すれ違う海賊団1
辿りついた島は随分と静かだった。ちょうど昼時の時間帯にも関わらず、港には人っ子一人見えない。繋がれた船がひしめき合っていて、こんなに良い天気なのに漁にも出ていないのかと首を傾げる。人が居ないわけではない。どの建物からもざわついた気配はあった。何人か、窓からこちらを見ている者も居る。海賊船に驚いて閉じこもっている──というわけでもなさそうだ。
「腹減ったー! メシー!」
時間が時間なので、せっかくだから島で食べようとは話していた。だからかどうか、そんな島の様子には目もくれず当然のように飛び出したルフィは、その嗅覚でもって真っ直ぐにレストランらしき場所へと走る。こういうときのルフィの鼻は何故かチョッパー以上に頼りになる。ナミたちが慌てて追っていくのに焦り、サンジは弁当を手にそこに転がっていたゾロに蹴りを入れた。避けられたが。
「オイ船番。てめえのメシはこれだ」
「ああ?」
寝ていたゾロは何の話かわからなかったのか、ただの条件反射か、ぎろりとサンジを睨みつける。おそらく島に着いたことも今認識したばかりだろう。サンジはそれにまともに説明もせずにとにかく弁当を押し付けた。酒も横に置くと、自分の仕事は終わったとばかりにサンジは仲間の去った方角を見つめる。既に全員がメリー号を降りていた。もう誰の姿も見えない。角を曲がったかどこかの店に入ったか。
「ナミさ〜ん! ロビンちゃ〜ん! 待ってー!」
だが今度は女性に対するサンジの嗅覚の出番だ。いい匂いのする方に行けばきっと辿りつく、と考えながらサンジは船を飛び出した。ゾロはそれを見送りながら、黙って弁当をかっ込んでいた。
「おっちゃんメシー!」
ナミやロビンの匂いよりも、結局確実なのはそのルフィの騒がしい声だ。レストラン、と大きく看板の出ている店の前でルフィが叫んでいた。だが扉は閉まっている。よく見れば窓があって、ルフィはそこから中の人物に声をかけているようだ。
「ルフィ、今日は営業してないんじゃない、これ?」
「みたいね。町全体が休業日なのかしら?」
ナミとロビンの言葉に、サンジも思わず辺りを見回した。漁にも出ていない、レストランは閉まっている。他に見える店らしき場所も、確かに全て開店していない。そういう習慣の島があってもまあ、おかしくはない。タイミングが悪かったな、とサンジはタバコに火をつけながら考える。
「どうする? 一旦船に帰るか?」
ウソップが言うが、ナミたちは顔を見合わせ合ったまま動かない。どちらにせよ、情報収集も必要だ。本当にどの店もやっていないのか。港だけかもしれないのでとりあえず奥に入ってみるか。勿論サンジはナミたちの判断に任せるつもりでその言葉を待つ。
だがそれより先にレストランの扉が開いた。
「悪いが今出せるものはないんだ…。他を当たってくれ」
何だか疲れたような声の中年の男性は、それでもつい先ほどまで料理していたかのような匂いを漂わせている。エプロンもつけており、休業中には見えなかった。
「えー、さっき何か作ってたじゃんか!」
「あれは…あれはウチのだよ。家族のメシだ。今日は…お休みだ…」
納得いかないルフィの声に、目も合わせず男は答える。引っ込もうとしたところを止めたのはナミだった。
「ねえ、他を当たってってことは、他のお店はやってるの? 見渡す限り開いてる店ないんだけど」
「ああ…まあそういうとこが多いだろうね…」
「何かあったの?」
更に聞いたのはロビンだ。そこで男はルフィたちを順番に見渡して、ため息をつく。
「やっぱり旅人かい? 何も知らないか…。ちょっと悪いときに来たね。ここはログが溜まるまで長いが、隣までのエターナルポースなら大抵売ってると思うからそっちへ行きな」
「長いってどれぐらいだ?」
「一週間だ」
ルフィの問いにはそう即答される。一週間。長いといえば長い気もするが、待てない時間でもない。それも、ごく普通の町の中でなら、だ。
結局そこで男性は扉を閉じてしまい、窓にも内から覆いが置かれた。とりあえずごく簡単な、最低限の情報は入ったものの、まだ足りない。
「……とりあえず他の店探しましょうか」
「エターナルポース売ってるとこか?」
「どこでもいいから空いてるとこ。っていうか…誰でもいいから、人」
ナミとウソップの会話を聞きながら、ぞろぞろと歩き始める。本当に、見渡す限り人が居ない。情報を得るためにはまずは人に会うことか。腹の減ってるルフィが不満げに唸っている。一旦船に戻って軽くでも食べさせるか。しかし、この島の状況だとまともな仕入れが出来るかも怪しくなってきた。船の食糧はまだ余裕があるが、次の島まではどのくらいか。
「腹減ったぁ〜」
ひたすら思ったままを口にするルフィは、そう何度も呟く。なまじレストランからはいい匂いも漂っていたので辛いだろう。少しくらい分けてもらえねぇのかな、と何となくもう1度レストランを振り返る。
そのとき、入口の扉がゆっくりと微かに開くのが見えた。
「ん?」
小さく開いた扉が僅かに揺れる。誰かが、こちらを覗き込んでいる。目が合った瞬間、扉がぱっと大きく開いた。
「あ。ねぇ、待って」
ぱたぱたと出てきたのは可愛い女の子だった。15〜16歳ぐらいだろうか。目も顔も丸いオカッパ黒髪の少女。両手に大きな箱を抱えて追いかけてくる。サンジは慌ててそちらに向かった。
「お持ちしましょうかレディ」
目を合わせて軽くその荷物に手をかける。少女はきょとんとしたあとにっこりと笑う。可愛い。
思わずにやけていると、背後からルフィたちも戻ってきた。ルフィは即座にその荷物に飛びつく。
「食いもんかっ!?」
くんくん、と匂っている様子がまるで動物だ。
「ホントだ。食いもんの匂いがする」
下から呟くチョッパーの方がまだ人間らしい。
少女はルフィたちにも笑い、その荷物を下ろした。
「うん。お兄さんたち食べに来たんでしょ? ごめんね今こんなのしかないんだけど…」
「あら、レストランの子?」
「うん。お父さんには内緒ね」
少女は幼い、のんびりとした口調ながらてきぱきと箱を開ける。包みに分けられた肉にはルフィが真っ先に手を伸ばした。一応それだけは調理がされていた。あとはパンと野菜と。種類は多いが量は少なく、かき集めたような印象のある食材だった。野菜に関しては持って帰って料理がしてぇな、と思うが仲間たちが手を伸ばし始めたのでサンジもそれに倣う。
「ねえ、何でお父さん、今日はお店閉めてるの? 他のとこもそうだけど。今日だけ? いつもこんな感じ?」
箱の前に座り込んだ少女に目線を合わせてナミが言う。ちぎったパンを少女に渡して、少女も一緒に食べ始めていた。
「今日っていうか…最近ずっとだけど…こんなのは今日から、かな…。正確には昨日だけど…みんなもう余裕がなくて…」
少し視線を落として少女がよくわからない言葉を並べ立てる。微笑んでいるが、どこか暗い表情だ。
「余裕って? …圧政とか?」
ナミの声も少し低く落ちる。一見平和そうな町。天候の荒れも見られない。人々が苦しむ理由があるとすれば、病気か、政治の圧力か。おそらくナミは故郷のことを思い出したのだろう。ナミの横顔を見ながら、サンジも黙って続きを聞く。
少女はゆっくり首を振った。
「領主さまは…悪い人じゃないよ…。でも、奥さまが病気で…。もう、先は長くないんだって」
少女が言いながらどこかを見上げる。つられて目を向ければ、島の中心部に大きな城のようなものが見えた。領主の住まいだろう。島の規模の割には、どこかの王国のように大きな城だ。圧政、という発想が浮かぶのも当然と言えるほど不釣合いな豪華さ。
「病気って何の病気だ? それでみんな暗くなってんのか?」
さすがは医者というべきなのか、そこで口を挟んできたのはチョッパーだった。少女がチョッパーに顔を向け、口を開きかけてびくっと後ずさった。
「え…今喋ったの、きみ?」
「え? そうだぞ」
ああ、そうか。一応驚くところだった。先ほど一度少女の前で声を出しているが、まさかチョッパーの声とは認識していなかったのだろう。目をぱちぱちさせている少女に苦笑してサンジは言う。
「まー、ちょっと特別なトナカイでな。これでも医者だ。病気って言われると気になるんだろうよ」
ぽん、とチョッパーの帽子に手を置いて言えば、少女もおそるおそるといった様子でチョッパーに近づいた。
「トナカイの、お医者さん…? ホントに病気治せるの?」
「おう! なぁ、奥さんってのは何の病気なんだ? もう治らねぇのか?」
「…………」
少女はその言葉にうつむいた。待ってみても言葉は出てこない。やがてロビンの方が口を出す。
「その奥さんが亡くなりそうだから、島全体が自粛モードに入ってるってことかしら?」
少女がそれに小さく頷く。だが、続けてこう言った。
「それも、あるかな…。結婚とか、おめでたいイベントは全部中止になっちゃうし。本当はもうすぐお祭りだったんだけど、そっちも多分なくなる…。でも、お店とか、閉まっちゃってる本当の理由は…」
そのとき、店の扉が開いた。先ほどの男性、少女の父親が焦ったようにこちらにやってくる。
「チャコ! お前何やってるんだ」
「あ、お、お父さん、ごめんなさい…ごはん…」
「そんなのはいい! 頼むから今はどこにも行かないでくれ…」
泣きそうな顔で少女をぎゅっと抱きしめる父親。チャコと呼ばれた少女はそれに少し唇を引き締めて、うん、と小さく言った。
「……随分とワケありっぽいな」
「…………」
タバコを噛み締めて思わず呟く。ルフィが頬いっぱいの食糧を咀嚼しながら、親子の様子を無言で眺めていた。
「おおーい、おーい、ゴウシさん!」
「ん?」
そのとき町の奥から駆けつけてきた男性が、親子に向かって叫び声をあげる。父親が慌てたように立ち上がった。
「どうしたっ!? まさか…亡くなったのか!」
「いや…まだ…多分。その知らせじゃなくてっ! い、医者が、医者が見付かったってんだよ…!」
「なんだって!?」
息を切らしながら必死で言った男性に、父親も目を見開く。男の両腕に手をかけて、鬼気迫る表情で叫んだ。
「どうなんだ!? 治せるのか!?」
「わ、わかんねぇよ…。ホントに、診断できるのかも…。で、でも悪魔の実の能力者って話だ。なあ、まだこれで希望が…」
興奮状態だった2人は、男性の言葉が続くにつれ、妙に勢いを失っていく。父親は目を伏せて言った。
「確実じゃないなら言いにくんな…。下手に希望持つ方が辛い」
「で、でもよぉ…」
「悪い…。何かあったら…今度はおれだけに言ってくれ」
「あ、チャコちゃん…」
男性がはっとしたように娘に目を落とす。
少し沈黙が落ちたあと、今度はレストラン隣の店の扉が開いた。50歳前後だろう、細くて背の高い女性。こちらも何だか疲れた様子ながら、慌てたように男たちに話しかけた。
「ねぇ、あんたさっきの話…」
「ああ、聞いてたか。マウジ、話してやれ」
「え、でもおれもこれ以上詳しいことは…」
大人たちが会話をしながら隣の店に寄っていく。なんとなくそれを見送ったあと、サンジたちはまたチャコと呼ばれた娘に目を向けた。
俯いていたチャコがはっとしたように全員を見渡す。
「あ、あの…あのね…」
説明するべきだとは思ったのかもしれないが言葉が出てこない。ずばりと聞いたのはナミだった。
「ねえ。領主の奥さんの病気と──あなたに何か関係あるの?」
ああ──先ほどのやりとりはそういうことか。サンジも感じていた違和感をナミに言葉にされて理解する。領主の奥さんはよっぽど慕われていたのかとも思ったが、違うだろう。奥さんが亡くなることが、島の不利益になることは想像もつく。だがそれ以上に──この娘に関係がある。
チャコはこくりと頷いた。
「奥さんが亡くなったら…13歳から34歳までの未婚女性はあの世の世話係ってことで一緒に埋葬されるのが決まってるの…。私、16歳だから…」
サンジの口からぽろりとタバコが落ちた。
ナミたちも固まっている。
ルフィは食べるのを止めてはいないが、その表情が険しくなったのがわかる。
「はああああっ!? 何っじゃそりゃ!」
最初に叫んだのはサンジだった。少女がびくりと肩を震わせるのにも気付けないほど怒りに燃える。
「それでこの雰囲気ね。おそらく若い娘の居る家庭は最期のお別れをしているといったところかしら…」
ロビンの呟きも耳に入ってこなかった。
いや、更に怒りが激しくなったので聞こえていたのかもしれないがサンジには最早認識出来ない。
「チャコ、家に戻るぞ」
父親が帰ってきてチャコの手を引いていくのだけはかろうじて視界にとらえていた。
「おい、そのふざけたこと言ってる領主はあそこに居るんだな?」
女性には決して出来ない言葉遣いで父親を問い詰める。父親はそこで初めてサンジの表情に気付いて思わず後ずさっていた。というか、そのまま急いでチャコを連れて店に戻ってしまった。
「……ルフィ、おれは行くぞ」
「おお」
ようやくルフィが食事を食べきり、ごちそうさまでした、と手を合わせる。
「メシ食わせてくれたしな! その領主、ぶっ飛ばせばいいのか?」
「違うでしょ! あんたらもう…まあ気持ちはわかるけどそれだけじゃ何にもならないわ」
立ち上がったナミがサンジとルフィの頭を押さえつける。
「じゃ、どうすりゃいいんだ?」
ルフィは座ったままナミを見上げた。サンジもナミに触れられた途端、力が抜ける。
「だから。まずは情報。さっきのおばさんにでも聞いてみましょうか」
ナミは笑っていたが、その表情はどこか固い。
ナミたちはそのまま、レストラン隣の店へと向かった。
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