経験2

 夜の売り場はいつものように静まりかえっている。だけどミクの聴覚が感じている。いつもは自主的にスリープモードに入っているはずのアンドロイドたちが、起きている。気配を伺うようにじっとしたまま、体の機能だけが忙しく動いている。KAITOが見回りを始めても、誰も眠ろうとはしていなかった。
「………ねぇ」
 一番奥のこの売り場はKAITOが来るまで時間がかかる。ミクは背後に居るはずの双子に声をかけた。だが、返事は返ってこない。疑問に思って振り向くと、2人は揃ってソファに横になっていた。
「ちょ…何で寝て……寝てるの……?」
 目を閉じ、ぴくりとも動かない2人。だけど近づいてみればわかった。機械音。ぎゅっと固くなっている体。スリープモードには入っていない。ミクは少し笑いがこみ上げてくる。ミクたちを見るKAITOも、いつもこんな感じだったのだろうか。
 しかし2人の意図は掴めない。話は聞こえているはずだから、とミクは勝手にその前で話し始めた。
「KAITO、売られちゃったんだよ? 明日お客さんのところ行くんだよ。何か…お別れ会とか…出来ないかな」
 それに反応したのはレンだった。ぱちりと目を開けて、呆れたような目を向けてく る。
「あのな…。アンドロイドが売れたからお別れ会とかアホだろ。あのバカがどう思っていようと、いいことだろ売れんのは。大体売られていくアンドロイドが何体居ると思ってん だ」
「そうだけど……」
 突っ込み癖のためか、黙っていられなかったらしい。レンもそれに気付いたのか、気まずそうに体を起こす。
「でも…あんまりいい売れ方じゃないよね」
 続いてリンが体を起こす。一度売られ、無茶な願いを押し付けられていたリンには、思うところがあるのだろう。俯き気味にソファに座り直す。
「見栄で売られたなら自慢の種にされるかもな。そしたら多分歌えるぜ」
 そもそも歌しか出来ないんだから。
 レンの言葉にミクとリンは頷く。そう、歌えればそれでいいかとも思う。ミクの場合は料理でも撮影でもいい。自分の機能を生かせた方が、いい。
「KAITOはどうなのかな。望まれて売れたいって前に言ってたけど……」
 今回はどうなのだろう。望まれたのは「一番高いアンドロイド」だ。KAITOじゃな い。
「……どうでもいいだろ。少なくとも金は出してくれてんだから。望まれてるよ」
 レンは話題を切り上げるように語調を上げると、またぼすっとソファに横になった。
「おれは寝るぞ。今日は本も持ってきてないしな」
「ええっ、せめて、一回挨拶ぐらいは…」
「運が良ければ明日の朝も会えるだろ。それに……また帰ってきたら気まずいぞ、そ れ」
「え……」
 ミクが思わず見たのはリンだった。リンは苦笑いで頷く。
「レン、あんなのもう嫌なんだよ。2度と会えないとは限らないわけだし。……やっぱり変な気分になるし」
 私も寝る。お休みっ。
 リンはそう言って、レンと同じく横になる。今度はスリープモードだ。さっきとの違いがはっきり分かる。もう声をかけても返事は返らない。
 ミクは急に寂しくなってきた。
 そう言えば、スリープモードに入った2人を見るのは初めてだ。
 ミクは立ち上がり、少し迷った後、MEIKOのところへ向かった。
 やっぱりまだ、眠るのは嫌だ。動かない2人の側にいるのも、嫌だ。
 MEIKOならきっと起きている。
 それでも、そろそろKAITOがMEIKOのところへ向かう時間のような気がする。
 音を立てないよう静かに、それでも急いでMEIKOの売り場へと向かう。
 気付けば他のアンドロイドたちもスリープモードに入っているようだった。別れは、済ませたのだろうか。そうだとしたらあまりに短時間だし、会話が聞こえた覚えもなかっ たが。
「うん、そうだった」
 KAITOの声が聞こえて、ミクは思わず足を止めた。
「やっぱりね」
 MEIKOの声。どこか笑いが滲んでいる。でもそれは、面白いというよりは苦笑いのような声。
「帰ってくる?」
「無事だったらね」
「その返し不安だわ。メモリのコピーはしたんでしょ」
「業務内容だけだよ。まあそれ以外のことなんてあんまり入ってないけど」
「何十年も稼働し続けてる奴がよく言うわ」
「いや、MEIKOも大して変わらないでしょ」
「私はリセットもかけられてるしね。生まれたときのことなんて覚えてないもの」
 ミクは立ち止まったまま、じっと2人の会話を聞いていた。会話の意味がつかめなかったこともあって、話に入るタイミングを逃した。
「その方がいいよ。忘れられない記憶が積み重なっていくより」
「何言ってんの。そもそもあんたの価値はその経験値でしょ。……無駄にするんじゃないわよ」
「……おれに言われてもなぁ」
 KAITOが苦笑する。
「じゃ、そろそろ寝る時間だよ」
「帰ってきなさいよ」
「……いつも早く売れろとか言ってなかったっけ」
「相手によるわ」
「いい相手かもしれないよ」
「あんたの見る目が本気でそう言ってるわけね?」
「……きついな。でも、いいだろ。帰って来なければ問題ないってことだよ」
「…………」
 MEIKOはじっとKAITOを見ている。不満げな顔で何かを考えるように。
「あ、そうか」
「何」
「寂しいから、帰ってきなさい」
「…………」
 KAITOが驚いた顔をした。MEIKOはそれに満足そうに笑うと「それじゃ、お休み」と言い残して、椅子に座ったままスリープモードへと切り替わった。
 ミクはKAITOが動く前に急いで自分の売り場へと駆け戻る。
 「寂しい」という言葉が頭を巡る。売れたアンドロイドにそんなことは言っちゃいけない、考えちゃいけない、だから無意識に別の理由を探していたんだろうか。
 相手がどうこうじゃない。
 居なくなったら寂しいんだ。
 だから帰って……帰ってくる?
 その言葉の意味は結局わからなかった。売り場で横になって考えていたが、KAITOが来る前には自然と眠りについていた。





 翌日、MEIKOのところへ向かおうとしていたミクは、その前にMEIKOがこちらにやってくるのに気付いて足を止めた。MEIKOはミクと、その後ろのソファに座るレンをちらりと見て言う。
「リンは?」
「……居ないの。起きたときは居たはずなんだけど」
 KAITOが売られて行ってしばらく経ったとき、気付けばいつの間にか姿が見えなくなっていた。レンに聞いても知らないと言う。店内を一回りしても見つからず、不安になっていたところだった。
「……多分主任のとこね」
 MEIKOは確信があるかのようにきっぱりと言い切って頷く。
 それは思いつかなかった。早速向かおうとしたミクの腕を、MEIKOが掴んで止める。
「まあまあ。何かあったらすぐこっちに来るわよ。あるとしたらもうすぐだし」
「何かって……何かあるの?」
「私はあって欲しいんだけどね」
「?」
 ミクが首を傾げていると、言葉通りリンが駆けてくるのが見えた。必死の形相は今にも泣き出しそうに見える。それはとても「いいことがあった」様子ではない。すれ違ったアンドロイドが驚いたようにリンを振り返っていた。
「みんなっ……! ミクちゃん! MEIKO! レン!」
「ど、どうしたのリンちゃん……!」
 止まりきれなかったリンを思わず抱きとめる。一瞬体が揺れたが、そのミクを支えたのはMEIKOだった。震えている様子に、不安になってぎゅっと腕に力を込める。
「KAITOが……」
「KAITOがどうしたの」
 落ち着いた声をかけたのはMEIKOだった。背後のレンは相変わらず本を手にしていたが、さすがに顔をあげてリンの方を見つめている。
「さっき……さっき、主任が電話で、KAITOが、車で、KAITOが向こうの家に行く途中に……変な集団に…えっと車が、変な奴らに」
 言葉が上手く繋がっていない。混乱している。MEIKOが補足するように声を上げた。
「襲われてKAITOが攫われた……盗まれたってとこかしら?」
 リンがびくっとして……ゆっくりと頷いた。
「え……」
 ミクも固まる。腕の中にリンが居なければ叫んでいたかもしれない。
 そんな。まさか。
「KAITO、起動してなかったはずだし……多分、部品目当ての、窃盗団……!」
 リンの不安はこれだ。最近そういった事件が多発していると、だからアンドロイド自身に身を守らせるため、購入後は起動状態のまま持ち帰ることが望ましいと言われていると、ミクはその後初めて知った。
 それでも、プレゼントの場合や、記憶リセットをかけて起動は自分の家で行いたいという場合もあるため、完全に浸透しているわけではないし、店側も強制は出来ないということも。
「KAITO……」
「大丈夫よ」
 MEIKOの明るい声はいやに場違いに響いて、ミクとリンは一瞬ぽかんとしてMEIKOを見上げた。
「大丈夫って……」
「大丈夫。最初っからそういう不安はあったから。実際は起動終了してなかったはずよ。アンドロイドはぴくりとも動かないことだってできるし、素人の人間の目にはわからないわ。主任も相手の態度に疑問は持ってたみたいだし」
「相手の……?」
「客もグルってことよ」
 MEIKOはずばりと言い切った。
「やったら高い保険に入ってたしね。盗難保険と部品その他、使える部分を金にするってやり方。技術者が居るなら中身安物に入れ替えてアンドロイドとしても使えるのかも。でも一番貴重なのはボディの表面パーツの方だし、その辺はどうかわからないけど。多分そうだろうって話は昨日主任としてたのよ。万一を考えて業務内容のコピーはしたみたいだ けど」
 言われてミクは思い出す。昨日の2人の会話。KAITOは帰ってくると……。
 そういうことなのか。
「会話と映像の記録媒体も持たせてるから盗まれたのなら証拠は十分よ。客の方が完全に被害者装ってたとしても、終了がきちんとなされてなかったことでも理由に返してくるでしょ。購入料金まるまま払ったら大損だもの」
「でも……でも、万一逃げられなかったら…? 起動してたって相手が武器とか持ってたり……」
「そんな準備してるとは思えないけどね。動けないアンドロイドを攫うつもりだったわけだし、人間脅すなら精々ナイフでしょ。そんなものアンドロイドには効かないし」
「…………」
「それにあいつ力は強いしね。大体戦うわけじゃないわよ、逃げられればいいんだから。動けない振りしてれば隙つくのぐらい簡単でしょ」
 MEIKOがにこっと笑って、ミクはようやく力を抜いた。抱き合ったままだったリンと、そろそろと離れる。
「……大丈夫……なの?」
 リンの言葉にMEIKOはもう1度笑って、ぽん、とその頭に手を置いた。
「だから。大丈夫。私を信じなさい」
「KAITOを、じゃないんだ……」
 ぼそっと聞こえた突っ込みは、当然レンのものだった。





「お帰りなさいー!」
「わっ」
 KAITOが売り場に戻って来て、真っ先に飛びついたのはリンだった。従業員出入り口の前での待ち伏せに、KAITOが目をぱちくりさせる。
「あれ……みんな揃ってる?」
「ようこそ出戻り仲間」
「えええ、やっぱそうなるの」
 MEIKOの言葉にKAITOが情けない顔で答えた。それに、KAITOに抱きついたままのリンがむっとした声を上げる。
「出戻りでもいーじゃん。売られて一度人間に仕えるのはねー、いい経験になるんだ よ」
「何だ、その受け売りみたいな言葉」
「本で読んだ」
「受け売りかよ」
 リンの頭をレンが軽くこずくと、ようやくリンがKAITOから離れた。
「じゃあおれ駄目だなぁ。相手の家にも行ってない」
「……復帰遅かったけど、どこか怪我でもした?」
 少し真面目な顔になってMEIKOが聞いたが、KAITOは笑顔で首を振った。
「全然。ちょっと戻ってくるのに時間かかって。あと事情聴取。まあこっちは、相手が面白いぐらいよく喋ってくれてたから証拠は十分だったんだけどね」
「戻ってくるのに時間って……逃げるの大変だった?」
 ミクが不安げに聞くとKAITOはそれにも首を振る。
「いや、割とすぐまくことは出来たし、それからすぐに主任に電話は入れたんだけど、ちょっと道に迷って、迷子の女の子と一緒に交番探して、荷物が重そうだったおばあさんを家まで送って、子どもが喧嘩してたのを止めて歌を教えてあげて、路上ライブやってた人たちと仲良くなって一緒に歌ってて、」
「何やってんのよあんたは……!」
 呆れた声でMEIKOがごん、とKAITOの頭を殴る。MEIKOの突っ込みは豪快だ。KAITOの体が揺れた。
 MEIKOもKAITOも笑っている。
「いいなー……。楽しそう」
「うん、楽しかった」
「何満喫してきてんだよ」
 レンも軽くKAITOに蹴りを入れた。今度はKAITOはびくともしなかったが。
 リンがそんな3人を見てきょろきょろと視線を動かし、もう1度KAITOにしがみつ いた。
「私もそれやりたい」
「ええ?」
「あ、私も! ねえ、私たちも外に出て人間と遊んだり出来ないの? いい経験になるよね!」
「そりゃなるかもしれないけど」
「何か問題起こって、客のところへ出向くことになった帰り…なら、ありよね?」
 MEIKOが考え込むように俯いて呟く。
「いや、基本それに出るのはおれだけだからね?」
「よし! 決めた!」
「な、何?」
 MEIKOが突然拳を振り上げたのでKAITOが慌ててその場を後退さる。
「今回みたいに、あんたが突然売れちゃうことだってあるわけだし。主任に頼んで、これからはチーム制にして貰いましょう」
「ええええ」
「えっ、ホントに!?」
「それ、それ私もやるー!」
 勿論よ、とMEIKOがリンの頭をなでた。
「同じVOCALOIDのよしみってことで。KAITO、頼んできなさい」
「何でおれが」
「あんた以外の誰がいるのよ」
「おれ一人で十分だよ」
「あんたが売れたくないのは勝手だけど、あんたを買いたいって人間が出るのも人間の勝手よ。売れてからじゃ遅いじゃない。何事も経験を積んどくに越したことはないわ。ね ?」
 MEIKOに視線を向けられて、ミクとリンは同時に頷いた。そして期待に満ちた目でKAITOを見つめる。KAITOは困ったような顔で2人を見て、続いて黙っていたレンに視線を移す。レンはちらりとKAITOと目を合わせて言った。
「……早く行って来いよ。今なら主任、奥に居るんだろ」
「……レン……」
 KAITOが諦めたようにため息をつく。レンがにやりと笑った。そうだ、レンだって経験が欲しいのだ。
「わかったよ……。でも言ってくるだけだよ? 結果は保証しないからね」
「あんた、私たちと仕事するのがそんなに嫌? っていうか私とはたまに出てたでし ょう」
「MEIKOが強引についてきただけじゃないか。この仕事、嫌なことだって多いよ?」
「楽しい経験だけしててもいい経験にはならないでしょ」
「う、うん」
「そ、そうだよ……!」
 リンとミクが一瞬微妙に引きつったが、それでもしっかりと頷く。
 KAITOが少し笑った。
「ま、一人より複数の方がいいときもあるしね。じゃ、行って来るよ」
 KAITOがそう言って再び主任のところへ戻って行った。
 ミクたちは顔を見合わせる。
「ね、外出たらネギ食べるチャンスもあるかな?」
「ね、ネギ?」
「ネギ! 美味しいんだよー。前の店で食べさせてもらったことあるの!」
「だったら私はみかんがいいなー。前の家で食べたの」
 夢と期待は膨らむ。
 この生活を手放したくないKAITOの気持ちも、やっぱりわかるような気がした。


 

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