歌いたくない理由がある

 放課後。どこからか響いてくる歌声に足を止める生徒がいる。耳を澄ます生徒がいる。そんなことも知らず、ミクたちはただ歌い続ける。自分たちの声が、歌が、日々上達していっているのを感じる。なのにミクは、一曲終わったときその唇をかみしめた。
「ミク……」
「なんで……」
 目の前の椅子に座っているMEIKOが目を逸らす。言いたいことはわかってるらし い。
 悔しくて仕方なかった。
 コンクールまではもう残り一週間を切っている。なのにメンバーは集まらない。申込はしているがこのままだと…出場辞退するしかないのだ。こんなに上手く歌えるのに。
 言葉に詰まったミクをじっと見ていたリンが、前に出た。MEIKOが一瞬体を引く。だがリンが向かったのはMEIKOではなく…。
「KAITO先輩っ!」
 直ぐ側で机の上に座っているKAITOだった。MEIKOの彼氏、とリンは言っていた。実際何も言ってないのにKAITOはずっと練習に付き合っている。たまにされるアドバイスは的確で、ミクはそれについては気にしなかったが。
「………何」
 リンの様子を伺いながら、KAITOが慎重に答える。リンは楽譜をばっ、とその目の前に突き出した。
「歌ってください」
「ええ?」
「歌ってください。あれだけ言えるんだから歌えるでしょ?」
 優しい口調でさりげなく厳しいKAITOの指摘。それを指してるらしい。KAITOは困ったように頬をかく。
「……指導と実践は別物っていうか」
「歌えないんですか?」
「…………」
 KAITOが黙った。目に迷いがあるのがわかる。何に迷ってるのかと思ったが、やがてKAITOはきっぱりと言った。
「うん。歌えない」
「………」
「聞かせられる歌じゃないよ」
 そう言ってKAITOは笑った。苦笑いのような笑み。嘘だ、とミクは直感で思う。それは隣に居るレンも同じようだった。
「参考にならなくてもいいよ。歌ってくれよ」
「……変な歌聞いちゃうと自分の音程が狂うよ」
「おれたちなめてんのか?」
「…………」
 レンは強い口調で言い切る。KAITOたちがあまり気にしなかったせいか、レンは数日で敬語をやめていた。先輩に対する言葉じゃないと思うがミクは何も言わない。気持ち的には同意だった。
「ごめん、そんなつもりじゃないんだけど」
 KAITOが目を逸らす。何とか話題を終わらせようとしている。歌いたくない。その態度はここ数日のMEIKOと同じ。ミクにはどうしてもそれが理解できない。「人前では嫌」「下手だから恥ずかしい」そんな友人たちの言葉はまだわかったのに。上手いはずなのに、人前で歌ったこともあるはずなのに二人は拒絶している。ミクはそのときふと思いついたことをほとんど無意識に口にしていた。
「……カラオケ行こう」
「は?」
「え?」
「何?」
 全員が一斉にミクを見る。唐突な言葉に意味が理解できない、という顔だった。ミクも自分で言って驚いて、それでもさすがに真っ先に我に返る。
「カラオケ! 思い出した、サービス券明日までなんだ!」
 これは本当だった。友人から貰ったものだが日付はしっかり覚えている。いつか使おうと思っていたから。
「……悪いけど」
「うん、行こう!」
 断りかけたMEIKOの言葉を遮ってリンが言う。そして目の前のKAITOの手を取 った。
「え」
「カラオケならいーじゃん、3人で行くと高いから! 先輩もワリカン!」
「……いや、あの」
 リンが引っ張った反動でKAITOが机から降りる。リンはそのまま手を緩めずにKAITOを引っ張っていった。
「ちょ、ちょっと待ってリン」
 KAITOが教室出口で扉に手をかけて止まる。さすがにリンも進めなくなった。それでもKAITOは無理矢理手を振りほどくことはしなかったが。
「駄目です。MEIKO先輩。KAITO先輩お借りします!」
「えええええー」
 困ったような顔でKAITOがMEIKOを見る。ミクもこうなったら乗るかと後ろからKAITOの背中を押した。レンもやってくる。3人がかりで教室から引き出してるとMEIKOが立ち上がった。全員がMEIKOを見る。
「……行ってらっしゃい」
「ちょっと、MEIKOー!」
 MEIKOは淡々とした表情でそう言うとカバンを手に教室の後ろから出て行った。さすがに呆然とする。
「あ、あれ……? まずかった……?」
 怒らせてしまったのだろうか。ミクが慌ててるとレンが飛び出した。MEIKOの後を追う。自然リンもミクもKAITOも、そのまま教室を出て追うこととなった。





「MEIKOさんの家、こっちなんですか?」
「そうよ。もうすぐあなたたちとは分かれるから」
「ちょっとぐらい寄り道とか」
「しない」
 MEIKOの声が冷たい。指導のときも厳しいが、こんなに冷めた声は初めて聞いた。ミクはないはずの心臓がどくどく高鳴っているように感じる。何か、まずいことをしてしまった感じがした。
 それでもKAITOだけは逃がすまいとリンとミク二人してKAITOを挟んで歩いているのだが。
 レンはそれより少し後ろに居た。
 何も言わないが足音で付いてきているのはわかる。
 ……カラオケなら。
 友達もみんな楽しく付き合ってくれるのに。
 それが頭の中を過ぎったからこその発言だった。多分そういう問題ではないだろうこともわかっていたが。
 早足で歩くMEIKOをミクたちも早足で追いかける。途中で、KAITOの体に少し力が入った気がした。慌てて掴んだ右手に力をこめる。もうすぐ、分かれ道なのかもしれない。逃げようとしていると感じてミクは軽く睨みつける。苦笑いのKAITOと目が合 った。
 信号。横断歩道。曲がり角。
 前を見たミクの目に入る景色。
 ミクたちはこのまま真っ直ぐ進む。分かれ道は、ここか。
 そう思ったときのことだった。車が猛スピードでミクたちの進む道に入ってくる。歩道もない、車一台でいっぱいの道。信号ギリギリだったのは見ていればわかった。危ないなぁ、と思っているとそのまま先頭のMEIKOめがけて車が走る。
「あっ!」
 思わず声が出たが、車も慌てたようにブレーキをかけハンドルを切った。MEIKOを避けて車が進む。その瞬間ミクの体もいつの間にか壁の端にあった。KAITOを掴んでいたはずの右手が宙を浮く。振り払って壁側に寄せてくれたのだと気付くより早くリンの叫びが聞こえた。
「レン!」
 その声の響きにただならぬものを感じてミクも振り向く。MEIKOを避け、ミクたちもどうにか回避した車はそれでも止まらず……逃げ場のないレンに向かう。空気を切り裂くようなブレーキ音。間に合わない!
 思わず目を瞑ったミクはその後聞こえた衝突音に悲鳴を漏らす。レンは、ボーカロイドだ。だから死にはしない。だけど、あんなものが当たったら……。
「大丈夫か?」
 震えていたミクに届いてきた言葉はびっくりするほど落ち着いていた。腕を引っ張られる感覚。ゆっくり目を開けるとリンだった。リンが、ミクの腕を握り呆然とレンたちを見ている。
 レンたち。
 ミクはその光景に目を疑った。
 壁際に座り込んでいるレン。見上げるその視線の先にKAITO。そして車は…そのKAITOに抑えられるようにしてそこにあった。前面が凹んでいる。ブレーキの効果か、それほどの衝撃ではなかったらしい。それでも、人間にぶつかって無事でいられるはずがない。人間に、止められるはずがない。
「KAITO!」
 ミクたちの隣を横切ってMEIKOが駆けつける。KAITOは何も言わず車の運転席の方に目をやった。運転手はハンドルを握り締めたまま固まっている。怪我はないようだった。
「……アンド……ロイド?」
 レンの呟きにミクたちははっとする。MEIKOとKAITOは顔を見合わせたあと、目を伏せ気味に言った。
「……ごめんね」
「怪我なかった?」
 謝罪と、心配の言葉。
 気付けばリンに引っ張られるようにしてミクもそちらに向かっている。
「アンドロイドなのかよ!」
 レンがようやく立ち上がった。責めるような口調のせいか、二人は少し悲しそうな目をしてそんなレンを見る。
「そうよ。これでわかったでしょ。私たちは歌えない」
 MEIKOも、そうなんだ。
 ミクがようやく3人の目の前に立つ。リンはそこで手を放してレンの方に駆け寄った。
「大丈夫なの?」
「おれは大丈夫だよ、それより」
 レンが強い目で二人を睨む。そんな目をしちゃ駄目だ。ミクは慌ててその間に入り込んだ。
「待って、レン待って、ちょっと待ってください」
 後半はMEIKOたちへ。何を待つのかわからないが、このままではいけない気が した。
「……アンドロイド、なんですよね」
「そう言ってるでしょ」
「ひょっとして……ボーカロイド……ですか?」
 おそるおそる言った言葉に二人が目を見開く。心底、驚いているようだった。
「……ボーカロイドを知ってるの?」
 今度はミクがリンたちと顔を見合わせた。そしてはっきりと頷く。
「はい」
「私、」
「お、おれ」
「私たちボーカロイドですから」
 3人の声がそれぞれに重なった。





「マジで?」
「マジで。いや、噂だけど。でも実際にあるらしいよ?」
 放課後。音楽室の真ん中で熱弁を振るう女子高生。何人かは興味なさげに目をそらし、何人かが食いつく。聞かれるよりも前にその女子が言った。
「そもそもね。むかーしアンドロイドが全部処分されたって言うけど。実際の生産量と処分された数って全っ然あわなかったらしいよ」
「ええー」
「それを誤差の範囲、で切り捨てたんだって。でも実は何万単位だったとか実は政府は今でも裏でアンドロイド利用してるとか」
「……都市伝説じゃないのー?」
 黙っていた一人も口を挟む。気付けば全員がその話に耳を傾けていた。
「でも実際あったんだって! アンドロイドが、人間に紛れて暮らしてるっていうの」
「うわぁ怖ーい」
「ほら、あなたの隣にもアンドロイドが…」
「やめてよー」
 低い声で迫る女子をみんなが笑いながらかわす。
 それを冷めた目で見ていた少女が言った。
「馬鹿らしい。アンドロイドが処分されたのなんて私たちが生まれる前でしょ? 見つかったことあるならニュースになるでしょ」
「だからー。マスコミも隠すんだって! 目撃者とかも口止めされるらしいよ。だってそんなの知れたら大パニックじゃん」
 話を振った少女は随分興奮している。誰かに言いたくて仕方なかったのだろう。何度もそこにいる全員を見回す。
「そういうの見分ける方法ってないの?」
 初めは面白がってるだけだった少女も少し真剣になり始めた。聞かれて肩をすくめる。
「一番簡単なのは傷つけること。血が出なかったらアンドロイド。実際それでばれることが多いって」
「……本当の話なの?」
「ネットで話見るけど…私は本当だと思う」
 部屋の中の空気が変わる。全員で何となく顔を見合わせあう。
「それはでも……なかなか試せないよね」
「まあねー。人間だったら怪我しちゃうわけだし」
 少女は右手をかざしていった。光に透ける血管。血の色を見ている。
「あ、あともう一つ」
「何?」
 少女は一人一人、少し気にするようにその場の全員を眺めて言った。
「成績トップとか。スポーツトップとか。何かで賞を取ったとか。そういうのも疑われるらしいよ」
「ええー。何それ」
「だって機械だし。暗記なんかお手の物じゃん」
 力だって人間の数倍に設定されてたりするし。
「うわーいいなー」
 少女の一人が素直な感想を吐く。
 羨ましがるとこなの?
 誰かが突っ込んで部屋は笑いに包まれた。
 そこへ、誰かが駆け込んできた。
「みんな……!」
 部員の一人。こわばった顔と悲鳴じみた声に全員が緊張する。何があったと聞く前にその部員が叫んだ。
「MEIKOがっ……」
 部員の名前を挙げられて不安げな眼差しで一人一人、立ち上がった。



「……騙してたんだ」
「……ごめんなさい」
「……あんなに歌が上手いのも……機械だからなんだっ……」
「……………」
「私たち、一生懸命練習して…それでもあんたに敵わなくて…凄い、練習してるんだろうなって思ったのに……!」
「…………」
「……MEIKOは勉強もスポーツも出来るもんね。機械の力なのに。そういうのひけらかしちゃうんだ」
「私は…」
「すっごい……悔しい」
「……………」
「……………」
「……………」
「……それに……怖い」
「……………」
「……………」
「……………」
「……………むかつく」
 少女の言葉は、それ以上続かなかった。


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