アンドロイド販売所2

「帰れ」
 男はきっぱりとそう言った。
 KAITOとMEIKOの影で見ていたミクは驚いて思わず覗き込む。MEIKOが、振り向きもせずにそれを手で制する。KAITOが戸惑ったように続けた。
「お客様からウチのアンドロイドに不具合があったとお聞きしたのですが…」
「おれは知らん。いたずらか何かだろう」
 不機嫌な顔で言う男に、MEIKOが横から口を出した。
「ではご購入いただいたアンドロイドに不満はないということですか?」
 男はそれに一瞬迷うような表情を見せる。だがしばらくして、低く「ああ」と答えた。
「……多少反抗的だがな」
「……それは問題では?」
「……逆らいはせんさ。そうだろう?」
 アンドロイドは人間に逆らうことは出来ない。KAITOが頷くと男は何故か無理矢理作ったような笑みを見せる。
「さあ、わかったら帰ってくれ」
 追い払うような手の仕草。KAITOはわかりました、と答えながらも男越しに家の中を覗き込む。
「会わせてはもらえませんか?」
「あの子にか? そんな必要ないだろう」
「一応問題がなかったという確認を取りたいもので」
 KAITOの言葉に男は突然表情を変えて叫ぶ。
「おれが問題ないと言ってるんだ、そんなもの必要ないだろう! それともアンドロイドの癖に人間の言葉が信じられないのか!」
 怒鳴り声が恐ろしく、ミクは思わず正面に居るMEIKOの服を掴む。そのとき、男がふとミクを見たのがわかった。
「…そうですね。申し訳ありません、それでは今日は失礼します」
 KAITOが軽く頭を下げる。だが帰りかけたKAITOたちを男は呼びかけた。
「……何か?」
「その子は?」
「ボーカロイドです。今日店に入ったばかりですが」
「いくつだ?」
 男がじろじろとミクを眺め回す。品定めの視線。ミクは慌てて元気良く答 える。
「16です! 製造年から1年半の初音ミクです! オプションは料理と撮影! よろしくお願いします!」
 すらすらと出てくる言葉は売り場に出されてから言い飽きたほどの売り文句。興味をもたれるか、がっかりされるかはその時々。今回の反応は後者だった。
「料理と撮影? それだけか」
「勿論歌もうたえます! 現在登録されてる曲は、」
「そんなものどうでもいい」
「え……」
「いや…そうか、わかった。もう帰っていい」
 男はもう興味なさげに手を振っている。逸らされた視線にミクも少し落ち込む。いつものことではあるけれど。やっぱり…「あれ」がないと駄目なんだろうか。
 そう思っていたときのことだった。
 家の奥で派手な音が聞こえる。ガラス製の、何かが割れる音。木の板のようなもののぶつかる音。ついでに、本が落ちる音がした。
「何だ!」
 男が怒鳴って後ろを振り返る。奥へ向かいかけて…気付いたように足を止め た。
「早く帰れ! お前らには関係ない!」
 どたどたと廊下を走り、どこかの部屋に入ってしまった。それでも足を止めていないのをミクの聴覚が正確に捉える。
「……帰れだってさ」
「帰るかよ! 今の音、リンだ!」
「え?」
「どこに居る?」
「今…おっさんが足を止めたところ…」
「わかるの?」
「近くに居ればわかる。おれたちは二人で一つなんだ」
 レンが真剣な顔で何かに集中している。これ以上は話しかけてはいけない気がしてミクは黙った。代わりに、KAITOとMEIKOを見上げる。MEIKOはため息をついてKAITOに向かった。
「……問題よね」
「問題だね」
「リン!」
「あ、こら!」
 突然家に上がりこもうとしたレンを慌ててKAITOが掴む。振り払われたが、その足を今度はMEIKOが持った。バランスを崩してレンが倒れこむ。
「何やってるのよ、勝手に入っちゃ駄目でしょ」
「そんなこと言ってる場合かよ!」
「場合だよ。人の家に勝手に上がっちゃいけない」
 KAITOの淡々とした声にレンが顔を歪ませる。そしてもう1度、部屋の奥へと目をやった。
「レンくん…リンちゃんが、今何やってるかわかるの?」
「わかるかよ、でも…でも凄く嫌がってる! 今あのおっさんと居るんだよアイツ!」
 レンの顔は怒りというよりもどこか悲痛な雰囲気がある。行かせてやりたい。素直にそう思って、ミクは、多分レンと同じような顔をしてKAITOを見上げた。
「ばれなきゃいいんじゃないの?」
 そこでぽつりとMEIKOが言う。全員が、驚いたような顔をしてMEIKOを見た。
「部屋に上がったことなんてあの男が居なきゃわかんないわ。リンの居場所は全員わかったわね?」
 男の足音が止まった場所。先ほど派手な音が聞こえた場所。
 ミクは頷いた。
「あの男がリンに何かやってるとしても、とりあえずリンに聞かないことにはどうにもならないしね。何かやってるなら証拠集めてあげるから、今は引く。出来 る?」
 MEIKOははっきりとレンを見て言った。レンは少し間を置いて、それでもしっかりと頷く。
「……MEIKO」
「何?」
「おれらが問題起こしてどうするの…」
「何を今更。初めてじゃないでしょ。ばれてないからいいじゃない」
「主任は知ってるよ。それに今日はミクも居るんだよ。レンだってまだ新人 で…」
『そんなのどうでもいいよ!』
 ミクが思わず叫ぶと、声がぴったりレンと重なった。唖然とするKAITOの肩をMEIKOが叩く。
「いい性格設定してるわね、二人とも」
「……わかったよ」
 とりあえず一旦出よう、と外に出たときドアの前に立っている女性に気が付いた。40歳前後だろうか。小柄で穏やかそうな人が目を丸くして固まっている。背の高いKAITOは気付かなかったのか、女性とぶつかりかけて、慌ててミクたちが声を上げる。
「あ、す、すみません」
「いえ……あ、お店の方…いや、アンドロイドですか?」
「はい、あ、奥さまですね」
「ひょっとしてご連絡くださったのは奥さまですか」
 KAITOとMEIKOが順番に聞く。女性が顔を曇らせて、それでもしっかりと頷い た。
「すみません…あの子に問題があるというんじゃないんですが」
「え、でも」
 女性は迷うような表情をしたあと、KAITOの横をすり抜け玄関へと入って行った。何となく、ミクとレンも避けて道を作る。靴を脱ぎ、上がりこむまでをただじっと見守る。振り向いて、言った。
「……出来れば、連れて帰ってやってください。……主人のためにもあの子のためにも良くないと思うので…」
「? それはどういう、」
「何でわからんのだっ!」
 KAITOが尋ねかけたところで突然怒鳴り声が響いた。あ、と思う間もなくレンが飛び出す。今度は誰の制止も間に合わなかった。
「レン!」
「……上がってください」
 女性はそれだけ言うと小走りにレンを追う。残された3人で顔を見合わせた。まず、MEIKOが上がる。
「MEIKO」
「家の人から言われたんだから問題ないでしょ。今解決してしまえるならそれでいいわ」
 そう言うとKAITOたちの言葉も待たずに奥へと進む。ミクも続いた。置いて行かれるのは嫌だ。
「……ああ、もう」
 背後でKAITOの呟きが聞こえ、近づいてくる気配。
「こういうこと、多いんですか?」
「問題解決に来て問題が更に大きくなることは多いね」
 並んだKAITOは何だか疲れた声でそう言う。
 よくあること、らしい。





 ばたん、とドアが開くと同時に飛び出してきたのは黄色い髪の女の子。レンと似ている、と思った瞬間、女の子は顔を歪ませて目の前に居たレンに飛びついた。
「わっ、り、リン……!?」
 勢いで駆けていたレンが急ブレーキをかけて、そのまま二人して倒れこむ。扉から続いて出てきたのは先ほどの男性。倒れたリンとレンを見下ろして舌打ちを した。
「何やってる! はしたない! メグはそんな子じゃないだろう!」
 薄いピンクのスカートに、模様も何もない白いシャツ。何度も洗濯されてよれた様子が見てとれる。似合わないな、と少し思う。そしてそれはサイズが微妙に違ってるせいもあると、少女が立ち上がったときに気付いた。
「メグって……」
 レンも一緒に立ち上がって戸惑いの視線を少女に向けた。少女は少しふてくされた顔で、頷く。
「はい。……お父さん」
「は!?」
 レンの驚いた顔。少女はそんなレンに、また最初のような泣きそうな顔を見せる。一歩前に出たのは、ミクの隣に居たKAITOだった。
「お客さま、メグというのは、」
「あっ! お前ら何で入ってきてる!? 不法侵入だ、アンドロイドのくせに」
 怒鳴り始める男に、ミクは助けを求めて奥さんを探す。前を歩いていたはずなのに、いつの間にかミクたちの後ろに居た。迷うような素振りを見せて──それでも、助けてくれない。
「メグというのは亡くなった娘さんのお名前ですね?」
 KAITOは淡々と口調を変えずに続け、男の声がぴたりと止まった。ミクは改めて、メグと呼ばれた少女に目をやる。
 買われたアンドロイドが、別の名前を付けられることは珍しいことではない。そもそもが最初に付けられている名前も、識別用の記号みたいなものだ。最近は普通のフルネームが用意されているせいか、その名前をそのまま使われることが多いが、それでも、思い入れのある名前を付けたい人も居る。亡くなった誰かの名前というのは、あまりいいことではないと聞いた。
 男はしばらく何かを押さえ込むように震え、やがて何も言わずリンを引きずり、また部屋に戻っていった。ばたん、と大きく閉じられる扉。レンが駆け寄ってノブを回すが、鍵がかかっているのか開かない。MEIKOのため息が聞こえた。
「あんた何でそう直球なのよ」
「いや、気になったから」
「……資料にでもあった?」
「購入理由欄に主任がメモ書きしてあってね。『娘に似ていた』って書いてた」
「……何でもっと早く言わないのかしら、それ」
「それで上手く行くこともあるからね。──奥さん」
 そこでKAITOがようやく廊下の隅に居た奥さんに声をかける。女性が突然声をかけられて、驚いたように顔を上げた。
「あまり良くはない、ということはリンは娘さんとして…メグさんとしては駄目だったということでしょうか」
 女性は目を伏せる。何となく、もうちょっと言い方があるんじゃないかと 思う。
「目的外での使用をあまり押し付けると『ストレス』が溜まりますしね。連れ帰らせてもらってもよろしいですか?」
 女性は目を伏せたまま、それにははっきりと頷いた。
「おい、これ壊すぞ!」
 がちゃがちゃとノブを回していたレンがそこで叫ぶ。
 よく見ればドアノブには鍵穴がない。開け閉めは中からしか出来ないのだろ う。
「駄目だよレン、そういうのは──」
 KAITOがレンに振り向いた瞬間だった。
 ばきっと嫌な音がする。KAITOが言葉を止めたまま凍りついた。
「……壊した?」
 小さな声に、レンも固まったまま反応しない。ミクは横からその手を覗き込む。ぱっと見、どこかが壊れているようには見えない。だけど確かに破損の音を聞いている。ミクは動かないレンの手にそっと自分の手を重ね、ノブを動かしてみる。すぽっ、と変な手応えと共に──ノブが取れた。
「レンっ! 何やってるんだ!」
「あ、開かなかったからしょうがねぇだろ! 壊さずにどうやって入るんだよ!」
 レンはもう自棄だ。そのままドアを思い切り蹴り飛ばす。案外簡単に、扉は内側へと開いた。
「リン!」
「こら、レン!」
 飛び込もうとしたレンをKAITOが押さえた。ミクはその脇をすり抜けて中へ入る。
「ミク……!」
 KAITOの叫びより早く目の前にリンが──迫ってきた。
「え」
 胸の辺りに大きな衝撃。次に後頭部。
 何が起こったかわからない。
 気付けばミクは天井を見ていた。胸の上に何か重いものが乗っている。柔らかい。
「な、何すんだよっ!」
 レンの叫びが聞こえて慌てて視線を動かす。ぱちっ、とミクの上に乗ったリンと目が合った。
「ご、ごめんなさい」
 リンの謝罪に戸惑っていると、ふと体が軽くなる。リンの顔が遠ざかった。リン自身が動いたわけじゃない。リンを持ち上げて支えたのはMEIKO。
 ミクは慌てて体を起こして辺りを見回した。意外に狭い部屋。奥にはベッドが見える。床には本やらペンやら小物が散らばっていた。これの上に倒れなかったのは運が良かったらしい。倒れたところで、痛みがあるわけじゃないけど。
「もういい……」
 聞こえた低い小さな声は、ベッド脇に居た男性のものだった。リンの、購入者。
 さっき……そうだ、さっきリンはこの男に投げ飛ばされたのだ。それを、ミクが体で受けることになった。
「もういいとは、」
「とっとと連れていけ! いつまで経っても何も出来やしない! お前なんかメグじゃないっ!」
 怒鳴り声は、恐ろしい。ミクは体を竦ませる。だけど男は少し、悲しそうにも 見えた。
 ミクはいまだ床に座り込んだままの位置から、リンとMEIKOを見上げる。リンは俯いていた。唇が震えている。辛いのか。苦しいのか。こんな、扱いをされて。それでも、見放されたことが。
「……わかりました」
 落ち着いた声は、ミクの後ろから聞こえた。
 レンを押さえつけたまま、KAITOはまだ入り口近くに立っている。レンが抜け出そうともがいているが、まるで相手になっていない。パワーは普通の男性型よりあるのかもしれない。
「リン、それでいいね?」
 リンはまだ俯いている。ミクはそこでようやく立ち上がった。このまま、みんなで帰るんだと思ったから。
 だが意外なことに、リンは首を横に振る。レンの動きが止まるのが見えた。
「おまっ、何でだよ! こんな奴のとこ居たって、」
「私!」
 リンが大声を出してレンの言葉を遮る。部屋中に響き渡ったその声に、ミクもびくりとする。全員が、リンの次の言葉を待った。
「私……まだ、歌ってない」
「それは、」
「私、ここに来てからまだ一度も歌ってない……!」
 リンが顔を上げた。視線の先に、購入者の男性。男性は少し戸惑っているように見える。睨みつけるような強い視線に、男性が目を逸らした。
「……馬鹿を言うなっ、メグは歌なんか歌わなかった、音楽の成績だって悪い。歌なんか、」
「歌ってもらいましょうよ」
 静かな声は、部屋の外から様子を見ていた、奥さん。
「……最後に一回ぐらい。……この子は、ボーカロイドなんですから」
「……この子は」
「ボーカロイドです。ね、リンちゃん」
 奥さんは、リンをリンと呼んだ。リンが初めて、少し笑顔を見せる。
「はいっ! レン、レンも一緒に」
「ええ?」
「私たち、セットですから!」
 リンは主人と奥さんと、交互に目をやってそう言った。レンがKAITOから離れて、リンの隣に並ぶ。もう、男性への敵意は見えない。それより歌いたいのだろう。ミクもうずうずしてくる。二人の歌をきちんと聞きたくて、一歩下がる。
「ま、待て、おれは別に」
「いいじゃないの、私だって一度ぐらい聞いてみたかったんだから」
「曲は何でもいいですか?」
「うん、得意なのでいいよ」
 リンとレンは、主人の言葉を無視して勝手に進めている。二人が息を吸い込んだとき、男性が怒鳴り声を上げた。
「歌うなっ!」
 二人が、止まる。
 ミクも、奥さんも唖然として、その男性を見た。
「……歌なんか、あの子は」
「……あの子、ですよね。この子、じゃない」
 KAITOの声が入る。男性の視線がそこでようやくKAITOに向かった。
「……思い込もうとしてるだけなら、いつまで経っても上手くは行きません。あなたはこの子がメグさんじゃないと知ってるでしょう。その意識を変えることは出来ません」
 KAITOの声は、やはり最初の印象と同じく優しい。
「メグさんの代わりに愛情を注ぐ相手が欲しいのなら構いません。だけど、あなたはそうじゃないんでしょう」
 メグさんはもうどこにも居ませんよ。
 KAITOがそこまで言い切ったとき、男の力が抜けた。どさっ、とその場のベッドに座り込む。
 口調は優しかったけれど、厳しい、のだろうか。
「リン、レン、歌う曲は決めた?」
「え、あの」
「私たち、伴奏入るわよ」
「は?」
 MEIKOとKAITOがリンとレンの後ろに。
 レンたちが戸惑っているのにもお構いなく、二人は一瞬目を合わせただけで、同時に声を出した。歌、じゃない。これは……楽器の音。
 ミクたちボーカロイドが出せる声は、それだけ、広い。
 リンとレンが、歌い始めた。こちらも何の打ち合わせもなく、綺麗なハモりを響かせ て。
 ミクは無意識に胸の前で拳を握る。
 歌いたい。
 この中に、混ざりたい。
 男性と奥さんが、じっと聞きほれる様子にも気付かず、ミクはひたすらそう思ってい た。


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