確認したとき

「MEIKO! 何やってるんだ」
 コートの男が倒れている。どれだけきつい一撃だったのか、ぴくりとも動かない。完全に気を失っているのだろう。
 KAITOが詰め寄ったとき、MEIKOはまずゆっくりと息を吐き出した。そしてきっ、とKAITOを睨み大きく息を吸い込む。
「それはこっちの台詞よ! 馬鹿だ馬鹿だとは思ってたけどここまで馬鹿だとは思わなかったわ!」
 突然の叫びに目を丸くする。MEIKOの背後にいる男たちも動けない。
 KAITOが少し表情を崩した。
「……ずっとこれを望んでたわけ?」
「……それがおれたちの存在意義だろ?」
 生まれてすぐさま存在を否定されて、逃げて逃げて逃げ続けて、出した 結論。
「おれは人間じゃない。人間になりたいとも思わない。人間と一緒に暮らす違和感は最初からずっとあったんだ。ただMEIKO、君が居たから、」
「……遠慮してたとでも言いたいの? 今はこの子たちが居るから、って?」
 MEIKOがゆっくりとKAITOに近づく。
「そこまで考えたなら! どうしてもう少し先まで行けないの。人間もアンドロイドもね、誰かの代わりなんて居ないのよ!」
 MEIKOの右手が上がったのが見えた。その先を追う暇もなく、ばちん、と大きな音が聞こえる。
「え……」
 呆気に取られてレンは呟く。KAITOが殴られた。背の高いKAITOに向かって、MEIKOは勢いよくその手を振り上げたのだ。
 KAITOは黙ってそれを受けた。だが、表情に変化はない。何事もなかったかのように、倒れた男に近づく抱え起こす。そのまま、まだ呆然と立っている男たちに向かった。
「待ちなさい!」
 コートの男を車の男が戸惑いつつ受け取る。車の中に運ばれるのまでは見えた。あとはKAITOに向かったMEIKOの影になる。
 MEIKOが振り上げた右手は、今度はKAITOに捕らえられた。ぎりっと互いの力がつりあって、動きが止まる。だけど、駄目だ。KAITOの方が強い。
 レンは飛び出した。ミクとリンも続いた。
 KAITOの腰に捕まる。ミクが左腕を、リンが右腕を取った。押さえられたKAITOと、MEIKOが対峙する。
「行かないでよKAITOさん!」
「何で何で何で! 私たちより、人間の方が大事なの!?」
 リンの声は泣いているように震えている。レンはKAITOの背に頭を押し付けて俯く。何も言えなかった。口を開けば、リンと同じような声しか出ないと思って。
 必死で押さえているとき、ふっとKAITOの力が抜けたのを感じる。
「……行かせてよ」
 ぽつりと、聞こえた声。
 レンの力が抜けた。
「KAITOさん……」
 KAITOは、本当にそれを望んでいるのか。
 それが、本来のアンドロイドなのか。
 KAITOが前へ進む。誰も、もう抑える力は出せなかった。
 MEIKOの横を通り過ぎたとき、黙っていたMEIKOがその背に振り向いた。
「……行かないでよ」
 今までに聞いたこともないような、弱々しい声。驚いたのは、レンたちだけではなかった。
 KAITOの足が止まる。
「……私たちの20年を、意味のないものなんて思わないでよ。楽しいことだってあったでしょ? 希望も期待もあったでしょ。そっちに行ったって、あなたが望むものはない、絶対にない!」
 最後の言葉は、はっきりと断言。
「そうだよ、今の何が不満なの、仲間と離れて歌も止めて、何が、何を、」
 ミクが言葉に迷う。
 リンが後を継いだ。
「何を望むの!」
 KAITOがようやく振り向いた。驚きと、戸惑いの表情で。
「……おれは……」
「今、何を思ってる?」
 レンからはMEIKOの後ろ姿しか見えない。そのMEIKOの前に居るKAITOは、頭一つ分背が高くて、その表情がよく見える。
「アンドロイドの存在意義とか、生きる目的とか、そんなことどうでもいいのよ。今のあなたの正直な気持ちを教えてよ。あなた、私たちと一緒に居たくないの? 歌いたくないの!」
 MEIKOの震える声は聞きたくなかった。レンは無意識に睨みつけるような視線をKAITOに向ける。今、無性に歌いたいと思った。
 そうしたら、このざわついた気持ちが落ち着く気がする。
「何をしている! いいから全員連れてこい!」
 そのとき、車の中から声があがった。コートの男。目が覚めたのか。
 車の前に居た男たちが、はっとしたように動き出す。目の前のKAITOを通り過ぎて──MEIKOへ。
 KAITOは放っておいても来ると。そういうことだろう。
 男たちがポケットから何かを取り出した。一瞬スタンガンに見えた。その先からばちっと火花が散る。それが、MEIKOに振り上げられた。
 危ない!
 それが何かもわからず、そう思う。
 だが、それがMEIKOに振り下ろされる前に、その腕を掴む者が居た。
「な……何を……がっ!」
 男の言葉は途中で途切れた。投げ飛ばされたのだ。KAITOに。車にぶつかった男が、腕を押さえて呻く。
「お、お前……」
 もう一人の男の目に恐怖が浮かぶ。KAITOが一瞬それに悲しげな目をして、自分の手を見下ろした。
「……KAITO」
「……わかったよ」
「?」
「……人間と一緒にはいられない。こんな、危険な、」
「違うよ!」
 レンとミクとリンと、3人がKAITOの前に出た。多分、同時に思った。
 わかった。
 遠慮はいらない、と。
「MEIKOさん助けようとしたんだろ? さっきだって…迷ってたんだろ、行くかどうか!」
「それが正直な気持ちなんでしょ!」
 KAITOは目をぱちくりさせて、順番にレンたちを見る。最後に、MEIKOと目を合わせた。
「……そうなのかな」
 呟きに、MEIKOが呆れたため息をついた。
「考えなさい」
「え」
「答えは教えてあげない。……今の世にアンドロイドも何もないのよ。人間がそれを認めてないから、混乱してるだけ。同じようにこの世を生きてる。……人間と一緒よ」
 それは答えなんじゃないだろうか。
 見上げたレンの目線に、MEIKOは少し照れたように笑った。
「……私もあんたたちに会わなかったら、考えなかったかもしれないけどね。アンドロイドであることを隠し続けるのが、辛かったんだって、気付かなかったかもしれない。アンドロイドとして扱って欲しいと…多分思ってた。なのに、人間になりたいんだと思ってた。アンドロイドとして、人間と同じように生きることが…楽しいと思いもしなかったのよ」
 新鮮な考えをいっぱいもらった。生きることの楽しさを知った。
 そう言うMEIKOは、それでも少し寂しげにKAITOに目をやった。
「あんたも一緒だと思ってたんだけどね」
 KAITOが目を伏せる。一歩、前に進んだのはミクだった。
「……帰ろう。また明日、歌おうよ」
 ミクがKAITOの右手を取る。KAITOはその手をみつめ、ゆっくりと男たちの方を見た。
「……おれは、人間を傷つけることできたんだ」
 男たちがびくっと体を震わせる。
「……そうよ。そんなのプログラムじゃない。今まであんたは、あんたの意思で人間を傷つけなかった」
「……アンドロイドとして、人間に仕えれば幸せになれると思ってた」
「残念ながらそんなプログラムもない。あんたはもう、幸せを知ってたは ずよ」
「………うん」
 KAITOが、ようやく少し笑顔を見せた。そして、まだ動けないでいる男たちに軽く頭を下げる。
「すみません、やっぱりおれは、こっちの方がいい。だから……行けません」
 男たちの返答はない。
「これが多分、正直な気持ちです。何でこんな風に思うのかわからないけど…人間みたいでいいですね」
 KAITOは笑って、男たちに背を向けた。いまだKAITOの手を握ったままだったミクに目を向ける。その手を、ぎゅっと握り返して言った。
「帰ろうか」
「………うん!」
 肩の力が自然と抜ける。
 ほっとした。
 多分、そういうことなんだろうと思う。





「うーん……」
「あー! レンが勉強してる!」
「ええええっ、レンどうしたのっ!」
 部室で。
 本を読むレンにミクとリンは失礼な悲鳴を上げた。レンは一瞬その本を投げつけかけて──思い直して本を側に置き、カバンをミクとリンの間に向かって投げた。リンがそれを受け取る。
「うるせえっ! お前らも少しは勉強しろ!」
「何よー、いきなり、何に目覚めちゃってんの?」
 リンがカバンを抱えてレンの側まで来る。机に置いた本を見て、あ、と声を上げた。
「……アンドロイドの」
「本。図書館だとあんまないけど」
「でもそういうのってホントのこと書いてないって聞いたよ?」
 あとから覗き込んだミクの言葉にレンは大げさに頷く。
「だけど、みんなそれを信じてるんだろ? 大体おれら、知らな過ぎるんだよ、世間がアンドロイドをどう思ってるか、とか」
「知らないことで救われることもあるけどね」
「え」
 MEIKOとKAITOが入ってきた。KAITOが珍しくマフラーをしていない。何だか妙に違和感がある。MEIKOがレンの側にあった本を手に取った。
 しばらくじっと眺めて、中をぱらぱらとめくる。そのままレンの机とは別の場所にそれを置いた。
「さ、歌いましょうか」
「え、あれ?」
「はいはーい、馬鹿は考えるだけ無駄ってことー」
「違うだろ!」
「あ、今日ね、これ歌いたい!」
 ミクがカバンから楽譜を漁っている。そのときふと、KAITOがいまだ入り口に突っ立ったままなのに気が付いた。
「何やってんの? 早く入れよ」
「あ、うん……」
 KAITOはそう言うが、入っては来ない。全員が何となくKAITOに注目した。
 一瞬静まり返る室内。
 KAITOはそれを待っていたかのように、注目のあと言った。
「ごめん」
「あ?」
「……何が」
「……昨日のこと。心配させたみたいだし」
「みたいじゃねーよ」
「私、生まれて初めて泣くかと思ったよ?」
「涙でないけどねー」
 一斉に責められてKAITOが苦笑いを向ける。そして、ようやく中へと入って きた。
「誘いがあったら最初から行くつもりだったのかよ」
「うーん…チャンスだ、とは思ったかな。ずっと今の自分たちの方が間違ってると思ってたし。……まあ、あんまり深く考えてなかったんだけど」
「馬鹿」
「馬鹿」
「馬鹿」
 3人それぞれに言われて、KAITOが情けない顔になる。助けを求めるようにMEIKOを見た。注目されたMEIKOが言う。
「……ごめんね」
「へっ?」
「ええ、何で?」
「MEIKOさん!?」
 何故か謝ったMEIKOに驚きの声を上げる。KAITOは目を見開いて、声も出ないようだった。
「KAITOは何でも結構受け流しちゃうけど、私は感情が激しい方だから。KAITOは私を見て思ったのよ、今のままじゃ幸せじゃないって。そんなもの、他人が決めるものじゃないのにね」
「……そうなんだ?」
「……あんたはもうちょっと自分自身について考えるといいわ」
 MEIKOの声は優しかった。
 KAITOも、みんなも、それで笑顔になる。
「さあ、発声練習から行きましょうか」
 みんなで窓に向かう。外に向かって、発声練習。ボーカロイドには、あまり必要なことではないけれど。
 楽しければ、それでいい。


 

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