あなたの代わりはどこにも居ない─11

 息を潜めて待つ。
 それは、九龍にとっては苦行ともいえる時間だった。
 今日は満月の夜。
 前日の夜から遺跡へ潜り、隠れる場所のろくにない中、それでも儀式の場が見える場所で九龍は待機していた。右手がずきずきと痛んでいる。刺された腕と共に夕薙から治療されていたはずだが、結局殴られた背中よりも腹よりも、痛むのは右手だった。単に握り締めているものがあるからか。手は繊細だ。少しの痛みで動きが鈍る。
 ……来た。
 九龍の居る位置。
 儀式の場を見下ろせる場所。
 結局ワイヤーを使って、ほとんど釣り下がっているような状態でそこに居る。上を見上げられても気付かれない細工は、遺跡と似たような色をした布。はたから見たら間抜けだが、この薄暗い中、直接明かりでも当てられない限りはばれないと思う。多分。
 九龍は発見出来なかったが、遺跡への道はショートカットが存在しているのか、敵と戦わず済む方法があるのか。ぞろぞろと奥へと進んだ集団は、意外に多い。主人の他、使用人たちの姿も見える。九龍の職場に居る人物は見たらなかったが、見覚えのある顔もあった。あれは確か、皆守の上司の坂本か。痩せた老人で、力がありそうにも思えない。
 あれが全員──共犯か。
 ふと、集団の中の1人が上を見上げた。
 おいこら大和。
 九龍は心の中で突っ込む。幸い夕薙の動きは誰にも気付かれなかったようだが。
 ……あいつ、上手くやったのか?
 主人に近付いてみると言ったのは夕薙だった。
 秘宝に興味があると、使用しているところが見たいと。
 姪の婚約者という立場がどれだけ信用されているのかは怪しかったが(大体夕薙は自覚はないが、存在が怪しい)、一応この場に来ることは許されたようだった。全て知っているのなら、ごまかしても仕方ないのかもしれないが。
 秘宝を奪われる、とは考えないのか。よっぽど上手くやったのかなぁ大和……。
 そんなことを考えていると、今度はタンカのようなものを抱えた男たちが入ってきた。全身に布がかぶせられていて、死体みたいでぞっとする。
 儀式の場にそれぞれ置かれていく人。生贄。
 ……甲太郎……!
 わかっていたのに、その中に皆守の姿があるのが怖い。全員、捕らえられたときの服装なのか、皆守は制服姿だった。右足ふくらはぎあたりから、血に染まっているように見える。
「……さあ。そこに寝るんだ」
 ぽつりと聞こえた声は主人のもの。
 手を引かれるように祭壇の中央に進んだのは、妙に場違いに若い女性。
 ……娘か。
 女は俯いたまま祭壇に登る。
 これから何が行われるか知っているのか。あの6人を犠牲にして助かりたいと思うものなのか。
「……見るんじゃない」
 女がふと顔を向けた先は、皆守のところだった。
 生贄にされる男に視線を向けた娘を、主人が制す。女はまた俯いた。
「……本当に、やるの」
 小さく呟く声。初めて聞いた声だが、誰のものかわからないはずもない。ここに居る女は、彼女だけ。
「ああ。やっとお前の病気が治るんだ。大丈夫、何の問題もない」
 何がだ馬鹿野郎。
 女が見るからに死にそうな外見をしてなかったせいで、九龍は落ち着いてそこまで思える。深く考えちゃ駄目だ、今は。
「旦那さま……しかし、この者たちは」
 俯いてしまった女に代わり、言葉を出したのは坂本だった。
 九龍は少し目を見開く。
 ここで意見をするのか。
 話の展開に緊張して、九龍はワイヤーを握り直す。
「……犯罪者だ。居なくなっても誰も困らない。いや、むしろ──世のため人のためになるだろう」
 後半が白々しい。本気で信じている台詞じゃなかった。
 だけど、それでもう誰も何も言えない。
 身分を偽り、泥棒のために潜入しているのは確かだった。いや、本当は所有者のあるものを無理矢理奪うつもりなどなかった。だけど、それは九龍にだけ通じる言い訳。多分皆守にすら通じない。
 静かに使用人が離れて行き、娘が祭壇に横たわる。
 ……秘宝は、まだか。
 どんな見た目なのか、大きさはどれくらいなのか、九龍は知らない。
 祭壇に置かれるものだと思っていた。少なくとも石碑にはそう書いてあった。だが、祭壇には娘が居るのみ。主人が何やら操作をして──その娘に月の光が降り注ぐ。やはりここは、吹き抜けになっていた。
 ──いや、そんな場合じゃない。
 もう、儀式が始まるのか!?
 秘宝は?
 祭壇から伸びた光が生贄に向かって走る。
 ちょっと待てちょっと待て!
 九龍は思わずそこから飛び降りた。
「な、何だ?」
「だ、誰だ……!」
 男たちが一斉にこちらを向いた。それを無視して祭壇側を見ていた九龍は、その向こうから別の影が走るのが見えた。
 ──青野!
 まさか、主人たちの後をつけていたのか。そうか、そっちの方が楽か!
 青野が向かっているのは娘のところ。
 秘宝はあそこにあるのか、娘を人質に取るのか。
 青野の手にナイフがあるのを見て焦る。
「と、捕らえろっ!」
「ちょっと待て、そっち……!」
 男たちは最初に降りてきた九龍を見ている。あああ、おれが囮になったような状況じゃないか、これ!
 夕薙も──遠い!
「青野っ……!」
 とにかく叫んだ。目の前の男たちを蹴散らして向かう暇もない。男たちの何人かはつられるように祭壇を見たが、青野は既に娘の目の前。
 娘が騒ぎの中僅かに体を起こした瞬間だった。
 青野の姿が真横に吹っ飛ぶ。
「な……」
 突然横から出てきたその男は、娘の体を抱いて祭壇から離れた。月明かりに照らされたその男は──
「こ、甲太郎!?」
 娘は皆守の姿を確認するように見ると、そのまま縋りついて男たちを見回す。
 えええええ!?
「お、お前、何で……!」
 状況を理解できない使用人たちはばらばらと九龍と娘の間の道を開けていた。九龍たちのためではない、ただ両方の姿を確認するために動いたのだろう。
 皆守の全身がようやく見える。
 皆守は少し顔をしかめた。
「何でそんなに驚いてやがる。無事は知らせただろ」
「そ、そうなんだけど……あれ、いや、そうなのか……?」
 倉田から渡された意味不明の文字列。
 九龍にわかったのは──それが皆守の字であるということだけ。
 無事を知らせたものだと、確かに九龍は正しく解釈した。
 ただ、命は無事だと、それぐらいしかわからなかったのだ。
 だが生贄となっている男たちは、多分眠らされている。皆守も、そうなのかと。
「やっぱり、あの暗号か……」
 壁際まで吹っ飛ばされていた青野が顔を歪めつつ呟くように言った。手加減なしの蹴りに見えたが、その割にはダメージが薄い。本気でやったら立ち上がれるものじゃないはずだ。かなり無防備に受けたように見えたし。
「……甲太郎、足……」
「悪いが怪我は本物だ」
 血まみれの右足。さすがにもう血は止っているようだが。左足だけで立っているような、不自然な力の入れ方。
「役に立たねぇな、お前は!」
「立っただろうが」
「っていうか」
 青野がまだ。
 負傷している皆守と娘。どう考えても向かうのはそっち。
 九龍と、ついでに夕薙は当然2人のもとへと向かった。邪魔はない。
「き、貴様ら……娘を返せ!」
 あ、そうなるのか。
 娘は皆守に縋りついたままだ。そもそも立つのが精一杯の皆守を、支えているようにも見える。
「……お前、いつ誑かした」
「……人聞き悪いこと言うんじゃねぇよ」
 そうとしか見えないじゃないか!
 明らかに娘さん協力者だろう、これ!
「坂本っ、どういうことだ……!」
「……坂本さんは関係ないよ」
 娘の声は、年齢より幼く感じる。
「皆守さんって睡眠薬効かないんだって」
 マジか。
 いや、はったりか。
 薬なんかなくても寝ていいと言えばどこでも眠りそうな男だが。
「お前、なんで」
「嫌だって言ったじゃん……生贄とか……。ずっと言ってたじゃん……」
 娘はまるで責めるように主人を睨む。
 子どもっぽい喋りが、ただのわがままのようにも響く。だからだろうか、主人は逆に怒りの表情になった。
「お前が嫌でも……病気が治るならそれでいいだろう……! 何のために、父さんが、」
「でもみんな嫌がってるよ。私だけじゃないもん、みんな……」
 娘が使用人たちを見渡す。主人がはっとしたように周囲を見た。男たちは皆視線を逸らして俯いている。
「だから、儀式は失敗させようかなって。やっても何も起こらなきゃ、諦めるかなって」
「何も……」
「秘宝は、もうないよ」
 娘が言った。胸元に当てた手。そこに、あるはずだったのか。
 主人の表情が変わる。それに反応したのは青野も──九龍も同じだった。
「え、そうなの」
 九龍が真っ先に言葉に出す。娘は一瞬九龍に目をやって、それから皆守を見た。
「……捨てちゃったから。念のため、それでも何かありそうだったら──皆守さんが動くって」
 九龍も皆守を見た。
 確かに何かが発動しかけてた。それは、この場所のせいか。
 というか──九龍が動いたのが悪かったのか、ひょっとして?
 いや、でも九龍が来なくても青野が──でも青野は儀式が終わってから秘宝取ったんでも良さそうだし、むしろ秘宝が本当に効くか確認するつもりだったかもしれない。
 ……九龍が邪魔しなけりゃ、秘宝は役に立たなかった、で済んでたのかひょっとして。
「……お前、ちゃんと説明しとけよ……!」
「下手に何か書いてばれたらどうすんだ」
「暗号にするとか!」
「暗号解く頭があるのかお前は」
 それはそうかもしれない。
 だから九龍は、皆守の書いた意味不明の文章を見ても、それが暗号かもしれないとは欠片も思わなかった。おれが解けないものを書いても意味がない。
 どうやらそれを盗んだらしい青野は、暗号と思って多少振り回されてくれたらしいが。
「でも……や、大和に解いてもらうって手もあるし!」
「大和向けに作った暗号が解かれても解かれなくてもむかつくな」
「何だそれ!」
 隣で夕薙は苦笑している。
 まあ九龍も、大和に暗号が手渡されていたらそれはそれで嫌だったが。
「……倉田くんは何で?」
「あ? 倉田? ああ、あいつから貰ったのか」
「私が直接渡すよりはいいと思ってな」
 答えたのは坂本だった。
 ああ、手引きしたのは坂本か、全部。
「で、どうする九龍」
「どうもこうも……秘宝がなくてお前が無事なら、もうやることはないだろ」
 主人も使用人も、九龍たちに向かって動こうとはしない。
 勝てるわけないしな。九龍は今銃を手にしている。
 このまま逃げるだけなら、誰も追ってはこないだろう。
 九龍は、皆守にしがみついたままの娘を見下ろす。
「ええと……」
「屋敷を出るまでなら、人質でいいよ?」
「いや、それはちょっと……」
 別に人質などなくても逃げ切れる。いや、皆守の負傷は足か。なら居てくれた方がいいのか? そんなことを考えている間に──青野が間近まで迫っていた。
「……秘宝はないんだってさ」
「さっき聞いたよ」
「じゃあお前ももう、ここには用はないだろ」
「……本当にないんなら、ね」
「?」
 青野はゆっくりした動作でナイフを向ける。何だか真新しい。ああ、元々使っていたナイフは九龍に突き刺して回収出来てないのか。
「ねえ、本当にない? 秘宝がないのに、儀式が発動しかかったのは何で?」
「………」
 娘が怯えるように皆守にしがみつく力を込める。九龍はそれを庇うように青野との間に立った。
「しつこいなお前。しかかっただけで、してないだろ」
「だからね──皆守くんが持ってるのかと」
 青野がちらりと皆守に目を向けた瞬間。
 九龍の視界が大きくずれた。覚えのあるこの感覚! 九龍の頭があった場所をナイフがよぎる。
「いきなりかよっ!」
「お前もぼーっとしてんな……!」
「うるせぇっ……!」
 皆守の見切り。
 だけど、今回はこれっきりだ。
 皆守と娘が少し離れていく。夕薙はその前に立った。ああ、つまりおれ一人でやれってか!
「お前な、そんな根拠もなく、」
「さっきのお嬢さんとのやり取りで何となく思ったんだけど、違う?」
 皆守も娘も何も言わない。
 嘘でもいいから違うって言っとけ!
 ってか本当に持ってるのか、甲太郎!?
「持ってはないな。儀式の発動は場所と日付、状況がある程度揃ったからだろ。自分が生贄になるのにそんな危険なもの持ってくるか」
 ワンテンポ遅れて皆守の言葉。
 ああ、本当に持ってなさそうだ。でもそれは今手にしてないってことか? ある場所は知ってるのか?
「……大和、九龍を手伝え」
「大丈夫なのか?」
「……ああ」
 背後で聞こえるやりとり。
 青野相手にいける自信は確かにない。手に持った銃を撃たないのは、右手の痛みが大きい。青野から受けたダメージが回復しきれてない。
 遺跡の中とはいえ、これだけ大勢の目の前でなるべく撃ちたくない気持ちもある。ああ、おれはどこまで駄目なんだ。
 どうせ使えない武器は仕舞って、九龍は鞭を取り出す。得意武器。これなら滅多なことで殺しもしない。
「……鞭か」
「ナイフ程度じゃ傷つかないぜ、特別製だからなっ!」
 夕薙も駆けつけてきた。
 遺跡深部、得意武器、バディあり。
 途端、負ける気はしなくなった。
 当たり前だ。1人で勝てないなら2人で。
 そこに何の疑問もない。
 主人や使用人たちがただ見守るしかない中、九龍は戦い続けていた。


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