すれ違う海賊団5

 ナミの予想通り、領主の奥さんが居たのは城の最上階だった。階段に立っていた見張りも、部屋の前に陣取っていた警備兵たちも全てサンジがまとめて蹴り飛ばす。だが部屋に入る寸前、女性の悲鳴が聞こえた。
 同時に、何かの割れる音。
 サンジたちが振り向けば、メイドらしき女性がお盆を抱えて震えていた。お盆に乗っていた皿が、床へと落ちたらしい。
「あー…」
 怖がられるのは本意ではない。怯えている女性に、サンジは精一杯優しい笑みを返す。
「怖がらないで。おれたち怪しいもんじゃ…」
 ないはずがない。
 というか優しい笑みでこの言葉。逆に怖いかもしれない。
 サンジは断腸の思いで女性から視線を逸らし、部屋の扉に手をかける。
「お、奥さま…」
「奥さまは、おれたちが救ってみせるから」
 苦笑いのようなサンジの笑みに、メイドは少しはっとしたように表情を和らげた。だがサンジが背を向けたところで、慌てたように駆けていく。サンジのズボンを、チョッパーが下から引っ張るのがわかった。
「い、いいのか? 言いつけられるんじゃねぇか?」
「だろうな。急ぐぜチョッパー」
 だからといって女性を蹴れるわけがない。口止めが出来ない以上、また警備兵たちが集まってくるだろう。サンジは扉を開けようとするが、鍵がかかっているのか動かない。
「……」
 サンジは迷うことなく扉を蹴り飛ばした。鍵のかかった部屋に閉じ込めるなど。それこそ牢獄だ。
「あなた…?」
 そしてベッドの前の布を何枚もめくりながら近づけば、奥からか細い女性の声が聞こえた。
「どうしたの? 何か凄い音がしたけど」
 その言葉の間にも前へ進む。ここまでやってくるものなど、本当に旦那しかいないのだろう。苦しそうな声は病気のためか。やがて、ようやく最後の布を超えて、サンジたちは夫人と対面した。
「あなた…?」
 かすれた声でサンジたちへと視線を向けようとする女性。動くのも辛そうなのがよくわかった。その女性の顔に、2人ともはっと足を止める。
「…こんにちは、マダム」
 サンジの言葉に夫人がびくっと肩を揺らした。旦那ではないと、そこで初めて夫人が気付く。ああ、また怖がらせている。
「あなたを救いに来た、通りすがりの海賊です」
「通り…すがり…?」
 奥さんが反応したのはそこだった。サンジはそれ以上は言わず足元のチョッパーを抱き寄せる。
「優秀な医者も一緒ですよ。もう心配はいりません」
「と、トニートニーチョッパーだ。診察させてもらってもいいか…?」
 緊張気味のチョッパーがベッドに乗り上げ奥さんに近づく。女性の顔は恐怖から戸惑いへと変わっていた。それに少しほっとする。だが、その苦しそうな呼吸にサンジの表情は晴れない。
「私の…病気を治しにきたの…」
「はい」
「……主人の許可は」
「得てません」
「でしょうね…」
 少しのため息。チョッパーが触れるぞ、と小さく言って触れても、もう反応はしなかった。
 チョッパーの診察を見ながら、サンジは部屋の外の音にも注意を向ける。ばたばたと、こちらに駆けてくる足音。思ったよりは遅かった。いや、近場の警備兵はサンジがのしたのだからこんなものか。どうするべきかとしばし迷う。
 ゆっくりと診察するためにも、出来ることならこのまま女性を連れて出て行きたい。だが、ここを動かすわけにはいかない。
「おい、チョッパー、どうだ?」
 チョッパーは女性の腕に注射器を当てているところだった。どうやら血を抜いているらしい。
 まだ診断には時間がかかるだろうかと思ったが、チョッパーは真剣な目で言う。
「これは…薬で治せるよ」
「ホントか!?」
「熱とか痛みの方は…。もっと初期ならこんなに…。何で早くにちゃんとした医者に診せなかったんだ!」
 チョッパーは悔しそうにそう言う。女性は聞いているのか居ないのか、苦しそうな呼吸を返すばかりだ。いつからこの症状なのか、今の体調は、といろいろ質問しているが、答えは返らない。その中に、サンジにとって気になる問いがあった。
 病気になってから、接触した人物は。
「おい、チョッパー…」
「これは…伝染病だよ。あ、空気感染はしねぇから!」
 よくわからないが、大丈夫だというのは伝わってきた。チョッパーはベッドに下ろしたリュックから薬草を取り出している。じっと見ていると、やがて誰かが部屋に入ってくる気配がした。
「ちっ…。チョッパー、マダムは任せたぞ」
 警備兵どもはとりあえずこちらで止めておこうと、そう思ったのだが。
「なっ……!?」
 部屋の入り口に立っているのは、女性だった。
 廊下に男たちがたむろしている。
「く、曲者っ!」
 女性がサンジに対して構えを見せる。格闘技をやっているのだろう。むき出しの手足にしっかりとした筋肉がついているのがわかる。しかし、細い。胸も、格闘家としては大き過ぎておそらく動き辛いだろう。顔は…まだ10代か。長い髪を頭の上でくくってきつい眼差しでこちらを見ている。
 美人。
 サンジの目が一瞬でハートになって、女性はびくっと後ずさった。
「おいルルイ! やっちまえ」
「わ、わかってます」
 それでも女性は動かなかった。実戦慣れしていないのだろう。男たちは、領主の命令がないと部屋に入ることが出来ないのか。領主は真っ先に来ると思っていたのに居ないのか。
 本来なら、チャンスの場面。だがサンジには致命的だ。
「か、覚悟ー!」
 女性の拳も、蹴りも、避けるのは容易い。
 だが、攻撃は出来ない。
 いや、これで何とか時間稼ぎを…。
 お互い動かないとどうしても静かになる。そのとき、布の奥からチョッパーの声が聞こえた。
 ああ、こんなに響いてしまうのか。
「も、もう一人居るのか!」
 女性も気付き、慌ててベッドへ駆けつける。まずい。
 無理にでも止めようと思ったが間に合わない。奥で悲鳴が上がった。










 能力を駆使して、目撃者は昏倒させて。
 ローは城の牢がある場所へと来ていた。牢は2つあったが、囚人は1人のみ。それがオペオペの実の能力者を名乗った詐欺師だろう。
 しかしローはそこへ近づくことが出来なかった。
 ベポが向かおうとするのは、腕で塞いで止める。
 牢の前には、この島の領主が居た。
「海軍が到着したそうだ」
 その言葉にベポが、えっ、と声を漏らしそうになり慌てて自分の口を塞いでいる。ローの表情は僅かに険しくなった。ここまで早いとは、誰も思っていなかった。反乱を、予期していたか。
 領主は更に言葉を続ける。
「妻の治療はご苦労だったな。貴様はこれから海軍に引き渡す」
 ローたちの角度から、男の笑みが見える。囚人の姿は確認できなかった。
 その囚人は体を震わせながら、牢の奥の壁にもたれて座り込んでいる。驚愕のまま、言った。
「な、何で…。奥さまは…どう…」
「ん? あとは薬を与えればいいんだろう。まあもし貴様が嘘をついたのなら、海軍に捕まった後でも殺しに行ってやるがな」
 領主は男の言葉を信じていたのか居ないのか、それすらも判断しにくかった。男は必死で言葉を紡ぐ。
「な、治っても海軍に突き出すのか!?」
 男の台詞に笑った領主は、はっきりと欲望に濡れた目をしていた。
「当たり前だろう。オペオペの実の能力者を捕えたと言えば、おれの友人は喜び勇んでやってきたぞ。随分と貴重な能力者らしいな」
「…………」
 男は自らオペオペの実の能力者と名乗ったことはない。
 だが、悪魔の実の力で奥さまを治せると言った男の言葉に、領主の方から問いかけた。オペオペの実か、と。男はそれを肯定しただけだった。実際のところ、オペオペの実が何なのかすらよくわかっていない。男はただ島を渡りながら、邪気を払ってやる病気を治してやると適当なでまかせで金を稼ぐだけの本当の詐欺師だった。治せたかもしれない状況で、海軍に突き出されるなど予想もしていなかった。
 だが、ここでオペオペの実の能力者ではないと言ったところで、男の命はない。
 次は海軍から逃げる算段をつけるしかない。
 男の頭が必死で回転している間に、領主は海軍を迎えに行ってくるか、と去ってしまった。
 ここから逃げ出せないかと前に這いずり檻をつかんだ男は、すぐに別の人物が現れたのに気付いて、ひっと息を漏らす。
「よお」
 凶悪な顔をした長身の男─ローが、微かな笑みを張り付けて男を見下ろしている。身の丈ほどもある刀を抱え、その隣には更に巨大な白熊──ベポが居た。
「く、クマ…?」
 男が思わず呟くが、ローたちはそれに反応しない。
 ローの刀が男の方を向き、男は思わず檻から離れ後ずさった。鞘に入ったままだったが、牢の奥近くまで届きそうなほど、長い。牢が小さいというのもあるが。
「お前がオペオペの実の能力者か?」
 ローの言葉に、男は目を瞬かせる。瞬時に判断して、首を横に振った。
「ち、違う」
「知ってる」
「へっ」
「何でオペオペの実って言ったの?」
 驚いているところに、いきなり別の口調と声が聞こえて男は顔をきょろきょろと動かした。クマが喋っていることに思い至らないまま、ローの方を見上げて応えを返す。
「お、おれが名乗ったわけじゃねぇ。領主が勝手に誤解したんだ! お、おれはただ奥さんを救いたくて…あんなところに閉じ込められて…医者にも診せて貰えないなんて酷すぎる…!」
 涙ながらに語る男に、ベポは驚きの顔を見せるが、ローは冷めた顔をしたままだ。
「大した演技力だな」
「えっ?」
 驚きの声をあげたのはベポだった。
 男は男で、嘘を見抜かれたのかと驚愕する。座り込んでいる男に、視線を合わせるようにローもしゃがみこんだ。
「で、オペオペの能力者でもないお前が、姿も見ずに触れることもせずに、治せるのか」
「そ、それは…」
 初めは、そこまで拒否されているとは知らずに男は向かったのだ。警備兵たちの懇願を適当に聞き流してしまったのがまずかった。出来る出来る大丈夫だ、と答えていたらそういうことになってしまっただけだった。悪魔の実の能力者──は、我ながら上手い言い訳だと思っていたのだが。
「何のために患者のところまで行った?」
「…………」
 男の背に冷や汗が流れていた。
 ローは僅かに面白がるような口調で、責めている感じではなかった。どちらにせよ、ローには男の答えはわかっている。男は、ただの詐欺師だ。
「な、なんとか診察が出来ればと…」
 それでも男は尋問されていると感じ、そう絞り出す。ベポが首を傾げて言った。
「この人も医者なの?」
 ベポはローに問う。男はそこで初めてクマが喋っていることを認識したが、突っ込めなかった。ローは、さあな、とだけ返す。
「診察はしてねぇのか」
「視ることも出来なかった…。あれじゃあどんな病気だろうと治せない…」
 そこに同情を覚える気持ちは、男にもあった。思わずそう本音を漏らす。
「キャプテンなら治せるの?」
 ベポはずっとローを見ている。子どものようにただ疑問を並べ立てるクマの言葉に、男も少し疑問を覚える。ローはそれにも、さあな、と言っただけだった。
 治せるかも…しれないのか?
 男の疑問の視線を受けて、ローは目をそらして立ち上がる。
「騒がしくなってきたな…」
「あ、ホントだね」
 その言葉で男も気付く。外に戦いの気配がある。海軍か。いや、海軍なら戦闘になっているはずがない。別のところに疑問が飛んだところで、ローは言った。
「行くぞベポ」
「えっ、この人は?」
 がちゃん、とクマの手が檻に当たって男は怯える。
「放っておけ。このままなら海軍に引き渡されるだけだ。偽者なのはすぐばれるだろ」
「それでいいの? えと…ケジメつけなくていいの?」
 ケジメ?
 受け売りのような言葉だったが、その意味に気付いて男はぞっとする。
 だがそこでようやく、男に一つの推測が浮かんだ。
「今こいつをどうにかするのは得策じゃねぇな。『オペオペの実の能力者が逃げた』なんて話にならねぇならいい。詐欺師の阿呆な嘘だった、で終わるだろう」
 わかった。
 多分、そうだ。
 男は確信が持てないまま檻にしがみつき、すでに離れつつあったローたちに叫ぶ。
「ちょっ、ちょっと待て!」
「あ?」
 ぎろりと睨まれながらも男は引かない。今引くわけにはいかなかった。
「お、奥さんの病気…あんたなら治せるんだろ? 治してくれ…!」
「は…?」
 予想外だったのか、ローが首を傾げる。男は緊張で乾く唇を舐め、震える声で言った。
「そうしたら…あんたがオペオペの能力者だとはばらさずにおいてやる…」
 言葉と共に男の眼光が更に鋭くなり男は縮こまる。だが、すぐに少し顔を伏せる。目深に帽子をかぶっているため、それで男からは表情が見えなくなった。
「へえ…。で? おれはどこの誰だって?」
「う……」
 上手くいくと思ったのに、そんな指摘をされて男は口を閉ざす。突然牢にやってきた見知らぬ男が本物の能力者です──どう考えても通じるわけがなかった。
 せめて夫人の病気が治れば、領主の怒りが向いてくることもないのに。
 そもそも能力者ではないのだから、この程度の詐欺で海軍に拘束されることもないか。だがそれは希望的観測過ぎる。能力者でないことの証明、は出来るのだろうか。いやちょっと待て、そもそもその能力者なら何で海軍に捕まる? 自身が犯罪者であるため、海軍といえば逃げ出す対象でしかなかったが、貴重ってことは、むしろ引き抜きとかそっち方向か?
 男が考え込んでいる内に、結局ローたちは去ってしまった。
 だが何故かその日、海軍が男の元へやってくることはなかった。


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