花1

「ある日ーおてんばーなーお姫さーまーお姫さーま♪」
 買い物袋を振り回しながらリンは自宅までの道をのんびり歩いていた。新しく出来たコンビニは散歩がてら立ち寄るのにはちょうどいい。普段は使わない、車も通れない道の風景は新鮮だった。人通りもほとんどなく、少し寂しい道もこれだけ天気が良いと気にならない。まだまだ太陽は高く、人間の子たちは学校に行ってる時間帯。
「お勉強なーんてー」
 上機嫌で歌っているとき、ふと感じる視線に気が付いた。何気なく目をやると、地面に座り込んだ男性──おじいさん、と言っていいだろうか──が、にこにことリンのことを見つめている。
 思わず歌が止まってしまったリンに、おじいさんが言った。
「お嬢ちゃん、歌が上手いね。せっかくだから、その歌、何かに生かしてみないかい?」
「ありがとー……って、え?」
 褒められることには慣れている。笑顔でお礼を述べたあと、男の続く言葉に首を傾げた。
 VOCALOIDということは知らないのだろう。芝居がかった口調は、商売文句のようで、少しまずいかなと思いつつも好奇心に負けてそちらに近づく。男は小さな、手のひらの上に乗ってしまうような鉢植えを、リンに向かって差し出した。
「わっ、何これ、可愛い!」
 よく見れば、小さな鉢には小さな芽。玩具みたいなサイズだが、しっかりと本物の植物が植わっている。リンの反応に気を良くしたのか、男は先ほどとは違った、素のような笑顔を見せる。あまり嫌な感じもしなかったので、リンはその鉢に手を伸ばした。
「それはね。いい歌を聞かせるといい成長をするんだよ」
「あ、聞いたことある。歌は植物にいいんだよね!」
 実際は振動がどうとか、曲の素晴らしさは関係ないとかいろいろレンが言ってた気がするが、とにかく、音楽が植物にいいらしいということしか覚えていない。だが、男はリンの言葉に小さく首を横に振った。
「これはただの植物じゃあない。本当に歌が好きな特別製だ。どうだい、嬢ちゃん、育ててみないかい?」
「えー……いくら?」
 最初の商売人のような口調から、ついそう聞いた。小さくて可愛いとは思ったが、枯らさず育てる自信があまりない。リンの部屋はレンと共同なので、文句を言いつつレンが面倒を見てくれる気もするが。
「いくら? お金なんていいよ。いい歌を歌える人に貰って欲しかったんだ」
 そう言って、男はリンの手を取るとその鉢植えをそのまま手の中に移す。思わず掴めばそのまま男の手は離れていった。
「毎日歌を聞かせてやるだけでいい。きっといい花が咲くと思うよ」
「へー……」
 何となく悪い気はしなくて、両手で持った鉢植えを見つめる。
 よし、貰おう、とリンが顔を上げると、既にその男はそこには居なかった。
「あ、あれ?」
 きょろきょろと辺りを見回す。そんなに長い間視線を逸らしていただろ うか。
 お礼ぐらい言わせてくれてもいいのに、と唇と尖らせる。
「ま、いっか」
 右手を上げてしっかりと鉢植えを持つ。手首にかけたコンビニの袋は左手でしっかりと持った。さすがに植物を振り回すわけにはいかない。
「とつぜーん暴れだーす、お姫さーまー、お姫さーま♪」
 歌の続きを歌いながら、リンは再び家に向かって歩き始めた。





「うーん……さすがに芽だけじゃわかんないわねー」
「写真撮っといて調べる? まあ、咲いてからのお楽しみって方がいいと思うけど」
「いいなーリンちゃん、ねえお姉ちゃん、私も欲しい!」
「ミク、ちゃんと枯らさず育てられるの?」
「歌を歌えばいいんでしょ? 出来るよ!」
「ホントにそれだけでどうするのよ。水もあげなきゃいけないし、雑草抜いたり肥料上げたり枝切ったりしなきゃいけないんじゃないの?」
「いや、こんな小さな奴でそこまで必要なのかな…」
 っていうか枝? とKAITOが呟く横で、レンがリンに目を向けて言う。
「リンはそれ出来んのかよ」
 全員の視線がリンに向いた。
 リビングのテーブル中央に置かれた小さな鉢植え。一度は部屋に置いていたが、全員が揃ったのでとりあえず持ってきてみた。自慢したい気持ちと、勿論相談のためだ。
「水やるくらいなら…でも、これどれくらい水あげればいいの? 凄い小さい し」
 下手に入れると水が溢れそうだった。鉢が小さいということは土の量も少な い。
「これ、大きくなったら植え替えとか要るのかな?」
「それも何の花か次第なのよねー」
 KAITOとMEIKOは現実的な問題について考えてくれているが、さすがに植物に関する知識はあまりないのか、答えが全て曖昧だ。
「ねー私も飼うー。ちゃんと育てるから!」
「植物はペットじゃないよ、ミク」
「リンと一緒に育てたらいいじゃない。2人で交代して世話したら?」
 MEIKOがそう言って鉢に手を伸ばす。リンは反射的にそれを奪い取っていた。ぎゅっ、と手の中に握り締めて自分の胸に押し付ける。
「駄目っ、これは私が貰ったんだから! 私の歌を聞かせろって言われたん だよ」
「別に誰でもいいだろうが。どうせお前一人でもすぐ枯ら」
「やってみなきゃわかんないでしょ! これ、私の部屋に置くからね!」
 リンはそれだけ言ってリビングを飛び出る。階段付近まで来てから足を止め、少し耳を澄ました。
「ねーやっぱり私の分も買ってー。ちゃんと歌って水あげるから!」
「はいはい、わかったわよ。KAITO、今日暇でしょ。付き合ってあげなさい」
「んー、花屋でいいのかな? この近くにはないなぁ」
「早く行こっ、お店仕舞っちゃう前に!」
 声が近づいてくるのがわかった。リンは慌てて階段を上る。ミクがKAITOの手を引いて外に向かっていた。
 ミクも、買うのか。
 リンは自分の手の中の鉢に目を落とす。
「あ? お前何やってんだよ」
 じっと見ていたら、いつの間にか目の前にレンが居た。部屋に戻るところなのだろう。リンは何でもない、と顔を背ける。
「ねー、レン」
「ん?」
「レンは絶対世話しちゃ駄目だからね」
「は?」
「ミク姉には負けないんだから!」
 階段を駆け上がる。
 早速一曲歌おう。一番得意な曲を。
 ミクもきっと芽の状態のものを買ってくる。絶対に、負けたくなかった。





 歌声は毎日響く。
 元々何もないときでもよく歌ってる兄弟だ。夜中はさすがに近所迷惑だから、と言っているが意識せず口をついて出ていることも多い。
 夕飯も終わった時間帯。2階から聞こえてくる歌にMEIKOとKAITOは自然と口を閉ざしていた。テレビもつけていない空間にリンの歌が響いてくる。
「……あれ、いつから歌ってるの」
「さあ? おれが帰ったときには聞こえてたよ」
 本を読んでいたMEIKOはちらりと顔を上げてKAITOを見る。KAITOはアイスを食べながら肩を竦めた。歌う上での疲労なんてない。歌い始めから全く調子の狂わない歌声では時間の経過なんて計りようがない。
 MEIKOがもう1度本に目を落としたとき、どたばたと階段を下りる足音が聞こえてきたが、それでも歌声は途切れなかった。
「お兄ちゃんお姉ちゃん! 咲いた! もう1個咲いたよ!」
 両腕に鉢を抱えてリビングへ入ってきたのはミク。つい先日ミクの育てていた植物は花開いた。もう一つつぼみがあると言っていたが、それが咲いていたよう だ。
「ミク、あんたいつ帰ってきたのよ」
「さっき! 今見に行ったら咲いてた!」
 仕事から帰って部屋に直行したらしい。歌に気をとられていて気付かなかったのだろうか。MEIKOたちの聴覚は、たまに音をとらえているはずなのにそれを意識に上らせないことがある。聞こえてくる音を全て判断していたら処理が追いつかないのかもしれないが。
「……聞こえたかな」
「え?」
 KAITOの言葉に振り向く。と、同時に気付いた。
 歌が、途切れている。
 ずっと歌い続けていたリンの声が。
 ミクもそれに気付いたのか、鉢をきちんと抱え直し振り返る。
「……リンちゃん歌終わった? じゃあ見せてくる!」
「ちょっと待ってミク」
「リンの花はまだ咲いてないのよ」
 ミクが両手に抱えた鉢植え。リンのものよりはるかに大きい。リンと同じサイズのものはさすがになかったのだ。
 それでも毎日歌って水をやって、順調に育った花はリンのものより先に咲いた。リンの花は、貰ったときからほとんど成長していない。
 全く違う種類の花だというのは見ればわかる。だから、成長に差があるのも当然だ。当然なのだけれど。
「負けたって思っちゃってるから。もー、歌がどうとか言い出すからよ」
「まあ歌のことがなければ育てるのに興味も持たなかっただろうけど」
 しばらくはそっとしておいた方がいいだろう。
 そう言うとミクはMEIKOの目を見つめたまま、しっかりと頷いた。
「わかった。リンちゃんの花が咲いたらいいよね?」
「まあ、せめて一晩よ。待ってたらそっちが枯れちゃうかもよ?」
「かなー。あっ、そうだお兄ちゃん! これ何の花だった?」
「え?」
 ミクがぱっと、視線をKAITOに切り替える。KAITOが戸惑ったような顔をしたあと、沈黙した。
「そういえば、何の花か調べてって言ってたわね」
「……咲けばわかるって言ったよね、お兄ちゃん」
 ミクの声が少し固くなる。KAITOの反応で予想がついたのだろう。
「………ごめん」
 KAITOが目を逸らした。
 やはり、忘れていたようだ。
「お兄ちゃん!」
「ごめん! いや、昨日は覚えてたんだけど、図書館行く暇なくて!」
「本屋でいいじゃん! もういいよ、私本屋行ってくる!」
「もう夜だよミク」
「だって知りたいんだもん」
 一度そうなってしまうと止められない。ミクが外へ向かおうとしたのを慌ててKAITOが追いかける。仕方なくMEIKOも立ち上がると玄関先から声が聞こえた。
「ただいまー」
「こんばんは」
 レンとがくぽ。
 仕事が一緒だった2人は、どうやら同時に帰ってきたようだった。
「お帰りなさいー。いらっしゃいー!」
「あ、お帰り。がくぽ、どうしたの?」
 とりあえず立ち止まって挨拶を返す2人。KAITOの言葉にがくぽが少しむっとした顔になった。
「レンを送ってきたのだ。こんな時間に子どもを歩かせるわけにいかんだろ う」
「いつものことなんだけどな…っていうかおれら、VOCALOIDだし」
「関係ない。はたから見れば十分子どもだ」
 強い目で言うがくぽにKAITOもレンも苦笑いだった。言っていることは正しいと思う。大体KAITOだって最初の内はちゃんと子どもたちに付いて歩いていたはずだ。レンが嫌がるから対応が面倒になったに過ぎない。
「ああ、じゃあちょうどいいや。がくぽ、ミクを本屋まで連れてってくれ る?」
「は?」
「え、いいの?」
 先ほどまで引きとめられていたミクが目を輝かせて言う。もうこの段階でがくぽは断れなくなったな、と後ろから見てMEIKOは苦笑する。
「がくぽと一緒ならいいよ。じゃ、がくぽお願い」
「……私の意見を聞く気はないんだな」
 一応がくぽが突っ込んだが、やはり断る気はなさそうだ。
 扉を開けて待つがくぽに、慌ててミクが靴を履いて外に出た。
「行ってきます! お兄ちゃん、本代お兄ちゃん持ちだからね!」
「ええ?」
 ばたん、と扉が閉められる。言い捨てていったミクに、MEIKOは思わず笑い出した。
「ま、約束忘れてたあんたが悪いわよ」
「だから図書館でいいのに……」
 KAITOが頭をかきながら戻ろうとしたとき、まだその場に留まっていたレンと目が合う。レンが首を傾げながらKAITOに問いかけた。
「兄ちゃん、今日何かあんの?」
「ん? 別に。仕事はもう終わったよ」
「じゃあ何で兄ちゃんが行かないんだよ」
 訝しげな視線のレンに、KAITOが答えようと口を開いたとき、また2階から歌が響き始めた。
「あ、リン」
「……リン、また歌ってるのか」
「最近張り切ってるわよねー」
「あんな歌で花が咲くかよ」
 突然低くなった声と、言い捨てるようなレンの言葉にさすがに驚く。
 レンはじっと2階を見つめると、そのまま台所へ入ってしまった。
「レンー?」
 レンの足音はそのままリビングへと向かう。部屋へ戻る気はさそうだ。MEIKOは思わずKAITOと顔を見合わせる。
「……行こっか」
 KAITOは少し苦笑して、階段を上り始めた。
 ミクについていかなかった理由は、MEIKOにはよくわかる。おそらく、同じことを考えているだろうから。


→次へ

 

戻る