花2

「リンー」
「リン、ちょっといい?」
 ちょうど一曲終わったところで、部屋の外から声が聞こえた。歌っている途中から足音が聞こえていたのには気付いていた。レンは上がってこなかったようなのに。何故MEIKOたちが来るのだろう。
「………リンー?」
 無視して次の曲を歌おうかとも思ったが、心配げな口調にさすがに口を閉じる。少し息を吐いて軽く自分の頬を叩いた。
 自分の顔が強張っているのはわかっている。もう止めなさいと絶対に言われ る。
 笑顔でいくか、真剣にいくか。
「リン、開けるよ」
 考えていると、KAITOの呑気な声と共にドアが開く音がした。
「ああああっもうっ!」
 相変わらずデリカシーというものがない!
 表情を考える暇もなかったリンは思わず大声を上げたあと、振り返って入ってきたKAITOをきっと睨む。KAITOが少し引いた後ろでMEIKOが苦笑いをしていた。
「あ、いや、返事ないからどうしたのかなーって」
 怒られる前に言い訳をするKAITOだが、そんなに時間が経ったとは思えない。リンは窓際から離れてドアへ向かう。KAITOはドアを開いただけで、中に入ってこようとはしなかった。
「今行くとこだったの! で、何よ!」
 ついついそのまま怒りの口調で話してしまう。しまった、この段階で歌を止めろと言われたら大きく反発するしかない。止めるつもりはないが、出来れば明るく返したかったのに。
「すぐ帰ってよ、私は歌うのに忙しいんだから!」
 返事のテンポが遅いせいでついつい言わなくていいことまで言ってしまう。
 だがそれを後悔する前にKAITOが言った。
「おれたちも歌っていい?」
「は?」
 予想外の言葉に思わず動きが止まる。ゆっくりとKAITOの背後のMEIKOに視線を移したが、MEIKOは何も言わなかった。これは予定通りの台詞らしい。
「歌うって……だ、駄目だってば! あれは私の歌で育てるんだから」
 レンにだって決して歌わせなかった。
 同じ部屋に居るものだから、練習のときですら部屋から追い出した。それはKAITOたちだって知ってるはずなのに。
「うん、花にじゃなくて、リンにね」
「……は?」
 にこにこ笑うKAITOはそのまま後ずさって廊下に出た。抑えていたドアからも手を離したため、ゆっくりと閉まり始める。
「ちょっ……」
 思わず前に出てそれを押さえた。
 外で待機するように並ぶ2人、仕方なくリンも廊下に出る。後ろ手にドアを閉め、そのままそこにもたれかかった。廊下はあまり広くない。正面のKAITOとMEIKOを少し見上げる体勢になる。
「いい?」
「……いい……けど」
 歌が嫌だなんて思うことはない。だけど、突然何だ。
 その疑問を口にする間もなく、KAITOとMEIKOが同時に歌い始めた。
 合図もなにもなく、ぴたりと揃う2人の歌声。子ども向けのようなメロディが優しく、暖かくて、何だか懐かしい。そういえば最近はこんな歌を聴くことはなかった。昔はよく歌ってくれた気がするのに。嬉しくなって自然笑顔になる。思わず口を開き、その歌に乗ろうとして……止める。綺麗に揃った歌を邪魔したくない。
 だけど目が合ったKAITOが、笑顔でリンに手を差し出した。MEIKOも誘うようにリンを見る。
 ちょうど、歌の切れ目。リンは少し躊躇ったあと結局一緒に歌い始める。
 子どもっぽく歌うと何だかぴったり合った。それがおかしくて更に子どもの声を作る。ちょうどそのとき、レンが階段を上がってきた。歌が気になったのだろう。
 リンは笑みを浮かべたままレンに向かって手を振る。一緒に歌おう、と多分言葉にしなくても伝わる。
 レンは少し驚いた顔をして、すぐに歌い始めた。リンと同じく子どもっぽい声。それがまた楽しい。
 歌が終わっても、リンはまだその余韻から逃れられない。
「ね、もう1回! もう1回歌おう! あ、ミク姉とがくぽ帰って来たら2人も一緒に!」
 がくぽは大人の声で。ミクは…ミクはどっちだろう。どうせならリンたちと一緒に子どもの声がいい。想像してにやにやしているとレンが呆れたようにリンをこずいてきた。
「わかったから、その顔でもう1回歌って来い」
「は?」
「花だよ。その歌なら咲くんじゃね」
 レンは何だか嬉しそうだった。
 言葉の意味を理解したリンは大きく頷いて部屋に飛び込む。
 歌いたくて仕方ない。
 楽しくて仕方ない。
 そういえば、今までどんな気持ちでこの花に歌ってたっけ。
 その答えが浮かぶ前に、リンは歌い始めていた。





「咲いた! 咲いてる! 咲いてるよね!」
「見ればわかるだろ」
 翌朝。
 リンの大声で目が覚めた。まだ少し外が薄暗い。一体何時なんだ、と思いつつ体を起こすと目の前にリンが鉢を突き出してきていた。
 見たまま突っ込めば、リンはそんなさめた口調にも満足げに頷いて手の上のそれを高くかざす。
「昨日の歌が良かったのかな?」
「は? いや………うん、かもな」
 歌のおかげで一晩で咲いたなんて。そんなわけないだろと突っ込みそうになったが、あまりに嬉しそうなリンに、結局レンはそれを肯定する。だが本当に、昨日まで葉もつけてなかったものが……何でこんなに綺麗に咲いているんだ。
 リンは嬉しそうに、また花に向かって小さな声で歌っている。その顔を見て少しほっとした。最近のリンは、ずっと必死で、焦っているように歌っていて、見ていて苦しかったから。
「お姉ちゃんたちもう起きてるかな? 今日朝から仕事だよね」
 早く見せに行きたいのだろう。うずうずしている様子のリンに、落ち着けとその腕を取る。
「いきなり萎んだりしないだろ」
「そうだけどさー。もーずっと咲かなかったんだもん。やっぱ楽しい歌が一番だよね」
「あー、振動とか関係あるなら何歌ったかも関係あるのかもな」
「また夢のないこと言うー」
 リンはにこにこと笑っている。レンの余計な突っ込みすらさらりと交わしてしまう。それはそれで少し面白くない。
「で? 結局勝負は負けたなのか?」
「もー、いいよ、どうでも。私の花の方が可愛いし!」
「負け認めてないだろ、それ」
「勝手に勝負してたの私だもん。ねーこの花さ、もっと成長すると思う?」
「花は、花つけたあとは枯れるだけなんじゃないか? つぼみも他にないし」
「歌ってたら枯れないかなー」
「少なくとも水やるの忘れたら枯れるな」
「あっ、そうだ、水やらなきゃ!」
 リンは歌のことは覚えているのに水はたまに忘れる。結局レンが突っ込んで水をやる、のがほとんど日課になっていた。世話は手伝うなと言われたのでしていないが、同じことのような気もする。
「……何の花なのかな、これ」
 水を取りに行ったリンを見送って花を見つめる。
 まるでリンの感情に共感するように綺麗に咲いた花。
「レンっ、ミク姉起きてた! 花持ってくよ!」
 ばたばたと部屋に帰ってきたリンが窓際に置いた鉢を持って行く。ベッドに座ったままだったレンは、そこでようやく立ち上がった。
「そういえばミク姉、昨日本買って来てたよな」
「うん。花の本でしょ?」
「それ見ればわかるかな」
 リンの手の中の花を見つめる。でも、答えは出さなくていいような気もする。リンはまるで気にしていない。
「リン」
「ん? 何?」
 階段を下りていたリンが振り向く。レンは少し躊躇ってから言った。
「……それ、もうおれも歌っていいのか?」
 リンは一瞬きょとんとしたあと、満面の笑みで頷く。
「うんっ、一緒に歌おう! もっと綺麗になるかもね」
 とんとん、と階段を駆け下りていくリン。
 そうなったらいいな、と素直に思った。


 

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