢の中の者たちに話しかけているのかどうか、微妙な声音だった。
「城に居る男は偽者らしいね。で、昨日の内に島についた海賊のキャプテンが、その実の能力者だと。親切な宿の主人が教えてくれたよ」
 ぎりっ、とどこかで歯を噛み締める音がする。
「ああ、その主人は別に海軍に引き渡す気はなかったみたいだけどね。オペオペの力が欲しかったのかな? まあせっかくその仲間を眠らせてくれてたから、まあ、引き取ってきたわけだ」
 海賊、となると遠慮しなくてもいいってのがいい。
 男は更にそう呟く。
 男の上官は出世欲にかられて一般人に手を出し、一度降格処分を受けていた。自分まで巻き込まれるのはごめんだと思っていたので、ありがたい。
 後半は口の中だけでもごもご言っていたので、誰も理解出来なかっただろう。
 男は立ち上がってようやく牢の中に目を向ける。眠っている麦わらのルフィの隣。揃いのツナギを着た集団が、悔しそうにこちらを見ていた。
「お前らのキャプテンは来る? 来ない?」
 長身の体を折りたたむように牢を覗き込んで問いかける。船員の一人が答えた。
「く、来るに」
「決まってるだろ」
 あとを継いだのはクルーではなかった。ぱっ、とその場に居る全員が声の方に視線を向ける。
「船長ー!」
「船長すみませんっ!」
 男たちが、わっと盛り上がるのを無視して海軍将校は声の主に目を向ける。
 死の外科医、トラファルガー・ロー。
 名前と通り名、そして賞金額はこちらに来たあとに確認した。そういえば最近、新聞記事でよく見る顔だった。隣に何故かクマが居る。
「そのクマ、何?」
「ベポだ」
「ああ、そう」
 答えだったが、答える気はないのだと男は判断し、ポケットから武器を取り出して身に着けた。
 メリケンサック。
 基本、男の闘いは素手だ。長身のローより更に高く、巨人族の血を引いているのではないかとよく言われる巨体。力だけで、大抵の相手は何とかなる。
 だが、その構えは気を引く囮でしかなかった。
 ざっ、と隠れていた海兵たちがローに銃や刀を突きつける。クマに前を塞がれていた海兵は、とりあえずクマに突きつけていた。
「お前さえ大人しく捕まってくれれば、仲間は返してやるよ。ああ、そのクマも」
 寂しいならペットぐらいは一緒に連れてってやるが、と言えば笑いが起こった。男は特に笑わせるつもりもなかったが。
 武器を突き付けられてぴくりとも動かなかったローだが、海兵たちの気が緩んだその瞬間、左手を軽くあげて小さく呟いた。
 青い膜が広がる。
「? 離れろっ!」
 何だかわからなかったがいやな予感がして、男は即座にローに詰め寄る。メリケンサック付の拳は、刀で受け止められた。青い膜が霧散する。
「キャプテン!」
「ベポは適当に暴れとけ」
「アイアイ!」
 クマが腕を振り回せば、海兵は簡単に吹き飛ぶ。やわな奴らだ、と思いつつ男はローの相手の方に集中した。互いが互いを引きつけているような状況だろう。海兵も、人数が居る。クマもそちらに手いっぱいだ。
 男は刀と合わさった拳を力ずくで押した。力勝負で負ける気はしない。くっ、と小さな呻きが聞こえて、力の方向がそらされる。拳が刀ごと下に沈んだ瞬間、ローの蹴りが入った。細身の割には威力がある。男は舌打ちするが、距離は取らず今度は下から拳を突き上げた。後ろに下がろうとするローに手を伸ばし、無理矢理拳を押し付けた。体勢が悪いため全く力は入ってない拳だったが、ローの体ががくんと崩れる。
「なん…だ…?」
 メリケンサックに仕込まれた海楼石が効いたらしい。
「悪魔の実の能力者ってのは間違いないらしいな」
 崩れた瞬間に無理矢理足を踏みつけ、倒れた体に体重をかけて拳を押し付ける。みしっ、と骨に響く音が聞こえた。呻き声が聞こえて、背後では海賊団たちの悲鳴も上がる。
「よしっ、お前らすぐに手錠を」
 言った瞬間、背後から衝撃が来た。
 拳がわずかに離れた途端に、ローの姿がそこから消える。
「なっ…」
 振り返れば、そこに立っているのはローと白クマ。…のみだった。
 海兵たちは全滅している。
「馬鹿な…」
「助かった、ベポ」
 先ほどの衝撃は、クマのものか。ただのクマじゃない…と気付くには遅すぎた。
「海楼石入りのメリケンサックか…。いろいろと作りやがるな…」
 ローの手にはそのメリケンサックがあった。
「え、あれ!?」
 いつの間に。
 次の瞬間には、ローが凶悪な笑みを見せる。
「Room」
 また、青いサークルが広がった。やばい、と思ったときには遅かった。





 将校も海兵も細切れになったあと、ローとベポが牢の前に立つ。
「何やってやがるお前ら」
「すみません…」
「いや、だって、あんな狙われ方すると思わなくてっ!」
 言い訳している者も居たが、ローは応えなかった。
「ねえねえ、おれは役に立ったでしょ?」
 そんな空気の中でベポは嬉しそうにローの腕を引いてそう言う。ローは視線も向けずに言った。
「そもそもおれの能力を漏らしたのはお前だがな」
「すみません…」
 一気にずどんと落ち込むベポに打たれ弱っと叫んだのはクルー一人だけだった。
 ローが能力を広げて檻を切ったことで、ようやくハートの海賊団はそこから立ち上がる。
「? そいつは何だ?」
「あー、おれらの後に連れてこられてて…全然起きないっすね」
 うつ伏せで眠り続けているルフィにローが目を止める。クルーたちも首を傾げるだけだ。
 牢から出た海賊団と入れ替わりに、ローは中のルフィに触れた。
「そいつ、大丈夫ですか?」
「…眠ってるだけだな」
 薬が効きすぎているというより、薬の影響で眠りについたあとはそのまま爆睡しているだけだった。ローがうつぶせの顔をひっくり返せば、間抜けな面で鼻ちょうちんを出している。
「ついでだ。どこかへ放り出しておけ」
 単なる海軍への嫌がらせであったが、そう言うとハートの海賊団たちは丁寧にルフィを抱き上げた。牢に投げ出されたときに転がった麦わら帽子もそこにかぶせる。
「行くぞ」
 敵の居なくなった軍艦から、ハートの海賊団はついでにいくつかの物資を調達して出て行った。


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