指輪と遺跡と護るもの─6

「うっわー、なんだこれ」
 九龍の、妙に楽しそうな声が聞こえる。皆守はアロマを吹かしながら、九龍の後ろで立ち止まった。
 青の扉の先は、赤のときと同じ真っ直ぐの通路。
 そして辿り着いたのは一面水に埋まった部屋。プールのようだ。通ってきた通路が天井近くの位置にある。奥に見える扉の前に足場はあるが、ジャンプでは到底届かない。
「深さは3メートル…いや、4メートルはあるか?」
「あるな。しかも見ろよ、底」
 九龍が指し示す先に目を向ける。澄んだ水に、部屋の内装がよく見える。隅に宝箱が一つと、蛇のレバーがいくつか。扉の前の足場にはハシゴがついていて、何らかの仕掛けを解除すれば水が引くことも想像出来る。それは、おそらくあの蛇のレバーか。潜っていくしかなさそうだ。
 問題は──
「えええっ、何あれ? サメ!?」
「あんなサメ居るのか?」
「まァ、遺跡の化物ってとこかな…」
 小型のサメのような生き物がうようよ泳いでいること。ただのサメではないだろう。というか、ただのサメでも大問題だ。
「あんなもん、どうするんだ?」
「あの深さじゃ銃はきついな…。ちょっと待って」
 ごそごそとベストを漁った九龍が何かを取り出す。
「あ、爆弾?」
「おう。これでどうかなー」
 ちょっとお試し、のような気楽な口調で九龍が爆弾を放った。
 ぼちゃん、と沈む爆弾。
「…………」
「…………」
「…………」
「……あ、あれえ……」
 そのまま、底へと着いた。
「水の中だと爆発しないの?」
 八千穂が首を傾げる。
「いや、するはずなんだけど…」
 あれ、これはしなかったっけ? と九龍も首を傾げて落ちた爆弾を見つめる。
「不発か……?」
「………かな……」
「……水の中の恐怖が増しただけじゃないか」
「うげえ……」
 九龍ががっくりと肩を落とした。
 どうするつもりかとしばらく見つめていると、ようやく九龍が観念したように顔を上げる。
「行くしかないか…」
「泳ぐの?」
「やっちーは待ってて。あー、水着持ってくりゃ良かったなぁ」
 九龍がベストを脱いで装備を外していく。嫌な予感がした。
「そうだねー。せっかく持って来てたのに」
 八千穂が残念そうに呟く。元は南の島への観光旅行だ。当然全員水着は持って来ている。
「ま、仕方ねぇ。さあ行くぞ甲太郎」
 そしてナイフだけ手にした九龍が、皆守を見てにっと笑った。
「……一人で行って来い」
「問答無用!」
 嫌な予感通りの言葉に、そう返したが、九龍の方も予想はしていたのか、答えを聞く気もなかったようだ。次の瞬間には九龍に引っ張られ、水中に落ちていた。
「おまっ……」
 慌てて手にしていたパイプだけ通路側に投げる。ライターも携帯もズボンの中だぞ、この馬鹿!
 既に水中に沈み、そんなツッコミも言葉にならない。それより一斉に襲ってきたサメの群れの方が問題だ。
 九龍は不自由な水中でナイフを振りかざしている。
 ……ちっ。
 舌打ちすら満足に出来ない中で、皆守も仕方なく底へと潜っていく。こうなったらとっとと仕掛けを解除するだけだ。
 襲ってくるサメの動きを見切り、レバーの一つを下ろした。
 見えてはいても、動きが取り辛いにも程がある。蹴りの威力も低い。
 九龍を見上げれば、襲われてる真っ最中だ。
 下から引っ張り、攻撃を避けさせれば片手で感謝を示してくる。そんなことしてる場合か。
 九龍がレバーに向かったのを見届け、皆守も別のレバーに向かう。
 息が、きつい。
 2つ目を下ろしたところで皆守は水中から顔を出した。
「はあっ……はぁ……」
 九龍はまだ泳いでいる。さすがの肺活量だった。皆守はまだ潜れない。残るレバーは…まだ4つ。
「九ちゃん危ない!」
 そこで八千穂の声が聞こえた。
 サメの攻撃が九龍の腕をかする。
 流れ出た血が水中を赤く染めた。
「くそっ……」
 息を大きく吸い込み皆守は再び潜る。
 九龍の目の前に居たサメを蹴り飛ばした。
 九龍が次のレバーを下ろし、また別の方向へ向かう。どこまで息が続くんだ、あいつは。
 思いながら九龍の後を追えば、皆守の方にまた限界が来た。
 浮かび上がろうとしたとき、九龍に向かうサメに気付く。相変わらず罠の解除に集中しすぎた九龍は、敵への注意が散漫だ。
 蹴りが間に合わず、間に入った皆守はサメの体当たりを受けた。
「ぐっ……」
 ほとんど息が残っていなかったところに衝撃を受けて思い切り水を飲んでしまう。同時に、最後のレバーが引き下ろされた。
「げほっ、げほっ……」
 水が引いていくと同時に、サメの姿も消えていく。床に座り込んだ皆守が思い切り咳き込んでいるところに九龍が慌てて駆けつけてきた。
「こ、甲太郎! 大丈夫か!」
「皆守くん…!」
 水が引いた部屋の中に八千穂も飛び降りてくる。結構高さがあるだろうに危ないだろう、と頭に浮かびつつも言葉にならない。咳が止まらない。肺に水が入ったか。
「九ちゃんも腕…!」
「あ、ああ、こっちは大丈夫。ってか甲太郎…!」
 心配する2人に、とりあえず手をあげ落ち着けというように振ってみせる。声は出なかったが通じたようだ。しばらく咳き込んだあと、ようやく皆守の方も落ち着いた。
「……大丈夫か?」
「……なんとかな…」
 げほっ、ともう1度水を吐き出して言った。そして九龍の腕に目を止める。
「お前も早く止血しろ」
「あ、ああっ、そうか」
「八千穂、九龍の装備取ってこい」
「あ、うん」
 自分が動く気になれず八千穂に指示する。通路側の足場にもハシゴはあった。八千穂が登ろうとしたとき、上からヤアマが降りてきた。
「……大丈夫ですか」
 九龍のベストを持っている。九龍が慌てたように傷を隠した。無駄だろう、それは。
「だ、大丈夫大丈夫! 全然OK!」
 何を言ってるのやらわからない。
 九龍は礼を言ってベストを受け取ると、わざわざ皆守の影に隠れて傷の手当をしていた。
 だからばればれだ、それは。
「それにしてもびしょぬれだな…タオルはないのか」
「小さいのが一個しかねぇ。顔だけ拭いとけ」
 背後から九龍がタオルを投げつける。
「あ、私ハンカチならあるよ?」
 銃や鞭など、九龍の残りの装備を持ってきた八千穂が言う。ついでのように皆守にアロマパイプを渡してきた。
「いーよ。……この先も水の気するし」
 赤の部屋は炎。となると青の部屋は、今後も水絡みの部屋が続くのかもしれない。
「……面倒くせぇ」
「夏で良かったな!」
 九龍は常にポジティブだ。
 皆守も最早苦笑いを返すしかない。
 ちなみに宝箱の中には水に浮かぶビート板のようなものが入っていた。










 その先は、九龍の言った通りひたすら水の部屋だった。水中に沈んだ部屋、ひたすら水が流れている部屋、全てに敵もついてくる。ビート板は、大した役には立たない。
 水の中が、これほど戦い辛いとは思わなかった。
「た、魂の井戸…!」
 何部屋か通過して、ようやく最後の通路。九龍が濡れた体を引きずりながら皆守たちを振り向く。
「早く来いよ!」
 うるせえ、先入ってろ。
 口に出すのも億劫で、皆守はのろのろと歩く。水の中は、酷く体力を消耗する。あの八千穂ですら、完全にばてていた。結局八千穂も水に何度か潜っている。透けたブラは、お互い水着だと思い込むことにしていた。
 それにしても罠解除後の部屋の中で何度も休憩を取ったせいで、ここに来るまでに何時間かかったかわからない。
 まだ終わりじゃないことにうんざりする。
 それでも魂の井戸に入れば、あれほど疲れきっていた体が、癒されていくのを感じた。
「…服まで乾くのか、ここは」
「快適空間だからねー。ちょっと腹ごしらえしていい?」
 探索用の装備を仕舞いながら九龍が言う。
「カレーパン」
「ハンバーガー!」
「ないから」
 あ、ハンバーガーはひょっとして調合できるかな、あ、駄目だ足りない、など九龍はぶつぶつ呟いている。
「ヤアマ、サンドイッチ食べるー?」
「何でそんなもんがあるんだ」
「王宮で作ってもらっといた」
 九龍の出したサンドイッチを、ヤアマが目を丸くして受け取っている。昨日は何も見ていなかったかのようなヤアマが、ここにきて随分新鮮な反応を何度も見せていた。まあ、あれが普通だよな、と思いつつ皆守は渡されたサンドイッチに食いつく。
「さて、次が多分ボス戦なんだよな」
「さっき扉あったもんねー」
「で、とりあえずな甲太郎」
「? 何だ?」
「お前は攻撃すんな」
「は?」
 一瞬何を言い出すのかと顔をしかめる。だが、皆守の嵌めた指輪を示されて納得した。
「倒すのは誰でもいいのか…確認ってことか」
「そうそう。おれが倒したんでもいいんなら、この先指輪を嵌めるのはやっちーでも七瀬でも…」
 ちらりと、そこで九龍はヤアマを見る。言葉にはしなかったが。確かに、それで5人揃う。
「だが倒したあとにそれを確認するのか? もし秘宝が現れなかったらどうする?」
「そりゃ最初から入り直しだろ」
 赤の部屋の様子からいってリセットは効くって、と九龍は気軽に言うが、これまでの部屋をもう1度同じようにして通るなど冗談じゃない。
「そういえば、最後の部屋も水あるのかな?」
「え? え、どうだろ…!」
 その可能性は考えていなかったのか、九龍が慌てる。
 赤の部屋でも最後の部屋では炎に関係なかったが──もしそうなら厄介だ。
「……とにかく、ここで完璧に回復な」
 近接武器多めにするかな、と九龍が呟きながら包丁を取り出していた。今回、ほとんど銃が使えていない。
 おかげで敵に近付きすぎる九龍は、傷がやたら増えている。
 ……見切りは、やっても問題ないだろう。










 蛇のような敵は、やたら動きが素早かった。
「ヤアマっ!!」
 攻撃の余波は、何度もバディたちに及びそうになる。皆守も必死で避けさせていたが、間に合わない。
「あ……」
「いっ……た…」
 ヤアマに向かった攻撃を、九龍が体で受けた。ヤアマが呆然とそれを見ている。
「ぐっ……ヤア…マ、早く、逃げて…」
 九龍の必死の呼びかけにもヤアマは足が竦んでいるようで動けない。
 皆守たちが慌てて駆け寄り、八千穂がヤアマを引きずっていく。
「くそっ…」
「お前は動くな…!」
 九龍に噛み付いている蛇を蹴ろうとするが、その言葉に足が止まる。蛇の口を必死で押えている九龍は、両手が塞がっている。どうする気だ。力で押し返す気か。だがそこで九龍の足がずりっ、と九龍自身の血で滑った。
「うおっ!?」
「九龍っ!」
 思わず手を伸ばしかけるが、敵の力もそれで一瞬緩んだ。その隙を逃さず、九龍が鞭を手に取ると思い切りその目めがけて振る。
 蛇が悲鳴を上げて離れていった。
「九龍」
「だ、大丈夫…まだ…痛ぇ…」
「当たり前だ」
 血をだらだら流しながら九龍が強がってみせる。それでも黙ってよこしてきた救急キットで応急措置をした。これも、使い慣れたものだ。
「……まだ1人でやるのか」
「せっかく我慢したのにここで引いちゃ意味ないだろ! まだ…いけるっ!」
 血が完全には止まってない体で、九龍が飛ぶ。
 皆守も、アロマパイプを噛み締め、その後ろに続いた。










「ぐぎゃああああああああ」
 断末魔が部屋中に響く。皆守や九龍は顔をしかめただけだったが、八千穂とヤアマは耳を塞いでいる。崩れ落ちた化物が煙となって消えていく。残響が長い。皆守はそれを打ち消すように大きく足音を立てて部屋の中央へと向かった。
「あー……疲れた…」
 呟く九龍を追い越し、右手に嵌めた指輪を祭壇に向かってかざす。
「おお……いけるか……!?」
 九龍が後ろから、がっと皆守の肩を掴んで覗き込んでくる。光が強い。皆守は左手で目を覆って光が消えるのを待った。
 赤い部屋のときと同じ。
 手を外せば、右手には変化した指輪が見える。
「よっしゃ…!」
 九龍がその指輪を手に取り、『秘宝を入手しました』とHANTの音声が響く。
「……大丈夫みたいだな」
 結局、皆守は一切戦闘には手を出さなかった。雑魚ですら八千穂任せだ。回避はしたが。天香遺跡での最初の探索時に慣れたはずだったが、やはり思わず足は出そうになる。
「じゃあ次の指輪はやっちーに頼むかな。今日は……もう帰るか」
 途中で九龍がHANTを見て時間を確認する。
「それよりとりあえず回復しろ」
 血が止まっていないのに元気に歩き回る九龍に、皆守は呆れた声で言った。
「あー……なんかもう痛み麻痺してた」
「それは逆にまずいだろ」
「いやー、まあハンターたるものこれぐらいの傷はな…!」
 笑顔が多少強張っている。強がりは、ヤアマに向けてだろう。どうして初めて会った相手にはこうかっこつけるのか。どうせすぐぼろが出るのに。
「ああ、でも腹は減ったな…」
「あ、私もー」
 先ほど腹ごしらえをしたとはいえ、もうとっくに夕食の時間だった。
 5人でまずは魂の井戸に向かい、八千穂は再びサンドイッチを食べていた。傷だらけだった九龍は何も食べず、ただ体を休めている。やはり、辛かったのだろう。
 皆守はそれには触れず、アロマに火を付けながら言う。
「……このペースなら5日で終わるんじゃないか?」
「だよなぁ。いや、5つの部屋制覇したあと、新たな部屋が! って可能性もあるんだけど」
 それでも、そう長くはかからないか。
 もう8月も終わる時期だ。九龍は全く気にしてる様子を見せないが、皆守たちにはまだ大学がある。9月終わりまでには帰らなければならない。
「そういや、最初の石碑に月が変わる前にって書いてたっけ」
「一ヶ月なら余裕だねっ」
「おお。明日も行くぜー! どうせだからクエストも受けるかな」
 九龍たちは笑いながら魂の井戸から出て行く。完全に回復はしたようだ、とその後ろ姿を見て皆守は判断する。
「……行くぞ」
 ついでに、動かないヤアマに声をかけた。
「────」
「あ?」
 ハムニム語、だろうか。
 呟きに疑問を返せば、ヤアマははっとしたように首を振った。
「何でもありません」
「……そうかよ」
 皆守は井戸の扉に手をかけ、ふと思いついたように振り返る。
「おい」
「……はい?」
「…………」
 なんと言ったものか。アロマを吹かし、一拍置いて、皆守は口を開く。
「何を考えてるか知らないが、一つだけ言っとく」
「…………」
「九龍を信じろ」
 ヤアマが目を見開いた。
 そして、次の瞬間には顔を伏せてしまう。
 そんなヤアマをじっと見つめるが、皆守にはそれ以上言える言葉はなかった。


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