あなたの代わりはどこにも居ない─8
「ごめんなさいね、こんな夜中に」
九龍たちが遺跡に入って行った夜。
薄暗い部屋の中、晶子が微笑む。
連れてこられたのは晶子の私室だった。
「ホントにな。誰かに見られたらまずいんじゃないのか?」
一応婚約者のある身で夜中に男を引き込むなど。
正直晶子の評判から考えれば、晶子らしい、で済まされそうな気もするが。夕薙は寛容だ、という評価だ。皆守にはそんなカップル理解出来ないが。
「あなたはどうなの? 誤解されてまずい人はいる?」
「……いや」
皆守はほとんど無意識にアロマパイプをくわえている。火を付けようとしたとき、ようやく他人の部屋だと気付いて手を止める。晶子は笑って言った。
「いいわよ、付けて。父さんも伯父さんたちも吸うからね。タバコは気にならないのよ。灰皿もあるわよ?」
「タバコじゃねぇよ」
言い飽きている言葉を、それでも律儀に告げる。火を使い、灰が落ちる時点で喫煙にはなるのだろうが。
「で、話ってのは何だ」
机の上から灰皿を持ってきた晶子は、皆守の言葉に視線を逸らす。
「……焦らなくてもいいじゃない。今日は、大和も九龍も居ないのよ」
「あの2人の話なんだろう」
「関係はあるわ。けど……あなたと話がしたいのよ。わかるでしょ」
心細げなその視線。
皆守はため息をついた。
「下手な芝居は止めろ。いいから単刀直入に言え。おれや九龍たちを利用して何がしたい」
いまだに色仕掛けが通じるとでも思っているのか。九龍になら通じるかもしれないが、皆守は基本、女性に対して冷めた目線を持っている。引いている、と言ってもいい。九龍は大人だと評価しているが、実際のところそんな性格のせいで九龍より経験は少ない。言ってはやらないが。
「………冷たいのね。私は……本当に……」
晶子の声がかすれる。
演技だとしたら本当に大したものだとは思う。だが、皆守はそれが本当かどうかもどうでも良かった。
「大和のことは利用してるんだろ?」
「それはっ……それはお互い様でしょ! 利害が一致しただけよ。なのに……あの人は何もしてくれない」
「秘宝をどうにかしたいってのは真実か」
「そうよ。あんなものがあるせいで、この家はおかしくなったのよ」
「おれたちみたいなのも来るしな?」
「…………」
晶子は唇をかみ締めた。
表情や言動からその本音を読み取るのは難しい。
「あなた……本当に強かったわ。あなたならって……そう思ったのよ」
侵入者を叩きのめしたときのことだろう。
銃を持った相手に丸腰で挑めるのは、確かに皆守ぐらいかもしれない。もっとも、侵入者は大した実力者でもなかった。九龍でも何とかなっただろう。
「強い奴が必要なんですか?」
突然、皆守の背後から声がした。
反射的にその場から飛びのく。扉を開けて入ってきたのは──青野。
「あ、あなた……」
「立ち聞きか? 屋敷の人間の部屋の前ってのはまずいんじゃないのか」
「中に入っている君に言われたくないよ」
「おれは、本人に誘われたわけだしな」
青野が皆守を睨みつける。挑発のつもりはなかったが、結果的にそういうことになってしまった。
晶子が少し慌てて皆守に目を向ける。
「ちょっと……! 鍵かけてなかったの!」
誰がかけるか。
自分が信用されてない自覚はないのだろうか。晶子は。
「ねえ、晶子さん。……ぼくじゃ駄目ですか」
「…………は?」
青野の直球な台詞に、晶子が目を瞬かせる。
ぴりぴりした空気を感じて、皆守はさらに一歩下がった。青野が、ちらりと皆守を見る。
「……皆守くんより、強いと思いますよ?」
「な、何言って……。あんたじゃ話に……」
初めに夕薙、そして九龍と声をかけたことから、わかりやすくガタイのいい男を晶子は選んでいるのだろう。だが、青野の隙のなさには皆守も、いや、九龍ですら気付いている。おそらく九龍たちと同じ目的ではないかと既に判断されていたが──。
「証明しましょうか」
青野が動いた。
きらりと手元で光ったのは──ナイフか。
その攻撃を見切って避け、そのまま部屋の奥へと進んでしまう。
青野は無言で距離を詰め、更にナイフを振るう。単調な攻撃で隙だらけ。だが誘いだとしたら──甘い。
皆守は背後の椅子を一旦飛び越え、青野に向かって蹴り飛ばした。青野は避けずに左腕で弾く。今度は皆守から近付いてナイフを持つ手を蹴り上げる。青野はその力に逆らわず回転して──皆守に回し蹴りを叩き込んだ。
「ちっ……」
咄嗟に左腕でガードしたが、思った以上に威力がある。しびれかかった左手をポケットに入れて、皆守は再び離れた。
「ちょっ、ちょっと、何やってるのよ……!」
ようやく晶子の声が響いたが、皆守も青野もそちらを見もしなかった。
青野は対峙しながら声だけで晶子に答える。
「だから、証明です。晶子さん、ぼくならやれますよ。秘宝は元々狙ってたものですし、お望みならあの──娘も」
「…………!」
晶子が息を呑んだのがわかった。
娘。
病気の娘か。
「なるほどな……」
単純な話だ。
娘が死ねば、主人の身内は嫁と、同じく病気で先のない兄しか居なくなる。
九龍はまだ覚えてないかもしれないが、さすがに皆守は既にこの家の家計図は把握済みだ。これだけの屋敷。遺産相続に絡む争いだって出てきておかしくない。
「治されちゃ困るってわけか」
「……私はあんなものの力、信じてるわけじゃないのよ。ただ、そのために人を犠牲にして、なんて間違ってるでしょ。大体それで助かってあの子が喜ぶわけないじゃない」
それは正論なのかもしれない。だが、どうにも上滑りしている。
演技力は大したものだが、シナリオが悪過ぎる。
「まあ、どうだろうとおれたちは秘宝を手に入れる。最初っから邪魔せず見てくれてればいいんだがな」
「だって、もう時間が」
「時間? っと……!」
晶子に意識を移した瞬間、青野が再び襲ってきた。
まだやるつもりかよ!
狭い上に物の多い部屋の中は動き辛くて仕方ない。開き直った青野の動きは無駄がなかった。九龍も皆守も、高い身体能力に頼りきった戦い方をしているため、技術のある敵は少し辛い。
「おいっ、晶子!」
「な、何よ」
「仲間が欲しいんなら、こいつでいいだろ! 腕はおれが保障してやる」
それが一番面倒がない。
だが、青野の殺気は増してしまった。
「どちらにせよ、君たちの目的は秘宝だろう? おれもそうだ。そこは譲れない」
「……こっちは場合によっちゃ買い取ってもいいんだがな?」
確か九龍はそう言っていた。
あまりに常識外れの値段ならともかく。
そもそもロゼッタは、秘宝を取ってきたハンターに金を払っているのだ。手に入れたのが誰であろうと関係ないだろう。……その場合、九龍に金は入らなくなるので、実際は譲るつもりはないのだが。
「──金じゃない」
青野は小さくそう言った。
動きが止まり、皆守もようやくそこで落ち着いて青野を見る。
ああ、そうか。
秘宝の力そのものが目的ということもあるのか。
そもそも大和もそうだった。秘宝は、あらゆる病を癒すと言われている。
「だったら九龍に言ってみたらどうだ? あいつなら使わせてくれるんじゃないか」
それがどんなものかはわからないが。手に入れた秘宝をどうするかは九龍が決めることだ。大和に使わせる気はあるのだろうし、頼めば金すら要らない気がする。
だが、遮ったのは晶子だった。
「だ、駄目よっ、無理よ、あの秘宝は……」
「生贄が必要。なんですよね」
青野が平然と言う。
……予想しなかったわけではなかったが。
先ほどの晶子の言葉「人を犠牲にして」はそれにかかっているのだろう。
わかって狙っていたわけか。
「で、それでも君たちは秘宝を渡してくれるのか?」
「……無理だな」
少なくとも九龍は許さない。
秘宝を売った相手の使い道など気にしていたらやっていられないだろうが──知ってしまえば無視出来ない。そして皆守も、それを黙っているつもりはない。
「じゃあやっぱり、君は敵だ。ねえ晶子さん。ぼくには……覚悟がありますよ?」
人を殺す覚悟。
だが、それは晶子にこそないだろう。
娘の命を直接奪う勇気などあるはずもない。娘を癒すかもしれない秘宝を奪うこと、が精々だ。
晶子は少し青ざめているようにも見える。
「わ、私にどうしろって言うの」
むしろ、怯えているのか。
ナイフを振りかざし、堂々と人を殺してみせると言っている男。
目的の明確な強盗よりも怖いのだろう。青野は少し笑った。
「皆守くんじゃなくぼくを選んで欲しい──ただそれだけなんですが」
断らせる気はなさそうだった。
青野の殺意は消えていない。
正直、まずい。
本気で蹴ったところで、そうそう死にはしないだろうが、殺す気がないと加減が出る。対して、相手の殺意は十分だ。天香時代はどう戦っていただろうか──つい考えるが、上手く思い出せない。
逃げ回ってばかりではこちらの体力が尽きそうだ。隙を見てここから出るしかないか、と考えていたとき。
ドアの外で気配がした。
「……ん?」
青野も気付いたのか、僅かに視線をそちらに向ける。
静かになった部屋の中、ドアの外の息遣いまでがはっきりと耳に届いた。
「おい、誰だ」
皆守が声を上げると、びくりと気配が揺れた。
九龍や大和ではない。さすがにここまで間抜けな盗み聞きはしない。
「誰か居るの?」
続いて晶子の声。
外の気配は逃げ出すでもなく、じっとしている。やり過ごせるとでも思っているのか。
痺れを切らしたのか、晶子が扉へと向かった。
この状態から逃げ出したいのかもしれない。
「誰よ──」
ばんっ、と勢いよく晶子は扉を開けた。
屋敷の中だけに気安いのだろう。外に居るのは普通に考えれば使用人か、晶子の身内か。
「あなた……」
「あ、す、すみません……!」
そこに居たのは倉田少年。
皆守や青野の先輩に当たる屋敷の掃除人だった。
ちょっとした好奇心だった。
晶子が皆守のことを好きらしいという噂は、多分発信源は自分だったと倉田は思っている。それはでも、根拠のない無責任なものとは違うと思っていた。確かに、毎日のように晶子は皆守の元へ来ていて、皆守が強盗を捕えたあの日から、それは熱視線に変わっていた。
だから、それもあって。
夜中にトイレに行くついでにふらりと近付いた晶子の部屋。
修羅場を望んでいるわけではないので、皆守が居れば面白い、などと考えたわけではない。ただ、噂の証明になる何かはないか──晶子が皆守の名前を切なげに呟いているとか──などベタなことを考えつつ、扉に耳を寄せた。
そこで聞こえた争うような音と、晶子の悲鳴のような声に倉田は固まった。
その場を動くことも出来ず、晶子に見付かり──その後の展開はよく覚えていない。
倉田が今居る場所は屋敷内の自室。
目の前に居るのは、負傷した皆守。
自分のせい……なのだと思う。
倉田は青野に捕えられ、人質だと。そう言われた。
「自分の命と引き換えにしてまで助ける義理はない」なんて皆守の声は耳に残っている。それでも、確かに皆守は動きを止めた。倉田はその状況でも、まだ自分の立場を認識出来ていなかった。ただ緊迫した空気だけは、さすがに感じていた。仲間内でふざけたやりとりをしていたわけじゃない。次の瞬間には青野は──銃を取り出していたのだから。
皆守が銃弾を避けたとか、晶子が何かを投げたとか、倉田が誰かに突き飛ばされている間に、皆守の悲鳴が聞こえたとか。
混乱した状況の中、思い出せるのはそれだけだった。
気付けば倉田は皆守に抱えられ、部屋を出ていた。
逃げなければ、とはすぐ思った。そして倉田が思いつく限りの一番安全な場所は自分の部屋。施錠が出来る。ただそれだけだ。
青野にも晶子にも居場所が丸分かりかと思ったが、追っては来ない。ただ、このままここに閉じこもっているわけにはいかない。逃げている間全く気付かなかったが──皆守は足を負傷している。撃たれた、のだと思う。
「あの……だ、大丈夫……ですか……」
「あー……まずいな」
「ま、まずいって……! ど、どうしよう、どうしたらいいんですか、こういうとき……こういうとき……」
「落ち着け。死にゃしねぇよ」
「だ、だって血が……」
「この倍は流れても大丈夫だ」
「えええええっ」
床は既に血の海だ。
途中からシーツを敷いて、皆守があれこれ止血を試しているようだったが、血は止まる様子を見せない。皆守の顔が青ざめてきたようにも思えて倉田は慌てる。実際は倉田の方が顔色が悪かったが、自分では気付けない。
「あ、そ、そうだ、坂本さん……!」
病院、も警察、も思いつかない。
困ったときは親を呼ぶ──けど、ここに倉田の親は居ない。
ようやく出てきたのは自分たち掃除人の管理を務める坂本の名だった。
坂本の部屋は近い。
ちょっと外に出て呼びに行くぐらいなら出来るだろう。
「ま、待っててください! どうしたらいいか聞いてきます……!」
自分で判断出来ない倉田は、頼る相手を思いついて即座に行動に移した。
寝ていた坂本をほとんど叩き起こし、自室まで引っ張っていく。
後は任せろ、と言われて──ようやく倉田は、肩の荷を下ろした。
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