経験1

 音楽が消え、照明も落とされた店内。非常用案内や、防犯用の小さなランプだけが僅かな光を与えている。ざわついていた昼間とは嘘のような静けさ。多くのアンドロイドは、営業時間が終わればそのままスリープモードへと入る。だけどミクはこの時間が大好きで、いつも少しだけ、夜更かししてしまうのだ。
「……ミク、まだ寝ないのかよ」
「もうちょっとだけー」
 歌でも歌いたいな、と思うがさすがにそこまでは無理だ。広い店内、これだけ声を響かせられそうな状況はそうないというのに。
「レン、早くしてよー、時間なくなっちゃう」
「もうちょっと待てって」
 背後の2人の言葉が気になって振り向けば、レンは何やら本を読んでいた。レンは本が好きなのか、しょっちゅう店内のどこかから持ってきた本を読んでいる。ほとんどパンフレットに近いアンドロイドに関する本ばかりなのだが。
「っていうかお前も何か取ってこいよ、別にこれじゃなくてもいいだろ」
「今動いたらばれるじゃん」
「だから閉店前に取ってこいって、」
 レンの言葉が途切れた。しん、としていた空間に鋭い声が上がったためだ。ミクも思わずレンたちのところに戻り、3人で顔を寄せ合って呟く。
「今の」
「MEIKOの声」
「またわがまま言ってるのかなー」
 少し遅れて呆れたような優しい声が響く。KAITOは閉店後、アンドロイドたちがスリープモードに入っているか、何か問題はないかの確認を行っている。本当にほぼ店員の扱いなんだな、と最初知ったときは呆れたものだ。
 ミクたちは同じVOCALOIDのよしみか、僅かな時間なら見逃してもらえることも多いが、そもそもいつまでも起きてるアンドロイドもミクたちだけのようだった。
「あと5分だけー」
「駄目。あと5秒。5、4、3」
「あー、もうっ。たまにはいいじゃないのよ。今度お客さんから貰ったお酒あげるか らー」
「2、1、はいお休み。あとそれも没収ね」
 KAITOの声は優しいが、言葉は容赦ない。それからしばらく、MEIKOの喚く声が聞こえて、唐突に静かになった。そしてゆっくりとこちらに向かってくる足音。ミクたちは慌ててソファに体を横たえた。
「…………」
 KAITOが近づいてくるのがわかる。
 ため息が聞こえた。
「毎日言ってるけど。寝た振りしたって駄目だよ。モードはちゃんと切り替えないと体に負担がかかるんだから。まだ新しいからって油断してるとすぐガタがくるよ」
 最後の言葉は今までに聞いたことがない。思わずびくっと反応して、KAITOが少し笑った。
「はい、じゃあお休み」
 その言葉で自然とミクはスリープモードへする。目覚めれば朝だ。だからもう、何も考えることもなくミクは眠りについた。





 その日の朝は静かだった。
 平日の午前中とはいえ、これほど客が少ない日も珍しい。レンは暇をいいことにずっと本を読んでいるし、リンはそれに飽きたのかミクと一緒にMEIKOのところに遊びに行った。他のアンドロイドたちもどこかのんびりした空気があある。
 それを破ったのは、昼になる少し前、突然やってきて叫んだ一人の客だった。
「聞きたいことがある!」
 案内係が来るのも待てなかったのか、寄ってくるアンドロイドたちをまるで威嚇するような大声に、客も店員も目を丸くしてその男を見やった。男は注目が集まったのを確認したあと、更に大きな音量で言った。
「この店で一番高いアンドロイドはどれだ!」
 一瞬、言葉の意味を探るように店内の時が止まった。アンドロイドの視線がぽつぽつと、一人の元へ向かう。ミクはそれが誰なのかわからず、そのまま近くに見えたアンドロイドの視線を追った。
「えっ」
 思わず声を漏らしてしまう、数人の視線がミクに向かう。慌てて口を閉じ、もう1度確認した。もうはっきりとわかる。あたりに居た数人の視線全てが、KAITOに向かってい た。
「お前か」
 客も気付いたのか、横柄な態度のままKAITOに視線を向ける。KAITOが一歩前に出て、口を開きかけたとき突然その姿を遮るように前に出て来たのは主任だった。店内を静かに走ってきたのだろう、肩が揺れているが、それを無理矢理押さえつけるように主任が話し始め た。
「お客様! 確かに当店で一番高いアンドロイドは彼ですが、タイプも古くオプションも載せられません。起動してからの年数が長いため、この先も長い保障が出来ません、ただ過去の値段がそのままついているような奴でして…」
 まくし立てる主任は、慌てているのか言葉も態度も乱れている。売りたくないという気持ちがはっきりと前に出ているように見えた。
「……主任って、KAITOさん売りたくなくて値段高くしてるのかな」
 その様子を見て、ふと思い立ったことを言ってみる。主任が言っていること自体は正しくて、だからKAITOの値段が高いというのは意外だった。ミクは自分以外の値段をあまりよく把握していない。隣に居たリンは、それに驚いたような視線を返してくる。
「え…知らないの、ミクちゃん? ミクちゃんの前の店って古いアンドロイドとか居なかった?」
「え……」
 古いアンドロイド、と言われてもどの辺りから古いのかわからない。KAITOほど古い、という比較だとしても、そもそもKAITOが何年製造なのかも知らないのだ。
 戸惑っていると逆隣からぽん、と肩を叩かれた。勢いよく振り向いて、思ったより近くにいたその人物の胸に直撃する。
「わ……」
 大したダメージがない。顔を上げる前にわかる。MEIKOだ。
「MEIKO……」
「ミクはあんまり詳しく教えて貰ってないみたいね。ま、私たちもお客さんとか同じアンドロイドとか本から知ることの方が多いんだけど。とりあえず、まあ……」
 MEIKOはちらっとKAITOたちの方に目を向けた。
「……あんたたちの売り場に戻りましょうか」
 客と主任は何やら話しこんでいる。KAITOは少し離れた場所でにこにこ笑っていた。既に交渉に入っているのだろう。他のアンドロイドたちも各々自分の持ち場に戻っていく。ミクはMEIKOについて歩きながら、気になって何度も振り返ってしまった。
 KAITOは、売れてしまうのだろうか。ここから居なくなってしまうのだろうか。
 気になっていたのはリンも同じようで、真剣な目で客を見つめている。だけど、その視線の質は、ミクとは少し違っているような気がした。





「……何だよ」
 レンは読んでいた本から顔を上げると、取り囲む3人の視線に居心地悪そうに体を揺らした。異様な雰囲気には気付いていたのだろう。レンが本を閉じ、何かあったのかと問いかける視線をリンへと向ける。リンは何故か固い表情のまま、それに答えた。
「KAITOが、売られそう。一番高いアンドロイドは、って聞いてきた客が居た」
「レンくん、聞こえなかったの?」
 この場所は確かに入り口からは一番遠い位置にあるが、VOCALOIDの聴力であの大声が聞こえなかったとは思えない。本に集中していただけかもしれないが。
 ミクの問いには答えず、レンはリンから視線を動かさない。
「それ……KAITOがVOCALOIDだとも知らずに、ってことか」
 レンが少し真剣な目になって、リンも頷いた。
 そういえばそうだった。普通アンドロイドは、その機能が目的で買われる。たまに見た目や雰囲気が気に入ったというだけで購入しようとする者もいるが、あの客の判断基準はただ一つ。「値段」だった。
 なるべく安いものを、というのならわかるが、高価なものを敢えて望む気持ちはミクにはわからない。理解の範囲にない。新型であれば、性能がいいほど高かったりすることもあるが、それも同系統の中で比べて、の話だ。全く違う種類のアンドロイドで値段の比較は意味がない。
「……ただの見栄っ張りの客じゃねーの」
 少し間を置いてレンはそう言い放った。その声にはあまり感情がこもっていない。そしていつの間にか探るような視線をミクに向けていた。
 何か言わねばならないような気がして、ミクは思いついた疑問を言葉に出す。
「KAITOって……何で高いの」
「……やっぱりそこからかよ」
 レンは苦笑いだ。そこでようやくMEIKOが発言した。
「ちょうどいいから教えてやってくれる? その辺のこと。私は向こう見てくるわ」
 MEIKOもやはり気になっているのか、KAITOたちが居るはずの場所へと目を向ける。ここからでは仕切りや棚が壁になってみることはできないが。
「何でおれが」
「せっかく最近いろいろ勉強してるんだから、それぐらいいいじゃない。あ、そうそう、同じVOCALOIDってことで主任が案内してくるかもしれないから、一応その辺も気にして てね」
 MEIKOは言うだけ言って去ってしまった。残されたミクとリンが、じっとレンを見つめる。レンは諦めたようにため息をついた。
「……座れよ」
 レンに促されて大人しく座ると、またため息。
「リンは知ってるだろ」
「あんまり詳しく知らない。昨日だって本読ませてくれなかったじゃん」
「……本に書いてるの?」
 いつも本を読んでいたのは、単に暇だったからではなく勉強のためだったのか。言うとレンは頷いた。
「KAITOが何年製造か知ってる?」
「知らない。聞いたことないし、完全人間型はあんまり見た目じゃわかんないし…」
「まあな。おれも知らないけど、かなり初期の頃なのは間違いない。主任より長く居るらしいし。まだアンドロイドが完全オーダーメイドだった時代だよ。……だから多分、KAITOを作らせた客ってのはいるはずなんだよな」
「え、でもKAITOは中古じゃないよね」
「客が引き取る前に何かあったんじゃねぇ? 料金は基本前金のはずだけど、亡くなったとかそんなもんかもな」
「へぇー……」
 何となく聞いたことはあったが、ミクには想像がつかない時代だ。だから高いのかと頷きかけたが、よく考えればどこも理由になっていない。前金があったなら元は取れているはずだし。
「MEIKOも大体同じ時代なんだよね」
「え、そーなの」
 リンが呟いた言葉に驚いて返す。リンはその反応に少し笑った。
「MEIKOは一度売れて、それから改造いろいろ受けたみたい。だから値段も下がって るの」
「改造受けたら値段下がるの?」
「使ってる部品の問題だよ。KAITOに使われてんのはやたら高いもんが多い。当時の技術的な問題だけどさ。今じゃ手に入らないもんもあるし」
「だからね」
 リンが急に低い声になってその後を引き取る。
「その部品目当てで…過去のアンドロイドを手に入れようとする人もいるんだよね」
「……………」
 ミクは言葉を失った。レンが笑い声を上げる。
「まあでも、高い理由って言ったら部品の問題よりもオーダーメイドってことだろ。量産型じゃないから少なくとも世界に一体だけだし、見栄としてはありだろ」
「………見栄……」
「部品目当て、ったって解体して部品売ったところで一体の値段には届かないしな。まあ……今じゃ使われてないもの目当てならともかく、それでもその代わりの商品がないわけじゃないし」
 そこまでは調べてもわからなかった、と言ったレンはそれでも本当によく勉強しているとミクは思う。
 今までの自分を少し反省しかけたとき、背後が大きくざわめいた。
「え……」
「……売れたかな」
 レンがぽつりと言った呟きに、ミクは反射的に立ち上がっていた。


→次へ

 

戻る