歌いたい理由がある
昼休みの時間帯。階段踊り場は意外なほど静かだった。昼の放送の音楽すら遠く響いているだけ。近くの教室の騒がしさも別世界の出来事のようだった。
「……悪いけど」
長い沈黙のあと出てきた言葉にミクは俯く。そのあとの言葉は聞きたくなかった。顔も上げられないが、やっとの思いで言った依頼が断られたことだけはわか
った。相手の声はただ淡々としているように響く。
「……それじゃ」
反応のないミクを僅か気にする素振りを見せたが、相手はそのままミクに背を向けた。教室に帰ろうとしている。ミクは無意識にその制服の端を掴んだ。
「……何」
「お願いします…」
諦めきれずに言ったその言葉に相手がため息をついた。
「本気でやるつもりかよ」
「本気! もう約束しちゃったんだもん」
後輩の教室で拳振り上げて宣言するミクにレンは呆れた声を出す。クラスメイトからの妙な視線は感じるが今は考えたくもない。食べ終わった弁当を仕舞い、レンは立ち上がった。
「ちょっと、どこ行くの」
「………」
無言で出て行けば付いてくる。教室を出て角を曲がり、クラスメイトから完全に見えなくなったところで漸くレンは立ち止まった。
「……あのな」
「何」
「………………本気か?」
何と言えばいいかわからず、結局同じ問いを繰り替えしてしまう。ミクは一瞬ぽかんとしたあと大きく頷いた。さっきの会話の続きだとわからなかったのかもしれない。
「レンだって思わない? 思いっきり歌いたいって。だって私たち…」
ボーカロイドなんだよ?
口を動かし、音にはしなかった言葉がレンの耳にははっきり届いた気がした。レンは目を逸らす。
「……そりゃ……そうだけど……」
もしもアンドロイドだとばれたら。この学校には居られなくなる。それぐらいミクだってわかってるはずなのに。突然合唱コンクールに出る、なんて。レンが耳を疑うのも無理はなかった。
「……絶対…賞取るって言っちゃった…し…」
ミクの語尾が消える。何も考えちゃいない。勢いだけだったのであろうことがそれでわかった。誰とした約束かは知らないがミクはそれを守りたいらしい。まあ歌いたいというのが第一なのかもしれないが。
俯いたミクをしばらく眺めたあと、レンはきっぱり前を見つめて言う。
「……それで?」
「えと……」
次の言葉を探すミクに畳み掛けるように言った。
「おれとミクだけなのか?」
「え」
レンの言葉に驚いたように顔を上げるミク。レンはにやっと笑って軽く握った右手をミクの前にかざした。
「リンも入れるんだろ? 外すと拗ねるぞあいつ」
「う、うん。うんうんうん! 当たり前じゃん、リンにも絶対出てもらうんだから!」
先に行ったんだけど教室居なくて。
ミクの苦笑いにレンも納得して頷く。昼休みは友達と別の場所で食べていると言ってたことがある。レンもくれば、と言われていたが行く気がなかったのでその場所は記憶にとどめていない。まあどちらにせよ、家に帰れば会うのだが。
「曲とか決まってんの?」
「まだ全然。メンバー決まってからみんなで歌える奴決めた方がいいでしょ?」
「おれとミクとリンと…3人か?」
「……それなんだけど」
ミクはそこでポケットから何やら紙を取り出す。乱暴に破られたノートの切れ端のようだった。開いてる途中で覗き込めば3年のクラスと人の名前。「誰?」と問えばミクは得意げに答えた。
「2年前にね。合唱コンクールで優勝した人! そのときはウチの学校じゃなかったらしいけど。3人じゃ出られないし先生に歌の上手い人聞いたら教えてくれた」
へー、と相槌を打ちながら一瞬流してしまったことを慌てて聞く。
「…3人じゃ出られない?」
「……最低5人は必要なんだって」
参加資格。とミクは言った。
……本当に、無計画というか行き当たりばったりだ。一応メンバー集めをする気はあるらしいが。
「去年は出なかったのか? どんな人?」
「わかんない。まだお昼休みだしちょっと行ってみる!」
放課後もう1回くるね、とミクは元気よく階段を駆け上がっていく。行動的で、勢いだけでも何とかやり遂げてしまうのもミクなのだ。
レンはそのまま教室に戻ったが、昼休みが終わるよりも早く、ミクはしょげた顔で戻ってきた。
断られたらしい。
「ミクは?」
「まだ。補修で遅れるってさっきメールあったよ」
「またかよ…」
レンが呆れたため息をついてリンが笑った。教壇の上に片足を上げて座っているリンは左足をぶらぶらさせながら右手の携帯を弄ぶ。レンが投げるようにカバンを机の上に置いてリンの前までやってきた。
「で、メンバーは?」
「決まってたらメールぐらいするでしょ。どうするんだろうね」
リンは携帯を仕舞うと側に置いた楽譜を手に取る。既に練習には入っている。だけどメンバーはいまだに決まらない。友人たちにも声をかけてみたがみんな人前で歌うなんて、と引いてしまった。大人数ならともかく、このままだと出場できるとしても最低人数の5人だろう。リンにしてみれば歌うことこそ重要で、誰が目の前に居るか、どれだけの人数かなど関係ないのだが。
リンはよっ、と教壇から飛び降りる。練習用にと借りられた教室は社会科教室だった。リンは屋上の方が良かったが、冬の近いこの季節、外で練習し続けるのも違和感があるだろう。運動部でもないのに。
「ねえレン」
「ん?」
レンは目の前の机に座りいつの間にか寝転がっていた。ミクが来るまでこの体勢のつもりだろう。起き上がる素振りすら見せずに応える。
「ミクが言ってたMEIKOって人」
「ああ」
「何組かわかる?」
「……行く気か?」
「だってさ、気になるじゃん」
2年前優勝しておきながら、ミクの必死の誘いを断った女性。3年ということで受験の問題もあるのかと思ったがミクが教師から聞いた話によると既に大学は決まっているとのことだった。だから逆に、いろいろ用事を押し付けられることも多いらしいが。
「1組……だったけど、もう帰ってるんじゃないか?」
レンは気のない返事だった。それでも行くなら勝手に行けといった態度にリンはレンの右手を掴む。
「……おれもかよ」
「このまま引っ張り下ろされるのとどっちがいーい?」
笑って言うと漸くレンが体を起こした。乱暴に右手を振りほどかれたがレンはそのまま机から降りる。
「……教室着いたらお前が呼べよ」
「もうほとんど人居ないんじゃない?」
「馬鹿、3年は勉強してんだろ」
ってかおれ顔知らないぞ。
レンの言葉にそういえばそうかと頷く。まあ誰か居るなら聞けばいいだろう。
リンはそう判断して、二人で3年の教室へと向かった。
「……レン」
「何だよ」
「何か聞こえる?」
「………無理だろ」
教室にはMEIKOは居なかった。だけど生徒会室に居るだろうと親切なクラスメイトに教えられた。役員ではないが手伝いがあるらしい。窓の多い教室はともかく、中が覗き込めない上に開き戸の生徒会室は、妙に入り辛い。
「あんたそれでもボー…」
カロイド?
言いかけて慌てて口を紡ぐ。ちょうど見知らぬ生徒が通りかかったところだ
った。
「お前だって聞こえないだろ」
「うーん、何人ぐらい居るのかなぁ…」
ドアの隙間から覗き込もうとするがわからない。リンは意を決して部屋をノックした。レンが少し慌てたように後退さる。
「お前、やるならやるって……」
「はーい?」
中からは綺麗な女性の声。二人は顔を見合わせると、そのまま扉を開いた。
「失礼します!」
リンは入るなり元気良く叫ぶ。挨拶時のそれは癖のようなものだった。
「し、失礼します…」
レンも後から入ってくる。リンの後ろに隠れるようにして立った。こういうときレンは情けないな、とリンはこっそり思う。そしてさっと部屋の中を見渡した。
中央に集められた机と周りにはごちゃごちゃと看板や花のようなものが積まれていた。そういえばそろそろ文化祭なのだとそれで気付く。ウチの学校はあまりそれで盛り上がる方ではないし、リンも特に何かする予定はなかったが。
「1年生? 何の用?」
中央の机にショートカットの女性。その前にはおそらく3年の、男子生徒も居た。部屋の中だというのに青いマフラーをしている。他に人が居ない。
「あ、あの」
手伝いだというから役員たちでいっぱいかと思っていたのに。リンは予想外の光景に一瞬言葉に詰まる。
「MEIKO…先輩ですか?」
助け舟を出したのはレンだった。
レン、偉い。
「そうだけど…」
女性が首をかしげて肯定した。リンはそれを聞いて真っ直ぐMEIKOの元へと
行く。
「何で合唱コンクール出てくれないんですか」
直球で聞く。MEIKOが一瞬目を見開いた。相手が答えるより早くリンは次の質問を投げかける。聞きたいことが溜まっていた。
「何で去年も出なかったんですか? 出たくないんですか? 私たち困ってるのに何で助けてくれないんですか?」
気付けば責めるような口調になっていた。だけど止まらない。リンを遮ったのはレンでもMEIKOでもなく、そこにいた青いマフラーの男だった。立ち上がって、リンの前に手をかざす。
「ちょっと待って。こっちにも事情があって」
「その事情を知りたいんです」
リンは男の方を睨みつける。この男は、事情を知っているようだった。男が困ったような顔でリンを見る。そのときレンがリンの制服を引っ張ってきた。
「……何」
小声で言う。MEIKOたちにも聞こえているだろうが。レンは戸惑うようにMEIKOと男を見て、同じく小声で言った。
「……おれら……邪魔だったんじゃ……」
「は?」
言ったあとMEIKOが笑い出したのに気付いた。男も苦笑いでこちらを見ている。
「……そうね。邪魔だわ」
MEIKOはきっぱり言った。リンが質問していたときの迷いある視線ではない。どこか、面白がるように。
「そうだよ、せっかく二人きりだったのに」
男が肩をすくめて言う。目があって、にやっと笑われた。リンはようやく理解して真っ赤になる。
「な、え、あ」
意味不明の呟きをしながらリンはとりあえず手近にいたレンに当たった。
「先に言いなさいよ、そういうことは!」
頭を殴るとレンが不満げに下から睨んでくる。恥ずかしくて気にしてられなかったが。
「で、でも、コンクールのことは」
関係ないはずだ。別に変なシーンに入ってきてしまったわけではない。多分。リンは開き直るように大声で言った。
MEIKOが少し目を伏せる。
「……ごめんなさい」
「え」
「……本当に私たちは出られないの。誰か他の人を当たってちょうだい」
真剣な目だった。申し訳なさそうに、だけどきっぱりと拒絶している。
……これでミクも何も言えなくなったんだ。
理解はした。だけどそれで引き下がるのも悔しい。何と言おうかと考えていると、レンが口を出してきた。
「出られないってのは合唱コンクールだ…ですよね? 一緒に歌うのは駄目なんですか?」
慣れない敬語で喋るレンにMEIKOが戸惑いを見せた。表情が崩れたのを見てリンも逃さず言う。
「そうですよ、とりあえず一緒に歌って合わせてみてくださいよ! コンクールには他の人探すとしても合わせてくれるぐらいいいじゃないですか」
明るく言った。先ほどまでのきつい口調とは違う。リン自身、そこで初めてMEIKOの歌を聞いてみたかったのだと気付いた。MEIKOに迷いが見えたので更に言い募る。
「上手い人とあわせれば私たちの練習にもなるし! そうだ、指導してくれたんでもいいんですよ!」
いい思い付きだと自分でも思った。自分たちには指導者が居ない。ボーカロイドは指導者が居てこそ……よりうまく歌えるのだ。
MEIKOはそこで視線を男の方に向ける。男は笑顔だった。
「MEIKOがやりたいようにやればいいよ。指導ぐらいしてあげたら?」
男の言葉にリンも心の中で応援を送る。MEIKOはしばらく考える素振りをしたあと、すっとリンと目を合わせてきた。
「そうね。それぐらいだったらいいわ」
そう言って立ち上がる。リンは思わずガッツポーズをした。
「やったっ! じゃあ今日これからでもいいですか!」
「そうね…」
MEIKOは座ったままの男に目を向ける。男は笑いながら立ち上がった。
「いいんじゃない。どうせ今日はやることないし」
生徒会の手伝いの話だろうか。そういえば結局誰もここには来てないが。
リンとレンとMEIKO、そして男も生徒会室から出る。MEIKOが部屋に鍵をか
けた。
「先生に鍵渡してくるわ。どこでやってるの?」
「社会科教室。あっちの校舎の3階」
「知ってるわ。じゃああとから行くわね」
MEIKOが軽く手を挙げたのにリンが右手を振り返す。MEIKOと男の姿をしばらく見送ってから、リンたちも社会化教室に戻った。
「やったね! 上手くいけばこのまま引きこめるんじゃない?」
「あ、やっぱそれは考えてんのか」
「当たり前じゃん。いくら指導者居ても出場できなきゃ意味ないんだから」
もう聞こえはしないと遠慮なくリンは言う。レンは頷いて、ふと思いついたように言った。
「さっきさ」
「ん?」
「『私たち』って言ったよな、あの人」
「私たち?」
「『私たちは出られない』とか何とか…」
「あー、そういえば…」
細かい台詞のニュアンスまで覚えては居ないが。言われてみればそうだった気がする。
「たちって……誰?」
「さっきの…MEIKO先輩の彼氏…?」
あの状況だと含まれるのは彼のような気がする。それとも実はもう1人、誘いをかけてた人物が居たのだろうか。
「……あの人歌えるのかな」
「もしそうだったらいいなー。男性の声入るだけで違うもんね」
「……おれも男なんだけど」
「あんたの声高いんだもん」
気にしてることを言われてレンがむくれる。リンはそれには笑っただけだ
った。
「そうだ、あの彼氏も入れば5人揃うじゃん! ミクにも言っとこう」
彼女居るから色仕掛けは無理かなー。
リンが冗談交じりに言うとレンはそれを鼻で笑った。
「居なくたってお前らじゃ無理だろ。……って痛っ」
リンは無言でレンを蹴り上げる。
冗談には冗談で返して欲しい。
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