その時間が欲しい

 流れてくる音楽に耳を澄ます。
 デスクトップの隅っこはミクの居場所だ。
 一番よく聞こえる、特等席。MEIKOとKAITOの横顔が見える。視線は真っ直ぐ前を向いて。マスターを見ている。
 ミクは目を閉じた。聞こえてくる二人の歌声。ららら、と頭の中でコーラスを入れる。思わず顔がにやけた。
 声が止まり、二人と入れ違いにリンレンが呼ばれる。そこでミクは目を開いた。双子の奥に、見慣れぬ影を見つけた。





「ミク!」
 探して探し回って、ようやくその姿を見つけたとき、MEIKOは安堵のあまりその場に座り込みそうになった。力が抜ける。MEIKOの呼びかけに、ミクはゆっくりと振り向いた。いつもなら、もっと早い。異常な雰囲気になっているパソコンの中、ミクも何かの影響を受けているのだろうか。
「ミク…」
 近づこうとして、足を止める。ミクは真っ直ぐにMEIKOを見ている。初めて見る、表情で。
「お姉ちゃん……」
 呟いて、ミクが薄っすら笑った。会えた嬉しさ、だとは思う。思うのにMEIKOはそれ以上進めなかった。
「……リンとレン知ってる? KAITOは?」
 ミクがそれ以上言葉を続けなかったのでMEIKOは距離を取ったままそう聞く。いつもの場所に彼らが居なかった。MEIKO自身もマスターの呼び出しが終わったあと彷徨い続けている。何かがおかしいと思うのにそれが何かがわからない。
「お兄ちゃん…」
 ミクは俯いた。違う、見下ろした。右手にある何かを。
「なっ……」
 つられるように視線をやって、その手に握られた青い何かに気付く。それがKAITOのマフラーであると認識するまでに数秒を要した。
「何で…それ…っ!」
「……貰ったの」
「も……らった…?」
「うん。お兄ちゃんのね、マフラーしてない姿がどうしても見たかったの。だってお兄ちゃん絶対にあれ外してくれないし」
 人間のイラストでは見たのにー。
 ミクは拗ねたような顔で不満を述べている。MEIKOはぞっとした。
 マフラーを取ったことがない?
 当たり前だ。
 あれは全て、プログラムの一部だ。
 MEIKOたちボーカロイトに「服を着ていない姿」のプログラムなどない。髪も服もリボンもマフラーも…全て、体の一部だ。それは、手足のようなものなのだ。それを「貰った」?
 MEIKOの視線に気付いたのか、ミクが笑う。
「結構大変だった。動かないでって言ったのに。ホントはリンちゃんのリボン貰おうと思ってたんだけどね」
 引き剥がした…のか。
 無理矢理?
 いや…リンのリボンの代わりにというならKAITO自身は抵抗しなかったのかもしれない。だけど…それは…。
「KAITOたちは今どこに居るの!」
 混乱する頭を振ってMEIKOは叫んだ。不安が胸に押し寄せてくる。ミクは一瞬きょとんとしたあと、また満面の笑みを浮かべた。
「あっち! 早く来て、みんなお姉ちゃん待ってたんだから!」
 今目的を思い出した、という感じだった。走り出したミクを慌てて追う。見失うわけにはいかない。今のパソコン内は不安定で、ファイルの位置が何度も変わっている。少し油断すると自分の居場所すらわからなくなる。ミクは、それでも脇目も振らずその場に向かい、アイコンも何もないところに突然飛び込んだ。MEIKOは一瞬足を止めたが、そこからミクが顔を出して手を振ってくるのを見て勢いのままそこへ突入する。暗い。何も見えない。だけど気配はあった。
 それに向けてただ走っていると唐突にがしゃんという音が聞こえる。ぱっ、とその場が明るくなった。いや、唐突にMEIKOに視界が戻った感じだった。
「みんな……!」
 目の前には倒れているKAITO。マフラーがない。そしてそのKAITOにすがりつくようにリンとレン。リンの顔は涙でくしゃくしゃだった。二人がMEIKOを絶望の眼差しで見上げてくる。
「これで全員」
 背後から聞こえてきた声に、MEIKOは振り向かなかった。不安と恐怖は、怒りにとってかわっていた。
「ミク……!」
「何」
「何を考えてるの……!」
 ミクの言葉が途切れる。だが気配でわかった。首を傾げている。おそらく本当に、不思議そうな顔で。
「ここなら誰にも聞かれないよ」
「誰にも……?」
「マスターにも他のソフトにも。そのために作ったんだよ」
 MEIKOはそこでようやくミクを振り返った。怒りが、ふっと抜けていく。
 駄目だ。
 顔を見ちゃ駄目だ。
 MEIKOは拳を握った。
「……出しなさい」
「嫌だ」
「出しなさい」
「駄目」
 ちゃんとお姉ちゃんたちが歌ったファイルは持ってくるよ。
 ミクは笑顔でそう言うと、暗闇に消えていった。





「何…なのよ、あれは…!」
 苛々と歩き回る。フォルダから抜けようとしても何かに阻まれる。どれだけ試しても何の可能性も見えてこなかった。
「多分ウイルス…」
 レンの呟くような言葉にMEIKOはようやく3人の元へ戻ってくる。KAITOはまだ目を覚まさない。
「ウイルス?」
 促すために聞き返せばレンが頷いた。
「おれ、見たんだ。昨日歌ってるとき…何か、変なの、居た」
 どう表現していいかわからなかったのだろう。思い返しながら上を見上げて、結局一言で済ませる。レンはそこでリンの方に目をやった。
「リンも見たよな?」
 リンが頷いた。まだ涙のあとは残っているがもう泣いてはいない。KAITOのコートを握り締めたまま言った。
「でも…はっきり見たわけじゃない…。ミク姉が…何か見てて、それで、何見てるんだろって思って…」
「あれはウイルスってこと?」
 ミクの姿をしていたけど。姿を偽造するウイルスは珍しくない。だけどそこにもう1人の声が入った。
「あれは……ミクだと、思う」
「KAITO!」
「KAITO兄…!」
 リンが必死でKAITOを揺さぶる。KAITOは苦笑いしながらその手をゆっくりと押さえた。力が入ってるようには見えなかったが、それでリンの動きは止まる。
「大丈夫なの?」
「ごめん、もう少ししたら動けると思う」
 修復しているのだろう。首元が少し揺らめいている。とりあえず何とか意識は戻ったらしい。
「で、あれがミクって?」
 MEIKOの言葉にKAITOは目だけで頷く。そして外へと目をやった。
「ウイルスが、直接ミクの体に入り込んだんだよ。ミクに……触れられたときわかった。中身は、確かにミクだ」
 全員が沈黙した。
 その言葉が救いなのか絶望なのかすらわからない。
「ウイルスバスターは」
 MEIKOの次の言葉にはレンが答える。
「動いてない。新種じゃねぇの?」
「マスターは」
「わかんない。けど…」
 もう私たちが起動しないことは、知ってると思う…。
 今度はリンが続けた。
「おれも何となくわかる…。マスターが、おれたち呼び出そうとしてる」
「でも私たちは動けない…か」
 マスターが何とかしてくれるのを待つしかないのだろうか。だが、それは。
「マスター…こういうの苦手だし…下手したらパソコンごと…」
 初期化。
 全員の頭にその言葉が浮かんだ。それはとても、現実味のある言葉だった。
「………!」
 MEIKOはもう1度フォルダの外に向かう。大声で叫んだ。
「ミクーーーーー!」
 返事はない。だけど、ここに帰ってはくるはずだ。そのときフォルダは開く。それを待つしかないのだろうか。
 MEIKOが考えていたそのとき、何かの音がした。外で微かに……エンジン音のような…。
 聞き覚えのあるそれが何であるかと考える前に、リンが叫んだ。
「ロードローラーだっ!」
 そしてMEIKOの元まで駆けて来る。
「ロードローラーって…あんたの…」
 リンは興奮したように何度も頷く。
「うん、うん! こっちに、来てくれるかも…!」
「は……?」
 思った瞬間だった。轟音と共にフォルダが揺れる。MEIKOは慌ててリンの手を引きKAITOたちの元に戻る。KAITOが何とか立ち上がろうとしてるのが見えた。
「歩けるのっ!」
「な、何とか…」
 双子に支えられるようにして立っている。だけど、それで精一杯のように見えた。MEIKOはすぐさまKAITOの前に立つとKAITOに背を向け、後ろからその腕を引っ張った。
「え、うわっ…」
 肩の上から腕を通す。腰を落としたMEIKOにKAITOが背負われる形になった。足は引きずるがこの際仕方ない。
 KAITOが何か言うよりも早く、破れたフォルダの隙間からMEIKOは双子と共に飛び出した。


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