呪い1
ざわついていたスタジオが静かになる。照明は薄暗い雰囲気のまま、中央に座っていた司会者が喋り始めた。セットの裏に座り込んでいたKAITOはその声を確認して顔を上げる。
「始まったね」
小さな呟きのような声に、隣に立つMEIKOはちらりとセットに目をやっただけだった。本番中だ。マイクは切ってあるがあまり話すわけにもいかない。
それでも出番までまだ時間があるため、KAITOはMEIKOの返答を待たず続
ける。
「……ホントにやるのかな」
「当たり前でしょ。何しに来たと思ってるのよ」
KAITOが右手に持つ台本にMEIKOが目を落とす。謎や、不思議な現象を解明するという目的の特別番組だった。KAITOたちの出番はもう少し先。台本を数ページめくったところで現れるのは「呪いの歌」の言葉。
「……人間じゃないならいいのかなぁ、こういうの」
歌ったものに不幸が訪れる、という噂が流れているらしい。検証のために呼ばれたのがMEIKOだった。KAITOは歌う予定はないが何故かゲストに組み込まれている。単なる数合わせだろう。予備扱いなのかもしれないが。
「まだ聞いてないの、これ?」
「練習で歌っちゃ意味ないってさ」
変なところでリアリティ求めるのね、とMEIKOが苦笑いをしていった。
本番で楽譜を渡され、その場で初めて歌うということになっている。実際にリハーサルも何もない。本当に信じているのか、単に初めて歌う様子をよりリアルに撮影したいだけか。
噂自体についてはKAITOはあまり興味がない。リン辺りはこういうものを怖がるが、MEIKOも特に怯えることもなくこの依頼を受けていた。
「これって、歌って何も起こらなくてもVOCALOIDだから、で済ませられちゃうんじゃない?」
「それでいいんじゃない? こういうのって答えが出ちゃう方がつまんないもんでしょ」
歌うと何かが起こる、と思ってる方が面白い。だけど実際に何か起こっても困る、といったところか。人でないものに歌わせるというのはいい妥協点なのかもしれない。
「何か起こったらどうする?」
「不幸になるって? 何かあったとしてもそれが歌のせいとか誰にも判断できないでしょうが」
MEIKOもはなから信じていない。だけど最初に依頼を受けたときの言葉をKAITOはしっかり覚えている。
『人間が歌って何かあるよりはいい』と。危険かもしれない行為を人間の代わりに行うことに疑問なんか感じない。そこはKAITOも一緒だ。その辺り、自分たちはやはりアンドロイドだな、と思う。
「……そろそろみたいよ」
スタッフからの合図と同時にKAITOは立ち上がる。握っていた台本はその場にそのまま置いた。軽くマフラーを直して移動する。
スタジオ内で、呪いの歌についての解説が始まっていた。
「さあ、では歌って頂きましょう。実際我々も耳にするのはこれが初めてになります」
MEIKOさんお願いします、との言葉と共に中央に立つMEIKOにスポットライトが当たる。背後には拡大した楽譜を貼り付けた掲示板のようなものがあったが、都合により全てはお見せできません、との言葉と共に半分は黒く隠されている。
全部歌うなら隠す意味もないんじゃないかな、と思いつつKAITOは手元に配られた楽譜に目を落とす。そちらはMEIKOのものと同じく完全に記されていた。完全と言っても非常に短い、童謡のような歌。歌詞は恋人に当てたラブソングといったところか。多少表現が古臭い。そういえばいつ頃のものなのか。番組内で言っていたかもしれないが、あまり真面目に聞いていなかったせいか、覚えていない。
伴奏も何もないまま、MEIKOが歌い始めた。声量がありよく響く声はアカペラでも十分聞き応えがある。
いつもの姉さんの声、とKAITOは聞き入っていたが歌が半分を過ぎたところでふと違和感を覚えた。
思わず顔を上げてMEIKOを凝視する。MEIKOは何も変わらず楽譜を手にしたまま歌い続けていた。楽譜を見てはいないが、これくらいの長さなら今の間にも覚えてしまっているだろう。表情は無表情に近いが、特に笑顔や悲しみを出す場面でもない。
「…………?」
やがて歌が終わり、スタジオ内が静まり返る。しばらく誰も声を発しない。これは演出の一貫だ。合図があるまで誰も喋らないように台本にも書かれている。
ゆっくりとスタジオが少し明るさを取り戻し、司会者が息を吐いて歌の感想を述べる。物悲しい、少し肌寒くなった、と不気味さを強調する言葉が連なる。
自分もこのあと話題を振られるだろうが、姉さんの声は綺麗だとか適当にとんちんかんな答えでもしておけばいい。
それよりKAITOは、席に戻ってきたMEIKOが気になって仕方がない。
本当に、何もないのだろうか。
何故自分は、違和感を覚えたのだろうか。
「姉さんー? 朝だよ」
収録から翌朝まで、何事もなく過ぎた。
既に前日の収録の記憶など薄れている。数ある仕事の内の一つ。そのまま放送の頃まで思い出さないのが常だ。
酒を飲んで寝ると起きてこないことの多いMEIKOを、KAITOはいつものように起こしに行く。既に起きているミクが着替えを始めた横で、KAITOはMEIKOを揺さぶった。
起きない。
返事すら返ってこない。
「姉さんー、今日の仕事は早いでしょ」
乱暴に枕を引き抜く。それでもMEIKOは何の反応もしない。
「……?」
「お姉ちゃん、どうしたの?」
気になったのか、ミクも側までやってきた。いつもなら唸り声ぐらいは返ってくる。目は覚めているのに起きないだけなのだ。だが今日は静か過ぎた。何の声も発して来ない。
「姉さん?」
「お姉ちゃんー」
ミクがぺしぺしとMEIKOの頬を叩く。MEIKOの目は閉じられたまま。やはり何の反応も見せない。
「……昨日どんだけ酒飲んだっけ」
「いつも通りだったと思うけど……」
KAITOがため息をつくと、ミクも首を傾げながら答えを返してくる。
「姉さんー」
首の裏に手を差し込んでそのまま上半身を無理矢理起こしてみた。そうされて尚、MEIKOは何の反応も示さない。
「……お姉ちゃん……?」
不安げなミクの声が響く。明らかにおかしかった。
「……姉さん、起きないなら修理センターの人呼んでくるよ?」
KAITOの低い声に、びくりと反応したのはミクだけ。
これがMEIKOの悪ふざけという可能性もないわけじゃなかった。だけど、それでもやはりMEIKOは目を開かない。
「……お兄ちゃん」
「ミク、着替えはちゃんと済ませててね」
おれは電話してくる、とKAITOはそれだけ言って、MEIKOをもう1度ベッドに寝かせて部屋を出る。
言いようのない不安が胸のうちに広がっていた。
検査には数時間を要した。
今日のMEIKOの仕事は全てキャンセル。回せる限りミクやリンで対応したが、やはり仕事の土俵が違う。謝罪の電話をかけ終わったあと、KAITOは自身の仕事もキャンセルした。
MEIKOが倒れたことは今までにもある。不調でメディカルセンターに運ばれたことも。これまで仕事をキャンセルしてまで付き添っていたことはない。センターの人間に任せていれば大丈夫だと思っていたから。
だけど。
「KAITO」
低い声の呼びかけにKAITOは顔を上げた。廊下の長いすに座っていたKAITOの元にやってきたのは神威がくぽ。仕事を抜けてきたのか、少しいつもとは違った衣装を着ていた。
「ああ、がくぽ……聞いた?」
「聞いたというか……どういうことなんだ?」
「おれにもわからないよ」
MEIKOが目覚めない原因は全く不明。
どう検査しても、不調は見当たらない。
機能が停止しているわけではない。中央処理装置は起きているときと同じく……いや、大きく活動しているときのように活発に動いている状態らしい。脳はフル回転状態なのに、表面上は全く動いていない。その処理状態についても、特に異常が見られるわけではなく、目覚めに結びつかない原因はわからない。
「再起動はかけられないのか?」
「今の状態でかけたら障害が出る可能性の方が高いってさ」
記憶、人格が正常に保たれないかもしれない。
どうしたらいいのか、さっぱりわからない。
再起動をかけるか、しばらく様子を見るか、見るにしても何日くらいそのままにしておけばいいのか。
MEIKOがそんな状態にある以上、決めるのはKAITOだ。だけど、怖い。今までのMEIKOが居なくなってしまうかもしれない決断は、下せない。
「……どうしよっか」
「お前がそれを言ってどうする」
がくぽはそう言いながらも、呆れた声は出さなかった。KAITOの隣に座り沈黙する。
しばらくして、僅かに躊躇うようにがくぽが言った。
「……リンがな」
「ん?」
「昨日、MEIKOが家に帰ってきたときから少しおかしかったと言っている」
「え?」
「……もっと言うなら、収録の後、か。昨日の収録で何かなかったか?」
がくぽの声は真剣だった。リンがそんなことを言っていたのか。KAITOが全く気付かなかったことをリンが気付いた? そんなことが……。
「あ……」
「あったのか?」
僅かにもらした声に食いつくようにがくぽが言ってくる。KAITOはそれに少し目を逸らして、自信なさげに言う。
「……昨日の収録で……呪いの歌、ってのを歌った。歌ってるときに何か変な感じはあったけど……。でもその後何もなかったし、それに、呪いの歌なんて、」
一気に言い切ろうとして、KAITOは言葉を止めた。
リンは、そう言ったことに鋭い。
みんな冗談混じりに、リンは霊感が強いとか言っているけど、ひょっとしたら、本当に。
「KAITO」
思考に沈むKAITOにがくぽが言う。
「何でも、可能性があるなら考えろ。私はリンの勘を信じる。お前はどうなん
だ」
「…………」
収録のあとから、何かおかしいと言っていた。
収録中歌ったのは、歌ったものを不幸にするという呪いの歌。
死ぬ、とか怪我をする、と言った話ではなかった。不幸、というのが何かはわからないが、この状況はそれに当てはまるのかもしれない。
「……昨日の歌について聞いてくる。がくぽ、今日仕事は?」
「今日はもう夜まではない。急いで終わらせてきたからな」
「……夜までに戻る」
「ああ、行ってこい」
KAITOは立ち上がると後は振り返らずに歩き始める。自然、駆け足になった。
ろくに聞いていなかった収録内容。呪いの歌の由来。
そこに何か答えがあるといい。
あって、欲しい。
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