狙われた歌3

 『歌を聞き出した後はどうするんです?』
 男の一人が言った言葉には、誰も答えなかった。

 倉庫のような場所で、レンは再び転がっている。
 レンの側に居る男は3人。残りは積まれた箱の裏や階段、2階通路のような場所に散らばっている。隠れているつもりだろうか。この静かな空間であれば、VOCALOIDの聴力でその息遣いは全て読み取れる。
 レンは両手に力を込めた。
 緊張する。
 手の縄は簡単に解ける自信があった。だけど、足はかなりきっちり縛られてい る。手の縄を解いて、足の縄を解くのにかかる時間はどれほどか。タイミングを間違えば、チャンスはなくなる。撃たれるかもしれない。体をいくら撃たれたって修理すれば平気だが、もしメモリを吹き飛ばされてしまったら。
 体が震えそうになるのを抑えて、レンはじっと待つ。考えるな。考えると…怖くなる。自分の身を守ろうとするアンドロイドの本能がレンに警告している。
 歌でも歌えれば、落ち着くのに。
 レンが息まで殺して思考を止めようとしていると、やがて倉庫の扉が開いた。トラックでも入りそうな大きな扉の他に、横に人間サイズの扉が付いている。開いたのはそちらだ。
 どこかで待ち合わせをしたのだろう。一人の男に連れられて、がくぽが中へと入ってきた。
「レン!」
 叫んだがくぽは、レンの位置をつかめていない。薄暗い中、レンが息を殺しているからだろう。レンはそっと息を吐くと、側に居る男にも聞こえないくらいの小さな声で言った。
「大丈夫、無事だ」
「……そう、か」
 がくぽも小さく返す。酷く安堵した声に、やはり心配をかけていたと情けなくなる。今ここで縛られているのがKAITOだったら、そこまでの心配はされないだろう か。
「よし、そこで止まれ」
 歩いていたがくぽと、もう一人の足音が止まる。レンはゆっくりと体を動かして、側にいる男たちを見上げた。レンを見ているものは誰も居ない。
「そこで歌え。今から録音する」
「……レンを返せ」
「歌い終わったらな」
「…………」
 がくぽは迷っている。
 男たちを信用していいかどうか、だろう。
 レンはもう1度口を開いた。
「……歌え。歌ってる間に逃げる」
 がくぽの気配が動く。
 今、男たちの注目はがくぽにいっている。今しかチャンスはない。
 しばらくすると、歌が始まった。
 意味を成さない妙な歌詞。繰り返される同じメロディライン。音と歌詞、どちらか、あるいは両方に「隠し場所」の暗号があるのだろう。
 思わず聞き入りそうになるが、そんな場合じゃない。
 レンは素早く手の縄を解いた。がくぽの声のおかげで、音にも気付かれていな い。
「あっ……」
 足の縄を解いていると男の一人が小さな声を上げた。大声を出さなかったのは、歌の録音中だからだろう。男が無言でレンを捕らえようとして、その動きでレンに注目がいく。
 やばい。
 慌てるが、縄はまだ解けない。そのとき、歌声が少し大きくなった気がした。
 がくぽが近づいている。
 レンは猿轡をされたまま、大きく息を吸い込んだ。
「あああああっ!」
 大音量で叫ぶ。歌が途切れ、男たちも動きを止める。そして、縄が解けた。
「レンっ! 大丈夫か!」
「ああっ、逃げるぞ!」
 素早く立ち上がると、迫ってきたがくぽを通り過ぎ出口へ向かう。がくぽはついでのようにそこに居た男たちに刀を振るった。
「おい、何持ってんだそれ!」
「木刀だ! MEIKOが貸してくれた」
「何でMEIKO姉、そんなもん持ってんだ!」
 猿轡を外し、叫びながら走る。男たちの動きはまだ悪い。後ろから撃たれてはたまらない。とにかく倉庫の外へ。
「………!」
 しかし外には、レンたちを取り囲む数人の男。手にはナイフや木刀。
「……突破するぞ」
 がくぽは低い声でそう言うと寄ってきた男の一人に蹴りを入れる。その後ろを付きながら、自分にも格闘プログラムが欲しいと思う。
 今度弟子入り志願してみようか。
 それどころじゃないが、ついそんなことを考えていたとき、背後から銃声が聞こえた。
「がっ……」
 肩に衝撃。ばちっ、と嫌な音がした。頭に鳴り響く警告。これは、人間で言う痛み。
「レ……」
 振り向いたがくぽに向かっても、銃弾。たまたまだろうが、それはがくぽの持った木刀に突き刺さる。
「バカヤロウっ、まだ歌は終わってないだろ! そっちは撃つな!」
 気付けばがくぽがレンのすぐ側まで来ていた。また人質になるわけにはいかない。レンはふらつきかけた体を起こして、側に立つ。
「今すぐ歌ってやる! だからそこを開けろ」
「歌が先だ!」
 取り囲まれたがくぽが叫ぶと男たちもそう返す。
 がくぽは一瞬怒りを浮かべたが、ふと、気付いたような顔をするとワンテンポ置いて歌い始めた。また、歌の最初から。慌てて男たちが録音を再開する。
「おい、もうちょっと小さく……」
 録音の邪魔をしないためか、男たちの声は小さい。
 対してがくぽの声は異様に大きい。取り囲んでいた男たちが、顔をしかめて少しずつ後退さる。耳を塞いでしまっているものも居た。
 辺りに響き渡るがくぽの歌。男たちが無言のまま落ち着かなさげに辺りを見回し始めた。当然だろう。これは目立つ。人気のない場所とはいえ、歌が届く範囲を考えるなら、誰かが気付く可能性もある。
 レンは先ほど聞いたばかりの歌を、がくぽと合わせて歌い始めた。人間にとっては、もう騒音レベルだ。
 だけど、そんな中でもレンの耳、そしておそらくがくぽの耳は聞き取ってい る。
 こちらに向かってくる複数の声、足音。
 この歌が、目印。
 出来るだけ、ゆっくり歌おう。時間稼ぎと、カモフラージュに。
 肩から発せられる警告音は無視して、レンは「助け」が来るのを待った。





「あーあ」
「それ……やばいんじゃないの?」
「やばい。腕動かなくなってきた」
 KAITOとMEIKOがレンを見て顔を歪める。
 肩に残ったままの銃弾。警告は受信して切ったが、すぐにまた警告が出てくる。状態が悪化しているのだろう。動かさないように抑えようにも、肩だと上手くいかない。
 KAITOたちが連れてきた警察が、男たちと何やら銃撃戦をしている。警察に守られるように立っているレンたちは、この場からなかなか動けない。
「がくぽ何やってたんだよ、この傷結構深いよ」
「すまん……」
「うわ、ちょっと待て、がくぽに怒るな頼むから!」
 がくぽを責めるKAITOに、レンは慌てる。
 あの状況でがくぽにどうしろと言うのだ。もしがくぽに庇われていたりしたら、そっちの方が面倒なのだ。あそこを突破できる力を持っているのは、がくぽな のに。
 慌てたレンがおかしかったのか、KAITOはすぐに表情を崩した。この野郎。
「とにかく、すぐセンターの方で修理しないと。がくぽ、あんたは怪我な いの?」
「ああ、大丈夫だ」
 歌い始めてしばらくして警察がやってきたとき、すぐさまがくぽとレンは動いた。事前に側まで来ていたKAITOたちとは打ち合わせた。人間の耳には聞こえない音量で相談が出来ることはこんなときにも役に立つんだなと思う。
 だけど、銃弾相手に出来ることなんてない。正直レンの肩だけで済んだのは奇跡だと思う。レンもがくぽも、怪我は覚悟で走っていた。
「あ、2人とも乗って。センターまで送ってくれるって」
 銃声が聞こえなくなっていた。
 終わった、のだろうか。
 まだ数人の慌しい声も響いているが。
 それでもそれ以上そこに留まるわけにはいかず、レンはパトカーに乗り込む。動くとまた警報が響いた。
 ああ、うるさい。
「リンたちは? 置いてきたのか?」
「仕事よ。仕事になるかどうかわかんないけどね。大勢と居た方が安全でしょ」
「でも暗号解きには協力してくれたよ、ああいう発想は結構強いねミクもリ ンも」
 おれは全然わかんなかった、とKAITOが笑う。
 暗号。あの歌のことか。
「……あの歌って何かの隠し場所だったんだろ? わかったのか?」
「あ、知ってるの? そうそう。それでまあ……これだけの警察が動いてくれたわけで」
 助手席のKAITOが運転席の警官を見る。警官が少し苦笑いをした気がした。
「間に合って良かったわよ。待ち合わせ場所から結構移動させられたみたいね、がくぽ」
「ああ。……先に相談してから行けば良かったな」
 警察の協力を得てからなら、レンが怪我することもなかったのかもしれない。あまりにも結果論だと思うが。
「……何があったんだ?」
 レンの言葉に、KAITOたちは少し沈黙した。だがすぐ軽い口調で返す。
「麻薬」
「………そうか」
 あそこでレンと一緒に縛られ、倒れていた男は、それの隠し場所を誰かに伝えようとしていた、ということだろうか。あれががくぽの依頼人である確証はまだない がおそらく間違いはない。
「……なあ、おれが捕まってたとこに…怪我人が居るんだけど」
「怪我人?」
「っていうか多分、あそこ事務所みたいなもんだと思う。場所覚えてる」
 レンの言葉に反応したのは、警官の方だった。
 レンが大体の場所とビルの特徴を伝える。警官は、直ぐに無線でどこかへ連絡を始める。
 レンはそこでようやく一息ついた。
「ええと、お疲れレン。でもあんまり無茶しないように」
 KAITOがそんなレンを見て少し苦笑する。
「無茶って何だよ」
「そうよ、わざと捕まったわけじゃあるまいし」
「…………」
 MEIKOの言葉には、さすがに返事に詰まった。
 わざと捕まったわけではない。あの状況で逃げ出すのは難しかったと思う。だけど、銃を見るまで油断があったのは確かだ。いつでも逃げられる、と。
「こんな場所まで来たお主たちも人のことは言えんだろう」
「あ、何よ、私たちがあんたの歌聞いて場所突き止めたんだからね」
「ならばKAITOだけで十分だ」
「あんたら女を除け者にするのもいい加減にしなさいよ?」
 それがプログラムなのかもしれないけれど。
 レンもあのとき、ミクやリンを庇う形になったのも確かだった。
「……なあ、この怪我、すぐに直るかな?」
「無理」
「リンたちにばれるのは覚悟しなさい」
「ああ、レン、怒られるね多分。むしろ泣かれるね」
「……だよな」
 泣かないだろ、という突っ込みも何だか出てこない。そういう顔をされて、そういう気持ちにさせたら、それはもう泣かれたも一緒だ。
「ついでにがくぽもね」
「私もか?」
「そもそもあんたが危険な依頼受けたのが原因でしょうが!」
「むう……」
 こんなことにVOCALOIDを利用しようなんて考え自体が想定外だ。
 だけど、やはり油断なのだろう。
 痛みもない、力もある、格闘技術を持ったがくぽの。
「そうだな……。巻き込んで、すまん」
「そこだけじゃないの!」
 MEIKOの怒りは、もうちょっとちゃんと説明しないと駄目だろうなぁ。
 レンはぼんやり考える。
 肩からの警告は相変わらずうるさい。うるさすぎて、何も考えられなくなってきた。
 ちょっとスリープモードに入る…。
 発音できたかどうか怪しい呟きだけ残して、レンは目を閉じた。
 ああ、こんな状況はやっぱり二度とごめんだ。
 一度経験すれば、危機感というものも感じるようになるのかもしれない。


 

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