アンドロイド販売所

「いらっしゃいませ!」
 大きな声で元気に挨拶。顔は自然と笑顔になる。それを見ていた男は、特に表情も変えず、じっとミクを見ていた。
 大丈夫、だろうか。立ち上がったミクは座ったままこちらを見上げてくる男を見下ろす。不安が表情に出そうになって、慌てて笑顔を固定する。しばらくしてようやく男が「……よし」と小さく呟いた。
「まあ問題はないか。じゃあ、初音ミク。今日からこの店の売り場に入ってもらう。ウチの方針は聞いてるね?」
「はい!」
 男が立ち上がり、扉へと向かう。着いて来いということだと理解してミクは小走りにその後を追った。事務所の外は薄暗く、コンクリートの床に足音が響く。小さな従業員用の扉から入った売り場は、まるで別世界のようだった。





「こんにちは」
 男は売り場に入り、アンドロイドを一体呼ぶと何かを押し付け、そのまま去ってしまった。ミクが迷っていると、そのアンドロイドに話しかけられる。背が高い。青い髪、青い目に青いマフラー。男性型アンドロイド。男は、KAITOと名乗った。
「こんにちは、初めまして! 初音ミクです! えと、以前はアンドロイドショップ浜屋に居て」
「うん。聞いてるよ。起動から一年だっけ? 大変だったねいろいろ」
 驚くほど優しげな声。ミクは今度は本当に自然と笑顔になる。ミクが以前居た店はちょうど先月潰れた。売り上げはずっとぎりぎりで、ミクも愚痴をこぼされていた覚えがある。一緒に働いていたアンドロイドはそのほとんどが処分された。店の主人が必死で駆け回り、ただでいいから貰ってくれ、という願いを聞き入れてくれたのはここを含め数件。この店に来たのはミク一人だ。
 ミクはKAITOの言葉に頷きながら、それでも自分は幸運だったと告げる。店の主人の助けになれなかったことは悲しいけど。
「KAITOさんは何のアンドロイドなんですか?」
 売り場を歩きながら聞くとKAITOは意味深に笑って顔を近づけてくる。
「ボーカロイド。君と同じだよ」
「ええ!?」
 驚いた。
 驚かせたことが嬉しかったのか、KAITOが無邪気に笑う。最近はそれ専門は少ないよね、という言葉に自嘲の響きは感じなかった。ミクは思わずKAITOの全身を眺める。ごく普通の、人間に近い形のアンドロイド。髪の色さえ普通ならぱっと見で気付かれることはないだろう。額に貼ってある冗談みたいなバーコードシールがここではアンドロイドの証だけど。
 思わずじっと見つめると、KAITOは気付いたように足を止めた。
「ああ、忘れてた。さっき主任から預かったんだけど」
 一緒に足を止めると、KAITOが取り出したのはバーコードのシール。額に貼るのか、と思わず辺りを見回したが、他のアンドロイドに額に貼っているものは居ない。
 ミクの思いを察したのかKAITOは笑いながら言った。
「どこでもいいよ。見えるところで肌の上なら。服の上は駄目。足元も見えにくいからNG。まあ顔か…君なら腕でもいいかな」
 渡される。ミクが以前居た店ではこういったものはなかった。見た目でわかるアンドロイドが多かったからだろう。実際ミクも、KAITOと同じで髪の色に特徴がある。人間に間違えられたことはない。
 ミクは悩みつつ、それを左腕に貼った。白い真四角のシールは、お世辞にもお洒落とは言えない。認識用ならもっと他にあるだろうに。
「ここが一応君のコーナー。ウチは大体年数で分けてるんだ。一番奥になっちゃうから客が来たときは頑張って前に出てね」
 着いた場所は本当に店の一番奥。小さなコーナーで、椅子に座った少年の姿しか見えなかった。少年はちらりとこちらに目を向けると、興味なさげにそのまま視線を戻す。KAITOが苦笑してその少年に近づいた。
「レン。昨日言ってた新しい子だよ」
 入ることになったみたい、と言いながらKAITOはレンの腕を持ち上げる。立て、という合図なのだろうがレンは振り向きもしなかった。代わりにミクの方で少年に近づいてみる。
「初めまして! レンくん? 私は初音ミク。よろしくね!」
 設定年齢は自分より下のようだったので敬語は抜きで声をかけた。右手を出してみる。案の定握り返しては来ない。KAITOがため息をつく。
「全く。そんなんじゃいつまで経っても売れないよ? 無愛想なアンドロイドが好きな客なんているわけないんだから」
「……じゃあ一番古株のあんたは究極の無愛想だったんだな」
 レンの冷たい声に、ミクは一瞬ぎくりとしたがKAITOは意外にも笑顔を見せる。ミクに向かって。
「ほら。突っこみ気質だからボケると反応返してくれるよ」
「お前……!」
 レンが今度こそ、はっきり反応を見せて立ち上がった。そのやり取りに思わずミクも笑い出す。レンは苦虫を噛み潰したような顔でミクを見る。そして罰が悪そうに頭に手をやってからもう1度座った。
「レンくんは何のアンドロイドなの?」
 笑顔で聞いてみれば、レンはちらりとミクに目をやったあと、ぼそりと答 える。
「……ボーカロイド」
「えっ!? じゃあ私と同じだ!」
「はっ?」
 レンが驚いたように見上げてくる。ミクも驚いた。思わずKAITOを見上げると、KAITOも「うん」と返事しながら店内を見渡す。
「ボーカロイドは現在のとこおれ含めて3人。ミクが入って4人だね。これからもう1人紹介…」
「あら、新しい子来たのね」
 そのとき背後から声がかかる。思わず振り向けば、そこに居たのは露出の高い赤の服を着た女性。一瞬人間かと思ったが、胸の辺りにしっかりとバーコードのシールが貼ってあった。
「あっ初めまして! 初音ミクです! ボーカロイド2バージョンで、オプションは撮影と料理! よろしくお願いします!」
 大声で挨拶を返したミクにMEIKOが一瞬きょとん、とした表情を見せる。が、直ぐに笑顔になった。
「初めまして。私はMEIKO。ボーカロイド。オプションはダンスとあれ。よろ しくね」
 どうやら彼女がこの店の最後のボーカロイドらしい。女性型であることに少しドキドキして差し出された右手を握る。競争相手になるんだろうか、でも自分とはタイプが違うっぽいし、オプションも、ボーカロイドとしては普通のようだ。「あれ」は…多分セックス機能のことだと思うが。ぼかして言われた手前、さすがに直接聞くことが出来ない。女性型アンドロイドには付けられることが多いが、ミクには付いていない。そもそも以前勤めてた店では、主人がそれをあまり好きでなかったのか、単にオプションでつける金がなかったのか、セックス機能の付いたアンドロイドは居なかったのだ。それも、おそらく潰れた原因なのだろうが。
「へー。オプション料理なんだ。珍しいね」
 KAITOが感心したような声を上げる。ミクの詳しい機能については聞いていなかったらしい。
「そういえばKAITOさんは? オプションは何なんですか?」
「え、おれ? おれはー…えーと」
「何もないだろ」
 割って入ったのはレンだった。先ほどのKAITOの言葉通り、突っこまずにはいられない性格らしい。レンは小馬鹿にしたような顔を作ってKAITOを見上げる。
「だから売れないんだろ? 今時歌うだけのアンドロイドなんて価値ないしな」
 KAITOはレンの言葉に苦笑いをするだけだった。冷たい声だったが、何故か嫌な感じがしない。何でだろう、とミクが首を傾げているとMEIKOが続けるよう に言った。
「ま、そういうこと。タイプが古いからオプション乗せる余裕がないの」
「……頑張れば料理ぐらい…」
 ぼやきのようなKAITOの声に、ひょっとして悪いことを聞いてしまったのだろうかとちょっと慌てる。オプションのついてないアンドロイドはなくもないが、大抵は安売り用だったり、客で好きなものを選ぶためだ。最初から乗せられないというのは確かに珍しい。
 先ほどレンの言った「一番の古株」という言葉。
 売れてないのだ。本当に。
「まあ、でもオプション以外にも価値ってのはあるもんよ。大丈夫よKAITO、あんたはこの店にはなくてはならない存在だから!」
「それ、つまり売れるなってことだよね?」
 KAITOの情けない顔にはミクも少し笑い出しそうになる。だけど、何とか堪えてミクは聞いた。
「なくてはならないってどういうことですか?」
 少し、真面目な話が聞ける気がして。
 MEIKOは笑いを引っ込めて、優しくミクに教える。
「主任からは一番信頼されてるわよ。長いから商品もよく把握してるし。そうそうKAITO、これ言いに来たんだった。主任が呼んでるわよ。この間の客と何か問題起きたんだって」
「この間の客?」
 KAITOが聞き返したとき、MEIKOが一瞬レンに目を向けた。
「……リンを買っていった人よ」
 ばっ、とレンが弾かれたように顔を上げる。驚愕の表情が、今まで見たどの顔よりも幼い。これが、素の顔なのかとミクは思う。
「……わかった。MEIKO、まだ案内途中なんだ。ミクのこと頼む」
「OK」
 KAITOが来た道を引き返し始める。レンがそれに着いて行った。KAITOは一瞬振り返ったが、何も言わずそのまま歩き続ける。ミクも、無意識に二人の後を追い始め た。
「ちょっと、どこ行くの」
「え……あ、すみません。何か…気になって」
「あー、まあ気持ちはわかるけど」
 足を止めなかったミクに、MEIKOが着いてくる形となる。何人かのアンドロイドがミクたちに目を向けるが、特に興味なさげにそのまま目を逸らされた。ミクはMEIKOと歩幅を合わせながら二人の後を追う。
「問題って……何かあったんですか?」
「たまにね。客とトラブル起こすアンドロイドも居るから。ウチは比較的自由にやってる分変な個性が付き易いのよ。それが客には気に食わないこともあるから ねー」
「そうなんですか…」
 ミクは何となく辺りを見回す。確かに。自分たちのコーナーがあったとはいえ、出入り自由の上、他の、全く種類の異なるアンドロイドとも交流が出来る造りというのは珍しい気がする。ミクは、それほど他の店の話を聞いたことがあるわけではないが。
「今回は買われてひと月ぐらいだし…どうかしら、微妙なとこね」
「え、何が……?」
「最初の一週間ぐらいの間の悶着はね、結構何とかなるのよ。簡単な擦れ違いってことが多いから。ひと月越えてからだと…もう根本的に無理なこともあるわね。性格の不一致って奴」
「性格の不一致……」
 人間同士みたいだ。呆れたような声に気付いたのか、MEIKOも少し笑う。
「ってのはまあ言葉のアヤだけど。あ、いたわ」
 気付けばKAITOもレンも足を止めていた。主任と何やら話している。何となく、その近くまでは行けなくて、それでもミクは聴覚機能を高めた。高度な聴覚機能は元々のボーカロイドの機能だ。
「わかりました。今からですか?」
「ああ、というか今日じゃないと困るらしい。行ってきてくれ」
「はい」
 聞こえた会話は、既に終了間際だった。あまり距離を置かずに付いて来ていたのに。ほとんど会話もせずに離れた主任は、また売り場から出て行ってしまう。残されたKAITOをレンが見上げて言った。
「おれも行く」
「言うと思ったけど…駄目」
「何で」
「どうしてもって言うなら主任に了解とってからだよ。売り物を勝手に外に出すわけにいかない」
 KAITOは何やら資料に目を落としたまま、レンの方を見ようともしない。ミクとMEIKOが近づくと、ようやく顔を上げた。
「あれ、来たの」
「気になったみたいでね。それよりKAITO、了解があれば私たちも行っていいわけね?」
「は?」
 驚くKAITOの答えは待たず、MEIKOはその場を去ってしまった。主任を追って。
「え、今のどういうこと?」
 KAITOが何故かミクに聞く。ミクも首を傾げるしかない。
「あの客……絶対何か変だったんだ…」
 そこでレンが呟くように言う。今度は2人の視線がレンに集中した。
「変?」
「………………」
 レンは俯いたまま黙り込んでいる。間が持たず、ミクはとりあえず気になっていたことを聞いた。
「ねえ、リンって言うのは……」
「ああ。鏡音リン。ホントはこのレンとセットで販売されてたんだけどね。まあ片方だけでいいって客はたまに居るけど…」
 レンは、残されてしまったのか。
 セット販売のアンドロイドというのは確かに居る。片方だけでは機能が不十分だったりするものもあるが、大抵の場合は単なる抱き合わせだ。売れそうもない片方がオプション扱いで付く。なので片方だけ買う場合でも…安くなるということはほとんどない。
「KAITO」
 そこにMEIKOが帰ってきた。主任の姿はない。ミクは、MEIKOの胸からバーコードが外れているのに気付く。
「行くわよ。レンも。許可は出たわ」
 KAITOとレンが顔を見合わせる。MEIKOの合図で、2人は従業員用の通路を通って外へと向かった。いい天気だ。久々に浴びる日差しが気持ち良い。
 自動運転機能つきの車に乗り込み、MEIKOが行き先を設定したとき、KAITOが気付いたように助手席から振り向く。
「あれ…? ミクも来るの?」
「え? ……あれ?」
 何となく、付いてきてしまっていた。
 いいのか? と小さくレンの声が聞こえるが、車は既に走り出している。
「……ま、いっか」
 そんなに時間かからないだろうし、とKAITOが呟く。
 ミクは窓の外を眺めながら、少しわくわくしている。問題とか、リンのこととか、よくわからなかったが、外に出るのは楽しかった。


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