止められない理由がある

「…………………」
 言葉が出ない。
 MEIKOの語ったかつての出来事。MEIKOの顔には何の感情も浮かんでないように見えた。ただ淡々と、他人事のように話している。これはきっと、警告なのだろう。
 自分に同情して欲しいわけでも共感して欲しいわけでも、多分ない。
 ミクたちにもこういうことが起こりうると。そう言っているのだ。
 その後扉が開く音が聞こえてくるまでソファに並んだミクたちは動けなかった。声も出せなかった。
「……話、終わったみたいだね」
 部屋に入ってきたのはKAITO。あのあと結局全員でMEIKOの家にやってきた。KAITOは車を止めたときにどこか壊れたらしく、先に修理に行くと言っていた。良く見れば右手に包帯のようなものを巻いている。ミクの視線に気付いたのか、KAITOが右手を挙げた。
「包帯は怪我してるって合図にはいいよ。肌が破れてる場合隠さなきゃならないしね」
「……どうだったの」
「今すぐには無理だね。どっかの回線切れたみたいだ。指が動かない」
 KAITOは気軽に言う。さすがに助けてもらった立場のレンがそれに反応した。
「だ、大丈夫…なんですか」
 珍しく敬語で。KAITOはレンに目をやると、少し笑った。
「うん。痛覚センサーは一時的に切ってあるから痛くもないし。明日には直 ってる」
「そ、そうですか…」
「あなたたち、何年生まれ?」
「え?」
「……知らないことが随分多いみたいね」
「あ……」
「はい…」
 ミクとリンが顔を見合わせた。レンはまだKAITOたちを見ている。
「……ちょうど、5年前です」
「は……?」
 MEIKOが驚いたような声をあげる。驚いたというより、今聞こえた言葉を疑ってるかのように。
「……処分後に生み出されたアンドロイドか…」
「……ホントに居るなんて思ってなかったわ」
 KAITOがMEIKOの隣に座る。3人と2人で、向かい合う形になった。
「MEIKOさんたちはその前…なんですか?」
「まあね。処分が始まる1年前。私たちはかなり人間に近く作られてたから逃げ続けて何とか助かったわ」
 確かに。現在はそういうアンドロイドしか残ってないとは聞く。見た目や言動でわかってしまうアンドロイドは真っ先に処分されたはずだ。
 ミクたちにとってはそれは遠い昔の出来事なのだけど。
「私たちは……学校に…行き始めたのも去年からで…」
 危機感が足りなかったのか。
 自分たちのマスターは確かに何度も教えてくれていたのに。
「でもさ」
 ミクが項垂れながら言い始めた言葉をリンは遮り、きっぱりとMEIKOたちを見て言う。
「そんなの、ただの嫉妬じゃん」
「リン……!」
「私たちにだって出来ることと出来ないことはあるし。出来ないことはちゃんと努力してるし。むしろ物によっては…どんなに努力したって私たちには出来ないことだってあるし…」
「例えば?」
「……胸を大きくするとか」
「……それ人間でも自由にはならないと思うけど」
 レンの言葉に僅かに考えて答えたリンに、KAITOが笑顔のまま答える。場が和んでいるのかいないのか、微妙な空気だった。
「あと…ダイエットとかっ!」
「あー…」
 確かにそうだ。
 私たちの体を構成するパーツは、どうやったって取り除くことなんて出来ない。ミクも、体を軽くしようとするなら髪を切るぐらいしか方法はないだろう。
 思わず納得していると気付けばMEIKOも少し笑っていた。
「水泳も出来ないわね」
「あ、出来ない!」
「髪を伸ばすことだって」
 MEIKOが自分の髪に触れる。全員で大きく頷いた。
「……だからさ、気にすることないじゃん」
「気にしてるのはMEIKOじゃないよ」
 穏やかになりかけた空気に入ったKAITOの声はどこか冷たく感じた。
「人間には…特に今の若い子たちは…わからないと思うよ。実際にアンドロイドに接してないし。君たちももうやめた方がいい」
 傷付く前に。
 最後の言葉は小さく、聞き逃してしまいそうだったけれど、ミクの耳にはそれが一番強く響いた。MEIKOは、傷ついたんだ。多分、KAITOも。
「何で……」
 リンはまだ食い下がる。
「私たち、ボーカロイドなのに。歌えなかったら…歌わなかったら何の意味があるの!」
 歌うことをやめたMEIKOたち。目立たないよう大人しく。そんな人生……嫌だ。
 ミクも思わず立ち上がっていた。
「私、止めない。ちゃんと成長してるのに。みんなに聞いてもらうために歌うのに!」
「そうだよ、おれもそうだ」
 レンが立ち上がった。
「おれはあんたらみたいな経験ないしさ。嫌われるかもしんない、なんて理由だけで歌うことは止められない」
 学校追い出されたら、またそこで歌う!
 レンの宣言は、本当に何も知らない子どもだという気はしたけど。ミクはそれに頷いた。リンも、頷いた。
「……おれたちは勝手に歌う。メンバーは何とかしてやる。絶対歌って賞取ってやる。それはおれたちの力だろ!」
 淡々と言ってたはずのレンが段々興奮してきたのか後半は叫ぶように言い切った。部屋を出て行くレンをミクも追う。リンもそのあとを追って、一度だけ振り向 いた。
「さっき……レンを助けてくれてありがとうございます。……いざってときは、そうなんですよね?」
 嫌われるよりも怖がられるよりも。
 目の前で人が、友達が傷つくことの方がきっと怖い。
 ミクは背後からのリンの言葉を聞いて、そう思った。





 晴れ渡った空。風は少し強いが日の光は強く、ここ数日では過ごしやすい天気と言えた。ざわざわと流れていく人の波。見たことの無い制服の女生徒たちが集団で騒いでいる。ミクは階段脇の壁にもたれかかってそれを眺めていた。
「ミク」
「………うん」
「……もう帰ろうよ」
 隣に居るのはリン。朝からずっと二人でここに居る。レンは来なかった。来る意味もないと。
 本番当日。
 結局メンバーは集まらなかった。
 予定してた人が風邪引いたんです、とか事故にあったんです、じゃ駄目なんだろうか。
 ホールに入っていく人々。ガラス戸の奥で受付をしている姿が目に入る。ミクは肩にかけていたカバンを握り締める。楽譜は5人分。きっちり中に入っていた。
「どうせなら…ここで歌ってこうか」
「え」
「……中に入らなくたって、コンクールじゃなくたって…歌えるし」
 半ば本気の発言だった。このまま誰にも聞かせず終わるのは本当に嫌だった。勿体無いとミクの中の何かが叫んでいる。
 じっと人々を見つめているとき、ふと見覚えのある何かが目に入った気が した。
「あ」
 同時に、リンが声を上げる。ミクもすぐさま認識した。青いマフラー。遠目にもわかる。KAITOだ。
「来て……くれたの……?」
 リンが呆けたような声を上げる。来てくれた。それは間違いない。歌ってくれるかどうかは…また別だけど。なにせMEIKOの姿が……。
 思いかけたとき、ミクはようやくKAITOの隣の女性に気付いた。KAITOと同じ速度で、並んで歩いているにも関わらず一瞬認識が遅れた。
「MEIKO……さんっ!?」
 ミクは駆け出した。リンも後を追ってくる。KAITOの隣の髪の長い女性。近づいてみれば、確かにMEIKOだった。
「MEIKOさんっ、え、あれっ、どうしたんですか!」
 その髪!
 他に言うことはたくさんあったはずなのにミクの口を出てきたのはそれだった。MEIKOが苦笑し、ミクも恥ずかしくなって思わず手を振る。
「あ、いや、それよりも」
「わかってるわ。ま、これは変装みたいなもんよ」
 3年だから、もうみんな出てないでしょうけど。
 MEIKOの言葉で漸く気付く。MEIKOとかつて歌った合唱部のメンバーが…ここに来ている可能性だってあったのだ。
「じゃあ、じゃあ、歌ってくれるんですか!」
 リンはすぐさまそちらに反応した。そうだ、そういうことなのだ。
「あ、でも……」
 ミクは慌てて時計を取り出した。
「どうしたの?」
「……レンが……来てない……」
 今から呼んでも、もう間に合わない。浮上しかけた心が一気に沈んでいく。だがMEIKOは不思議そうに首をかしげた。
「いるじゃない?」
「え?」
「ええ?」
 MEIKOの視線の先──ミクたちの後ろに目をやれば、そこには本当に……レンが居た。罰が悪そうに頬をかいて視線を逸らしている。
「ちょっと、あんたいつから…!」
「……悪かったな。おれだって…最後まで諦めたくなかったんだよ」
 だからこっそり来ていたのか。もしMEIKOたちが来なければそのまままたこっそり帰るつもりで。
 ミクはその行動に突っ込むよりもとにかく嬉しさのあまり思わずレンに抱きついた。
「わっ……おいっ」
「ありがとう! 早く、早く行こう!」
 レンを胸に抱きしめたまま右手だけ振る。みんな笑いながらついてきた。
 ホールに向かいながら、逃げたレンは追わずにMEIKOの隣に並ぶ。
「あの……」
 何で来てくれたのか。
 今聞くべきではないかもしれないが、気になった。MEIKOはそれだけで察したのか、苦笑いのような笑みを向けてくる。
「……歌いたくなった」
「え」
「それだけよ」
 あんたたちの歌聞くだけ聞いてストレスたまってたしねー。
 さばさばと言い切るMEIKO。これが、本来のMEIKOだという気がした。
「それより受付、随分並んでるわよ。あなただけでも先に言ってきたら?」
 リーダーなんでしょ?
 MEIKOの言葉に思わず受付に目をやる。確かに。ミクは頷いて慌てて駆け出す。あまりMEIKO待たせたくなかった。
 走り出したミクの後ろで、今度はKAITOがMEIKOの隣に並ぶ。
「やっぱり歌わないとねー」
 KAITOが何か言うより早くMEIKOが言った。KAITOに、にっと笑みを向けてくる。
「覚悟しときなさいよ。ばれたら何言われるかわかんないんだから」
「おれは大丈夫」
「……言い切られるとむかつくわね」
「MEIKOもさ」
「何よ」
「言い返しちゃえば良かったんだよ」
「……」
「……おれも何か言うべきだったんだけど」
 KAITOたちの言葉を聞いていたリンとレンが「そーだよ!」と叫んで二人に並 ぶ。
「KAITO先輩、MEIKOさんの彼氏でしょ! 何で守ってあげなかったの!」
 リンの言葉にKAITOが一瞬首をかしげて、ああ、と頷く。
「そういえばそういうことにしたっけ」
「……そういうことにしたつもりも特になかったんだけどね」
 MEIKOの言葉に今度はリンが戸惑う。
「え……違うの?」
「……私たちはボーカロイドよ」
 MEIKOのきっぱりした言葉に一瞬頷きかけてリンが慌てて辺りを見回す。誰にも聞こえてなかったようだが。
「歌の上では兄弟にも恋人にもライバルにもなるよ。……それが、おれたちなんだよね」
 また歌えるんだ。
 KAITOの嬉しそうな小さな声にリンとレンもよくわからないながらも頷いた。気付けば入り口はもう目の前だった。
 リンとレンはミクの姿を見つけてホールへ駆け込む。
「元気だねー」
「若いわ」
「……その発言は止めといた方が」
「……勢いってやっぱり必要ね」
 MEIKOが長い髪をいじる。それを少し引っ張った。
「さあ、行くわよ。ただ賞を取る、なんて生温い! 目指すは優勝よ!」
 出場者で溢れかえるその場でMEIKOが片腕上げて宣言した。
 目立とうがどうしようが。
 自分たちの力を思い切り発揮して、悪いことなんて一つもない。


 

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