あなたの代わりはどこにも居ない─9

 皆守が消えた翌日。
 携帯は当然通じない。皆守の私物も、確かに見当たらない。九龍は仕事を休んで自室で夕薙を待っていた。
 まだ。九龍は自由には動けない。
 皆守に何かあったのであれば、これ以上真面目な使用人の振りをする必要もないが、その仮面を捨てるべきときの見極めは大事だ。……と、夕薙に言われた。落ち着け、と言ったのも夕薙だ。大丈夫。おれは落ち着いてる。実際は夕薙の方が動揺しているようにも九龍には見えた。
「大丈夫……だよな……」
 根拠もなく、そうとしか思えない九龍。
 自分が酷く楽観的なだけだという自覚はない。
「九龍」
「あ、大和」
 がちゃり、とノックもなく入ってきたのは夕薙。鍵はかけていなかった。ちょっと忘れてただけだ。考え事してたからとか、そんなんじゃない、多分。
「何かわかったか?」
「……晶子のところへ行って来た」
「晶子さん……?」
 大和の婚約者が何か関わっているのだろうか。
 夕薙は難しい顔のまま説明を始めた。
 明らかに荒れていた部屋の中。なくなっている絨毯。廊下付近に、拭き取った血の跡。
 おいおい。
「……おれに問われて明らかに動揺していた。ただ、甲太郎の行方については知らないと」
「な……お前、それ信じたのか?」
「……晶子の説明はこうだ。夜中に甲太郎と2人きりで部屋に居た。そこを突然男に襲われた。甲太郎は負傷しつつも、晶子を置いて逃げた。男は甲太郎の方を追って行き、その後のことは知らない」
「……うさん臭ぇ……」
「だが、完全に嘘ではないと思う」
 思わずもらした九龍の呟きに、夕薙はきっぱりとそう言った。
 驚いて言い返す。
「はあ? まず、甲太郎と2人きりで部屋に、とかからおかしいだろ! 例え誘われたってあいつが着いて行くわけ……」
 九龍はそこで言葉を切った。
「……着いて行くのか? あいつ……」
 実は結構来るもの拒まずとか。
 そもそも晶子さん、すげー美人だし。
 ……って、いやいや、そういう話じゃない、はずだ。
 九龍は少し真剣な目になって夕薙を見た。
「晶子さんに気を付けろってのは……あいつだって言ってたはずだよな?」
 警戒していたはずだ。皆守にとって、晶子は信用出来ない女のはずだ。
「ああ。だが──着いていかなかった、とは言い切れない」
「何で」
 純粋な疑問符を浮かべた九龍に、夕薙は言った。
「──九龍、覚えとけ」
「な、何を」
「あいつは確かに警戒心が強い。だが──誘いにも罠にも、ある程度は乗る」
「……そういや……そんな気が」
 何でだ。
 いや、自分にもそういうところはある。
 誘いや罠だと気付いても、断ればそこで終わってしまう。先を見るためには──乗るしかない。
「……大体はお前と同じだろう。自分に自信があるから、罠だとしても何とかなると思ってしまう」
「えー……おれと一緒じゃ、駄目じゃん……」
 そこは止めるのが皆守の役目じゃないのか。
 いや、九龍はそれで止まることはないが。だから先に皆守が行ってしまうのだとはわからない。
「じゃあ……甲太郎は、晶子さんのとこに行って……次は突然男に襲われたって?」
「晶子が甲太郎を傷つけられるとも思えないしな。誰か第3者が居たのは確かだろう」
「……青野」
「ん?」
「怪しいのが1人居る。おれたちと同時期に使用人になった奴だ」
「ああ、あいつか……確かに、只者じゃなさそうだったな」
「それに甲太郎の話じゃ、晶子さんに惚れてるっぽいしなぁ。……大和、自分の婚約者ぐらいちゃんと自分のもとに引き止めとけよ」
「随分言うことが変わったじゃないか」
「悪い奴相手になら騙してもいいだろ!」
「……なるほど、そういう考えか」
 何も知らない一般女性を誑かすのは問題だと思うが。
 騙し合いなら乗らなきゃ駄目だ。
 九龍は半ば自分に言い聞かせている。
「……ってことは、青野が甲太郎と戦った……ってことかな……?」
 青野は特に負傷している様子はなかった。皆守と戦ったとして……無事で済むものだろうか。思った以上に、青野の技術が高いのかもしれないが。それでも、そこまで強いとは思えない。九龍の皆守に対する信頼で一番高いのは、その戦闘能力に関する部分だ。1対1で負ける皆守は想像出来ない。
「……九龍、もう1つ情報がある」
「ん?」
「屋敷の主人が帰ってくる」
「え? あ、やっとか」
 九龍が勤め始めて以来、1度も姿を見ていない主人。単純に仕事が忙しいらしい。いつ帰って来るとは、誰も聞かされていない。
「晶子の言葉なのでどこまで信用していいかわからないが──主人はこう言ってたそうだ」
「ん?」
「『やっと揃った』とな」
「…………」
「まあ、奥さんとの会話の盗み聞きだそうだから、嘘でなくても聞き違いという可能性もあるが」
「いや……それ、まんまだろ。完全に──生贄のことだろ……」
 最初に消えた使用人2人。
 屋敷内で捕まった男が1人。
 皆守に倒された侵入者が2人。
 生贄に必要なのは、6人。
「あー、やっぱそうか。じゃ、秘宝と甲太郎、両方同時に取り返すって感じだな」
 秘宝は取り返すじゃなくて奪う、なんだけど。
 笑って立ち上がった九龍に、夕薙が少し複雑な表情を向けてきた。
「……何だよ?」
「甲太郎は、生贄に攫われたと、そう思っていたのか?」
「いや、まあ所持品消えたとかそれっぽいだろ。それに……去年の話なんだけど」
 話が長くなる予感に、九龍は再び腰を下ろす。
「あいつ、前にも生贄になりかかったことあってな」
 去年の夏。
 七瀬の見付けた遺跡で、罠にかかり、危険な遺跡の奥へと1人進むことになった。
 あのときのことが頭を過ぎっていたのかもしれない。皆守の不在を知ったとき。
「そうか……」
 そのときのことを話すと、夕薙は納得したように頷いた。
 あのときも、考えてみればやばかったのか。
 真里野や九龍が間に合わなければ、どうなっていたかわからない。
「九龍」
「……はい?」
「晶子や青野の目的は、秘宝の使用じゃないだろう? 生贄が必要なのは主人の方だ。生贄ならば生かされるが、ただ邪魔者だと思われただけなら──殺されていた可能性もある」
「…………」
 九龍は目を見開いた。
「……いい方にしか考えないのは、お前の長所でもあるかもしれないがな。さすがに──能天気過ぎる」
 目をそらされて、ぽつりと漏らされたその言葉。
 それは今までのどんな説教よりも──効いた。
 夕薙は、ずっとそれを心配していたのか。その可能性を……ちゃんと考えていた。
「……おれはもう少し情報収集してみる」
 俯いてしまった九龍を見て、夕薙も僅かに気まずげにそう言うと、そのまま部屋を去って行った。
 九龍は、ずっと手に持ったままだった携帯を見下ろす。
 表示されている皆守の名前。
 何度か発信はしたが、繋がっていない。
 ……殺されていた可能性。
 そうだ。結局九龍は、それを考えていなかった。口ではやばいまずいと言うけれど。真剣に、そんなシチュエーションを想像したこともない。
 今だって、まだ殺された可能性が消えたわけでもないのに、どうしてもそう思えない。
 九龍は俯いたまま、しばらく動けなかった。










「旦那さまが帰って来るのは明日? 明後日?」
「早ければ明日の夜……遅くても明後日には、って話よ」
「……そっか」
 青野は、月のカレンダーを表示させた自分の携帯を眺めていた。
 晶子の部屋の中。ちらちらと視線をよこされてるのを感じて心地良い。昨日、皆守を追う青野を止めたのは、晶子だった。皆守のためと言うよりは、殺し合いに関わりたくなかったのだろう。あれで皆守が殺されれば、晶子も共犯にされる可能性がある。そうでなくても、見殺しにしたような感覚は残るのだろう。青野には理解しにくい、一般人の思考。
 青野は、人殺しだ。
「……ねえ」
「ん?」
「……甲太郎は……大丈夫なの……?」
 皆守の話をされるのは少し不快だ。
 青野の表情が変わったのに気付いたのか、晶子が少し怯えたように後退さる。慌てたように付け加えた。
「別に甲太郎のことを気にしてるわけじゃないわよ。ただ、純粋に疑問って言うか……。荷物を隠したのはあなたなの? 死んで……るのなら」
「死んでませんよ」
 青野はそこでようやく携帯から晶子に視線を移した。
 綺麗な人だ、と思う。最初に感じた気持ちは嘘じゃない。
「あれくらいの傷で人は死にません。まあ何日も放置したらわかりませんが。彼は治療のスキルぐらい持ってるでしょうし」
「……そうなの?」
「少なくとも一般人じゃないでしょう」
 半分ははったりだった。
 だが、九龍や皆守に対する印象としては間違いではない。
 青野から見た葉佩九龍は、どうにも掴みどころのない人物だったが、おそらくハンターだろうということは初対面で見当を付けていた。だが、仕事は真面目にこなしているし、あまり周りを見ているようには思えない。青野のことも、晶子のことも警戒しているようには見えず、勘違いか、さもなくば素人同然の新人ハンターかとも思った。
 だが皆守は違う。
 やる気のない振りでだらけた様子を見せながらも隙がない。会話の端々からこちらを探るような調子も見え、青野のような人間には却ってわかりやすい。ぴりぴりした警戒が伝わってくるのは、愉快でもあった。だが、こちらは逆に、ハンターという印象は抱けなかった。九龍のことがなければ、屋敷側、つまり秘宝の守り手側だと思っただろう。
 2人が組んでいるのは確実。ならば、皆守は九龍のサポート役。あれぐらいの傷、おそらく自分で何とか出来る。
 詳しくは説明しなかったが、晶子は納得したように頷いた。
「あと……彼の私物を隠したのはぼくじゃありませんよ」
「……そう…なの……?」
「ずっとぼくと居たじゃありませんか。いつそんなこと出来るって言うんですか」
「……それは……でも、朝になったらあなたも仕事に出たし……」
 夜中も色気のある行為があったわけではない。
 荒れた部屋の片付け、血の始末に時間がかかった。
 それでも後ろめたいことの共有は、気持ちを近づける役に立った。少なくとも青野はそう思っている。
「……倉田くんにね、ちょっと話を聞きたいんですよ」
「彼は……居るの?」
「居ますよ? 今日は仕事休みの日なので出てきませんでしたが。ぼくが行くと怖がられますし、気になるんなら彼に聞いてみたらどうですか。皆守くんの行方」
「…………」
 青野単独で行ったときはさすがに扉を開かなかったが、坂本と共に行ったときは、顔を見せて対応してくれた。部屋の中から強い血の臭いはしていたが、皆守の姿はなく、隠れているような気配もしなかった。
 何か知っているのだろうが、こうして晶子と共犯者となった今、青野は皆守の行方にはあまり興味がない。ただ──晶子は気付いていないが、突然帰宅を決めた主人の話から、主人側の人間に捕えられたという可能性もある。倉田がそうだとは思えないが、倉田を通じて、ということはあるだろう。
「……行かないんですか?」
「…………いいわ。私には……関係ないもの」
 間を置いて言った晶子の台詞に、青野はつい満足気な笑みを浮かべていた。


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