呪い2
「何か感じるのか?」
「わかんないよ……」
収録に使われた楽譜を眺めてリンはため息をつく。しばらくそれを見つめたままだったリンはやがて顔を上げて言った。
「……歌ってみよっか」
「止めてくれ」
レンが顔をしかめて言うとリンは、多少不満げな顔をしつつも頷いた。
朝から目覚めないMEIKO。
きちんと検査をしてもらえば何とかなるだろうと楽観していたが、夜になっても原因すらわからない。呪いの歌なんてものが本当にあったのか。
はっきり信じているわけではないが、それでもリンが歌うのは怖かった。
「この歌が……原因だといいね」
そのときミクがぽつりともらした言葉にレンは驚きの声を上げる。リンも、同様だったようだ。
「何で!? それってMEIKO姉が不幸になるってことじゃん!」
「だって、理由があった方が解決法があるかもしれないってお兄ちゃん言ってたもん。このまま……わかんなくて、ずっと起きないより……」
「解決法があるとは限らないけどな」
調べに行ったKAITOはまだ帰って来ない。と言っても今日は自宅には帰るつもりはないかもしれない。目覚めないMEIKOに付き添っていても意味はないが、それでも離れる不安は何となくわかる。
「……まだ何もわかんないのかな」
沈黙に耐え切れないのか、数分置きにミクは時計を確認する。3人とも夕食も食べず部屋にも戻らずリビングに居た。KAITOが帰ってくるか、電話がかかるか、どちらにせよ一番早く情報を得られる場所はここだ。
それでも落ち着かず、レンが何となく立ち上がったとき、電話が鳴った。
「………」
「私、出る」
動きかけたレンを制してミクが電話に向かう。少し後ろを振り返って、受話器は取らずにボタンを操作した。電話の声が、リビングに流れるように。
「もしもし」
『もしもし、ミク?』
KAITOだった。リンも立ち上がり、思わず2人揃って電話へ向かう。
「お兄ちゃん、どうだった?」
『……これから帰るから。姉さんはまだ起きない』
「……うん」
『明日の仕事、いくつかミクに変わって欲しいのがあるんだ。姉さん、明日の仕事もキャンセルするから……』
「KAITO兄ィは?」
『おれも休む。行くとこがあるから』
「行くところ?」
『もうすぐ着くよ、後で説明する』
それだけ言って電話は切れた。ディスプレイに表示されていたのはMEIKOの携帯番号。おそらくタクシーか何かに乗っているのだろう。そのくらいはVOCALOIDの聴力で判断できた。
「……行くところあるって」
「何かわかったのかな」
「わからなくて、調べに行くのかもな」
「……もう少し希望持とうよ、レン」
リンが文句を言っている間にKAITOは帰ってきた。がくぽも一緒だ。2人とも沈黙したままリビングへ向かい、最初に発言したのはミクだった。
「明日、どこに行くの?」
「……この歌の…作者のとこ、かな?」
「生きてはいないらしいがな」
がくぽが付け加えた。
呪いの歌の由来。
ほとんどが収録のとき説明されていたことだったらしいが、それをもう少し詳しく、具体的な場所まで聞いてきた。
この歌は単独で成立していない。これに恋人が送り返した歌があるらしい。だけど、呪いの歌の主はそれを聞くことなく亡くなった。恋人の答えを求めて、女の霊が歌い手に取り付くのだというのがテレビで流された見解。
ありがちな怪談話にしか聞こえなかったが、全員が真剣に聞いた。
「じゃあ……恋人の歌を歌えばいいの?」
「それが本当にあるならね」
はっきり存在していたのは呪いの歌の楽譜だけ。これも、そもそもは聞いた誰かが楽譜に起こしただけのものらしい。返歌も呪いも、後から付け加えられたエピソードという可能性が高い。
「まあ、試せることは何でも試してみるよ。おれも正直信じてるわけじゃないけど……姉さんの再起動を引き延ばしたいだけって言われるかもしれないけど……あのとき感じた違和感と、リンの勘もあるしね」
KAITOの声は少し震えていた。レンたちにはそれが何より怖い。KAITOの恐怖が、伝染してしまっている。
「……気を付けろよ」
何と言っていいかわからず、レンがそんなことを言うと、ようやくKAITOが少し笑顔を見せる。
「ああ、すぐ帰る。レン、姉さんを頼むよ」
「一人で行くのか?」
「それは、」
「私も行く!」
KAITOの言葉を遮って突然大声を上げたのはリンだった。全員が、驚いたような視線をリンに向ける。リンは強い目をしたままKAITOに向かって言う。
「何か……感じるかもしれないし…わかんないけど、私の勘が、役に、立つ、かも」
切れ切れに言うリンは拳を握り締めている。多分、リンも怯えている。レンは思わず横からその手を取った。リンがはっとしたようにレンを見て、少し力が抜ける。
「……でもリンも仕事が」
「明日の仕事ならおれ一人でやれる。可能性は高めとけよ」
レンがそう言うと、KAITOは苦笑いのような表情になった。
「……そうだね。じゃあ明日」
「ああ。準備はしておく」
「え……がくぽも行くのか?」
さらりと言ったがくぽに思わず聞き返せば、頷かれた。
「最初からその予定だ。一人では何かあったときに困るからな」
まあリンも来ることになるとは思わなかったが。
そう続けたがくぽが笑って立ち上がる。今日は泊まっていくのだろうか。ほとんど同時にミクも立ち上がった。
「じゃあもう寝よう。私は……お仕事頑張るから」
MEIKOの分まで。
ミクは口にはしなかったが全員が何となく頷いた。
明日結果が出る。
何もわからなければ、再起動をかけることになるだろう。MEIKOが、失われるかもしれない危険。
その日はなかなか眠れなかった。
考え過ぎてスリープモードへの切り替えが上手くいかない。隣で眠るリンも似たようなものだった。
家族が死の淵にあるとき、人間はこんな不安を味わっているのだろうか。
繰り返し、繰り返し、同じ歌を歌っている。
そんな意識はあるのに、何の歌かわからない。
言葉を紡いでいるのは確かに自分なのに、何を言っているかがわからない。
何の歌だったっけ。
何の仕事で歌ってるんだっけ。
そんな思考は次第に薄れて、ただ歌に集中する。これは、あの人のための歌。何度も何度も練習して、思いを込めた歌。そうだ私は……私たちは、歌で繋がっていた。
愛してる愛してる。
幸せな気持ちで何度も歌う。
だけど、あの人の歌は返らない。
不安が募る。
私はこんなに愛しているのに。
ばくばくと音を立てる心臓。
早く、応えて。
これ以上不安にさせないで。
歌は続く。
思考が途切れ、何のために歌っているかわからなくなり、また思い出す。
だけど歌だけは止められなかった。止めてはいけない、そんな気がした。
「お兄ちゃん……!」
思わず悲鳴のような声が出た。その声の鋭さに、辺りの人間が驚いたように振り替える。リンは慌てて口を塞いだが、もう遅い。リンだ、という小さな声も聞こえた。
「ど、どうしたんだい?」
「ああ、気にしないでください。で、今の歌……」
「あー……聞いたことはないなぁ。そういう話は確かに聞いた気はするんだけどね……わたしはあまり詳しくなくて」
KAITOの問いにその老人は頭をかいて答えた。
歌のことを聞きに言って、どんな歌か聞かれたKAITOはいきなりその問題の歌を歌ったのだ。歌えば不幸になる、と言われた歌。MEIKOが起き上がらない原因かもしれない歌。しかもリンの反応も軽く流された。リンは思わず恨めしげにKAITOを睨む。本当に心臓に悪い。心臓なんてないけど。
「KAITO、人が来る」
「ああ……いいんじゃない、みんなに聞けば」
この老人はKAITOたちのことを知らなかったようだが、リンの発した声が原因で何人かには気付かれた。遠巻きに人が集まってきている。テレビの撮影等ではないことに気付けば、寄ってくるのも時間の問題だ。
わざわざいつもの衣装を変えて、目立たないようにしていたがくぽがため息をつく。
「まあ、そうだな。時間も惜しい。だが、もう歌うなよ」
「……メロディが頭に入ってるとついね」
本当は歌詞だけ話すつもりだったのだろう。KAITOが苦笑いを向けた。リンの視線に気付いたのか、リンに対しても「ごめん」と謝ってくる。
「全部歌わなきゃ問題ないんじゃないかな」
「お兄ちゃん、お願いだから止めて」
こんなときにまでそんな呑気を発揮しないで欲しい。
さすがに泣きそうな顔になったリンに、KAITOが少し真面目な顔に戻った。
「あ、あの、VOCALOIDのみ…皆さんですよね!」
そのとき遠巻きに見ていた女の子がついに駆け寄ってくる。この組合せになんと言っていいかわからなかったのだろう。リンはぱっと笑顔を向けて頷いた。人を寄せていいなら、これでいい。
「そうだよ! あ、ねえ、この歌知ってる?」
「え?」
リンは近づいてきた子に楽譜を差し出す。一応下半分は折り曲げて全部見えないようにしていた。女の子は首を傾げたが、それにつられるように周りの人間も集まって覗き込んできた。歌わないで、と言うつもりだったが、歌詞を読み上げるものは居てもメロディに乗せるものは居なかった。楽譜を見て歌える人間は、意外に少ない。
「知らないなぁ…」
「これ何の歌?」
「ねえ、歌ってよ!」
結局誰も答えられず、次第にそんなノリになる。
さすがにこの歌を歌うわけにはいかない。リンは新曲のサビだけその場で歌ってお茶を濁した。あまり、時間がない。逃げるようにその場を立ち去る。
「……ホントにここなの?」
「結局噂、だからねぇ。結婚前に亡くなった人が居るのは間違いないみたいなんだけど、それも本当にこの歌に関係があるのかどうか……」
真っ先に、その身内を探した。だけどその話はもう何十年も前のことらしく、親は既に亡くなっており、他に関係者も居なかったらしい。その話を知っていた老人たちも、歌については誰一人存在すら知らなかった。
歩きながら、リンは楽譜を眺める。
難しい言葉が多い。ラブソング、と言うと違和感があるのは少し古めの言葉のせいか。
「あなたに会えて……」
声に出して歌詞を読み上げる。楽譜が目に入るとつい歌ってしまいそうになるが、それを堪えてなるべく平坦に声を出した。
「……あれ」
「どうした、リン?」
足を止めたリンを、KAITOが振り返る。リンの後ろを歩いていたがくぽもそれにあわせて止まり、リンを覗き込む。
「……歌、聞こえない?」
「……そういえば」
「歌?」
リンの言葉に、がくぽは頷き、KAITOは首を傾げる。
KAITOやMEIKOはリンたちよりも少し聴力が劣る。それでも人間の何倍もはあるのだが。KAITOに聞こえず、リンたちには聞こえる。それで距離がわかる。
「リン!」
駆け出したリンを慌てたようにKAITOが追う。がくぽが駆け出したのはリンとほぼ同時だった。
リンは隣を走るがくぽを見上げる。
「……似てる、気がしない?」
「……私にはわからん。だが、リンがそう思うなら……」
2人のやりとりは聞こえたのだろう。KAITOもスピードを上げる。
思った以上に長い距離を走り、小さな空き地のような場所に着いた。
歌はもう止んでいる。だけど、歌っていたは間違いなく……。
「今の、君!?」
そこに座り込んでいた一人の少年。突然のリンの言葉に驚いたように体を引いている。詰め寄ろうして、いきなり体が後ろに引き戻された。
がくぽだ。
「何、」
「落ち着け。顔が怖い」
「何よー!」
がくぽらしくない物言いに膨れていると、いつの間にかKAITOが少年の側に座り込んでいた。得意の優しげな笑みと声が、少年の表情を解きほぐす。
「……さっきの歌、もう1回聞かせてくれる?」
「……聞いてたの」
「うん。誰から聞いたの?」
「……お父さん」
少年の言葉に一瞬リンは体が強張った。
KAITOは気にせず、少年に歌って欲しいと頼む。
こんな風に囲まれて歌いにくいんじゃないかと思ったが、少年は意外に素直にそのまま歌った。綺麗な声だ。歌は得意なのだろう。
小学校低学年くらいに見える子どもの口から出るには、違和感のある難しく少し古い言葉。意味をわかっているのかいないのか、少年は笑顔で歌いきる。
歌詞は間違いなく、あの歌と対になっていた。
「……お兄ちゃん」
「うん……多分、間違いない」
誰から誰に伝わったのか、少年の父とは誰なのか。
リンは深く考えることは止めた。多分今大切なのは、この歌をMEIKOに届けること。
「ありがとう。いい歌だね」
「うん、お父さんのおじいちゃんが作ったって言ってた!」
決定的な言葉だった。
だけどKAITOはそれに微笑みを返しただけだった。
「……戻るか」
「うん」
少年にもう1度お礼を言ってKAITOが歩き出す。追いかけるように、リンとがくぽも少し遅れてついていく。
リンは歩きながら考える。
呪いの歌の作り手は、この返歌を望んでいる。望んでいるはずだ。自分の歌に答えが返って来て、それで……。
どうする?
唐突に浮かんだ疑問に、リンはまた足を止めてしまった。
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