あなたの代わりはどこにも居ない─7

 8月20日。
 気付けば8月も既に3分の2が過ぎている。
 九龍はまだ秘宝を目にしていない。
 正直焦っている。ここまで時間がかかるとは思っていなかった。
 何せ天香時代に比べて、使える時間が圧倒的に少ない。屋敷内では常に人の目を気にして行動しなければならず、遺跡に入るタイミングを掴むまでにも時間がかかる。そして遺跡自体も、広い。天香のようなショートカットの扉は存在せず、毎回最初から潜っているため、なかなか距離が進まない。
 まして、既に解放されているこの遺跡。最後まで踏破したところで、秘宝に辿り着くとは限らない。いや、むしろ何もない可能性の方が高かった。既に主人が手にしたものであるなら、もうそこからは持ち出されているだろう。ただ、隠し場所としてはありだとも思っている。
 遺跡に皆守と潜っている間、夕薙が別方向で探りを入れているが、秘宝はいまだ、どこにあるのかわからない。
「はぁー……」
「何ため息ついてんだよ」
 いつものように九龍の部屋に集合している。夕薙は椅子に座っているが、皆守は立ったまま壁に背をもたれさせていた。
 室内なので遠慮なくアロマを吸っている。灰が落ちるから不安定な姿勢は止めて欲しい。
「お前の実習っていつからだっけ……」
「9月……3日だな。月曜からだ」
「あと二週間かぁ」
「何だ、何かあるのか?」
「あれ、大和には言ってなかったっけ」
「そんな暇なかっただろ」
 毎日毎日、屋敷の仕事と、トレジャーハンターとしての仕事に追われている。雑談はそれなりにしていた気がするが、話題に上ってはいなかった。
 そうだ。焦っているのは九龍たちだけ。大和には関係ない。
「こいつが……ああ、いいや、遺跡に入ってから言うよ」
「? 今日は大和と潜るのか?」
 立ち上がった九龍に、皆守が疑問を返す。
 答えを返したのは夕薙だ。
「ああ。これから明日一日かけて潜るそうだ」
「一気にやんないと、ホントいつになっても終わりそうにねぇからな」
 明日火曜日は、九龍の休日。職場に出なくてもいい時間、存分に利用させてもらう。
「で、お前はおれの食事とか、その辺ごまかしといてくれ」
「あぁ、じゃあ今日はいいのか?」
「まぁな。ってかホント、この仕事の多さは誤算過ぎる……」
「休日がせめて甲太郎とかぶってたら良かったんだろうがな」
「なー。友達同士で来てんだから、それぐらい融通利かせてもいいよなー」
「それぐらい事前に言っときゃ良かったんじゃないか」
「いやー。手続きとか全部ロゼッタがやったし……って、ぐだぐだ話してる場合じゃねぇ。時間勿体無い。じゃ、何とか明日中に最後まで行って来る!」
「ああ」
 3人で九龍の部屋を出る。途中までは皆守も一緒だ。遺跡の方も引き返せる距離までは着いてきてもらってもいいのだが、いい加減皆守も限界だろう。九龍よりもはるかに睡眠時間を必要とする男だ。敵からの回避が見切りじゃなくてうとうとになっているのは眠いせいだ、多分。正直怖い。
「ふぁ〜あ、それじゃ、おれはもう帰るぜ」
「あー。しっかり寝とけ。ってかお前そんなんで実習始まっても大丈夫なのか」
「…………」
「返事しろや、こら」
 実習中も平気で居眠りしそうな男にため息をつく。
 そうこうしている間に問題の部屋の前に着いていた。今日は人通りもない。皆守と別れ、九龍と夕薙は素早く中へと入る。
「よっしゃ、行くか!」
 九龍が気合を入れた頃。
 ふらふら部屋に戻っていた皆守は、背後から突然呼び止められた。
「甲太郎」
「………あんたか」
 北条晶子。
 仕事中、しょちゅう皆守の邪魔をしにくる(皆守にとってはそんな認識だ)大和の婚約者。
「ちょっと話があるの。来て貰えない?」
「ああ?」
「九龍や大和とも関係あることなんだけど」
「…………」
 皆守は頭をかきながら、心の中で面倒くせぇ、と呟く。
 そのまま踵を返した晶子のあとを、ゆっくりと追っていった。










「なるほど、高校教師か」
「なー。ホントまさかだよ。でも何か合いそうな気もするんだよなぁ」
 遺跡の中で。
 九龍は言っていた通り、夕薙にこの仕事の期限について説明していた。
 皆守が教師を目指しているという話は、夕薙にとって多少の驚きはあってもそれほど予想外ではなかったらしい。むしろ納得するように頷いている。
「まぁ、向いてるんじゃないか。少なくとも普通のサラリーマンよりは合ってるだろ」
「だよなぁ! ってかあいつ絶対サラリーマン無理だろ。そもそも誰かに頭下げてんのが想像出来ねぇ」
 大学生ということは先輩や教授には敬語使ったりしてるんだろうか。
 当然のことなのに想像がつかない。
 皆守は瑞麗や雛川にも思い切りタメ口だった。学生時代ならまだ許されても、働くとなるとそうもいかないだろう。
 駆け足で遺跡の中を駆けつつ、九龍は隣を走る夕薙に目を向けず言う。
「……絶対無理だと思ってたのになぁ」
 夕薙が苦笑する気配がした。
「就職が、か? おれは、甲太郎はお前のバディになるものだと思ってたな」
「おれもそのつもりだったんだよ!」
 そりゃ言ったことはなかったけど。
 ほのめかしたこともなかった気がするけど。
 もうこいつしかいないだろ、とずっと思っていた。どうせまともに就職出来そうにないし、と勝手に判断していた。大学進学自体も意外だったが、その頃は、まだ九龍の方が仕事相手としての皆守、という考えを持てなかった。皆守が敵だったという衝撃の重みは、正直なかなか取れなかったのだ。まともにバディとしての皆守、を判断出来るようになったのは、皆守が大学に入って最初の夏休み。依頼して共に遺跡に潜ったときだろう。
 皆守は多分、九龍に足りないものを持っている。
「よっし、1階突破」
「早くなったな」
 下へ下へと潜っていく遺跡。
 敵を倒さなくても、その部屋の扉は開くが、倒さないと下の階の扉は開かない。
 罠や最短距離はもうほとんど確認している。敵の弱点属性も完璧だ。
 さくさくこなしながら、九龍は下の階へと降りていく。
「甲太郎には断られたのか?」
「そもそも言ってねぇ……!」
 既に読んでいる石碑は無視してどんどん進む。通る度に解除しなければならないギミックもあり、面倒だ。
「今からでも言えばいいだろう」
「いや、だって、あいつ教師になるっつうし……」
 立ち止まり、ギミックを手早く解除。
 次の部屋には敵が居る。
「あいつの行動ってホント読めねぇよなー」
 武器を構えつつ言えば、夕薙は淡々と言った。
「そうか? 結構読みやすい奴だがな。お前が考えなさ過ぎるんだ」
「うう……」
 それはもう散々言われていたことだった。
 そう、九龍は考えてなかっただけだ。
 皆守が何を考えているかなど。考えようとしたこともない。
 扉を開き、敵に向かう。
 ほとんど一発で仕留めて、九龍は夕薙を振り返った。
「……皆守の立場だと……えーと、おれと組むの嫌!?」
「何でそうなるんだ……」
 違うよな。
 それはさすがに違うと思っている。
 あの面倒臭がりが探索には絶対着いてきてくれる、っていうかあいつも結構楽しんでるように思えるんだよなぁ。
 下の階に降りながら考えるが、夕薙に肩を叩かれた。
「とりあえず後にしろ。お前は考えていると行動が疎かになり過ぎる」
 銃を持ったまま腕を組むな、と言われてびびる。
 本当だ。
「じゃあさぁ、大和」
「ん?」
「お前は誰かと組みたいと思ったことないのか」
 何もない部屋は再び早足で駆け抜けていく。
 夕薙はすぐ隣に居る。
 そうだ、これも何だかいつもと違う。
 皆守は大抵九龍の後ろに居た。
「……お前となら組みたいと思ったな」
「え、マジでっ!?」
 思わずその顔を確認しようと右を向く。
 同時に壁にぶつかった。
「おいおい……」
「痛ぇええー」
 ああ、だから並んで歩くには狭いって! 扉が!
「おれ、お前は一匹狼だと思ってたわ」
「まあ基本的には一人の方が気楽だがな。実力者と組むなら悪いことはないさ」
「じつりょくしゃ……」
 顔がにやける。
 おれのことでいいんだよな、それ。
「……だが、おれの病はお前の足を引っ張ってしまう」
「え……そこなのか?」
 どうせほとんど潜ってる仕事じゃないか。
 そう思うが、いざというとき、月の下で活動できないのはやはり不便か。
「ええ、でも、それなら尚更一人でやらない方がいいんじゃないか……?」
 相棒がいれば助けて貰える。フォローが出来る。
 だが夕薙はそれに首を振った。
「そうかも知れん。だが、それは一方的に助けられる関係になる。それに──おれにはおれのやるべきことがあるからな」
 どちらにせよ、他人と合わせるわけにはいかないということか。
 元々夕薙がロゼッタに所属しないのもそれが理由だ。ある程度の実績を踏まないと、仕事は自由に選べない。勿論優先して夕薙の体に関係ありそうなところを回してもらうことは出来るだろうが、それ以外の仕事もこなさなければならない。夕薙はそれを選ばなかった。
 何より、夕薙の本分は──本当の目標は──医者なのではないかと。
 九龍は感じることがあった。
「お前、もしさぁ……その体治ったあとだったら……」
 ロゼッタに入る気はあるのだろうか。
 ロゼッタには医務機関も当然ある。ただの病院勤務の医者より、夕薙に向いているとは思う。
 実は一度、卒業式の日に九龍は夕薙を勧誘してはいる。
 だけど、今とほぼ同じ答えだった。治ったあとのことはわからない。
 夕薙が超古代文明の神秘に目覚めてくれてたら、こんな嬉しいことはないんだけどな。
 そう思いながら、九龍は話を切り上げ、次の部屋へと進む。
 休憩を入れながら、夜が明ける時間まで進んで、ついに新たな敵と遭遇した。
「強くなってるなぁ、ホント……」
「弾は大丈夫か?」
「心もとない。いざってときには頼むぜ。とりあえずこれでいくっ!」
 九龍は鞭を手に、敵に向かう。
 これも、天香時代に覚えた武器だ。
「上手いもんだな」
「おおっ、練習したからな」
「昔は酷かったのか?」
「後ろのバディに当てそうになったことが何度かあったなー。やっちーとか、甲太郎が避けさせてくれたらしい……って大和っ! 下がんなっ!」
 今は大丈夫だ今は!
 叫びつつ、敵を打っていく。
 敵が攻撃態勢に入る前に慌てて離脱。
 下がりつつ、はっとして叫んだ。
「大和も下がれっ!」
「わかってる!」
 ごっ、と熱風のようなものが吹き荒れた。
 ぎりぎりで回避した九龍と夕薙に、ちりちりと焼けるような熱さが吹き付ける。こういう敵は攻撃範囲が広いから厄介だ。
「大和っ、飛ばしてくれ!」
「ああっ。これでも食らえっ!」
 夕薙の攻撃に飛ばされた敵が、壁に背を打ちつける。
 ナイフで九龍は追い討ちをかけた。
 って、もう攻撃態勢入んのかよ……!
 慌てて回避。
 それを何度か繰り返して、ようやく敵は消滅した。
「……何か、いきなり強くなってんな、おい……」
「いよいよ底ということかも知れんな」
「あー。だったらいいな……」
 本当は、ちょっとだけ終わらせるのは寂しいのだけれど。
 あまり面白みのない遺跡だし、まぁいいかと九龍はハシゴへと戻る。
 既に時刻は朝。
 仕事が終わってから、この遺跡に入るまでの間眠っていたので完全な徹夜ではない。
「よっし、いくぞー」
 夜までかかったって構わない。
 そんな心意気での出発だったが。結局昼を少し過ぎた頃──九龍たちは遺跡の最深部と思しき場所についていた。
「何っだ、ここ、高ぇ……」
 それまで踏破してきた全ての階をあわせたのではないかというほどの天井の高さ。
 実際そうなのかもしれない。天井からは、光が差しているようにも思える。高すぎてよくわからないが。
 部屋は今までになく広く、中央に祭壇のようなものがあった。床の模様が、何かの儀式を思わせる。
「秘宝は……ここにあったのかな……」
「九龍、そこに石碑があるぞ」
「おっ、どれどれ……」
 部屋の片隅。九龍は用心しつつそちらへ向かう。
 何か行動を起こすことで、最後の敵が出てこないとも限らない。
「悪ぃ大和。こっち来といてくれ」
「ああ」
 祭壇辺りを見ている夕薙を呼び寄せる。
 何かあったとき、離れている方がいいのか、一緒に居る方がいいのかはわからない。だが九龍は常にバディには側にいることを望んでいる。
「何て書いてあるんだ?」
「……ううん、何か……儀式の方法、か?」
「儀式……?」
「……全てを癒すって書いてるから多分、秘宝の……」
 読み進めて、九龍は動きを止めた。
「……どうした?」
「……命を捧げる……?」
「…………」
 遺跡の前にしゃがみこんでいた九龍は、思わず振り返って夕薙を見上げる。
 夕薙は真剣な顔で遺跡を睨んでいるように見えた。
「……読んでくれ」
 夕薙に言われ、九龍は文をそのまま読み上げていく。
 月が真円を描くとき─。
 頂点に捧げる命が─。
 全てを癒すための──。
 読み終わったあと、九龍と夕薙は同時に祭壇を見た。
「……ここに、秘宝があったんだな?」
「だろうな。頂点ってのはこの……図形?」
 よくわからない模様が、祭壇を中心に広がっている。
 大まかに見れば六角形か。
 頂点は……6つ。
「なぁ大和、これって……」
「ああ……満月の夜、6人の……」
 夕薙が唇を噛み締めて、それ以上は言わなかった。
 おそらく、必要なのは生贄。
 悪魔の秘宝と呼ばれるわけ。
「……そういうことかよ」
 これもちょっと考えればわかったことかもしれない。
 夕薙は、そう思いたくはなかったがな、と小さく呟いていた。予感はあったのか。
「満月の夜っていつだ?」
「今月は28日だな。今日は……もう21日だから、あと一週間か」
 さすがによく把握している。
 夕薙はそのまま続けて言った。
「九龍。最初にここを見付けたきっかけを覚えているか?」
「へ? あー、ええと……あ、お嬢さんの部屋に忍び込もうとした奴が」
「ああ……。それから、一昨日捕まった侵入者……」
「甲太郎が倒した奴か? そういえばあいつらどうなっ……」
 九龍は言葉を切る。
 おい。
 まさか。
「それから……この屋敷の使用人が、突然居なくなったこともあるらしいな」
「…………」
 外の掃除人。
 ある日突然痕跡も残さず消えた2人。
 ハンターかもしれない、と皆守の口から聞いていた。
「おれはあの侵入者があってから気を付けて屋敷の動向を見ていたんだが……警察を呼んだ形跡はない」
「え?」
「ヘリは1回飛んだが、撃たれた警備員を連れて行っただけだった」
「…………ここ、地下牢でもあんのかな」
「あったとして、そこに入れている目的は何か、だろう」
 あえて外した九龍に、夕薙は真っ直ぐ突っ込んでくる。
「ああっ、くそっ。そういうことかよ!」
 ついでに、隠し金庫で見付けた履歴書と使用人名簿を思い出してしまった。
 まさか、生贄を探していたのか?
「……経歴を偽って潜入してくるハンターなら、居なくなっても問題はないと思われるのかもしれないな」
「ああ、だから簡単に入りこめたのか? 冗談じゃねぇな」
 だが生贄の人選としては妥当なのだろう。
 九龍はため息をついて、とにかく祭壇の様子だけHANTに取り込んだ。
「主人の娘さん……病気なんだろ」
「ああ……。現代医学では治療は難しい」
 それを言う夕薙の表情は嫌悪か憎しみかわからない、悲しみかもしれない。
 それを癒せる秘宝というのなら。
「……とりあえず戻ろうぜ。どこかにホントに牢屋でもあるかもしれないしなー」
 儀式が行われようとしているなら。
 その日は、チャンスかもしれない。
 場所は間違いなくここ。
 その日、ここで待っていれば主人は秘宝を手に現れるか。
 だが……。
「嫌だな、何か……」
 ここに生贄が用意される様を見ているのか。
 一歩間違えれば見殺しにすることにもなる。
 とにかく──皆守とも相談だ。
 来たときよりも重い足取りで、九龍たちは上へと上っていった。
 既に夕方を回っている。脱いでいた制服に着替え、それでも人通りがないことは確認して部屋の外へと出て行く。遺跡と普通の部屋が直球で繋がっている感じは、九龍好みで面白い。
「あれ? 九龍くん」
「あ、青野……」
 そのまま夕薙と2人、皆守の部屋に向かっていたとき、青野と会った。
 仕事帰りなのか、額の汗を拭いながら近付いてくる。
「どこ行ってたの? 部屋、いつ行っても居なかったからさ」
「え? いや……おれの部屋来たのか? お前、仕事中だろ?」
 そう言うと、青野が少し顔を曇らせた。
「そうなんだけどね……皆守くんが来ないんだよ」
「へ……?」
「部屋にも居ないし。皆守くんの部屋、鍵もかかってなくてさ。入ってみたけど荷物も何もなくて。君の姿も見当たらないから、また突然消えちゃったのかってみんな騒いでたんだよ」
 どこ行ってたの。
 皆守くんは?
 青野が続ける。
 九龍も夕薙も、絶句していた。
 皆守の姿が見えない。
 仕事に来ていないということは、朝から居ないのだろう。
 部屋の荷物まで消えている。
「おい、九龍……」
「…………」
 予想もしなかった事態に、九龍はしばらく動けなかった。


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