思い2
「レン、レンー。レンくんー。レンちゃんー。レンゾウー」
「誰だよそれ……」
「起きてんなら返事してよ」
遠慮なくレンの体を揺すりまくっていたリンは、レンの体にかかった布団を剥ぎ取る。軽くその端を握っていたレンの手が一緒に持ち上がった。
「……何だよ一体」
「言ったでしょー。お兄ちゃんのとこいくって」
「ああ、夜這い?」
「違うっ!」
思わず怒鳴るとレンが低く笑っていた。確かに、昨日は冗談でそんなことも言ったけれど。いい加減忘れて欲しい。
レンが体を起こしたのでリンもようやくベッドから少し離れる。二人はマスターがゴミ捨て場から拾ってきたと自慢した二段ベッドに普段は眠っていた。下の段に眠るレンを膝立ちで見ていたリンは、部屋の中央まで来てから立ち上がる。
「レンだって言ってたでしょー。お兄ちゃんのナンバーみたいって」
「確かに謎だったけどな…。別に起きてる間に頼んだんでいいだろうが」
「忘れてた」
「お前……」
「それに夜中の方がいいじゃん、夜に見た方が綺麗でしょ」
個体に刻まれたナンバーは、発光塗料が仕込まれているため夜にはぼんやりと光る。今も暗い部屋の中、リンとレンの腕のナンバーは光を発していた。夜の方が、ナンバーを見つけやすいというのもある。
「別におれはいいんだけどな…」
レンがベッドから降りて、二人は廊下へと向かう。左隣はミクとMEIKOの部屋。右側が、KAITOの部屋。今まではミクの部屋だったところだ。一応男性型ということで、女性陣と一緒にはしたくなかったらしい。レンはずっとリンと一緒だが。
廊下に出たとき、ばったりと階段を上がってきたMEIKOと出くわした。
「……何やってるの?」
「あ、MEIKO姉」
「リンがKAITO兄ィに夜這いかけるからついてこいって」
「だから何でそういうこと言うの!」
やっぱりレンはまだそんなことを言う。昨日は本当に阿呆なことを言ってしまったと後悔する。これはしばらくはからかいのネタにされるのだろう。KAITOに対する初対面の印象も最悪だ。絶対に変な子だと思われている。
「姉ちゃんもくる? 兄ちゃんのナンバー、見にいくんだけど」
「ああ」
それで理解したのかMEIKOが頷く。どうせなら夜に、という気持ちはわかったのだろう。止めることもなく、代わりに自分の部屋に目をやった。
「だったらミクも呼んでこないと。仲間外れにされたって怒るわよ」
「………だね」
元々はレンと二人で行くつもりだったけれど。言われてみればその通りだった。リンはすぐさまミクたちの部屋をノックもせずに開ける。MEIKOは、既にKAITOの部屋に向かっていた。それを横目で見ながら、リンはミクの部屋へと入る。
「KAITOー、起きてる?」
「あっ、起こすなよ。どうせなら寝てるとこ忍び込んだ方が面白いだろ」
「初日からドッキリしかけるのやめなさいよ」
言いながらMEIKOはドアを開ける音が聞こえる。まだKAITOの返事は聞こえていない
が。
「何してる!」
そのとき、突然聞こえてきた怒声に、リンはびくりと体を竦めた。部屋の中でミクが跳ね起きるのが見える。リンは瞬時に踵を返し、ゆっくりと扉に近づくと廊下を覗き込む。声を出したのは、マスター。リンの位置からは固まって立ち尽くしているレンしか見えない。
「マスター……」
「何をしてると聞いてるんだ!」
問われているのはMEIKOだ。KAITOの部屋に入りかけたMEIKO。
まずい。
そう思うものの、リンは動けない。
だけど部屋の扉は突然大きく開かれた。
ミク。
既に目を覚まし、状況を把握したのか、廊下に飛び出してマスターの前に立っている。
「ま、マスター落ち着いて」
「どけ!」
「マスター!」
マスターが力任せにミクを弾き飛ばす。こういうとき下手に踏んばるとマスターが怪我をする。ミクが壁にぶつかったのには目も向けず、マスターはKAITOの部屋に向かう。入り口近くで固まっているMEIKOを押しのけるように出てきたのは、KAITOだった。
「マスター……」
さすがに目を覚ましたのだろう。KAITOは、弱々しく呼びかけるようにマスターに声をかける。マスターは無言でKAITOに向かって拳を振り上げた。
「マスター…すみません」
KAITOはそれを避けもせず、直接腕を取ると、背後に回ってマスターの両腕を封じる。だがマスターは止まらなかった。まだ自由な足で思い切りKAITOの足を蹴りつける。
うわ、と一瞬声が出そうになったが、KAITOはそれには反応しなかった。そうだ、痛覚機能を遮断されている。
「KAITO、遠慮はしないで。あんたの力だってそう強いわけじゃないでしょ」
「………」
助けを求めるようにMEIKOを見たKAITOに、MEIKOはそう言い切った。KAITOは少し迷ったあと、頷いて今度はマスターの足を払った。床に押し付けるように上からかぶさり、ようやくマスターの動きがほぼ封じられる。それでも、マスターは暴れ続けて
いた。
「どうしたらいいの……」
「……ごめん、収まるまで…そのままで…」
実際にこうなったとき、押さえつけられるものなどいなかった。リンたちはアンドロイドといってもほとんど人間並の力しか持っていない。人間より、多少強いぐら
いか。
それはKAITOも同じだ。マスターより体格のいい男性型だから何とかなっているのだろう。疲れはないので押さえ続けることは出来る。普段は完全に発散するまで暴れ続けるのでこれで正しいのかどうかはわからない。
マスターは暴れながらも、何とか攻撃を仕掛けたいのか、KAITOやMEIKOに対する罵倒を繰り返している。リンは思わず耳を塞ぐ。そんなマスターの言葉を聞いたのは初めてだった。だけどリンにもわかった。
マスターは、MEIKOに男が近づくのが気に食わない。
目を覚ました瞬間、体の痛みを自覚した。
暴れた分だけ、相手の力もかかってくる。つかまれていた腕は、あざが出来ているだろう。
痛みに顔をしかめながらもゆっくりと体を起こす。動けないことはなさそうだ。
自分の体を見下ろして、昨夜のまま、酒臭さも残っているのに気が付いた。そうだ、昨日は酔っていた。
MEIKOたちに、謝った方がいいだろうか。
買ったばかりのKAITOに早速嫌な思いをさせた。そのために買ったのだし、男がどう思おうと気にすることはない。だけど、自分の口から出た酷い罵倒は、どうしても胸にしこりを残す。全て覚えているのが厄介だ。忘れてしまえば良かったのに。自分の気持ちに気付いたことも含めて。
「………おれは、」
馬鹿か。
掠れた声を出して項垂れる。
人との交流をできるだけ絶って、一人閉じこもって生きていたのは何のためだ。
人と人との間に生まれる気持ちが、わずらわしくて仕方なかったからじゃない
のか。
それが、恋。
厄介で複雑で、どうにもならない。
おまけに相手は、ただの機械。
「………………」
思わず自嘲気味な笑いが漏れる。彼らがVOCALOIDであることを忘れたことなどなかった。壊れても直せる。気に食わなければいつでも処分できる。何をされたって文句なんか言わない。気を遣わずに言いたいことを言える。
だから、自分に正直に生きられた。生まれて初めて味わった開放感。
そうだ、そのための、VOCALOIDだ。
「マスター……?」
小さなノックの音。聞こえてきたのはMEIKOの声。
初めから、だった気はする。
女性型だけで3体あったVOCALOIDの中で、初めからMEIKOを選んだ。
そのときは、歌のことなんて考えてもいなかった。デモソングだって聞いちゃい
ない。
だけど、それは子ども型を世話する自信なんかなかったからかもしれない。
ならば、あのとき。初めてMEIKOの歌を聴いたときだ。どうしようもなく惹かれた。そしてそれは、歌う機械への興味にも繋がった。歌声そのものを聞きたくてミクたちを買った。異なる歌声を聴くことがただ楽しくて──忘れていたのかもしれない。
ぼんやり考えながら部屋の中を歩いていると、突然ドアが開いた。
目の前に立っている男に、驚いたようなMEIKOの顔。
「あ、起きてたの。もう昼だから……」
言いかけたMEIKOの腕を引っ張り部屋に引きこむ。勢いが付きすぎて、支えきれずに二人一緒に倒れた。
「マスター! だ、大丈夫?」
上に乗りかかる形になったMEIKOが慌てて問いかける。
思ったよりも、軽い。人間と同じような重量、そして感触。
「マスター……」
MEIKOの腕は離さない。
そのまま体を起こして、倒れたMEIKOの上に乗りかかる。
何かを思い出した。
「マスター、ちょっと、何やってるのよ!」
両腕を押さえつける。体の痛みはあったが、それでもMEIKOが抜け出せないほどの力を出せる。
おれは男で。
こいつは女だ。
「KAITO!」
MEIKOの叫び。
その声に、胸の中に一気に何かが駆け上がった。激しく燃えるそれは、憎悪にも近い感情。
駆けつけてくる足音。MEIKOが何か言うより早く、振り向きもせずに怒鳴
った。
「KAITO!」
「メイ……マス…ター…?」
MEIKOを押し倒しているマスターの姿に、KAITOが戸惑う。動きかけたKAITOにもう1度叫んだ。
「KAITO、動くな」
「…………」
足が止まる。それを耳だけで確認して、続ける。
「ドアを閉めて廊下に出ろ。誰も部屋に入れるな」
「え、」
「マスター!」
非難の声はMEIKO。それをただ、冷たい目で見下ろす。
「今は冷静だ。KAITO、聞こえたな? マスター命令だ。今すぐ部屋を出ろ」
「KAITOっ、違うわ! 今のマスターはおかしい!」
「部屋を出ろ!」
二人の怒鳴り声が交じり合って部屋に響く。
そのまま、長い沈黙の続く部屋の中。
やがて、KAITOの離れる気配がした。
「KAITO……!」
KAITOは何も言わなかった。扉の閉まる音に、満足げな笑みを漏らす。
「……そうだよな、お前たちはみんな、命令すればおれの言う通りにしか動けないんだよな」
「………………」
何でKAITOを買ったのだったろうか。
一瞬疑問に思ったあと、MEIKOの服に手をかける。
動くなと言えば、MEIKOは諦めたように力を抜いた。
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