確認するとき

「誰か来た?」
「来ない」
「誰か居る?」
「……居ないと思う、けど」
 ミクは目を閉じて聴覚に意識を集中する。人の気配、息遣いや衣擦れの音、は辺りからは聞こえてこなかった。もっとも、人通りは少ないとはいえ、車も通るし、側には人の住む住宅がある。完全に把握できているとは言い難い。少し向こうの家から聞こえる人の声は、ひょっとしたら家の外に居る誰かなのかもしれない。
「……ミクに聞こえないなら、おれたちも無理だな」
 聴覚機能は一番優秀だ。レンの言葉にリンも同意する。放課後の通学路。部活のない生徒はあらかた通りきったあとだった。レンのクラスメイトが話しかけられたのも、これぐらいの時間帯。
「……とりあえず誰か通らないことにはどうしようもないよね」
「でも、どっかで待機してるんじゃない? 大体似たような場所で声かけてるみたいだし、うろついてるのかも…」
 リンがぶつぶつと声に出して考えをまとめようとしている。
 レンは何となく、学校側へ振り返った。ここからは見えないが。
 アンドロイドを探しているらしい怪しい男。
 目的はさっぱりわからない。KAITOたちは心当たりがあるようだったが、はっきりしない。とにかく、相手の姿を確認して、出来ればその目的を探りたかった。もう一歩出来れば──自分たちには触れないようにと。自分たちは普通に過ごしているだけなのだからと。そう、言いたい。
「ちょっとレン、囮になってみる?」
「は? おれが?」
「あんた以外誰が居るのよ。学校帰りっぽく、向こうから歩いてみて!」
「……いや、だってこの辺にそいつ居ないんだろ? 歩いてたらいきなり出てくるわけじゃあるまいし」
「ひょっとしたらどこかで監視してるかもしれないじゃん! 何かこう、隠しカメラとか盗聴器とか!」
「……だったらおれらのこの会話も丸聞こえだったり、」
「レン」
 突然ミクがレンの口を押さえた。何だよ、と声にならない声で言う。ミクは真剣な顔で目を閉じた。つられるようにレンとリンも、目を閉じて集中する。目からの情報を遮断することで、聴覚機能はより強く発揮できる。
 お互い喋ってたりすれば、それに気付くのは遅れる。
 しまった。
 レンは目を開けた。
 目の前に男が立っていた。
「君はアンドロイドだね?」
 予定してたはずの言葉は、何も出てこなかった。



 逃げろ!
 レンは声に出さず頭の中で叫んで、すぐ側に居たリンの手を引く。ミクの手は上手くつかめず、その肩を軽く叩いただけに留まった。それでも、わかってくれたはずだと走る。すぐにリンが止まった。
「ミク!」
「ミク、来い!」
 男は目の前のミクではなくレンを見ている。
 そうだ、狙いはおれか。
 レンが思った瞬間、車の音が近づいてくるのが聞こえた。
「ミク、どうしたの」
 リンがミクの元へと駆け戻る。ミクは睨みつけるような目で男を見ていた。
「何で、アンドロイドを探してるんですか」
 直球。
 ミクらしいといえばミクらしかった。そうだ、そもそもそれを探りに来たの だ。
 だけど、危険だ。
 アンドロイドは、処分されるのだ。この世界にアンドロイドは居てはいけないのだ。
 何を考えてるんだ、とレンもミクの元に向かう。車がすぐ側で止まった。
「え……」
 思わず振り返ると、車から2人の男が出てくるのが見える。真っ直ぐに、レンに向かって。
「な……」
 何だよ、と言うより早く男の手がレンの腕を捕らえた。
「離せよ!」
「君はアンドロイドだね?」
「知るか! 離せ!」
 思い切り腕を振り回して男の手を払うが、すかさずもう1人の男が別の腕を取る。両側から押さえられて、腕を動かすことも出来なくなった。
「レン!」
「ちょっと何してるのよ!」
 ようやく事態に気付いたミクとリンがやってくる。最初に話しかけてきた男も、ゆっくりとレンたちの下へ向かってきた。
「君はアンドロイドだね?」
 同じことを、何度も繰り返される。レンは思い切り首を横に振った。
「違う!」
「……そうか」
 男が何やら目で合図をする。片側を押さえていた男の手が緩んだ。だけど、振りほどけるほどではない。
「な、」
「何すんの!」
 レンの位置からは見えなかった。男が、ナイフを片手に持っている。
 血が出なければ──ばれるのだ。
「レン!」
「離してくれませんか?」
 そのとき背後からかかった声にレンは目を見開いた。
 車の後ろから出てきた見慣れた長身。制服に、青いマフラー。
「KAITOさん……」
 今出てきてはまずいんじゃないのか、そもそも何でここに居るんだ。
 疑問の答えを考える暇もなく、KAITOがナイフを持った男の手を取った。
「君は……」
 茶色いコートの男が、お決まりの台詞を吐こうとしたのか、口を開き、そのまま止まった。
「KAITOさん!」
 KAITOが、男のナイフで自分の頬を切った。
 小さな傷。だけど、人間なら確実に血が滲む深さの。
「君は……」
「アンドロイドです」
 KAITOが静かに答えた。



 レンを掴んでいた男の手が離される。代わりに、KAITOが捕まるのが見えた。レンは呆然として、動くことが出来ない。
 最初に我に返ったのはミクだった。
「KAITOさん! 何…やってるんですか…!」
「……おれはアンドロイドだから。君たちと一緒には居られない」
 レンたちがアンドロイドであることをごまかすつもりか。
「何で! アンドロイドは捕まったら処分されちゃうんでしょ!」
 ミクは叫びながら、隣のリンの肩を掴んでいる。2人とも、震えていた。
「……処分はされないと思うよ。……そうですよね」
 KAITOは僅かに笑顔で男に向かう。男はいまだ呆気に取られていたが、その言葉にようやく少し笑った。
「……知っているみたいだな。ああ、悪いようにはしない。アンドロイドの本来の役目を思い出させてやる」
 本来の役目。
 本来の役目とは、何だ。
 レンは思う。
 かつてこの世界にはたくさんのアンドロイドが居たらしい。様々な職種で、人間と同じように──あるいは人間以上に働いていた。レンたちはボーカロイド。発売直後にアンドロイド一斉処分となり、実際に使われてはいないと聞いたことがある。ボーカロイドの役割は、歌うこと。人間の代わりに、人間のために、歌う こと。
「……歌うの?」
 ミクがぽつりと言った。KAITOはそれに苦笑いを返す。
「さあ。歌が求められてるとは…思えないけど」
「歌? そうか、お前ボーカロイドか。音楽機能なんざ何の役にも立たんのに…。男性型だな? 力はあるのか?」
「人よりは。詳しく説明しましょうか」
「ああ、あとでゆっくりして貰おう。車に乗れ」
 男二人に挟まれて、KAITOが車に向かう。抵抗する様子すらない。そこまで来て漸くレンの体が動いた。
「ちょ、ちょっと待てよ!」
「何だ。アンドロイドが手に入ったんだ、もう用はない。今日のことは忘れろ」
「手に入ったって……手に入ったって、KAITOさん、どうするつもりだよ!」
 処分はされないと言った。
 だけど、連れて行かれてしまうなら、レンたちにとっては一緒だ。もう会えない。男は何故かそれにいやらしく笑う。
「今五体満足でいるアンドロイドは高く売れる。君らは知らんかもしれんがな。アンドロイドの闇売買は都市伝説じゃないのさ」
 闇売買。
 そんなの、レンは初めて聞いた。ミクとリンも同様だろう。
「まして人間環境に馴染んでるならスパイとしてもやれるしな。おっと、これは本当に忘れておけ。ま、言っても誰も信じないが」
 男は楽しそうだった。アンドロイド一体手に入った。それが嬉しいのだ。
 レンは正確にそれを理解する。
 そして、怒りが沸いた。
 何故かはわからない。深く考えるより早く、レンは足を振り上げた。男を蹴る、いや、蹴り飛ばすつもりで。
「レン!」
「え……」
 レンは一瞬何が起こったかわからなかった。足にきた衝撃。思った以上に固い衝撃。それは…KAITOの腕。
「KAITO…さん…」
 突然割って入ってきたKAITOはレンの蹴りを受け止め、それを勢い良く跳ね返した。反動でレンが後ろに倒れかける。慌てて駆けつけたミクとリンに、受け止められた。
 レンは困惑している。
 KAITOも、困惑の表情を浮かべていた。
「何で…」
「それはこっちの台詞だよ。今…何をしようとした?」
「何をって……」
 いまだ戸惑っているレンに代わって、リンが叫んだ。
「そいつ蹴ろうとしたんでしょ! 当たり前じゃない! だって、こいつ、アンドロイドのこと、」
「アンドロイドは、」
 KAITOが冷たい声でそれを遮る。
「人間を傷つけちゃいけない」
 はっとした。
 それは、確かにそうだけど。でも人間同士だって、本当はそうだろ? でも傷つけあってるだろ?
 レンの中にぐるぐる回る疑問は口に出せない。KAITOは、心の底から不思議がっているようだった。
「おれたちアンドロイドは、人間に仕えるために居る。おれは…本来の役目を果たせるのなら、それでいい」
 目を見開いた。
 側に居たコートの男が満足げに笑う。それに、また怒りが沸いた。
「でも、歌えないんだろ!」
「……アンドロイドの使用法は、使用者が決めるんだよ。人間に仕えること、それが第一の役目でしょ」
 少し穏やかになったKAITOの目。
 レンの両肩に乗ったリンとミクの手がまた、震えている。レン自身も多分。怒りじゃない。これは多分──喪失感。
 KAITOは本気なんだ。
 本気で、ここから居なくなろうとしている。
 ついさっきまでは考えても居なかった展開に、頭の処理が追いつかない。
「いや……だ」
「ミク」
「嫌だ! 何で行っちゃうの! アンドロイドって何! 私は、人間に仕えたいなんて思ったことない! 私はボーカロイドだもん、歌えればそれでいい、だけど歌えなかったら嫌だ!」
「ミク!」
 KAITOの慌てた声に、レンもはっとした。
 コートの男が驚きの声を上げたのが聞こえる。
「君もアンドロイドか! まさかこんなところで2体も見つかるとは! いいぞ、女性型はいい、おい、お前ら2人もまさか」
 そこまできてようやくミクも、自分が何を言ったか気付いたようだ。レンたちの前に出て、レンたちを庇うように立つ。レンはそこでその隣に並んだ。
「そうだよ、アンドロイドだよ。でも人間に仕えたいなんてぜんっぜん思わねぇ。大体アンドロイド処分したの人間じゃないのかよ、勝手に要らないっつっといて、いきなり普通に暮らしてるアンドロイド拉致かよ、ふざけんな!」
 興奮のままに叫びきる。もうごまかすつもりなんてなかった。KAITOやミクに庇われて助かるなんて、ごめんだ。
 男は目をぱちくりとさせて、少し残念そうにため息をつく。
「何だ? 変な改造でもされてるのか? 面倒くさいな。だが4体…これだけいっぺんに手に入るのなら…」
 ぶつぶつ呟く男は、本当に、目の前の自分たちを商品としてしか見ていない。自分のものにできないとも思っていない。
 今度は怒りだ。間違いなく。
 レンが再び男に向かう。だけど、KAITOが立ち塞がる。
「……どけよ」
「駄目だ」
「何でだよ! 何でそんな奴庇うんだよ!」
「人間だからだ」
「悪い奴じゃないか! おれたち売ろうとしてんだぞ!」
「アンドロイドは商品だよ」
「っ……! おれは、商品じゃない!」
 もどかしい。何故通じないのかわからない。
 KAITOを見上げて叫び続けていたレンは、もう1人の存在には気付かなか った。
「がっ……!」
 男が短い悲鳴を上げて崩れ落ちる。KAITOが慌てて振り向いた。
 そこに居たのは──制服姿のMEIKOだった。


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