未来1

「ふざけるんじゃないわよ」
 MEIKOの声は低く、冷たかった。静かで、小さな声だったにも関わらずやけにその場に響く。KAITOはMEIKOから目を逸らさない。
「そう言うとは思ってた」
「じゃあこの続きもわかるわね?」
「駄目だ」
「もう一回同じ台詞聞きたい?」
「…………」
 目は逸らさない。だけどそれは絶対に負けないと気を張っている証拠で。無意識に握り締めていた側の鉄柵が小さく震えているのにKAITOは気が付いた。
「怖いんでしょ? 意地張ってるんじゃないわよ」
 MEIKOがそんなKAITOの手にそっと触れてくる。目は逸らされた。MEIKOの方から。急に優しくなった声にKAITOは力が抜ける。そして突然がっと腕を掴まれて思わず体が逃げ た。
 負けた。
 MEIKOは俯き気味に低く笑っている。
「私を出し抜こうとか100年早いのよ」
「そんなつもりじゃ…」
「あんたは男かもしれないけど、私はあんたより年上よ」
 MEIKOの言葉にKAITOはため息をついた。掴まれた腕をゆっくり下ろすと、MEIKOも自然とその手を離す。
「……わかったよ、だけど」
「あの子たちも一緒よ」
「MEIKO……」
『行くなら全員で。何があっても皆一緒』
 MEIKOの言葉に突然他の声がかぶさった。KAITOは慌てて振り向く。壁の影になった場所。そこにはミクが居た。そして、ミクの後ろに隠れるように双子の姿。
「……そう決めたの。あんたが居ない間に」
「……だって、私たち、家族でしょ」
 ミクの声は僅かに掠れていた。緊張が声に出ている。双子はミクの服をぎゅっと握ったままKAITOを見上げていた。怯えるようなその仕草とは裏腹に、何かを訴えるようなその視線は強い。
「……だからこそ、だったんだけどなぁ」
「変なところで人間の真似しなくていいのよ。私たちアンドロイドに男も女も、大人も子どももあるもんですか」
 拳を振り上げて語るMEIKOは間違いなくいつものMEIKOで、KAITOは苦笑いしながら頷くしかなかった。





 アスファルトに広がる染みはただ黒く、それが血なのかただのオイルなのかの判別もつかない。
 嫌になる。
 男はその染みにかぶせるように持っていた花を置いた。きちんとまとめられていなかった花はその場に散らばり、却って無残さを感じさせる。
 先日、ここで子どもが死んだ。まだ7歳だったと言う。男はその現場を見ていない。ただ、「馬鹿なことを」という誰かの声を聞いた。
 アンドロイドに石を投げつけた。
 それが原因だった。
 アンドロイドは即座に子どもを敵と判断し、射殺した。それはきっと、大人にも原因があるのだろう。憎いアンドロイド、人間からこの世の支配権を奪ったアンドロイド。この町の子どもたちはみなそう教えられている。大人たちはアンドロイドからこの世界を取り戻すためのテロを行っている。そんな中で、子どもに教えた大人は居ただろうか。「今は」触れてはいけない存在なのだと。目の前では大人しくしているのが得策なのだと。
 男が考えにふけっているとき、背後で聞き慣れない声がした。振り向いて、最初に目に入ったのは背の高い男の姿。こちらに背を向けているため顔は見えない。薄汚れたコートに髪の色と同じ青いマフラー。手には何も持っていない。
「どうするの」
 聞こえてきた声は女性のものだった。マフラーの男の影から微かにそれらしき姿が見える。そして少し離れて、3人の子どもの姿。親子…という程の年の差にも見えない。どういった関係かと少し聞き耳を立てていたとき、男たちから更に離れたところで悲鳴が聞こえ た。
「あんたっ、あんた何やって……!」
 あれは雑貨屋の女主人の声。少し駆けるとすぐにその姿が見えた。女主人は腰を抜かしている。そしてすぐ前に小さな子ども。目の前のアンドロイドを……睨みつけるように して。
 馬鹿な。
 何が起こったかはすぐにわかった。アンドロイドがその鉄の拳を子どもに突きつけている。武器は持っていないのかもしれない。だがもしそれで子どもが殴られたら──。
 男が駆け出そうとしたとき、それより早くアンドロイドの前に立ちはだかった男が居た。先ほどの、青いマフラーの。
「何ダ」
 アンドロイドの機械音。この無機質さが男は大嫌いだった。
「……やめてください」
 子どもを背に庇い、マフラーの男が固い声で言った。僅かに震えているようにも見 える。
「……この子どもに、あなたを倒す力はないはずだ」
 アンドロイドを「あなた」と呼んだ男はそれでも強い目でそれを見ていた。アンドロイドは何も言わず、表情も変えず振り上げた拳を男に撃ちつけた。
「っ……!」
 マフラーが揺れる。男はそれでも倒れなかった。唇から赤い何かが流れ出ている。血 だ。
 マフラーの男がもう1度きっちりと子どもを背に隠したが、背を伸ばすより早く、アンドロイドはその場から立ち去った。見ていたものたちがそこでほっと息を つく。
「おい、あんた、」
「お兄ちゃん!」
 子どもが女主人に抱きしめられているのを横目で見ながらマフラーの男に近づいていると、またその横を先に駆け抜ける影があった。
「馬鹿兄貴! 何やってんだよ!」
「大丈夫? 怪我…怪我した?」
 先ほどの子どもが3人。どうやら兄弟だったらしい。あまり似ているようには見えないが。
「KAITO」
 最後に女性がやってきて何かを投げた。タオルだ。KAITOと呼ばれた男はそれで口元の血をぬぐって少し笑顔になった。男はそこで漸く一歩踏み出す。
「あんたら…」
 全員の視線が一斉に降り注ぐ。緊張気味の視線だった。男は安心させるように何とか笑顔を作る。
「この町、初めてなんだろ? さっきはありがとう。お礼に案内させてくれ」
 男の言葉に、5人は顔を見合わせていた。





「兄さん、飲める方か?」
「姉の方が強いです」
「そうか」
 男は笑って酒瓶をKAITOの前に置いた。早速手を伸ばしたのは姉だという隣に座る女性だ。女はMEIKOと名乗った。
 二人の後ろには子どもが3人、抱き合うようにして眠っている。緊張が解けたのだろう。ぴくりとも動かず死んだように眠る3人に、よほど疲れていたのだろうと思う。
 おそらく、この二人も同じなのだろうが。
「あんたら……姉とか言ってるが、本当に兄弟か?」
 手酌で飲み始めたMEIKOと、手をつけないKAITOに目を向ける。子ども3人は、確かに顔立ちが似ているように思えたが、この2人は違う。何より目の色も髪の色もばらばらだった。兄弟と言われて納得できるのは一番小さい黄色い髪の男女ぐらいだろう。
 KAITOはその疑問に微笑んで言った。
「義理の、ですけど。みんな親を亡くしてます」
「なるほどな…」
 MEIKOは黙って酒を飲んでいる。男も自分の酒に手を伸ばした。
「じゃあまずは聞きたい。目的は何だ」
 都会、と言われる町に出てくる理由。観光などでは絶対にない。都会にはアンドロイドたちが密集しており、ところによってはアンドロイドの方が多い。そんな物騒なところに好んでくる者は居ない。むしろ田舎へ逃げる者の方が多かった。誰かに会いに、何かを探しに、慣れない者がやってくる理由は大抵がそれだ。そしてもう一つは。
「……ここに、仲間が居ると聞きました」
 KAITOはじっと男を見つめている。男はコップを握り締めたまましばらくその目を睨み返した。KAITOはここに来る前からずっと、どこか怯えた様子を見せている。だけどそれでも、目は逸らされない。
「……そうか。これ以上は話すなよ」
 奴らの聴覚は並じゃない。
 そこは言葉に出さなかったがKAITOは頷いた。MEIKOが何かを訴えるようにKAITOを見ている。KAITOは気付いてないのか、気付かない振りをしているのか、MEIKOを見ようとはしなかった。
「……ついてきな。ただし、兄さんだけだ」
「ちょっと」
「すぐ帰るさ。姉さんは子どもたちのこと見てな」
 不満げなMEIKOを残して、男はKAITOを連れて店の奥へと進む。
 別に意地悪で言っているわけではない。アンドロイドの聴覚、サーチ機能をかわせるその部屋はとても小さい。大の男二人でいっぱいいっぱいだろう。組織のアジトはもう少し大規模だが。こんな町のど真ん中に作るにはあれが精一杯だったのだ。
 部屋に入ったときKAITOが一瞬足を止めて目を瞑った。
「どうした?」
「いえ……」
 落ち着かないKAITOを放って男は腰を下ろす。KAITOは立ったままだったが、それについては何も言わず話を続けた。
「あんた、アンドロイドに恨みがあるのか?」
 まずは直球。KAITOは少し目を見開いてやがてゆっくりと視線を下に向けた。
「……恨み、じゃありません」
 KAITOは慎重に言葉を紡ぐ。試されてると感じているのだろう。実際そうだが。
「なら何でアンドロイドを倒したい」
 この町を拠点とする大規模なテロ組織。この町に来る男の大半はここに来るのが目 的だ。
「……今の世の中は間違ってる」
 きっぱりと、KAITOは言った。この言葉には迷いがない。本音なのだろう。男はそれを聞いて頷く。
「あんた武器は使えるか?」
「いえ……使ったことは……」
「……まあ、そうだな」
 とりあえず聞きたいことは聞いた。男は立ち上がり、最後に一つ言う。
「子どもも連れてくる気か?」
「……付いてくるなって言ったんですけどね」
「……置いていくわけにもいかないか」
 まだ中学生ぐらいの年齢だろう。親が居ないというならこのKAITOたちがおそらく保護者代わりだ。そこまで考えてふと、男は尋ねた。
「あんた、いくつだ?」
 KAITOはそれに一瞬間を置いた。どうしたのかと思ったがすぐにはっきりと 答える。
「22です」
「若いな」
 部屋を出る。視界に入る位置に、MEIKOの姿が見えた。不安げにこちらの様子を伺っている。
「……明日もう1度ここに来てくれ。宿に入る金はあるか?」
 早足で店内に戻りながら男が言うとKAITOは足を止めた。
「? どうした?」
「……荷物…盗まれまして…」
 ああ……。
 都会に出てきて手ぶらなので妙だとは思っていたが。MEIKOは小さなバックを、黄色い髪の女の子は小さなリュックを背負っていたが、おそらくあれで所持品の全てなのだろ う。
「金は貸してやるよ。人間が働ける場所はそう多くないが紹介してやる」
「……ありがとうございます」
「この町に住むつもりか? 子どもたちの学校は?」
 今はとりあえず冬季休業中だが学校が始まるまではあと二週間もない。KAITOは苦笑いをして歩き続ける男を引き寄せた。そのまま小声で言う。
「……始まる前には帰したいんです。……本当は姉さんに残ってもらうつもりだった ので」
「……なるほどな」
 無計画そうに思えたが、立てた計画が潰されてしまっただけらしい。困ったような顔のKAITOに思わず笑みがもれる。
「……まあ宿で今後のことはじっくり考えておけ。……今ならあんたも引き返 せる」
「引き返すつもりはありません」
「震えてるぜ兄さん」
 KAITOが情けない顔になったのは放って、男は再び店内の席についた。気付けば渡した酒はもうほとんど残っていない。KAITOたちが帰ってきたのを見てからMEIKOも席についていた。
「姉さん」
「話、終わったの?」
 そっぽを向いて言うMEIKO。どうやら拗ねているらしい。それでもこちらの方がKAITOよりもしっかり地に立っている印象があった。
 KAITOはそれには頷いただけでそのまま眠っている子どもたちのところに向か った。
「ミク。ミク起きて。宿に行くよ」
 それを聞いてMEIKOが立ち上がる。とりあえず今度の行動は決まったらしい。
 緊張で眠りが浅かったのか、すぐにぱっと体を起こしたミクが立ち上がり、KAITOは黄色い髪の男の子を抱き上げる。MEIKOも何も言わず少女の方を背に負った。
「明日……このぐらいの時間だ」
 男に頭だけ下げて5人は出ていく。窓の外を見ればそろそろ日が沈むところだっ た。


→次へ

 

戻る