仲間

 小さなアパートの一室。ミクは食い入るようにテレビ画面を見つめていた。左手に持ったノートと、右手に握り締めた鉛筆の存在も既に頭の中にない。
 ブラウン管の中央で派手なライトを浴びながら踊る男。耳に響く心地よい歌声。
 音楽が終わりを迎えたとき、テレビの向こうの観客と一緒に、ミクは思わず拍手を送っていた。





「昨日見たー?」
「見た見た! かっこいいよねー。あの歌大好き!」
「ねー。あ〜私も歌いたいな、あれ。もうカラオケ入ってるっけ」
「まだだよ。だってCDもまだ出てないじゃん」
「あ、そっか」
「昨日歌詞だけでも書き写そうと思ったんだけどねー。見入ってたら忘れちゃっ た…」
 放課後の合唱部部室。
 ミクが残念そうにため息をついて、ミクらしいとリンが笑う。実はリンも同じことをしようとしていたのだが、そもそも速度が追いつかないだろうと諦めていた。隣でやりとりを聞いていたレンが呆れた顔でそれに返す。
「歌詞ぐらい聞いて覚えろよ。おれもうほとんど覚えてるぞ」
 机に腰掛けて、2人を見下ろすように言ったレンに、ミクが立ち上がった。
「え、ホントに? 歌って歌って!」
「えー、いつの間に覚えてんのー」
「いや、お前らだってサビぐらい覚えてるだろ」
「サビはまあ……ねぇ」
「歌おう歌おう!」
 顔を見合わせて、レンがサビの少し手前から声を出した。サビに合わせてリンとミクが続く。テレビを聞いていたときから思っていた。これは大勢で歌った方がより楽 しい。
 サビが終わればリンとミクの歌は段々歌詞が怪しくなり、尻すぼみに途切れる。ミクはしばらく「ららら」と適当に歌っていたが、やがてレンの歌を聴くためにか、口を閉じた。レンは視線を宙にやって、何かを思い出すように歌う。途中途中、妙な途切れがあっ た。
「あ、MEIKOさん!」
 聞き入っていたとき、いつの間にか入り口近くにMEIKOとKAITOが居たのをリンが発見する。声をかけなかったのは、歌の邪魔をしないようにだろう。それに気付く前にリンが呼びかけてしまい、レンの歌も止まってしまった。
「こんにちはー。それ、昨日テレビでやってたね」
「そうなの? 何か聞いたことはあるわ」
「MEIKOは台所で聞いてたと思う」
 隣同士に住んでいる2人だが、実際はほぼ同居状態だ。2人の会話を聞いて、何となく状況が想像できる。
「MEIKOさん、これ誰の歌か知ってる?」
 リンが近寄って意地悪げに問いかければMEIKOは拗ねたように口を尖らせた。
「知らないわよ。テレビはあんまり見ないからね。これでも受験生なんです」
「受験生が毎日部活来てていいのかよ」
 レンもからかうようにリンに乗る。MEIKOはそれにはさらっと答えた。
「わかった、じゃあ明日から来ない」
「ええ、ちょっと待って!」
「駄目だよ! レンくん何でそんなこと言うの!」
 ミクとリンから一斉に声が上がって、レンが不機嫌そうに顔を逸らした。全員がその態度に笑いあう。
「で、誰の歌なの」
 MEIKOがカバンを机の上に置き、KAITOはレンの側まで行ってその肩を叩いていた。リンはそちらには目をやらず、MEIKOに答える。
「神威がくぽ。ユニット名はがくっぽいど!」
「ユニット? 何人居るの」
「1人だよー。1人だけどユニット名があるの。みんながくぽって呼ぶけどね」
「見たことない? 長い紫の髪でね。侍みたいな格好して扇子と刀振りながら踊ってるの」
「……芸人じゃないのね?」
「まあ歌手もある意味芸人だけどねー」
 KAITOが笑って突っ込んでくる。そういえば、かっこいいから気にしなかったが、要素だけ説明するとお笑いに思えるかもしれない。
「歌は上手いよ。デビュー曲がさっきのだよね。おれも歌ってみたいけど、まだテレビでフル流れたことないよね。面白そうな曲なんだけどな」
「そうそう。でね、絶対みんなで歌う方がいい」
「MEIKOさん、CD発売されたらこれみんなでやろうよ」
 わいわい盛り上がるメンバーにMEIKOが苦笑して頷く。
「そこまで言われると私も気になるわね。ちゃんと聞いてみたいわ、一度」
「CDはいつ発売だったっけ」
「一週間後。おれ、もう予約してある」
「えええ、レンいつの間にー!」
「レンくんずるい」
「何でだよ。お前らも聞きたいならとっとと予約しとけよ」
 思ってる以上にレンはあの曲を気に入ってるようだった。お小遣いが少ないからCDなど滅多に買わないのに。まあレンが買うなら自分も聞けるからいっか、とリンは納得す る。
「じゃあ一週間聞けないのかな」
「CMでもやってるけど、タイミングわからないな」
「昨日が一番のチャンスだったもんねー。じゃあこの歌は一週間後ってことで!」
 ミクがそう締めると、そのまま足早に窓際まで向かっていく。
「じゃあ今日の部活を始めます! 発声練習するよー」
「はーい」
 ぞろぞろと窓際へ向かう。放課後の、いつもの光景だった。





「本気出して〜♪ 今から出して〜♪ 遠いあの……」
 元気に歌っていた声が途切れる。ミクが振り返ってリンとレンを見た。
 リンが首を傾げながら答える。
「光景じゃなかった?」
「違う、それはこの次、最初のは栄光だろ」
「あれぇ、そうだっけ……」
 部活が終われば、もう外は薄暗い。大声で歌いながら帰るミクに、いつもは声を抑えるよう注意しているはずのレンも一緒に乗っている。話題になっていたがくぽの歌。侍風と言ってた割に、歌は現代もののようだ。逆にそのギャップがいいのだろうか。見てみたいな、と思いつつMEIKOは3人の後を着いて歩く。隣のKAITOも楽しげにミクたちに合わせて歌を口ずさんでいた。
 この分だと、自分も近い内に覚えるだろう。
 全員で歌えば楽しそうだ。
 思わず顔がにやけたのを右手で抑えてKAITOたちから顔を逸らす。そのとき、後ろに妙な影が過ぎったのが見えた。
「……何?」
「ん? どうしたの?」
 MEIKOにあわせるようにKAITOが立ち止まる。騒いでいた前の3人も直ぐに気付いて、小走りに戻ってきた。
「どうしたの?」
「誰か居た?」
 MEIKOが背後の曲がり角を凝視しているのに気付いたのだろう。少し緊張気味にミクとリンが聞いてくる。聴覚機能に集中する。角に、誰か居る。
「……つけてたのかな」
「何なに。また誘拐犯じゃないでしょうね!」
「見てくる」
「って、ちょっと!」
 KAITOが普通にそちらに向かう。右手を上げたMEIKOだが、思い直してもう1度音に集中する。角に居る人物は動いていない。近づいているのに気付いているのかいないのか。先ほどの影が横切ったタイミングから言って、MEIKOの視線が向かった瞬間に隠れたのは間違いないと思う。ならば、様子見か…待ち伏せか。
 固唾を呑んでKAITOを見守る。KAITOが角を曲がった。
「…………」
 出てこない。
 しかし、揉めるような声が僅かに響いた。
「KAITOさん!」
 レンが飛び出した。MEIKOたちも続く。そのときはっきりと、KAITOのものではない男の声がした。
「あ、怪しいものではない! わ、私の名は」
「あーーーー!」
 角を曲がり、KAITOが腕を捕らえる人物の姿が目に映る。紫の長髪。侍のような和装。つい最近、どこかで聞いた。
「がくぽ!」
「ええええ、がくぽぉおお!?」
 ミクとリンの悲鳴のような大声が当たりに響き渡る。
「あああ、声がでかい!」
 がくぽが慌ててKAITOを振りきり2人の口を塞ごうとしたが、もう遅い。間違いなく、近所中に響いている。呆然とした様子のレンが呟いた。
「マジかよ……」
 がくぽは情けない顔をして項垂れた。





「はい、お茶」
「かたじけない」
 畳の上でかしこまって挨拶を返すがくぽ。MEIKOはがくぽが茶をすする様子を不思議そうに見ていた。がくぽの方が気になったのか、MEIKOを見返す。
「私の顔に何か付いているか?」
「いや……」
 軽く否定を返しながら、それでもMEIKOはがくぽから顔を逸らさない。
 慌ててあの場から離れて、一番近かったMEIKOの家まで向かう間は観察している暇もなかった。言われてしっかり顔を眺めると、よく整った顔立ちをしている。薄っすら化粧もしているか。街中で芸能人を見かけることはなくもないが、これはどう見てもプライベートの格好ではない。テレビの中から抜け出してきたかのような雰囲気に、自分は戸惑っているのだろう。
「ね、ねえねえ!」
 呆然とし過ぎて凝視することも出来なかったミクがだん、と机に手をついてがくぽに詰め寄る。がくぽが僅かに腰を引いた。
「ホントにがくぽさん!? テレビ出てるがくぽさんだよね?」
「ああ、そうだ」
「嘘ー! 信じられないー」
 目の前の現実を見ながらもリンが大げさに手を広げる。6畳間の部屋の中で中央のテーブルを囲むのはがくぽとミク、リン、レン。茶を出したMEIKOはがくぽの隣に、KAITOは少し離れたところでその様子を見ていた。
「本物なら何でこんなところにいるんだよ? しかもそんな格好で」
「仕方なかろう。これ以外の服がないのだ……」
 がくぽが少し裾を持ち上げてため息をついた。先ほどMEIKOも思った通り、まさにテレビの収録を抜け出してきたような格好。着替える間がなかったということだろうか。こんな格好では目立つだろうに、と疑問に思っているとそのままリンが直球で尋ねた。
「ひょっとして逃げてきたの? テレビが嫌になったとか……」
 後半で不安げな表情になったリンに、がくぽが慌てて首を横に振る。
「違う。テレビが嫌なのではない。だが、こうでもしないと外に出ることも許されないのだ。先ほどは取り乱してしまい、すまなかった。追っ手を漸く振り切ったところだったのでな」
「追っ手って」
「マネージャーとか?」
 不穏な言葉にKAITOの目が険しくなるが、リンが呑気に言った。
 がくぽはゆっくりと頷く。
「……そのようなものだ。とにかく今捕まるわけには行かなかったのだ」
「でもでも、お仕事してたんでしょ? お仕事抜けちゃったりしたら……がくぽさんの歌聞きたい人が……」
 ミクは言いながら段々と尻すぼみになっていく。それは自分のワガママだと思ったのだろうか。だが、がくぽは微笑んでミクに言う。
「私の歌を聞いてくれているのだな。ありがとう。確かに迷惑をかけている。だが、どうしても……一度だけでも、」
 そこでがくぽは唐突に言葉を途切らせた。強張った顔に何事かと思ったとき、外の騒がしい音にMEIKOは気付いた。MEIKOより更に聴覚の鋭いミクが、それより先に立ち上 がる。
「今、がくぽって聞こえた」
「え」
 ミクが玄関へと走る。MEIKOも後を追う。ミクは扉を開けようとして思いとどまったのか、そこで立ち止まって目を閉じていた。
「……男の人が2人。……がくぽを、探してる」
 ミクが振り返った。
「どうしよう。がくぽさん、連れ戻されたくないんだよね」
「……そうね」
 MEIKOの腕を取ってきたミクに何と返していいかわからず、そのまま2人は元の場所へと戻った。全員がMEIKOたちに問いかける視線を向けてくる。MEIKOは肩を竦めて言っ た。
「追っ手とやらがいたみたいよ。通り過ぎてったけどね。しばらくはこの辺を探してるかも」
 MEIKOはそこでがくぽに目をやる。じっと聞いていたがくぽは決意を固めたような目をしてずりずりと正座のまま後ろに下がる。そして突然土下座をした。
「ええええ」
「え、ちょ、ちょっとがくぽ…がくぽさん!」
「がくぽで良い! 頼む……頼む、一晩でいい。私を匿ってくれ!」
 頭を下げたまま、僅かに篭る声。それが震えているような気がして、MEIKOは開きかけた口を閉じた。
「何か事情あるみたいだね」
 KAITOの言葉が入るまで、誰も動けなかった。





 さて。
 KAITOは口の中で呟いて自分の部屋を見渡す。MEIKOの家は2階のある一軒家だがKAITOの家はアパートだ。隣、と言っても建物が隣接しているだけに過ぎない。台所の他には一部屋しかなく、そこにKAITOのベッドと机、テレビがある。大きなものはそれだけだ。タンスが必要なほどでもないので、服は押入れの中の衣装ケースに入っていた。MEIKOの家の中で話が決まって慌てて一人先に帰り片づけたものの、人を泊めるには不十分かもしれな い。どちらかは床で寝るはめになる。気分的にはがくぽにベッドに入ってもらいたいが、がくぽ自身が嫌がるような気はする。2人して床に寝るほどのスペースもない。アンドロイドとしては、人間の安眠を優先させたいが、そんなことを言うわけにもいかない。
 とりあえずKAITOはそこで思考を止め、後ろで不安そうにしてるがくぽを振り向 いた。
「とりあえず上がって。狭くてごめんね」
「いや、本当に泊めてもらえるだけでありがたい。初対面の人間に無茶を言ってすまなかった。何だかお主たちには同じ匂いを感じるのだ。先ほども私の歌が聞こえてきてつい後を……」
「同じ匂い?」
「やはり歌だろうか……」
 がくぽは問いに答える、というよりは呟くようにしてそう続けた。KAITOの家への泊まりが決まったあと、MEIKOの家でひとしきり歌をうたって盛り上がったところだ。さすがに高校生という身分上初対面の人間を巻き込んで夜中まで騒ぐわけにもいかない。ついでに、女性の居る家に泊めるわけにもいかないだろう。KAITOがMEIKOの家に一緒に泊まっても良かったが、それを思いついたのは既に解散した後だった。カップルとでも言っとけば楽だったのに。いや、それはそれで気を遣わせるかもしれないが。
「がくぽは歌が好き?」
「ああ。そのために生まれて……生まれてきたのだと思う。KAITOたちの歌も好きだ。あのように大勢で楽しく歌うのが夢だった」
「人と歌ったことはないの?」
「ない。私は常に一人だった」
 少し寂しげな笑み。そういえば、結局事情については何も聞けていない。一緒に歌うのが楽しかったのもあるが、あまり暗い話を持ち込みたくなかったのだ。第一聞いたところで……何が出来るのかもわからない。
「良ければまた歌おうよ。おれたちはいつでも歓迎するよ」
「気持ちはありがたいが……連れ戻されれば、もう2度とここには来れないと思う」
「…………」
 芸能人というのはそれほど厳しいものなのか。
 何故がくぽはそれに逆らえないのか。いや、今は逆らっている状態なのだろうが。何かやりたいことがあるだけで、いつまでも逃げるつもりでもなさそうだ。
 聞くに聞けず、結局KAITOは話題を変えるように明るい声を出した。
「まあ、とりあえず座ってよ、あ、そうだ、その服どうする? 明日どこかに行くんでしょ。その格好のままじゃ目立つよ。おれの服で良ければ貸すけど」
 言いながらKAITOは部屋の押入れを開けた。がくぽが戸惑うように部屋に入って隅っこにちょこんと座っている。がくぽの答えを待たずに服を適当に引っ張り出した。ぱっと見、あまり体型は変わらないようだから着れないことはないだろう。
 がくぽは何故か体を震わせて、また頭を下げた。
「何から何までかたじけない……! 私には何の礼も出来なくて、本当に」
「あー、もうそれはいいから」
 KAITOが軽く服を投げると、がくぽが慌てたように顔を上げた。
「お礼なら歌でいいよ。おれたちにはそれが一番」
 笑顔を向けると、がくぽもようやく表情を崩した。
 明日はちょうど休み。おそらく、朝からミクたちも来るだろう。やっぱり歌が聞きたい。
 ああ、ホントに歌馬鹿なんだなおれたちは、とKAITOは勝手に全員含めて一人頷い ていた。


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