あなたの代わりはどこにも居ない─4

「よっし、開いた」
 小さな声で呟いて後ろを振り向く。
 夕薙が一つ頷き、皆守は欠伸をしていた。
 二日目の夜。
 九龍は早速、夕薙の言う開かずの部屋にやってきていた。時間的にはちょうど日付が変わった辺り。昨日も寝不足なのできついが、これが仕事だ。やるしかない。うとうとしている皆守に少しイラつきつつ、九龍は扉を開けた。
 中は──少し雑然としているが、書庫、といったところか。
「うっわ、埃凄いな……」
 何気なく机の上に積まれた本を手にするとぶわっとそれが舞い上がった。普段探索時にはゴーグルを付けているのでうっかり目を見開いたまま見て、痛みが走る。
「あー……」
 涙でゴミを流そうとぱちぱち瞬きしている間にも、夕薙は奥に進んでいた。
 手の中に持っていた小さなペンライトで本を照らしている。
 さすがにこの暗さでは文字まで読めない。
 九龍は背後に居る皆守を振り返った。この中では一番夜目が利く。
「ここ、何かあるか?」
「さあな……本以外見えないが」
「一応入ってはいけない部屋、なんだよな」
「あくまで晶子が、だがな。だが彼女が入れない部屋に入れるのはこの屋敷の主人ぐらいだ」
「まぁ、私室なら入るなとは言うかな……」
 小さな声でやりとりしつつ、九龍も部屋の中を進む。
 真夜中とは言え、まだまだ起きている人間は多い。
 使用人の中には夜働いている者も居る。九龍と皆守は、一応制服でここに来ていた。使用人は、屋敷内では制服着用が義務付けられている。侵入した部屋以外で見付かったならば、これで言い訳はしやすくなる。
 ただ。
「……汚れるなぁ、これ……」
 制服は、夏だというのに長袖だ。さらに上から何か羽織っておいた方がいいのか。だが暑い。締め切っていたこの部屋には、当然冷房も届いてない。窓を開けたい気分だが、さすがに自重しておいた。あまり余計なことはしない方がいい。
「九龍」
「ん?」
 辺りをやる気なさげに見回していた皆守が声を上げる。
 視線をやれば、皆守は何やら床の方を見ていた。
「どうした?」
「ここに出入りしている奴は……そっちの本棚にしか向かってないんじゃないか」
 皆守が地面をたどるように視線を動かし、部屋の右側にあった本棚に目を向ける。
 夕薙もそれを聞いてこちらにやってきた。
「凄いな、埃の様子まで見えるのか」
「ああ、なるほど」
 夕薙の言葉で、何故皆守がそう断定したのかがわかる。
 これだけ埃が積もっていれば、足跡も付くか。
「本棚かぁ……。これって、本は関係なくてさ。一定の法則で動かしたら本棚が動いて地下への道が出来るとか」
「ありえるのが怖いな……」
 皆守がうんざりしたようにため息をつく。
 それが漫画の世界の出来事だけではないことを皆守はもう知ってる。
 そんな様子に笑いながら、九龍は本棚の前に立った。
 ううん、どうするのかなぁ。
 考えていると、ぱっ、と正面辺りで光が動く。夕薙のペンライトだ。
「ふむ……。あながち間違いではないかもな」
「え?」
 夕薙が手を伸ばして一冊の本を取る。そしてそれを九龍に見せた。
「軽っ。何だこれ」
「中身がないんだろう」
 更に夕薙は別の一冊を取る。それも九龍に渡してきた。
「何だこれ? ってかあれ? これ同じ……」
「全く同じ本が規則正しく6冊。本棚の1段目、3段目、5段目に入ってる。あとはこれとこれと……」
 夕薙が全ての本を手に取っていく。最後の本を取ったとき──かちりとどこかで音がした。
「正解みたいだな」
「凄ぇよ大和……」
「今のが警報って可能性はないのか?」
 感心しているところに口を挟んできたのは皆守。
 え、その可能性もあんのか。
「ないだろう。ほら──出てきたぞ」
 自動で本棚が動いたりはしなかったが……本棚下半分が回転させられるようになっている。おお。こういう仕掛けはちょっと燃える。
「……金庫か」
「開けられるか九龍」
「任せとけ」
 ようやく出番だと感じて開錠に取り掛かる。それほど時間もかからず──金庫は開いた。
「……何だ、これ」
 中に入っていたのは書類。
 取り出せば、夕薙がライトで照らしてきた。一番上にあったのは──九龍の履歴書。
「あれ?」
「……どうやら使用人名簿のようだな」
 他に入っていた紙もそうだった。
 そしてそれ以外はない。
「……こんなもん、わざわざ金庫に入れるようなもんか?」
「まぁ個人情報ではあるがな……」
 夕薙は履歴書を順番にめくっている。皆守も近づいてきて、覗き込んできた。
「そういえば、おれの職場の使用人が2週間ほど前に消えたとか言ってたな」
「え、何だそれ」
「ああ、ここはたまに使用人が居なくなると聞いたな」
 おれが来てからはそういうことはないが、と夕薙が呟くように言う。
「……また先越されてんのかな、おれ……」
 別のハンターが来ている可能性が一番高い。
 まぁ、これに関してはロゼッタが言ってきた時期の問題だ。九龍のせいじゃない。既に秘宝を盗られたあとだとしても──ロゼッタのせいだ。そのはずだ。
「秘宝を手にする前に居なくなっているのだとしたら──始末されている可能性も高いか」
 夕薙が名簿を眺めながら考えるように言う。
 皆守が僅かに視線を逸らした。あー、思い出すよな。天香時代……。
「そういや屋敷の主人ってどんな奴なんだ? おれ会ったことないな」
 流れでついつい阿門のような男が浮かんだ。
 いや、でも確かもう60近いか、過ぎてるとか聞いたような。
「そうだな……。したたかそうな商売人といった感じだったが、特に裏の匂いのようなものは感じなかったな。ただ──兄と娘が病気だ」
「え……」
「昨日言おうと思ったんだがな。主人が秘宝を手に入れたのは──そのため、という可能性が高いだろ」
「? 主人はもう持ってるんじゃないのか?」
 口を挟んだのは皆守だった。
 だよな。この屋敷の主人が持っているという情報だった。どんな病も癒すというなら……既に治ってるんじゃないのか。ならばやはり偽物、なのか?
「晶子が偽物だと断定しているのもそのせいだな。手に入れているはずなのに、娘の病気は治らない。だが──主人が娘に言ったという言葉を聞いている」
「言葉……?」
「もうすぐだ、と」
「…………」
 九龍は何となく名簿に目を落とした。
 秘宝には、まだ秘密があるのかもしれない。










 それから10日ほどが経った。
 立ち入り禁止の部屋を毎日片っ端から開けて、僅かな睡眠時間で仕事に出る。今日は日曜だが、当然のように仕事は続く。九龍の休みは火曜日で固定されているらしい。ほとんど寝て過ごしたが。ああ、天香のときは授業中寝られて良かったな、とベッドに突っ伏したまま思う。今は今日の探索から帰ってきたところだ。もうすぐで全ての部屋を開けるが、特に新しい発見はない。本などはさすがに全部読んではいないので、あの中にヒントがあると本当にどれだけかかるかわからない。
 ちなみに主人の部屋にも既に侵入している。
 主人は、家を留守にしていることが多く、場合によっては一ヶ月平気で帰ってこないこともあるらしい。九龍はまだ主人に会っていない。そもそも屋敷に居ない。
 残る部屋は10を切った。
 そして──屋敷の人間、使用人たちの私室か。
 使われてない使用人用の部屋も調べるつもりだった。そういった場所に隠すのもありといえばありだ。
 ただ主人が出入りしているところを見られると違和感がある場所なので、正直可能性には入れてない。主人の怪しい行動──のようなものはさりげに聞き込みもしているが、特に成果はない。
「あと3週間……」
 仕事に期限があるのもきつかった。
 夕薙のおかげで一足飛びに進んだ部分もあるが、そうでなければいつ終わったやら。
「おいっ! 何やってるお前っ!」
 うとうとしは始めたとき、そんな怒鳴り声が聞こえて九龍は飛び起きた。
 な、何だ?
 どんっ、と壁に何かぶつかるような音。ばたばたと走る音。九龍はベッドから降りると、そっと扉を開ける。廊下の先で、誰かが誰かを壁に押し付けているのがわかった。この辺りの明かりは落とされているので、遠いのもあって黒い影にしか見えない。
 九龍は目をこらしてそちらを見る。
「お嬢様の部屋に何の用だ……!」
「ち、違っ……道に迷って」
「迷うようなところかっ!」
 更に数人が駆けつけてきた。
 ぱっと明かりがついて、九龍にもその姿が見える。
 全員が使用人の制服。ただし、駆けつけてきた男たちは警備員だった。それぞれ、役割ごとに制服は違う。九龍はまだ全部覚えたわけではないが、警察の制服を改造したような雰囲気の警備員はわかりやすい。取り押さえられた男は、そのまま引きずられていった。
 九龍はそれを見送ってゆっくり扉を閉じる。
 侵入者が発見された、というところか。
 お嬢様の部屋、なら夜這いの可能性もあるんだろうか。
 屋敷の主人の娘──病気の娘──は、確か17歳とか言っていたか。
「あー、くそっ……」
 余計なことをしてくれた。
 これで警備が厳しくなったらどうするんだ。
 そう思っていたとき、突然ベッド脇に置いた携帯が音を立てる。ああ、音消してなかった!
 慌てて相手も確認せずに電話を取った。
「もしもしっ」
「九龍。起きてたか」
「あ、大和」
 夕薙は仕事がない分、平気で夜更かしが出来る。屋敷内に居るなら月の光を浴びる心配もない。今日のあの様子も、どこかで見ていたのだろうか。
「おれはあの男を追ってみようと思う」
「は?」
「ちょっと気になることがあってな」
 捕らえられた男はどうなるのか。
 夕薙は続けた。
 そりゃまあそうだけど。普通に警察に突き出されるんじゃないか。
「……気を付けろよ?」
 一応夕薙なら言い訳はきくのだろう。
 それだけ念押しして、夕薙の返事を確認したあと、九龍は再びベッドに戻った。
 気になることは多い。
 だが、とにかく眠らないとどうにもならない。
 目を閉じる。眠りは、すぐ訪れてくれた。










 騒がしい一団が去ったあと──夕薙は男が連れ込まれた部屋の前に立った。万一見咎められてもほぼ本当のことを言えばいい。騒ぎが起きていたので気になった、捕らえられた男を見に来た、と。
 ノブに手をかける。当然のように鍵がかかっていた。さてどうするか、と夕薙は辺りを見回した。
 男が入れられたのは──まだ九龍たちも入っていない、立ち入り禁止の部屋のひとつ。外から見た位置的には確か窓もあった。だが、外から行くのは夕薙には不可能だ。今日は雲ひとつない晴天。月明かりは辺りをよく照らしている。
 ……甲太郎でも呼んでくるか。
 九龍はさすがに連日の疲労が酷いようで、声にも張りがなかった。朝早い仕事でもあるので、今からもう1度呼ぶのはさすがに気が引ける。皆守の方が圧倒的に仕事時間は少ない上に、ほとんどさぼっているのを夕薙は知っていた。
 まぁ……まずは試してみるか。
 夕薙は針金を取り出して開錠にとりかかる。
 九龍ほどではないが、夕薙もこれぐらいは学んでいた。それでも時間はかかる。開錠に集中していたとき、足音が響いたのを感じて、夕薙ははっと手を止める。
「何やってるんだ大和」
「甲太郎……」
 目を見開く。
 まさかこんな時間に起きてくるとは思わなかった。実際眠そうに欠伸をしている。仕事は楽とはいえ、皆守には全く足りない睡眠時間だろう。
「何か騒ぎが起こってると思えば。抜けがけか?」
「九龍には伝えてあるよ。どうやらお嬢様の部屋に侵入した男が居たようでな。今この中に捕らえられてる」
「へえ」
 興味なさそうに皆守は頷く。
 あの騒ぎで目を覚ましたのだろうか。ひょっとしたら九龍や夕薙が捕まったと思ったのかもしれない。ちょうど今日、そろそろお嬢様の部屋も考えに入れた方がいいかと言っていたか。
「で、開けるのか」
「ああ。助けてやる代わりに話を聞くという方法もあるしな」
 夕薙は再び開錠に集中する。
 皆守が辺りを見回してるのがわかった。見張りをしてくれている。
 先ほど足音を立てたのはわざとだろう。あれは心臓に悪いが、いきなり声をかけられるよりはマシだった。
 かちり、と音が響き扉が開く。
 夕薙と皆守は顔を見合わせた。
「さて……何かあったら頼むぞ」
「自分で何とかしろよ」
 九龍を真似て言ってみると冷たく返される。笑いながら夕薙は中へと踏み込んだ。
「……ん?」
「……誰も居ないぜ?」
 それほど大きな部屋ではない。ごちゃごちゃした物はあるが、人が隠れられるような場所もない。
「……ホントにこの部屋なのか?」
「……ああ。確かにこの目で見たんだが」
 窓に近づく。カーテンを開けようとして少し躊躇する。皆守がそれを見て夕薙を窓から引き剥がす。
 何も言わず、皆守が窓を見た。ここは1階。窓から出ようと思えば簡単だが……。
「逃げたのか?」
「そう簡単に逃げられる状況にはしないと思うがな……」
 窓は当然内側から開く。ここは普通の部屋だ。ならば、ロープで縛るなりなんなりはしているはずだ。
「いや……大和」
「ん?」
「窓は開かない」
 皆守が鍵のところを見ている。すっ、と月明かりをカーテンで隠して、皆守はその部分だけ見せた。
「……飾りか」
「みたいだな」
 窓ははめ込み式だった。
 普通の鍵のようなものはついているが、見た目だけ。役には立っていない。
「……じゃあ、どこに行ったんだそいつは」
「隠し部屋でもあるのかもしれないな」
 このまま探索してしまおう。
 九龍には文句を言われるかもしれないが。
「いいのかよ」
 辺りを探る夕薙に、皆守はやる気なさげに立ったまま言う。
 九龍がこういうことをやりたがるのをわかっているのだろう。仲間外れにすると拗ねることも。
「今日できることを明日に回す必要もないだろう。……見付けたぞ」
 床に妙な切れ込み。一部が僅かに浮いている。ここが1階ということは──地下へと通じる道か。
「開くのか」
「開けてみせるさ」
 自分の病を治すためだけに始めたハンターの真似事。
 だが、性に合っているのだとは思う。
 楽しんでいる自分を自覚しつつ、夕薙は開錠に取り掛かった。


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