あなたの代わりはどこにも居ない─10

 8月25日土曜日夜。
 予定より遅れて、主人が帰宅した。
 満月まではあと3日。皆守が居なくなった日以来、仕事を休んでいた九龍は、人目を避けながら探索を続けている。遺跡と、いまだ入ったことのなかった部屋だ。
 それでも、生贄とされた者たちの姿は見付からない。使われていない、あるいは使われていることになっている使用人の部屋などに居る可能性を考え、片っ端から当たってはいるが、なかなか難しい。中に居るのが誰か、など、入ってみないとわからない。
 もう一つ別方向の考え方として、生贄を生かすのであれば食事を運んでいるのではないかと、九龍は土曜日になって出勤し、食事の行方を気を付けて追ってみた。だが、わからない。量も人数も多過ぎて、また、食堂のような場所はあるものの、自室に持ち込んで食べることも可能なため、誰かが余分に持って帰っても偶然以外で気付けるとは思えなかった。
 残る手段は、主人の動きを見張ること。
 最悪、遺跡のあの場所で待ち伏せしかないとは思っている。それでも出来るだけ早く見つけだしたい気持ちがある。待っているだけは性に合わない。
「さて……」
 制服に身を包み、懐にハンドガン、袖口には小さなナイフを取り付けて、おれちょっとかっこいい、などと思いながら九龍は主人の部屋の扉を見つめる。この辺りまでは使用人は滅多に来ない。見付かったなら言い訳はしにくい。その場合──堂々と言ってしまおうかとも思う。皆守を探していると。仲間だと分かればどう対応するか。場合によっては九龍も捕えられるか。いっそそれを狙ってもいいと思っている。九龍自身も結局、罠には自ら飛び込むタイプだ。
 ……まあ、先に夕薙が上手くやってくれればいいんだけど。
 一応主人の身内の婚約者。九龍よりは当然近付きやすい。
「……あの」
「うおわっ……!」
 そんなことを考えながら真剣に気を張っていたはずの九龍は──声をかけられる直前まで背後の気配に気付かなかった。
 いや、聞こえていたはずだ。足音も、息遣いも。あまりに普通に歩いてきたため、逆に意識に上らなかったらしい。
「お前っ……え、と……倉田?」
「は、はい」
 皆守と同じ屋敷外の掃除人。皆守より先輩だが年下で、九龍にも敬語を使ってくる。
「な、何だ? おれに何か用か?」
 僅か引きつった顔でそう言うが、倉田は俯いていて九龍の表情を見ていない。手に何か握り締めているのが見えた。
「……倉田?」
「あの……これ」
 右手に持ったそれを九龍の胸元に押し付けてくる。戸惑いつつ受け取ると、倉田はそのまま踵を返し、駆けて行ってしまった。
「……何だよ」
 ラブレターか? など、ツッコミが居れば口に出していた言葉を思い浮かべつつ、押し付けられた紙を開く。
「……………?」
 一瞬何なのかわからなかった。
 絵と文字と数字の羅列。特に意味を成してない。
 だがどこか見覚えがある。
「………あっ!」
 思わず叫び声を上げた九龍は、慌てて辺りを見回したあと、主人の部屋のドアが開きかけるのを見て全速力でその場を逃げ出した。










 ねえ、九龍。
 頭の中に晶子の声が蘇る。
 あなた、呑気に働いてていいの?
 それは、九龍が再び屋敷の仕事に戻って3日目のこと。
 真剣な顔をしてそう言って来た晶子に、九龍は一瞬言葉をなくした。責められているように感じたからだ。
 もう、明日は満月の夜。皆守のことも秘宝のことも、諦めたわけでは勿論ない。待ち伏せが最良の手段だと判断しただけだ。それでも、何もしない3日間に焦燥を感じていなかったといったら嘘になる。そこを、突かれた気がした。
「──っくそ……!」
 晶子に気を取られ、つい思考に沈んでしまっていた九龍は、背後からの気配に反応するのが遅れた。ほとんど無防備に食らった背中への一撃は、骨ぐらい折れていてもおかしくない勢いだった。何とか振り返ったが、痛みで硬直した身体に、今度は腹に向かって一発。瞬間、腹筋に力を込めるが、重い。
「……くそ、はこっちの台詞だな……」
 青野。
 今の二撃で九龍が倒れなかったことに対してだろう。
 おれの打たれ強さ舐めんなよ。皆守にどんだけ蹴られてると思ってる。
「殺すつもりなら、そっち、使え、よ」
 思ったより声が出し難かった。ダメージを感じさせてしまう気がして口を閉じ、無理矢理笑みを作る。
 いつの間にか青野の手に握られていたのはナイフ。いや、最初から持っていたのかもしれない。だが、ここで刺せば血の始末が面倒になる。ただそれだけだろう。九龍は蹴られた勢いで、既に裏庭方面へと足が出ている。以前にも晶子に話しかけられた場所。荷物を運びに来る九龍以外、滅多に人は来ない。あまり遅くなると、以前のように同僚が迎えに来る可能性はあるが。
「っと……」
 青野は何も言わず九龍に向かってきた。予備動作も声かけもない分、やたら速く感じる。九龍はナイフから目を離さず、自分もそちらに踏み込んだ。
「お、わっ……」
 蹴ってやろうとしたのに、振り上げた足にナイフを突き立てられそうになる。慌てて避けてバランスを崩すが、何とか倒れずに済んだ。
 くそ、やっぱりおれ戦い方下手だ。
 せめて武器があれば。
 実はハンドガンは忍ばせてあるが、こんなところで撃つわけにいかない。大体相手は化人でも何でもない人間だ。これが遺跡の中なら。レリックドーン相手なら。多分九龍は引き金を引ける。日本という場所、見た目好青年の相手というのが、無意識の内に九龍にブレーキをかけている。
 ──逃げるか。
 九龍はちらりと晶子に目をやった。
 怯えているようにも見える晶子だが、その場から動く様子はない。足が竦んでいる──のとも違う。
「……一応聞くけど、晶子さん、こいつと共犯?」
 晶子の顔が泣きそうに歪んだ。
 え、ちょ、ちょっと。
「夕薙さんとは別れるってさ」
 青野が妙に嬉しそうに言った。
 ちょっと待てお前。
「いや、まあ、惚れたってんならいいんじゃないか? ……お互いに、なら」
「おれはそういうのどうでもいいな。相手が自分のこと好きじゃなくても、好きな相手が側に居てくれたら嬉しくない?」
「……そこだけ取るなら正論にも聞こえるのに何か凄い違和感」
 ああ、脅してるようにしか見えないからだ。
 でも多分青野は脅してはいない。
 ナイフを振り回すその姿だけで、普通の人間を怯えさせるには十分なんだけど。
 意外にそういうの理解してない奴っているんだよな。平気で人を傷つけてると。
「なあ、お前どこの組織だ?」
 少し口が軽くなったかと思ったのに、質問の方向を変えれば直ぐに戦闘態勢に戻る。駄目か。
「なあ、おれたちが戦うの、秘宝手に入れてからでも良くないか!」
 青野は手を緩めない。
 ま、どうせ早い者勝ちだしな。ここで先に始末した方が楽なのはわかる。
 一度相手の手に渡ってしまうと、取り返すのは面倒になる。九龍は砂を蹴り上げ目くらましをしながら、青野との距離を離していく。人気の無い方向に向かうのは、青野にとっても好都合だろう。
「何か喋れよっ!」
 戦闘中でもいつもぐだぐだ叫んでいる九龍は、こういう無言の相手が一番辛い。プロほどこうなんだよな、つまんねぇ!
 何だ貴様とかやるなお前、とか何かないのかよ!
「晶子さんって可愛いな」
 ……ようやく。
 少し青野が反応を見せた。
 ああ、少しこれで話したいけど!
 さすがにこれ以上長引かせるわけにはいかない。
 青野のその一瞬の隙の間に取り出したハンドガン。狙いは、急所さえ外れていれば、などと考える間もなかった。
 取り出して、引き金に手をかけた瞬間、右手に激痛が走る。
「痛ぇっ……!」
 青野が九龍の右腕を押しのけるように──ナイフで。
 そのまま青野に蹴り飛ばされ、九龍の右手から銃が飛ぶ。幸い暴発はしなかった。九龍は銃の行方に目を向けず、そのまま青野に飛びついた。タックルだ。さすがに力や体格なら、九龍が上のはず。
 青野が身体を捻り半分避けたせいで、倒せない。しがみつかれたその姿勢のまま、九龍の腕にナイフを突き立ててきた。
「痛……っのやろっ」
 だがそれで、ナイフが塞がった。
 再び青野に突進して、今度こそ青野の体勢が崩れる。
 腹に重い一撃を叩き込んでやった。
「ぐっ……」
「青野っ……!」
 そのまま馬乗りで殴ろうとしたところに、晶子の声がかかってはっとする。
 その隙に青野が九龍の下から抜け出した。
 あああっ、もうっ!
「九龍!」
 だがそこに救いの声。
 駆けつけてきたのは夕薙だ。
「……ちっ……」
 青野は舌打ちしてそこから去って行く。さすがに、2人相手にする気はなかったか。九龍は壁に背をあて大きく息を付く。
「おいっ、大丈夫か!」
「ああ……。けど、治療お願い……」
 突き刺さったままのナイフを見せれば、夕薙が顔をしかめる。その後ろから、晶子も近付いてきた。
「……晶子さんも、大丈夫?」
「わ、私は……」
「……あいつのところに行くのか? 晶子」
 夕薙は九龍の腕をざっと見て手に持っていた上着のポケットに手を入れる。それ、カバン代わりなのか。治療道具持ってんのか。
 そもそも癒しの手を持つ夕薙だ。
 触れられた箇所から痛みが引いていくのを感じる。
「……ねえ、甲太郎はどうなったの」
 晶子は夕薙の問いには答えず、そんなことを言う。
 晶子に背を向けている夕薙は気付かなかっただろうが、九龍にはその表情がはっきり見えた。そこにある怯えは、少し不愉快だ。皆守の身を心配するものではない。皆守の身に何かあったときの、自分の身を心配するものだ。共犯、なのだ。やはり。少なくとも、何かあったとき自分にも責任はあると思っているのか。
「……甲太郎は少々の怪我なら大丈夫だよ」
「だっ……て、血が」
「……大丈夫なんだよ」
 夕薙は無言で九龍の治療を続けている。
 九龍の強い目に、晶子は戸惑っていた。
「……あなたのとこに、いるの? じゃあ、あの、暗号……」
「暗号?」
 晶子がはっとしたように口を閉ざした。
 ……ああ、暗号ね。
「……うん、まああれがあったから安心してるって感じかな。青野もそこに行くんだろ?」
「…………」
 晶子は何か考えるように目を逸らしている。
「晶子」
 治療の終わった夕薙が晶子を振り返る。
 あれ、いつの間にナイフ抜いたんだ。
「おれたちは秘宝を奪い、甲太郎を救う。それで、お前が青野に従う理由はないだろう?」
 九龍は少し俯いた。
 夕薙の病を治すかもしれない秘宝。だが、使えるわけがない。夕薙はあっさりその結論を出した。それは、自分のことだからかもしれない。他人のためという大義名分が立った方が、動きやすくなることはある。
「……青野に、負けたじゃない」
「っ! ま、まだ負けてない……!」
 痛いところだった。
 真正面から勝負して、勝てたかどうかは怪しい。不意の一撃がなければ。九龍の用意が万全なら──それで、互角か? あんまり認めたくはない。
 多分おれに──いや、皆守も含めて、足りないのは殺す覚悟。そんなものなくていいけど、殺すつもりでかかってきている相手に遅れを取るのは仕方ない。
「それに……青野は……病気の妹が居るって……」
「は?」
「……ほ、本当かどうかは知らないけど。あいつが秘宝を狙うのそのためよ。少なくとも金じゃないわ」
 何故か後半部は、間違いないと確信を持っているような瞳で言われた。
「……それじゃ」
 呆けている九龍の顔を見て、晶子は呟くように言うとそのまま青野の後を追って駆けて行った。
 えーと。
「……どう思う、大和」
「少なくとも彼女の言葉に嘘はなさそうだな」
 病気の妹ね……。
 屋敷の主人だって、生贄は自分の娘のためだ。放っておけば先の長くない病の娘。
 九龍はそれを天秤にかけることすらしなかった。6人の生贄の命。おまけに、その中に皆守が入っている。
 だけど、もし主人の娘と懇意にでもしていたら。
 九龍も、悩んだのかもしれない。


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