時間が足りない

 爆走、という言葉が相応しかった。
 フォルダから出たあと自分たちに向かってきたロードローラーに全員で乗り込み、そのままそこから逃げ出した。リンが何か叫んでいたが、エンジン音にかき消されて聞こえない。自分たちがどこに居るのかもわからないまま走り続け、ようやく止まった場所は見慣れたデスクトップ、に見えた。
「みんなっ、大丈夫!?」
 リンが叫ぶ。狭い操縦席に無理矢理座っていた3人は答えることが出来なかった。何とかレンが呟くように言う。
「大丈…夫。ってか…お前、これ、どうやって…」
 全く動いてはいないはずなのに妙に息が切れている。体に力が入っていたのだろう。それはMEIKOも同じだが。KAITOは目を閉じていたが今度は意識はしっかりあるようだ。回復に集中しているのだろう。MEIKOも触れずにリンに目をやる。
「私が側に居ないと暴走するって言ったじゃん。私の元まで障害物突っ切ってくるんだよ」
「…………」
「……まあ、今回は良しとしましょうか」
 そんなことを言ってた気がする、というレベルでしか覚えていなかったが、今はそれに突っ込んでいる場合でもなかった。リンの言うことをきちんと聞いているのなら問題はない。
「で、どうするんだ?」
 レンが座席から飛び降りる。リンも続いた。ロードローラーは武器にはなるが、それでミクを潰してしまうわけにはいかない。精々逃げる手段にしかならないのだ。MEIKOもその場から降りる。KAITOは少し目を開けてこちらを見たが、そのまま座席に残った。
「とにかく、ウイルスを何とかしないとね」
「おれたちが?」
「本体を見つけ出せば動きを止めることぐらいは出来るわ。場合によっては破 壊も」
 MEIKOは笑って拳を握る。初めてではない、と言えば双子は顔を見合わせた。まああのときのウイルスは…本当に弱いものだったけど。
「問題は…」
「ミク姉」
「そう」
 双子の真剣な眼差しにMEIKOも頷く。ミクの体に入りこんだウイルス。どうすれば取り除けるのかは全くわからない。とにかく動きのないウイルスバスターを叩き起こして、何とかできればいいのだが。
「…私はとりあずウイルスバスターのとこに行って来る。あなたたちは…」
「ミク姉?」
「それよりウイルス本体を探した方がいいかしら…」
 MEIKOが考えているとき、後ろで何かの気配がした。KAITO、と一瞬思ったが気配は複数。
「何っ、あれ…!」
「MEIKO姉後ろ!」
 双子の声を聞くより早く振り向いた。黒い影のような塊がMEIKOに飛びかかってくるところだった。
「ざけんじゃないわよっ!」
 拳を一発。
 塊が霧散する。足元のそれは蹴り飛ばした。それほど強くないと判断したのか、レンもMEIKOの隣にやってきて蹴りを繰り出す。
「あんまり触れちゃ駄目よ! 一撃必殺!」
「わかった!」
 気付けばリンも加わっていた。衝撃を与えるだけで消える小さなウイルス。だけど、数はどんどん増えていく。気付けば囲まれていた。
「二人とも! ここを突っ切って……」
「リン!」
 迷ってる暇もなく、走り出そうとしたとき声が聞こえた。KAITOだ。そういえば居なかった。目をやれば、ロードローラーに乗ったままその車体を指している。リンが即座に理解して叫んだ。
「ロードローラー! 来いっ!」
 低い唸りを上げて動き始めるロードローラー。急いでそれに乗り込む。ウイルスを潰しながらロードローラーは走る。
「……ちょっと気持ちいいっ」
「ちょっとって顔じゃないぞお前」
 わさわさと地面が見えないぐらい湧いていたウイルス。まさに整地と呼ぶに相応しい走りをロードローラーは続ける。とりあえずは安心して、MEIKOは隣に座るKAITOを見た。
「……大分回復したみたいね」
 首元に見える青いマフラー。見た目はもう普段と変わらない。狭い場所なのでどちらにせよ動きは制限されているのだが。
「もう大丈夫。それよりどこ向かってるの?」
「知らない! これ全部潰す!」
 答えたのはリンだった。真っ直ぐ前を向いたままこちらを振り返ろうともしない。レンも一緒になって潰されるウイルスを眺めていた。
「闇雲にやったって駄目よ、大体こいつら増える一方で……」
 MEIKOも身を乗り出したとき隣でKAITOが叫んだ。
「リン! 右だ!」
「右?」
 リンが疑問符を返しながらも右へと曲がる。ウイルスが。最早真っ黒な塊にしか見えない。
「うわああああ」
「な、何これえええ!」
 ロードローラーは止まらない。ひたすらそれを潰して道を作っている。だが折り重なったウイルスは高さが違う。今まで以上の、圧迫感。ただ右に曲がっただけなのに。
「に、兄ちゃん姉ちゃん、こ、こっち危なくない!?」
 運転に必死なリンに代わってレンが振り向く。MEIKOは頷いた。
「そうよ。ウイルスはあっちから来てる。ってことは本体はあそこよ!」
 真っ直ぐ指をさした。こんな乗り物がなければとても辿り着けない。恐るべき繁殖力だ。
 がしゃああああん。
 そして、ロードローラーは黒い何かにぶつかり、唐突に止まった。
「うわっ」
 レンが前方に投げ出される。リンはかろうじてハンドルに捕まった。
「レン!」
 KAITOが慌てて手を伸ばし、レンの服を掴む。黒い何かにぶつかる寸前、何とかレンも止まった。
「何これ…! 動かない!」
「バックは!」
「駄目よ、引き返しても意味ないわ! そこ! ウイルスが出てきてるとこ ろ!」
「入るの!?」
「当たり前でしょ!」
 そう言ってMEIKOは真っ先に飛び降りた。着いて来るのも確認せず中に飛び込む。途端に襲ってきた圧力に悲鳴を上げそうになったが、何とか堪えてMEIKOは大きく息を吸い込んだ。
「姉ちゃん!?」
 続いて入ってきたレンが驚きの声を上げる。MEIKOは歌っていた。つい最近覚えたばかりの、途切れの無い激しい歌。ウイルスが寄ってくる。MEIKOはそれを確認しながらちらりとレンと目をあわす。呆然としているレンに行け、というように首を動かした。
「…………」
 動かないレンを蹴り飛ばそうかと思ってるとようやく後ろからリンとKAITOが入ってくる。KAITOはすぐに状況を認識したのか、レンを促して先へと向かった。MEIKOは、自分に向かってくるウイルスをひたすら蹴散らしている。3人がどこかの壁に入り込んだのを確認してから、後を追った。





「今の……」
「ウイルスは結構ああいう音に敏感でね。物にもよるけど引き寄せるには十 分…」
「じゃなくてっ! …いや、そーだとしたら姉ちゃん、」
「私がどうしたって?」
「姉ちゃん!」
 飛び込んでみれば不安げな眼差しの双子と目が合った。KAITOは苦笑いでこちらを見ている。この部屋にはウイルスは居ない。もっとも、歌い出せばまた寄ってくるのだろうが。何もないこの部屋には用はないということだろう。
「で、どうする?」
「ウイルスが生み出されてるのは入って右側にあったところ」
「あれを潰せばウイルスは止まるんだな!?」
「残念ながら違う。本当の本体を潰さないと何度でも生まれるわよ、あれ」
 レンがじれったそうに拳を握っている。早く何とかしたいのだろう。そういえばマスターから呼び出されている感じがあるとずっと言っていた。リンがそこで思いついたように言う。
「あの…左側にあった小さな穴…あそこ?」
 MEIKOはその言葉に少し目を瞬かせる。左側。何かあっただろうか。
「あ、おれも見た! 何か光ってて…わかんないけど、凄く嫌な感じで…」
「KAITO、見た?」
 聞いてみたがKAITOは首を振る。しかしリンレンは確信を持ったようにMEIKOを見上げてくる。MEIKOは後ろを振り向いた。
「……KAITO」
「ん?」
「この部屋でちょっと歌ってて」
「………了解」
「ええっ」
「ちょ、MEIKO姉ちゃん?」
 双子の言葉とほぼ同時にKAITOの歌が始まった。場に似つかわしくない童謡には一瞬気が抜けそうになるが、MEIKOはすぐさまとりあえず手近に居たレンの手を引いて外に出る。入れ違いに、ウイルスが中に入っていく。
「あれか…」
 光の漏れる小さな穴。確かに、双子が表現したとおりのものだった。しかし。
「……ホントに小さいわね」
 まずKAITOには無理だ。MEIKOも…これは無理か。胸が。ミクでも間違いなく髪が引っかかる。だけどすぐさまレンが手を挙げて言った。
「おれなら入れる!」
「………」
「わ、私も! 多分いけると思う!」
「お前は来んなよっ、ただでさえ狭いのに!」
「順番に入れば同じでしょー!」
「って一緒に入ろうとすんな!」
 MEIKOの言葉も待たずに二人はその穴に飛び込もうとしていた。レンの左腕、リンの右腕が同時に入ってつっかえてる。確かに、一人ずつなら何とか入れるかもしれない。だけど中がどうなってるかわからない以上、身動きの取り辛いところは危険だ。MEIKOは黙ってリンの襟元を引っ張った。
「やっ……何?」
「レン」
「……おう」
「無茶はしないように」
「……おう!」
 僅かに嬉しそうにレンは頷いた。中に飛び込むレンにリンが悲鳴を上げる。
「あーーー! 何で! 何でレンだけ!?」
 リンが襟元を掴まれたままMEIKOを見上げてくる。焦りと不安。一人にしたくない、その気持ちは痛いほどわかる。
「……もし」
「………うん」
「レンに何かあったら…」
「……そうだよ、何かあったら…」
「何かあっても! あなたが無事なら、何とかなるのよ」
 リンが目を見開いた。
 二人は、半分。二人で一つ。だからそれは…KAITOのマフラーと理屈は同じ。リンが目を伏せた。
「でも、そんなのって…」
「……ここでこうしてても仕方ないわ。私たちはミクを探すわよ」
 ぱっと顔を上げてくるリン。MEIKOは一つ頷いてKAITOを呼んだ。歌が止む。同時に、一定方向に向かっていたウイルスたちが迷うように一瞬動きを止めた。
「……やっぱりこっちにも来るわね。異物のくせに異物排除なんてむかつくわ」
 レンの潜った穴に向かったウイルスを蹴り飛ばす。KAITOが駆け寄ってきたのと入れ違いにMEIKOは今度はリンの手を引く。
「KAITO! 中にレンが入って行ったの。ここ守ってて!」
「……わかった」
 余計な言葉は要らない。この点は本当にありがたいと思う。MEIKOはリンの手を引き、再びロードローラーに乗り込んだ。


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