狙われた歌2

 部屋の中は静まり返っていた。
 さすがのKAITOも、余計な口を挟めない。レンが攫われ、泣きそうな顔でやってきたリンとミクに引っ張られ、KAITOたちは家に戻っている。状況を説明されたMEIKOが、呆然として一度部屋を出て行った。
 それきり、リビング内では全員が俯いたままだった。
「……リン、ミク」
 静かな声は廊下に通じる扉から。
 全員が一斉に顔を上げた。
「そろそろ仕事の時間よ。用意して」
 MEIKOの言葉にミクがまた顔を伏せる。リンは驚いたような顔をして立ち上が った。
「何で! それどころじゃないでしょ! レンが、連れてかれたのに……!」
「だからって、ここでこうしてても仕方ないでしょ。それに……大勢と居る方が安全だわ」
「…………」
 リンが少し戸惑いの視線を向ける。まだ何か言いたそうに口を開くが、それより早くがくぽが言った。
「リン。レンは必ず連れて返る。人質ならきっと無事でいるはずだ。むしろレンなら自分で帰ってくるかも知れん」
「……まあ逃げちゃった場合、危ないのは」
「私たち……なんだよね」
 KAITOの言葉を遮るようにミクが言った。
 人質が欲しいなら、相手にとって代わりになるのはミクたちだ。KAITO自身もMEIKOとがくぽの言葉で初めて気付いたが、多分ミクはわかっていたのだろう。大人しく立ち上がり、リンの手を取る。
「行こうリンちゃん。お兄ちゃんたちは、レンくん助けに行くんだよね?」
「当たり前だ!」
 答えたのはがくぽだった。KAITOは頷くだけにしておく。そもそもどうすればいいのかさっぱりわからないが。相手が何者かもわからない。考え込むKAITOをじっと見ていたリンが、少し表情を崩して言う。
「でも、さ。犯人の要求って何? がくぽの歌?」
「……歌を誰にも伝えるな、だったな」
「聞かれちゃまずい歌ってこと?」
「……そんな歌だとは思わなかったが」
「やっぱり暗号だよ! ねえがくぽ、その歌ちょっと聞かせて」
「は?」
 いつの間にかミクの手は離されていた。先ほどまで怒りと戸惑いを顔に出していたリンは、今度ははっきりとした好奇心でがくぽのところへ向かう。
 その後ろに、ミクもちょこんと座った。
「……ミク」
「私も……聞きたい」
 仕事には間に合うようにするから、と言うミクにKAITOは苦笑する。だが、がくぽは首を横に振った。
「駄目だ。誰にも言うなと言われたんだろう」
「ここで歌うぐらいなら大丈夫だよ」
「そうだよ、誰も聞いてないし」
「それに! レンくん攫った相手の手がかりもあるかも!」
 ミクがいいことを思いついた、と言わんばかりの表情で手を挙げる。それでも、がくぽは厳しい顔をしたままだ。
「この歌が原因で狙われておるのだぞ。お前たちに教えるわけにはいかん」
「でも」
「後でKAITOには聞かせる。それで一緒に考えればいいだろう」
「え、ちょっと」
「私も聞くわ」
 異論はないが、一応抗議の声を上げようとしたKAITOを遮ったのはMEIKOだった。MEIKOは真剣な目をしたままがくぽを見ている。
「……しかし」
「私なら大丈夫、でしょ? 力だけならあんたよりあるんだからね」
 MEIKOが笑って言うと、がくぽも諦めたように力を抜いた。





「……なあ」
 レンは薄暗い部屋に転がったまま、同じ部屋に居る男に声をかける。猿轡をされていたが、VOCALOIDにはあまり意味がない。ひょっとしてVOCALOIDだと知らないのかとも思ったが、男たちの口からはがくぽ、の名も出ていた。……いや、それでも知らない可能性はあるのか。男たちが連れ去ったという依頼人から、がくぽの名を聞いただけかもしれない。
 それだけだと、レンたちとがくぽの繋がりはわからないと思うが。
「……生きて…んのか」
 少し声に詰まる。
 高い位置にある窓から差し込む光だけが、唯一の光源。レンと同じように横になっている男は、スーツを着ているということしかわからない。手が後ろに回っているのは、これもレンと同じく縛られているからだろう。
 ……死んでるなら、縛る必要はないよな。
 そう思うものの、ここに来てから男は一切身動きしない。スーツが、ずたぼろなのも何となくわかっていた。おそらく暴行を受けたのだとも。
 ……気持ち悪い。
 胸の中に嫌な気持ちが広がっている。ムカムカする、というのだろうか。この男が何をしたのかは知らない。どんな男かも知らない。何が原因でこうなったのかもわからない。それなのにレンの中には、レンをここに連れてきた男たちへの怒りが募る。自分が連れ去られたこと以上に、嫌な気分だった。
 レンは目を閉じた。
 嫌なものをこれ以上見ていたくない、という思いもあったが、聴覚に集中するためでもある。男の呼吸は微かに聞こえている気がする。だけど、それより外の声の方が大きい。
 レンたちが居るのはどこかのビルの一室。目隠しすらされなかった。返す気はないのかと一瞬思ったが、それよりも報復を恐れていない、と言った方が正しいのだろう。
 銃は本物だ。
 どこか遊ぶ半分で事態を軽く見ていたことを後悔する。命を狙われる、なんて。漫画やゲームの世界の話だったのだ。ましてレンたちは本当の意味で命の危機を感じることはない。痛みだって感じない。
 レンは後ろで縛られた手に少し力を入れる。
 心配されているだろう。
 余計なことを考えず、とっとと逃げるべきか。
 だけど、この男はどうなるのだろう。
 やはり気になって、見てしまう。
 呼吸に乱れはないが、無事、とは多分言えない。病院に連れて行った方がいいのか。少なくともこんな場所に縛って転がせておいていいとは思えない。
「なあ……動けるか」
 聞いてみる。だが、やはり答えは返ってこない。
 この男は、がくぽの依頼人なのかもしれない。
 そうだ、最初に男たちに連れ去られたのは依頼人だ。
 レンが男に近づこうと体を動かしたとき、部屋の外が騒がしくなった。この物置のような場所に連れてこられるときに通ったそこは広い事務所のようだった。おそらく人が増えたのだろう。レンは再び聴覚を研ぎ澄ませる。
 だが会話に集中する間もなく、突然扉が開かれた。外に体を向けていたレンは入ってきた男とまともに目が合う。
「……このガキか? 役に立つのか?」
「とりあえず警察には行きませんでしたし……」
「身内みたいなもんだって聞いてますよ」
 男たちは部屋の中には入ってこなかった。
 がくぽはどうやらレンが攫われたあと引き返したらしい。それはまあそうなのだろう。そしてやはりレンたちのこともばれているのか。
「で、引き換えに歌教えろ、でいいのか?」
「おそらく何の歌かわかってませんし……ガキと引き換えなら多分」
「ったく、歌とか面倒なことしてくれたな」
 男が軽く地面を蹴った。本来なら、レンの側で倒れている男を蹴りつけたいのだろう。数歩前に出るのも面倒だったというだけだ。
 歌。
 この男たちはがくぽが聞いた歌を手に入れたいらしい。
 暗号、というのは案外当たっていたのかもしれない。
 他の誰にも知らせず自分たちだけで手に入れたい暗号。
 さすがにこの状況で、宝のありか、など無邪気な考えは出来ない。多分、もっと現実的で薄暗い。
「連絡取れましたっ!」
 そこで男の背後から息を切らしたような声が聞こえた。外の動きが慌しくなる。男が数人、レンの側まで来た。
「よし、連れて行け。足は縛ったままにしろ」
「はい!」
 荷物のように担がれる。レンはちらりと転がった男に目をやった。
 歌を手に入れたあと、この男はどうなるのだろう。
「こいつはどうします?」
「ほっとけ、だが殺すなよ、まだこいつの言うことが証明されたわけじゃないからな」
「直接隠し場所吐いてくれりゃ楽なんですけどねぇ」
 今度は、本当に蹴りが入った。あまり力の入ったものではなかったが。
 レンは無意識に男たちを睨みつける。
 無性に暴れたい気分だったが、さすがにこの場ではどうにもならない。
 とにかく、がくぽと合流してからだ。
 レンは大人しく力を抜いた。





「がくぽっ! ちょっと待ちなさい!」
「がくぽー!」
「ミク! リン! あんたらも行くんじゃないっ!」
 必死で手を伸ばして、捕らえられたのはリンのみ。ミクはがくぽに付いて行ってしまう。それでも、スピードの差か、どんどん距離は離されてるが。
「……KAITOっ」
 リンを腕の中に抱き込んだまま隣のKAITOを見上げるが、KAITOは既に諦めたように足を止めていた。
「……おれが、がくぽに追いつけると思う?」
「…………」
 人間よりはるかに力のある旧型VOCALOID。だけど、スピードは人と変わらない。むしろその重量分、遅いぐらいか。
 そして新型、更に侍という設定を与えられたがくぽに速さで追いつけるものはいない。
 ここからタクシーなどを呼んだところで、間に合わないだろう。
 犯人から連絡があり、歌と引き換えにレンを返すと言われた。かかってきたのはMEIKOの携帯。番号はレンの口からでも聞いたのだろう。がくぽの携帯ではなくMEIKOを選んだのは、暴走しそうながくぽを抑えるためだったのかもしれない。結局止められなかったが。
「……大丈夫、かな」
 MEIKOの腕の中でリンが呟く。追いかけることは諦めたのか、大人しくなっていたリンをMEIKOは離した。
「レンと引き換えなら歌う、ってはっきりがくぽは言ったしね。歌さえ手に入れれば後はどうでもいいなら……いいけど」
 KAITOの言葉も曖昧に濁る。
 MEIKOたちはがくぽから直接その歌を聴いた。だがやはり、そこに狙われる要素は見出せない。誰かに届けることを邪魔しているのではなく、歌そのものが目的のようなのに。リンが言った暗号、という言葉が正しいのだろう。
 車でがくぽを狙い、レンを誘拐した相手だ。すんなり目的のものを渡すのが良いとは思えない。だが、がくぽは約束した。たとえ悪人とのそれでも、がくぽは守るだろう。
「歌を知ってるものは全部消すとか…そんなのないよね?」
「さあ…。だとしても大人しくやられるがくぽじゃないと思うけど」
「相手だってそれはわかってるわよ。だからレンを人質にしたんだろうし」
 以前がくぽがPVの企画で殺陣を披露していたのを思い出す。竹を斬るときなどは真剣を使っていた。あまりのスピードに、スロー再生で検証までされていた。格闘プログラム、みたいなものだろう。戦いの仕方は誰より上手い。
「とにかく戻ろう。おれはミクを探してくる」
「そうね、多分途中で離されちゃってるだろうし」
 ミクは多分、がくぽを止めるために走ったのだと思う。一人で勝手に目的地に行こうとはしないだろう。
 KAITOが小走りにがくぽたちが去った方に向かう。それを見送りながら、リンがぽつりと言った。
「ねえ、やっぱりがくぽのところにも誰か行った方がいいよね」
「いいんだけどね…。今からじゃ無理よ」
 相手は複数なのだから、本当はきちんと作戦を立てたかったが。
 まあ、実際のところ自分たちだけで何か出来るとも思えない。がくぽがなるべく冷静に対処してくれるといいのだが。
「じゃあせめて……暗号解こう!」
「は?」
「だって…レンが返ってきてもさ…歌はあいつら手に入れちゃうんでしょ? 何か悔しい」
 落ち着いてくるとリンの中に出てくるのはやはり怒りだ。どうしてもまずレンが無事に戻ることを考えてしまうが、その問題が終われば、残るのは怒りだ。ついでに言うならMEIKOには、歌を、VOCALOIDを危険なことに利用しようとしたがくぽの依頼人への怒りもある。
「……そうね。どうせなら出し抜いてやりたいわね」
 なんとなく、両成敗の話なのだろうとMEIKOは思っていた。
 最初から、依頼人は怪しすぎたから。
 


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