呪い3

 初めて会った日のこと。
 一緒に過ごした日々。
 彼の顔、名前。
 何一つ思い出せないのに、好きだという強い感情だけが残っている。
 歌って歌って、歌い続けて。
 求めたのは、ただ彼の歌声。





 部屋の中は静まり返っていた。
 泣きそうな顔をしたミクをがくぽが引きずるようにして外に出る。廊下からそれを見ていたレンは、ミクと目が合って思わず顔を逸らした。
 最後に出てきたリンが扉を閉める。防音の部屋の中の音は、それでほとんど聞こえなくなった。聴力を最大にまで高めれば多少は聞き取れるだろうが、そんなことをする気にはならない。
「……大丈夫、かな」
「大丈夫だよ」
 明るい声で言ったのはリンだった。だけど僅かに顔が強張っている。
 歌を返せばMEIKOが目を覚ます。
 本当にそれだけで済むのかと最初に言ったのはリンだった。
 怪談が苦手な癖にホラー漫画などをよく読むリンは、歌を返した相手が引きこまれるんじゃないかと想像したらしい。この場合、KAITOだ。もしかしたら……MEIKOどころかKAITOまで目覚めなくなってしまうかもしれない。
 そんな発想を皆に与えた。
「お前が変なこと言うからみんな不安になってるんだよ」
「……ごめん」
 唇を尖らすリンは、努めて明るく振舞おうとしているようだった。それに気付いたのか、ミクもようやく笑顔を見せる。
「でも、大丈夫だよね。恋人の歌を聞いて、成仏するんでしょ?」
「……でも本人じゃないんだよなぁ……」
 当然、歌い手本人は既に死んでいる。子どもが居るということは……別の女性と結ばれた可能性も高い。もし、それに気付いたら。もし、KAITOでは駄目だっ たら。
 自分の想像にレンは苦笑する。
 もう全員が、呪いの歌の存在を受け入れていた。
 その上で、霊まで絡めた物語を想像している。それは不安でもあったが……唯一の希望でもあるのだ。MEIKOが目覚めるための。
「……今歌ってるのかな」
「……さあな」
 レンたちが外に出されたのは、念のため。呪いの歌だのその返歌だの言われている歌を耳にしていいのかどうかわからなかったからだ。不安は出来るだけ、取り除きたい。
「そういえば、がくぽはさっき何言われてたの?」
「ん? 私か?」
 部屋の中から意識を外そうとするかのように、ミクが明るい声を出す。レンもそれに続いた。
「KAITO兄ィに何か言われてただろ。……まさか、自分に何かあったら後のこと頼むとか言われたんじゃないだろうな?」
「だったらどうする」
「殴る」
「どっちを」
「KAITO兄ィに決まってんだろ」
 レンが拳を振り上げて言うとがくぽは笑った。
 実際、これだけいろいろ用心しているのだ。それを言っていてもおかしくはないとは思ったが。それでもそんな言葉を現実に出されていたら嫌だった。どうせなら自分に言って欲しいというのもあったが。
「単なる確認だ。扉を閉めて……5分後に戻ってこいと」
 だががくぽはレンの言葉をあっさり否定した。
 歌自体は多分1分ほどの短いもののはずだ。
 今、KAITOが歌っている。
 自然、全員が扉へと目を向ける。
 恋人の歌を待ち望んだ女性へ、届いているのだろうか。





「姉さん……」
「…………」
 目を開いたMEIKOが目を瞬かせている。KAITOは顔を歪ませてその表情を見ていた。やがて、はっきりとKAITOに目を合わせたMEIKOがそんなKAITOをいぶかしげに見やる。
「……ここ、どこ?」
 上半身だけ起こしたMEIKOが辺りを見回す。ベッドではなくただの台の上に寝かされているMEIKO。アンドロイド用の施設では布団なんて必要とされない。しばらくして、MEIKOはおそるおそる、と言った感じで聞いてきた。
「私……倒れた?」
 覚えがないんだけど、とMEIKOは言う。
 答えを少し怖がっている様子にKAITOは思わず笑ってしまった。
 MEIKOのそれは、記憶が飛ぶほどの何かがあったなら、迷惑をかけているだろうという思いからだろう。間違いではないかもしれないが。
「倒れたというかね……。起きなかった。姉さん、丸二日以上寝てたよ」
「ええ!?」
「全然覚えてない? 寝てる間も脳はフル回転だったみたいだけど」
「………」
 目を見開いたあと呆然としたMEIKOは、考えるように俯く。答えは期待していなかったが、やがてぽつりと言った。
「歌……」
「ん?」
「歌ってた気がするわ」
 まあいつものことかしらね、とMEIKOは言ってようやく体の向きをKAITO側へと向けた。台から足を下ろし、正面の椅子に座ったKAITOと視線が合う。
「いい歌だった?」
「さあ? 覚えてない」
 MEIKOは苦笑しながら右手を上げたり喉に触れたりしている。体が問題なく動くかの確認だろう。
「ちょっと歌っていい?」
「何を」
「確認よ。二日も寝てたんでしょ、私」
 そう言うと、KAITOの答えも待たずに歌い始めた。一瞬身構えたKAITOだったが、MEIKOの口から出たのは新曲の一部。久々にMEIKOの声を聞いた気がした。
「姉さん」
 歌が終わり、事情を話そうとKAITOが口を開いたとき、背後の扉が開いた。
 しまった、もう5分か。
「あー、お姉ちゃん!」
「起きてるんだ! 良かったぁー!」
 ミクとリンが真っ先に飛び込んできてMEIKOの元へ向かう。
 5分ではちょっと短かったかもしれない。まあ、後でもいいか。
 MEIKOに抱きつくリンとミクを眺めていると、隣にがくぽとレンが並ぶ。挟まれたような状態でどっちを見ればいいかわからない。
「……成功か?」
「多分」
 がくぽの問いにとりあえず頷く。
「成仏……成仏したのかよ?」
 言葉が適当かどうか迷って、結局そう言ったレンには首を傾げる。
 少年から聞いた歌を歌い終わり、しばらくして、MEIKOは目を開いた。それ以上の反応は何もなく、少し拍子抜けしたほどだった。
「ちょっと……ちょっと待って」
 抱きつかれ、騒がれていたMEIKOがふと気付いたようにリンとミクを引き剥がす。全員が言葉を止めてMEIKOを見た。
「今何時よ? あんたたち仕事は?」
「…………」
「…………」
「…………」
 MEIKOの強い目にKAITOは何も言えない。
 結局全員休んでしまった。MEIKOと、永遠の別れになるかもしれない可能性があったなんて、言っていいのだろうか。
「起きて最初にそれかよ」
「大丈夫だよ! MEIKO姉の仕事、私にもやれたんだから!」
 リンが担当したのは結局1件だけだったが。
 それでも誇らしげなリンに、MEIKOも苦笑するしかない。
 リンの頭をなでながら、ちゃんと説明しろとでも言いたげな視線がKAITOに注がれていた。





「あなたにー会えてー」
「姉さん、それ歌わないでってば」
 自宅のリビング内。
 KAITOが顔をしかめて言ってきて、MEIKOは口を閉ざした。眠っている間何度も何度も頭の中で繰り返した曲だからか、どうにも自然と口をついて出てしまうようだ。KAITOが本当に嫌そうな顔をしているのに、つい驚いてしまう。歌を歌って嫌がられることなど普通はないからか。事情を聞けば、無理もないと思うのだが。
「ごめんごめん。でも、もう大丈夫なんじゃない?」
「そうかもしれないけど。おれがどれだけ怖かったと思ってるんだよ」
「あんたはそういうこと率直に言っちゃうからあんまり本気に取られないんだけどね」
 それでも本音だろう。
 正直聞いているだけで怖かった。自分が失われていたかもしれないことが、じゃない。家族をそんな状況に置いたことが、だ。
「……もうああいう仕事は受けないわよ」
「……そうなの?」
「ちょっと待って、まさか受けてもいいとか言うわけ?」
「……ちゃんと事情がわかってて、解決法もあるなら、かな」
 KAITOが苦笑して言った。
 そしてゆっくりと、MEIKOの耳に残る歌にどこか似た曲を歌いだす。
「あ……それが、恋人の?」
「うん。……歌を求め続けてる人が居て、おれたちが歌って成仏できるなら、それはそれでいいと思うんだけどね」
「……試さないでよ、頼むから」
「大丈夫だよ、おれも怖いから」
 自分の歌でMEIKOが目覚めたことで、何か思うとことはあったのだろうか。
 MEIKOは何とも言えず、その話題をそこで終わらせる。
「そういえば、休んでた間の仕事だけど、」
「あー、そうそう、延期になってる奴もあるから、ちょっと待って、スケジュール出す」
 KAITOがぱらぱらと手帳をめくる。MEIKOは何となく、壁にかかったカレンダーへと目を向けた。
 あの番組は、予定通り放送されるのだろうか。
 VOCALOIDが二日ほど倒れたことなど、問題にもならないのかもしれない。
「KAITO」
「何?」
「……やっぱり、私が歌って良かったわ」
「何を……」
「人間が歌うより」
「……ああ」
 KAITOは納得したように頷いてくれた。
 もしも人間が歌っていたら、どんなことになっていたのだろうか。
 具体的な想像は出来ないけれど、人間の代わりに受けた結果だと思えば少しだけ、気が休まる気がした。
 それでも、家族のことを考えるともう2度はできないけれど。


 

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