封印1

 歌には力がある。
 それは神の力とも、あやかしの力とも言われた。
 人々を魅了し、悪いものを遠ざける。
 だから私は歌い続けた。
 いつまでも歌い続けられるよう願った。
 人々のために。私自身のために。
 それがいつ叶ったのだったか、もう覚えていない。





「ただいまー!」
「ただいま……」
 夕方近い時間帯。玄関先で元気に叫ぶミクの横で、レンはほとんど呟くような声で帰りを告げる。足取りはふらふらと覚束無い。ミクはそちらに目も向けず靴を脱いで上がりこむ。それと同時、レンはずっと背負っていた物体をそこへ落とすように置いた。ずん、と大きな音がして何事かと駆けつけてきたKAITOに後は運べと手で合図をして、レンは疲れた顔のまま手ぶらでリビングへと向かった。





「………で?」
 リビング中央に置かれた謎の物体。その正面に兄弟5人が半円になって立っていた。正面のMEIKOが代表するようにそれに触れる。レンの身長の半分ぐらいはあるだろうか。横幅はそれより僅かに広く、ごつごつとした表面は岩のように固い。白い布で覆われたそれを、まだ誰も取り外そうとはしていなかった。
「……どこで拾ってきたの、これ」
 買い物に行ったレンとミク。帰りが遅いのは寄り道をしているのだろうとは思っていた。ミクは歩いて5分の場所にお使いに行かせても平気で1時間は帰って来ない。KAITOが頼んだアイスが溶けていることもしばしばだ。だけど今日は、アイスを買いに行ったのではないし、レンも付いているからと特に心配はしていなかった。
 そのレンが、この謎の物体を運んで帰ってきたのだ。
「拾ったんじゃないよ、買ったんだよ」
 ミクはネギを抱えながらにこにこと微笑んでいる。嬉しくて仕方ないという様子には苦笑いを返し、MEIKOはレンに目をやった。
「説明してくれる?」
 レンは嫌そうな顔をしながら、それでも頷くと、いきなりその物体の布を取り払った。
「……何これ?」
 疑問の声を上げたのはリンだ。MEIKOの感じたとおり、それは岩で出来ていた。周りはおそらく、自然のままの岩で…一面のみ研磨され、彫刻が施されている。
「何か石碑みたいだね」
 KAITOの言葉は微妙に外れている気がする。彫られているのは文字ではなく、顔だ。それもおそらく、というレベルでしかない。
「どこで買ってきたの?」
「……骨董屋?」
「うん。骨董屋」
 何故か自信なさげなレンをフォローするようにミクが頷く。リンが手を伸ばして、その顔の部分をべたべたと触っていた。
「何か有名な人の作品とかそんなもの? っていうかいくらだったの?」
 妙なものを買ってくるのは初めてではないが、これは妙にも程がある。
 そんなに多くの小遣いは持たせていないので、大して高いものではないと思うが。さすがに分割払いとかならレンが止めているはずだ。
 ミクたちがそれに答える前に、突然リンが悲鳴を上げてそこから後ずさった。背後に居たMEIKOにぶつかって、何事かと全員の視線が集まる。
「何? どうしたの」
「な、何か! 何か熱かった!」
「熱い?」
 横からKAITOが手を伸ばす。ゆっくりと触れて首を傾げる様子は、リンの言葉通りでなかったことを示している。
「あんまり触らない方がいいんじゃねぇ。呪いの像だし」
「は? 呪い?」
「ええええ、さ、先に言ってよ〜!」
 リンが慌ててMEIKOの後ろに隠れた。リンはそういった類のものが苦手だ。確かにそれなら先に言うべきだと思ったのに、レンは口を尖らせて言い訳する。
「だってお前そういうの、言う前から怖がるだろ。何も言わなかったから平気なのかと思ったんだよ」
 そういえば。
 MEIKOがリンを見下ろすと、リン自身も不思議そうな顔でMEIKOを見上げ、もう1度像に目をやった。
「……だって……あんまり怖い感じしなかったし…」
「呪いじゃないよ! だって悪いことしないもん」
 ミクがそこで庇うように像の前に立った。MEIKOたちが顔を見合わせる。
「どういうこと? レン」
「何でレンくんに聞くのー!」
「……おれも詳しい話は聞いてないから。ただ所有者が衰弱して倒れたり不幸な目に合ってるとしか」
「立派な呪いの像じゃない」
 というかそんなものを買ってくるのを何故止めないのだ。
 MEIKOが軽く睨むとレンはやっぱり不機嫌な顔で視線を逸らした。
「この像はね。歌うんだよ」
『歌う?』
 全員の声がハモった。
 さすがにその単語には敏感に反応してしまう。揃った声に少しおかしくなって笑みを漏らすと、ミクも表情が和らいで、今度は像がみんなに見えるように位置を移動した。
「時間とか決まってないけど、たまに歌声が聞こえてくるんだって。それで、みんなその歌が聞きたくて、ずっとこの像の前で待ってるの。でも人間は食べたり眠ったりせずにずっとそこに居ることは出来ないから、病気になったり倒れちゃったりするんだって」
 ミクは淡々と、それを語った。受け売りだろう説明をちゃんと自分の言葉にしている。だから、理解はしているのだろう。そしてミクが何を思ってこれを買ってきたかも、そう言われてしまえば、わかる。
「歌声かぁ……」
 リンがMEIKOの後ろから顔を出してきた。そして少し像に近づく。
「まあよくある話なんじゃねぇ? 普通に考えたら呪いの像だろ。いや、別にホントに歌うわけじゃないだろうけど」
 レンは肩を竦めてそんなことを言う。それでもミクをはっきり止めずにわざわざ自分で担いで帰ってきたからには……少しは、興味があるのだろう。
 人を引きつけ離さない、歌声。
「だからね。ずっとここに置いてていい? 歌ったらみんなを呼ぶの」
「……徹夜で?」
「交代で!」
 ミクが元気に言い放つ。
 確かに自分たちVOCALOIDは、それほどの睡眠を必要としないし、いざとなれば充電さえしていれば長期間動き続けることも可能だ。人間のようなライフスタイルも必要ない。全員が顔を見合わせた。レンだけそっぽを向いている。
「えー…でも、ホントに歌うの……?」
 いざ実際に試すとなると、やはり疑いの気持ちが出るのはリン。
「歌は聞いてみたいけど…どれくらいかかるのかな」
 期間を気にしているのはKAITO。こっちはやる気だろうか。
「仕事中だとどうしようもないでしょ。それに誰か一人は残るようスケジュール組むのも無理よ」
 無理というか面倒だ。
 そもそもは、なるべく全員一緒の時間ができるように仕事を入れているのだ。つまりは全員一斉に仕事をしているときの方が多い。
 ミクが不満げに唇を尖らせる。
「歌うって言ってたもん。私は待つからね!」
 そう言ってミクは像の前に座り込んだ。こういうときのミクは頑固で、おそらく本当に動かなくなる。どうしたものかと思っていると、そこで漸くレンがぽつりと発言した。
「……あのさ」
「何?」
「とりあえず……一晩だけ待ってみてもいいんじゃねぇ?」
 語尾が少し消えるように。全員が、再び顔を見合わせた。





 小さく、微かに響く音。
 僅かに揺れるその空気に、最初に気付いたのは、やはりミクだった。
 ソファに座ったり床に寝転んでたり、思い思いの格好をしていた5人がゆっくりと体を起こす。その後は誰も一言も発しない。衣擦れの音すら聞こえない。聴覚機能を最大まで高めて、まだ「歌」とは思えないその音に意識を集中した。
「あ……」
 誰かが声を上げた。
 音が少しずつ…いや、一気に歌になっていく。MEIKOは思わず立ち上がった。KAITOと、ミクも続く。歌。歌だ。確かに、歌が聞こえる。
「やっ……」
 立ち上がったリンが側に居たレンにしがみつく。
 MEIKOも目を疑った。
 像の後ろ、僅かに、浮かび上がる影。
 歌はそれに伴われるように、大きく、力強くなっていく。
 呆然とその影を見上げていたとき、唐突に幼く高い声がそれに割り込んだ。
 ミクだ。
「ミク……」
 その不思議な現象に、ミクはただ笑顔で歌っていた。初めて聞いた歌に、楽しそうに合わせていく。
 少し、影が濃くなった気がした。
「KAITO……」
 次に歌いだしたのはKAITO。MEIKOと視線を合わせると微笑んで、促すように目で合図された。
 濃くなっていく人影。
 長い髪。和装。
 聞こえてくる声は、男性のものだ。
 MEIKOは一度目を閉じて、その歌声だけに集中する。
 リンとレンと、ほとんど同時に歌い始めた。
 部屋中に響く声は、6人分。
 もう何の疑いもない。
 そこに、人が居た。
 白い服も、紫の髪も、腰に差した刀さえはっきりと認識できる。
 やがて誰が合図するでもなく、ぴたりと、その歌声は止まった。
 全員が中央に立つその人物を見つめている。机の上に置かれた像のすぐ後ろ。つまり、その男も机の上に立っていた。自然、見上げる状態になる。
 表情の見えない顔で男はゆっくりと辺りを見渡す。
 像を避けて踏み出そうとしたのか、足を横に滑らせた。
「あっ」
 がくん、と落ちる体。一段高いところに居る認識ができていない。KAITOが声を上げて手を伸ばしたが間に合わず。男は床に崩れ落ちた。
「………」
「………」
 沈黙して、おそるおそるKAITOが男に触れる。触れられる。
 先ほどまで居なかったはずの男に、確かに手が触れている。
「あの……」
 今、男に一番近いのはKAITOだ。
 だからか、全員がKAITOに続きを促している。
 問いかけろと。
「ええと……誰ですか?」
 間抜けな問いに、男は上半身だけ起こした姿勢で少し瞬いた。
 KAITOに、そして覗き込む他の4人に目を合わせてはっきりと言い放つ。
「私は、神だ」
 さらに長い、沈黙が訪れた。


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