ここは任せて先に行け─2
「何スか、あんたら」
学園祭当日。
前日まで準備に走り回っていた夷澤は、当日になれば大した出番はない。何か揉め事でも起きない限りは生徒会室でのんびり過ごせる。気が向けば何か出し物やイベントを見に行ってもいい。何かあれば携帯で連絡は取れる。
そう、思っていたのに。
「ああ? リハーサルにも出てただろ。今日はおれの演奏会だ」
響に引きずられるようにして連れてこられた場所。
男が5人、取手用に用意した待機室へと入っている。待機室と言っても、礼拝堂の一室に椅子を並べただけだ。事情を知らない生徒が、場所を聞かれて案内してしまったらしい。
直前まで吸っていたのか、煙草の臭いが充満している。
夷澤は顔をしかめた。
「おれたちが呼んだのは取手センパイであって、あんたらじゃないんスけど」
立っていた男たちが一斉に夷澤を睨みつける。見た目は普通の大学生のようだった。服装や髪形はむしろ大人しめの方だが、内2人は、スポーツでもやっているのか、服の上からでもわかるがっしりした体格をしている。
「心配するな。あいつよりよっぽどいい演奏してみせるよ」
一人椅子に座っていた男がにやりと笑う。気障ったらしい仕草で指を軽く振った。ピアノを弾く真似か。夷澤にはよくわからない。
何にせよ、招待外の人間がこんなところに入り込んでいるのは問題だろう。
夷澤はちらりと時間を確認して言った。
「お引取り願えないっスかね? そろそろ取手センパイ来る頃なんで」
喧嘩越しの口調はいつまで経っても直らない。誰も注意する人間が居ないのだから当然だろう。背後の響も口を挟んで来なかった。
「あー、あいつは来ないよ。だからおれが代わりにやってやろうって言ってんだよ」
「はあ?」
にやにや笑う男たちに不快感が湧き上がる。
確かに約束の時間はもう──過ぎているのだが。
「予定に穴開けちゃ困るだろ? 約束も守れない後輩のためにおれが来てやってんじゃん」
あっけらかんと男は言う。
「…………」
こいつ、殴っていいだろうか。
夷澤はついそんなことを考える。
九龍から今回の取手の出演に関する大体の話は聞いている。話だけでは判断出来なかった、この中心人物の態度だが──決定的だろ、これ。
遠慮をしていい人物には思えない。
「い、夷澤くん待って……!」
一歩前に踏み出した夷澤を横から止めたのは響だった。
何をしようとしたか察してしまったらしい。
「何だよ響」
「あの、ホントに、来れなかったらやってもらうしか、ないんじゃ」
「ああ? こんな奴らに任せるぐらいなら中止の方がマシだろ!」
思わず本音で叫ぶ。
男たちが不愉快そうに顔を歪めた。
そう思われている自覚はないのか。
「おいおい、お前は知らないんだろうけどな? こいつはこれでも、実力なら取手より十分上なんだよ。それを今日証明してやるって言ってんだ。こいつの気持ちも組んでやれよ?」
立っていた男の1人が夷澤に対してため息混じりにそう言う。
心底それを信じている口調。
「可哀想な奴なんだぜ。馬鹿な教授に当たったせいで、ずっと実力を誰にも見せられず終わってたんだ」
「リハーサル聞いてた奴を呼んでみろよ。絶賛してただろ?」
「…………」
男たちが次々にまくし立てる。
それもやはり、単に口先だけの言葉ではないように思えた。
「夷澤くん……」
「何だお前、まさか同情してるんじゃないだろうな」
「そうじゃないけど……でも」
「会長っ、すみませんこっち来て頂けますか!」
沈黙した響を睨みつけていると、別方向から後輩が駆けて来る。学園祭実行委員の1人だ。
「ああ!? 何だ、一体!」
「こ、こっち……暴れてる人たちが居て……!」
「…………」
助けてください、と涙声で言われ、夷澤は仕方なくそちらに向かう。
着いてこようとした響を引き離し言った。
「お前はあいつら見てろ。弾くのは……取手センパイだからな?」
「う、うんっ」
「何かあったら叫べ。窓は割るなよ」
「割らないよ……!」
響は力の調整で、窓は割らずに人体にだけダメージを与えられるようにもなった。
考えてみれば怖い話だが。
「で、暴れてる奴らってのは?」
「お酒飲んでるみたいで。あんなの保護者の人に見られたら問題ですよ……!」
「わかった、すぐ行く……」
ため息をつく。
問題児というのはいつになっても居なくならないものだ。
まぁ、このもやもやはぶつけさせてもらおう、と夷澤は拳を握った。
取手は──間に合うだろうか。
「ねー、いいでしょ、一緒に行こうよ」
「何この子可愛いー!」
「明日の朝までは付き合えるわよー?」
何だこれ。
何なんだ、これ。
九龍は困惑して取手を見上げる。
女性たちに囲まれて困っている取手は、それどころではなさそうだった。
取手は朝、教授に呼ばれていたため大学に向かい、九龍たちも一緒にそこに集合した。用件が終わり、これから天香学園へと向かうところ。
大学を一歩出た瞬間、九龍たちを取り囲んだのは10人近い女性たち。1人1人が腕を捕まれ、身動きが取れない。
しかも全員が──結構美人。
九龍に胸を押し付けてくる女性がかなり際どい格好の巨乳で、つい目がいってしまう。
妨害って。
妨害ってこういうことなのかよ……!
どうしよう、と九龍は背後を見渡した。
今日のために集まったのは九龍の他、墨木、黒塚、肥後に朱堂。
真里野は何故か夏休みが終わった辺りから連絡が取れなくなっている。同じ大学の八千穂に聞いたところ、休学しているらしい。どうも修行の旅に出たようだとの噂だ。いつ帰ってくるやらわからない。
日本中、いや世界中を飛びまわっている黒塚や肥後とは久々に会った。だが再会の挨拶もまだろくに出来ていない。正直大学を出てすぐこんなことになるとは思いもしなかった。
「おい、みんな……」
何とかしなければ、と思うが、普通の女性相手に無理矢理引き剥がすのも辛い。
墨木は予想通りわたわたしているし、黒塚はマイペースに石について語っている。黒塚にくっついている女性が引き気味な顔をしながら頑張って頷いているのはちょっと面白い。朱堂は思い切り女性と口喧嘩をしていた。朱堂に色仕掛けはな。駄目だよな。朱堂担当になった女性が少し哀れだ。肥後はやっぱり可愛いという評価で騒がれていてちょっと悔しい。そして一番女性にくっつかれているのは取手だ。当然だろう。取手を止めるのが目的だ。取手はいつものように困った顔をしている。
これを──助けなければ。
何とかして、取手に絡む女性を引き剥がし、天香に連れて行かなければならない。それが、今日の九龍の任務。
「ねぇ、どこ見てんの。ちょっとぐらいいいでしょー?」
ぐいっと顔を戻される。背の高い女性で、顔が近い。
見た目の割に色気のない喋り方は単なる演技力不足だろう。なのに冷静になれない自分が悲しい。これを冷たく引き剥がして──出来るか!
「きゃー!」
そのとき背後で突然女性の歓声が聞こえて九龍は一瞬固まった。歓声、だ。悲鳴じゃない。
「なになに、どうしたの?」
「この子、この子っ! あの、有名なグルメハンターだって!」
「えええっ!」
「あのサイトの、管理人!」
何だ?
肥後に寄っていく女性たち。九龍が解放された。取手にくっついている女性は迷いながらそちらを見ている。
「そうでしゅ。良かったらこれから美味しいスイーツの店に案内しましゅよ。まだサイトにも載せてない、新しいところでしゅ」
また、女性たちの歓声が上がった。
……スイーツ?
「お店の人とは仲良くしてるでしゅ。一緒に来るならおごりましゅよ」
「行くっ! 私行く!」
「えー! 私もー!」
「ちょっ、ずるい、みんなで行こうよ!」
「えー、でも……」
迷い始めた。
チャンスだ。
女性陣たちの注意が肥後に向いている隙に、九龍は取手を引っ張って駆け出した。墨木たちもそれに続く。肥後は1人残される。
「あっ! ……ま、いっか……」
「いいよいいよ、ちょっと引き止めろって言われただけじゃん。タイゾーちゃん行こうー」
女性陣たちに囲まれながら肥後はにこにことスイーツの店へと向かって行った。
……さすがだぜ肥後。
ひょっとしてこの中で一番女慣れしてるんじゃないか、彼は。
「おおいっ、そこの人!」
「へ……」
走って、ようやく一段落ついたと全員で一旦止まっていると、背後から追いかけてくる集団がある。明らかな体育会系の男たちが数人。視線は取手にある。
思わず身構えた。
「キミっ、困るよ! 今日来てくれる約束だろ」
「え、な、何が」
「天野から聞いてるだろ? ほら──ううん、聞いてたよりちょっと細いな……だが身長はあるし……来てくれるか」
「ちょっ、何だよ一体」
勝手に話を進めようとする男に九龍が口を挟む。男は九龍を見て突然目を輝かせた。
「おおおっ、キミっ、求めてたのはキミのような人材だよ! かなり鍛えているな? いやいや、そんな服を着ていてもわかる。おれの目には見えるっ、その服の下に隠された肉体美が!」
確かに九龍はかなり鍛えている。
筋肉もついているのだが、服を着るとあまりわからなくなるらしく、そう思われることは滅多にない。それについては不満もあったのだが──わかられてもそれはそれで不気味だと気付いてしまった。
「センパイ、でも約束は取手って……」
男の背後に居た、こちらもまたがっしりした体格の男が言う。
「名前など大した問題じゃないだろうっ。力仕事だ。こんな細い彼より役に立ちそうだ。ほら、時間がないんだ。キミが来てくれるということで予定を組んでるんだよ、いいから来てくれ」
「ちょっ、待てって! おれたちこれから用があるんだよ」
「我々の仕事より大切だと言うのかっ!」
「だから仕事って何だ!」
何となくはわかる。
バイトか何か知らないが、仕事を手伝う約束を取手の先輩が勝手にしたのだろう。取手の名を使って。
追いかけてきたからには、取手の外見はちゃんと教えられていたのか。だが、取手じゃなくてもいいと言い出す辺り、詳しい事情は知らなさそうだ。ならば、悪気はない……?
「あ、あのっ!」
「ん?」
「あ……」
「取手ドノの代わりに自分が行くでありマスっ! 力仕事なら得意でありマス! 自分に任せて下さイっ!」
びしっと背筋を伸ばして言い切ったのは墨木。
九龍に近付いていた男が、更に目を輝かせた。
うん、体育会系なら、こっちの方が好きかな?
「おおおっ、キミ! キミが一番見所あるじゃないか! 礼儀もしっかりしている。名前は!」
「墨木砲介でありマスっ!」
「よし、キミに来てもらおう! バイト代は弾むぞ!」
「了解しましタっ!」
男たちに着いて行きながら墨木がちらりと振り返る。
ありがとう墨木。
九龍は思わず敬礼を返す。墨木が何だか嬉しそうに笑っている。
「かっこいいわぁ〜砲介ちゃんっ!」
「墨木くんありがとう……」
もう聞こえないだろうところで朱堂と取手がそれぞれに言う。
九龍はふと、気付いて言った。
「朱堂ちゃん、あの集団は好みじゃないのか?」
「う〜ん、素敵な肉体美だし、顔のいい男も居たけど、ちょっとセンスがねぇ」
そうなのか。
朱堂の基準が厳しいのを実感すると、それに選ばれている九龍は喜んでいいのかどうか複雑な気分になる。
「それより早く行かないと、もう予定の電車には間に合わないよ?」
「ああっ……」
黒塚の一言で我に返る。
最悪、リハーサルの時間がなくなっても本番に間に合えばいいのだが。
それでは何のために来たのかわからない。
九龍たちは一つ頷いて、全員で駅に向かって駆け出した。
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