指輪と遺跡と護るもの─1

 吹き荒れる暴風雨の中、小型ヘリはがたがたと揺れながら目的地に向かっている。
「……っ! ………!」
 背後から悲鳴や怒鳴り声も聞こえてくるが、それを気にしている余裕は九龍にはなかった。
 目の前のガラスに叩きつけるように降る雨。視界は滲み、分厚い雲に日差しもほとんど遮られている。備え付けのレーダーすら、時に光が途切れてしまう。
 操縦桿を握った手に汗が滲むのがわかった。
「おいっ、お前ホントにヘリの免許なんか持ってるのか?」
 答えがなかったためかどうか、間近まで近付いてきて言ったのは皆守だ。この揺れの中、よく立っていられるものだとは思う。しかも喋るのか。舌噛むぞ。
 そう思いつつも、九龍もとりあえず答えを返した。
「持ってるなんて言ってねぇだろ! 大丈夫、操縦したことはある!」
「お前っ……ああ、もうそれはいい。じゃああとどのくらいで着く」
「……この状況でわかるかっ!」
 ヘリを操縦したことがあるのは本当だ。だが九龍は、車も含め運転免許など持っていない。そもそもほとんどの運転が、免許を取れる年齢になる前に覚えたものだ。ヘリの経験は少ないし、こんな暴風雨の中出発したこともなかったが、短い距離だし問題ないと踏んでいた。
 大丈夫、なんとかなる。
 いつもながらの根拠のない言葉に皆守がため息をつくのがわかる。
「……わかった、そう言っておく」
「へ……」
 そこに来てようやく思い出した。
 今日ヘリに乗せているのは皆守の他、八千穂と七瀬。
 2人共、九龍の無茶には慣れた人物とはいえ、いやだからこそ──この言葉を聞けばむしろ不安になる!
「あっ、島! 島見えてきた!」
 焦っていたところについに目的地が見えてきた。
 南の島の小さな王国。今回の任務先。
「ほら、少し風も止んできたし! 何とかなるって言っただろ!」
 相変わらずの揺れと轟音の中の台詞は、誰にも届いていなかったと後で知ることになる。










 その探索依頼が届いたのは、日本のはるか南にある小さな島の、ロゼッタ支部へ来ていたときのことだった。
 大学卒業後はロゼッタに就職することが決まっている七瀬と、バディの皆守、ついでに付いて来た八千穂への職場案内。観光目的でもあったのに台風襲来のため外に出ることが出来ず、4人はロゼッタ支部地下にある射撃訓練場に居た。
「当たった! 当たったよー!」
 天香時代にずっと九龍の探索に付き合ってきた3人は、銃声にも慣れたものだ。撃つのは初めてだった八千穂が、見事に的の端っこに当ててはしゃいでいる。その隣で皆守は数発で既に的のど真ん中を貫いていた。さすがに銃弾を目で追えるだけはあるというとこか。見えれば当てられるのかどうかは知らないが。九龍も射撃の腕はある方だが、実はほぼ勘で撃っているのでよくわからない。
 一番奥に居る七瀬は銃を見つめたまま、まだ一発も撃っていなかった。撃ち方は教えたが、怖いのだろうか。
 ちょうど音が途切れたタイミングでもあったので、九龍はそれについては何も言わず声を出す。
「みんなー。……探索依頼来た」
「は?」
「え?」
「今から、ですか?」
 3人が順番に振り返る。九龍は手元のHANTに目を落としていてその様子はわからない。最後の七瀬の言葉にだけは頷いた。
「えええー、九ちゃんしばらくお休みじゃなかったの?」
「そのはずだったんだけどなぁ…」
 そもそも依頼がない間は休暇みたいなものだが、一応申請すればその期間仕事を受け付けないようには出来る。だが実際はお願い程度で、どうしてもと言われてしまうとそう断れない。だいたい、せっかくの遺跡、他の奴に行かせるのも嫌だし。
「ホント結構急ぎっぽいな…。すぐそこの島から正式依頼だって」
 九龍はHANTを閉じてそう言った。一番近くに居るハンターということで九龍に話が来たのだろう。ここからなら、確かに1時間もかからない。
「行くのか?」
「行くしかないだろ。悪ぃ、バディ頼むな」
「おれはいいが…八千穂たちはどうする」
 皆守がちらりと2人を見た。九龍が何か言うより早く八千穂が手を挙げる。
「あ、私も行きたい!」
「私も出来れば…超古代文明の遺跡ですよね?」
「まぁ、おれの専門はそれだから。そうだなー、正式な依頼ならそう待遇も酷くないだろうし…」
 野宿や潜入に付き合わせるのはどうかと思うが、ちゃんとした場所に泊まれるなら観光の延長になるかもしれない。
 遺跡のレベルを調べもせずに九龍は勝手にそう思う。
 どうせ台風でしばらく観光どころじゃないしな。
「んじゃ、聞いてくる。すぐ戻るから」
 バディは基本ハンターの裁量に任せられているが、宿泊場所が用意されるなら人数の確認は必要だろう。
 せっかくロゼッタ支部に居るのだし、いちいちHANTで確認することもない。
「はーい、あ。これまだやっていい?」
「いいよー。弾はそこにあるから」
「おい、勝手にやらせてていいのか」
「お前が見とけば問題ないだろ」
 さらりと八千穂の世話を皆守に押し付けて、九龍は射撃場を出る。階段に向かうと、ちょうど上から事務の女性が降りて来るのに遭遇した。
「メール見た?」
「見た。バディ3人でいけるか?」
「いいけど、手配する時間あまりないわよ」
「いや、あの3人連れていくから」
「……それバディなの?」
「バディだよ! 今までも何度か協力して貰ってんだぜ」
「日本の大学生って言ってなかった?」
「そうだけど?」
「あなたの人脈よくわからないわ…」
 呆れた顔をした女性は、それでもすぐさま表情を切り替えた。
「それじゃ、すぐ手配するわね。九龍、ヘリの運転は出来たわね?」
「ん? ああ、多分いける」
「じゃあすぐ用意して。詳しいことはあとでHANTに入れとくから」
「了解」
 用件は簡単に終了した。九龍はすぐさま皆守たちのところへ引き返す。
 ヘリの運転──ああ、またかっこいいところ見せられるな、などとちょっと考える。
 外が台風であることは、当然このとき頭にはなかった。











 ヘリが到着したときは大分弱まっていた風雨だが、それでもまだ外で立ち話が出来るほどではない。ろくな挨拶もないまま、九龍たちはばたばたと荷物を抱えて建物内へと駆け込んで行く。そもそも出迎えも、見るからに下っ端の少年が一人居るだけだった。他の者は全員屋根の下に居るのだろう。
 びしょぬれで入っていいのかな。
 思って、入り口前で一瞬足を止める。だが案内の少年がそのまま駆け込んだため、結局そのまま付いて行った。
 まあ、土足ではあるしな。
 建物は、やたら豪華で宮殿のようだった。というか、真実宮殿なのかもしれない。島の中央部、山に半分囲まれた位置にそびえる城。空から見ても、明らかにここだけ空気が違う。国からの依頼なのだと、なんとなく実感した。
 宮殿に入れば、入り口近くに、ずらりと並ぶ人たち。
 一斉に視線が集まって少し落ち着かない。
 その中から少し前に出てきたのはまだ若い女性だった。九龍たちよりも年下かもしれない。下手したら10代か。
「お待ちしておりました。ロゼッタのハンターさま」
 長い髪に浅黒い肌。顔立ちは整ってると言える方だろう。幼く見えるのは小柄なせいもある。一人きらびやかな衣装がやけに浮いているが、よく似合っていた。だが、その目も声も優しさとは程遠く、感情が見えない。淡々とした調子に一瞬九龍は怯んだ。
 女性の背後にはこれまた表情の読めないスーツ姿の男たちが居る。
「は、始めまして。葉佩九龍です」
 それでも何とか気を取り直して九龍は名乗った。握手か会釈か迷ったが、この国の作法もよく知らない。そもそも濡れた手で握手もないか。結局突っ立ったままの九龍に相手は何もしては来なかった。
「はば……?」
 それより、戸惑ったようにそう言われて九龍は首を傾げる。
「葉佩九龍……あ、名前です名前。九龍と呼んでください」
 それが上手く伝わらなかったのだろうと思ってそう言うと、相手は安心したように笑った。あ、ちょっと顔崩れた。
「わかりました、クロウさま。私はヤアマ・ハヤルグリ・エヒス・チヲと言います。よろしくお願いします」
「………ええと」
 先ほどの相手の戸惑いが全く同じに返ってくる。
「ヤアマとお呼びください」
「あ、はい…」
 安心して頷くと、ヤアマは九龍の背後に目を向けた。
「従者の方は…全部で3人でしょうか」
「じゅっ……ええと、いや、その、あれは仲間っていうか、一応ロゼッタの人間で」
 正確には違うが面倒だったのでそう言った。ヤアマはそれに表情も変えず「3人ですか」と重ねて聞いて来たので慌てて頷く。どういう関係かはどうでもいいのだろう。ヤアマの表情は、また最初の冷たい雰囲気に戻っている。
 そこでようやく案内します、と言われ九龍たちはそれにぞろぞろと着いて行った。
「なんだありゃ、お姫様か何かか?」
 ヤアマの態度を指してか、豪華な衣装を指してか、皆守がそう言う。
「若いよねー。私たちと同じくらい?」
 それに続く八千穂の遠慮のない好奇心。おい、おれの耳に届くってことは彼女にも聞こえるんじゃないか!
「おそらく日本語が話せる人が少ないのではないでしょうか。少し緊張気味にも見えますし、あまりこういった場に慣れてないのでは…」
 七瀬はさすがに声を潜めていたが、それでも聞こえてくる。そしてそれを聞いて、改めて前を進む少女を見た。
 なるほど。冷たくも見える淡々とした態度は、日本語や事務対応の不慣れさから来るものだったのかもしれない。発音に多少おかしなところはあったが文法は完璧だったので気付かなかった。九龍の名前に戸惑ったときに見えたのが素の表情なのだろう。そう思うと、途端に目の前の少女が可愛く見えてきて九龍は勝手ににやつく。我ながら単純だ。
 その瞬間、ヤアマが振り返り、九龍は表情を引き締めきれずに慌てた顔になってしまった。
「……何かありましたか?」
「あ、いえ」
「こちらがクロウさまたちの部屋になります。あとで遺跡への案内人が参ります。私も通訳として同行しますので、ごしょう…ごりょう…しょう…ください」
 語尾に自信がないのか単に噛んだのか、ごにょごにょとごまかすような声になった。ああ、七瀬の言葉に間違いはなかったようだ。やばい。可愛い。
 日本語上手いね、と誉めてみたらどう反応するだろう。と、思っている内に少女は去ってしまった。
「あ……」
 追いかけるわけにもいかず、目の前の扉を見つめる。
「……入っていいんだよな?」
「そりゃ、おれたちの部屋なんだろ」
「失礼しまーす」
 それでもついそう言って扉を開ける。
「おお、ホテルっぽい」
「ホテルなんじゃないのか、これ…?」
「いやー、まあ客室だとは思うけど…」
 大きなベッドが二つ。広めのソファに鏡台もあったが、トイレや風呂は付いていない。九龍はとりあえず荷物を投げ出してソファへと座った。
「……っていうか八千穂たちも同室か?」
「……どうだろ。後で聞いてみるか」
 九龍は野宿も多いし、場合によっては男女同室などよくあることなのだが、さすがにまずいだろうか。そもそもベッドが2つしかない。大きめなので女性陣は2人で1つ使えそうだな。おれと皆守は…そうなると、おれがソファなんだろうなぁ。
 そんなことを考えつつ九龍はHANTを開く。
「何かわくわくするねー。ラケット持って来てて良かった!」
「……何でそんなもん持って来てるんだ」
「え? みんなとテニスやるためだよ。だからほら、もう1本」
 ごそごそとラケットを取り出した八千穂がぶんぶんそれを振り回している。そうだな、あれ武器じゃないんだよな。
 声と音だけ聞きながら九龍はそんなことを思う。
「今回はどういった遺跡なんですか」
 HANTに来たメールを読んでいる九龍の前に、七瀬が座って言った。ああ、目が輝いている。九龍はHANTを閉じると、ちらりと扉に目を向けてから八千穂と皆守を呼び寄せる。そして九龍周りに集まった3人に声を潜めながら言った。
「ここな。元々超古代文明の力で栄えたって言われてる国でな」
「ハムニム王国が…ですか」
「そうそう。まだ飛行機もない時代に、ここから空に船が飛び立っていくのが目撃されたとか、銃のない時代、ここから追い払われた侵略者に銃痕があったとか。まあ眉唾なのも多いんだけど、そんな話が結構ある」
「へえー。月魅知ってた?」
「いえ…。恥ずかしながら、この国の存在自体初めて聞いたようなものでして」
「そんなあからさまに怪しい伝承があるのにか?」
 七瀬なら知っていてもおかしくない、と思ったらしく皆守はそう言った。九龍の方がそれに笑う。
「まあ、こういう話って結構どこにでもあるんだよな。ただここは、ロゼッタが前から目つけてたみたいで、ちょこちょこ取引っていうかやりとりはあったっぽい。残ってる遺跡の調査させてもらったり」
「今回はそれとは違うと?」
 九龍は頷いて再びHANTを開いた。
 メールを七瀬たちに見せるようにHANTを向ける。
「1000年後、封印は再び解かれる──なんて伝説が、1000年前から伝わってる。そして本当に…何の前触れもなくある山の一部が崩れ、そこから遺跡らしきものが発見された。喜び勇んで入ってみたら…誰も帰って来なかった」
 ……あれ、これやばい遺跡か?
 と、自分も嬉々として読み上げたあとふと思う。
 だが皆守は別のところに反応した。
「……喜び勇んで?」
「え? ああ、そりゃ遺跡見つけたら喜んで…いや、そりゃおれたちの話か。ええと…あ、そうそう。その、秘宝だな。それがまあ伝説の力的な? この世を変えるほどの力を持つすごいもんだっつー話があったから?」
「相変わらず適当な説明だな」
「とてもわかりやすい意訳だと思います」
「……ええと」
 七瀬には今誉められたのだろうか。それとも皮肉られたのだろうか。
「うんっ、わかりやすいよ!」
 八千穂の言葉が一番わかりやすくてありがたい。
「まあそういうわけで。秘宝を入手してきて欲しいってんでロゼッタのハンターが呼ばれました!」
 声を潜めていたはずなのに、気付けば普通の音量どころか叫ぶように話していた。思わず扉を見るが、まだ誰も入っては来ない。
 ……外でタイミング窺ってたらどうしよう。
「危険な遺跡、なんですね」
 七瀬が覚悟を決めたように顔を引き締め頷きながら言う。あ、やっぱそこは流してなかったか。
 九龍も思わず背を正す。
「あの、そんなわけだから…まずはおれと甲太郎で入ってちょっと様子見しようかなーって…」
 言いかけたとき、ノックの音が響いた。
 やっと来たらしい。
「失礼します」
 扉が開いて入ってきたのは、先ほどの女性ヤアマと、60代を越えていそうな痩せた白髪の老人。民族衣装なのか、不思議な紋様の衣を身にまとっている。
「─────」
「『それでは、遺跡にご案内します』」
 老人が何か呟いたあと、ヤアマが言った。
 自己紹介すらない。
 まあ、ともかく──ミッション開始、だ。
 がらりと変わった部屋の空気に、九龍は心地よい緊張を感じつつ立ち上がった。


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