「ふぁ〜あ……」
　欠伸をしながら、皆守は庭に生えている木にもたれかかる。当然日陰になっていて少し涼しい。まだ朝早い時間だというのに既に日差しが強く、汗だくだ。今日が仕事二日目、ということになるのだろうが。
　皆守は早速さぼっていた。
　昨日の夜は九龍から連絡があるかと思ったが、気付いたら寝ていたのでよくわからない。携帯に着信も何もなかったので昨日は九龍も寝ていたのだろうと勝手に結論付けていた。
「ちょーっと、何やってんすか皆守さーん」
「ん……？」
　ホウキを片手に小走りで駆けてきたのは、皆守たちよりも前にここで掃除人として働いている倉田という名の少年だった。少年──としか思えない。敬語を使っているところから言っても、皆守より年下ではあるのだろう。ひょっとしたら高校を出たばかりぐらいかもしれない。
「言われてたでしょっ。ここ数日全体の掃除出来てないんですから！　休むのにはまだ早いですよ」
　そう言いながら、倉田は皆守と同じ木に背をもたれさせた。
　汗を滲ませぜえぜえいってる。どこから走ってきたのだか。
「あー、わかってるよ。思ったより酷くて見ただけで嫌になってただけだ」
「気持ちわかりますけどねっ！　ここんとこずっとおれと坂本さんだけでやってたんですよ。この辺りまで手が回らなくて」
　坂本、は一応庭掃除人たちのリーダーということになっているらしい。昨日皆守たちを迎えに来た60歳ぐらいの老人だ。彼はどちらかというと庭師といった感じで、今も表方面の木の手入れをしている。ここは屋敷の裏手側。昨日の青野という青年は表を任されていた。
「こんな広いとこを実質お前１人でか？」
「そうですよ。聞いてません？　前に居た２人が突然居なくなっちゃって」
「……居なくなる？」
「辞めるとか、そんな話一切なかったんですよ？　それが、ある日仕事に来ないからって、探してみたら部屋はもぬけの殻だったって」
「へぇ……」
　それも、ひょっとしたらハンターだったのだろうか。
　突然消える人。
　つい天香時代を思い出してしまう。
　ハンターを始末したあとは、寮内の私物も当然処理されていた。ほとんどは一緒に埋めるのだが。
「それはいつ頃の話なんだ？」
「え？　そうですね、もう２週間は経ってるかなぁ。旦那さまも早く次の人入れてくれたらいいのに、なかなか決まらないって」
　決まらない……か。
　皆守は面接等は受けた覚えがない。
　どう採用されたのか知りもしない。皆守が何もしてない以上、書類審査のみという可能性が高いのだが。いや、どこかのツテという可能性もあるのか。
「前の奴ってどんな奴だったんだ？」
「１人はホント皆守さんみたいでしたよ！　やる気なくて、話聞いてんのか聞いてないのかわかんなくて！　話の途中で欠伸したりするし」
　もう１人は体育会系だった、と倉田は喋り続ける。
　乗せると止まらないタイプのようだ。ある意味九龍に似ている。皆守のさぼりを注意しに来たのかと思ったのに、結局長い間そこで話し込んでいた。
「あれー、倉田くん何やってるの」
「ああっ……」
　皆守がうんざりし始めてた頃、ようやくそれを止めたのは、青野だった。にこにこ笑いながら倉田を見ている。咎めてる雰囲気ではなかったが、倉田は緊張気味に体を強張らせた。
　そして、すみませんっ、と先輩の癖に思い切り腰を曲げて謝ると、放り出していたホウキを掴んで飛び出して行く。
　青野はそれを見送ってから、皆守に目を向けてきた。
「……皆守くんは？」
「あー、そろそろやるよ」
　適当な返事に青野が苦笑する。
　皆守に任せられた仕事は、裏手に生えた雑草の処理だった。
　渡された軍手をはめながらため息をつく。
　まずは日陰辺りから始めた皆守の側に、何故か青野は寄ってきた。
「ねえ皆守くん」
「あ？」
「皆守くんは、あの夕薙さんと仲が良いんだよね」
「いや、別に」
「あれ、そうなの？　でも、同級生で、名前で呼ばれる程度には仲良いよね？」
「……だから何なんだ」
　あまり反論しても、しつこく言われそうな気配を感じ、とっとと話を進める。自分の中で先に結論を出してしまっている輩は、こちらが何を言っても聞きやしない。
　青野も、その点は単なる話の通過地点だったのか、すぐに本題らしきことを口にした。
「そっか……。晶子さまとは？」
　明らかに気になっているのはこちらの方だろう。
　問いかけに力が篭っている。
「晶子……？　ああ、大和の婚約者か。さあな。昨日初めて会った」
「ふうん……」
「なんだ？」
「……何でもないよ。何か、おれもここ初めてなのに、そっちは馴染みやすくていいなぁとちょっと思っただけ」
「…………」
「それじゃ、おれも仕事あるから」
　相変わらず爽やかに笑って、青野は去って行った。
　皆守はしばらくその姿を見守る。
　あの男も──何かしら目的があって来ている可能性はある。今の調子だと、単に晶子が気になっているだけのようにも思えるが。
　面倒だな、と思いつつ皆守は作業を再開した。
　慣れない体勢で既に腰が痛い。あまり適当な仕事をしていると追い出されるだろうか。だが一ヶ月ぐらいなら何とか……。
　そう思っていたとき、ふと地面の妙な手応えに気付いた。
「ん……？」
　柔らかい。掘り返されているのか。
　だが、掘り返してから少し時間は経っている。
　皆守は左手で土をかいていく。
　軽い力で随分進む。
　何かを埋めたのか。
　単に掃除の一貫として掘り返したのか。
　20センチほど掘って、皆守は手を戻した。
　何やってんだおれは。
　土を戻し立ち上がる。腰を伸ばして一息ついたとき、ふと背後から視線を感じた。
「………？」
　誰も居ない。
　屋敷の窓から誰か見ていたのか。
　視線を上げてみるが、誰の姿も見当たらなかった。
　まあいいか、と皆守は今度は家の壁側にもたれたる。
　仕事は当然全く進まなかった。










「お、早いな葉佩。それはそこ置いといてくれ」
「はい……！」
　ダンボールを抱えた九龍はふらふらしながら何とか倒さず、その場に運ぶ。まだ箱はいくつもある。持てるだけ持った方が効率がいいだろうと重ねてきたが、前が見えにく過ぎるのは誤算だった。高校時代より数センチ伸びた身長は当然何の役にも立っていない。
　取手なんかは腕が長いからいっぱい持てそうだなぁ。
　そんなことを思いながら来た道を駆け戻る。余計なことを考える暇はあまりない。今日も疲れ切って倒れることになりそうだ。そうだ、真面目にやりすぎてはいけない。体力を残しておかないと。
「葉佩、それが終わったらこっち頼む」
「はいっ！」
　元気良く笑顔で返事。
　ああ、もうこのキャラだと無理だ。最初からあまり仕事出来ない風にやっとけば良かった！
「あら？」
「あ……」
　廊下を走りぬけ裏口まで着くと、そこに１人の女性が立っていた。晶子さん。大和の婚約者。
「どうしたんですか、こんなとこに」
　裏口も、このすぐ側にある階段も、基本使用人のみが使うところだ。屋敷の人間が来ることは滅多にないと、そう言われていたはず。
「ちょっとね。庭の散歩よ。あなたは仕事中？」
「はい、これを全部運ばないと」
「大変そうね。ま、頑張ってね」
「はーい」
　適当な応援に適当な返事を返しつつ、九龍は再び荷物を持って来た道を戻っていく。もう１度やってきたときにも──晶子は居た。
「ねぇ」
「は……はい？」
　あまり話している時間はないのだが。
　一応屋敷の人間の会話優先とは言われたが、昼食準備はあまり遅れるわけにはいかない。
「大和から聞いたわよ」
「……あ、そ、そうですか」
「あなた……高校時代は随分ワルだったそうじゃないの」
「はあっ！？」
　当然トレジャーハンターのことだろう、と思っていたら──晶子はそんなことを言った。目を見開いた九龍に、晶子は面白そうに笑う。
「校内でも有名な武闘派を叩きのめしたとか、何人もの女を手篭めにしたとか？　オカマにまで手を出したとか聞いたわよ」
「あの野郎……」
　何だかどこかで聞いた言葉だった。
　これで最初の部分だけ肯定すると勝手に全肯定にされてしまったりする。
　なので１番否定したいところだけは声を張り上げた。
「オカマはないです。マジで！」
「じゃあ、それ以外は本当なのかしら」
　あれ、そうなるの。
　校内でも有名な武闘派……は、真里野に墨木に夷澤辺りだろうなぁ。
「おれ、ホント女の子とは縁ないっすよ……」
　そして、否定しなければならないもう１つでは何だか弱々しい声になってしまった。
　おかしいよな。
　もててたと思ってたのにな。
　いや、奈々子辺りは口説けばいけたかもしれない。
　結局九龍が踏み切れなかったというだけだ。
「あら意外ね。いい男なのに」
「そう思います？　ホントに思います！？」
　少々必死になってしまった九龍を、晶子が笑う。
　さすがに高校時代ほど経験がないわけじゃない。ないが──ホントに九龍はいい男なのかと疑問を持つことの方が多い。
　滅多に言われないしなぁ。
「そりゃあね。特にあたなの瞳──どこか惹かれるものがあるわ……」
　晶子はすっ、と手を伸ばし、九龍の頬に触れるか触れないかというところで止めてしまう。見つめてくる視線に体が硬直した。
　な、何この目。
　どきまぎする九龍に、晶子はふっと笑ってその手を下ろす。
「メイドさんたちだって騒いでるわよ。いい男が３人揃ってやってきたってね」
「３人……」
　爽やか笑顔の青野は確かにイケメンだ。正直アイドルと言われても信じそうなレベルだった。
「……こうたろ……皆守もですか？」
「ええ、いい男じゃない」
「えー……」
　あれも、そうなのか？
　あのだるだるのもじゃもじゃが、か？
　ううん、やっぱ女の子から見たいい男ってのはわかんないな。
「どうなの？　やっぱり２人とも高校時代はもてたでしょ」
「おれはともかく皆守は全然……」
　だと思うんだけど。
　実はさりげに告白されてたりとかあったり？
　ああ、あっても何も言わないよな絶対。おれなら自慢しまくるけど。
　えええ、でもあいつが女に告白されるとか想像つかねぇ！
「ふぅん……」
　晶子は興味があるのかないのかよくわからない感じで呟く。
　そして更にどうでも良さげに言った。
「……大和はどうなのかしら」
「へ……！？」
「……いえ、もてたのかな、とちょっと思ってね」
「…………」
　顔を逸らしたまま晶子は続ける。
　あの。お姉さん。まさか。ひょっとして。
「……さ、さぁ……。あんまりもてては……なかったような……」
　白岐には全く相手にされてなかったしな。
　夕薙が白岐のことを好きだったのかどうかはいまだによくわからない。
「そうなの？　片思いだったの？」
「え、知ってるんですか」
「……彼が誰かを想ってることぐらいはね。わかるわよ」
　晶子は笑って言う。
　ええと、でもそれって。
　寂しそうな笑顔に何だかそれ以上言うことが出来ず、九龍は沈黙する。
　大和〜お前やっぱ誑かしてんじゃねぇかよ〜。
　夕薙の方が彼女に好きだとか言ったわけではないのだろうが、それでも何だかそう思う。
　彼女は──夕薙のことが好きなんじゃないだろうか。
　いや、おれ、こういう勘ホント駄目なんだけどな。
　真里野ぐらいわかりやすければともかく。
「おい葉佩、何やって……あ、晶子さま」
「あ……」
「あぁ、また引き止めちゃったわね。ごめんなさい」
「いえ……」
　九龍が遅いので迎えに来たのだろう。
　九龍と同じ厨房の雑用が引きつった顔で九龍たちを見ている。
「それじゃ、おれはこれで」
「ええ。またね」
　またですか。
　大和……おれがハンターだってことは教えなかったんだろうか。
　もしものときに切り捨てられるようにか？　まぁ、その方がいいんだろうけど。
　荷物を抱えて再び来た道を戻っていると、手伝いもしない同僚が九龍に顔を向けてきた。
「な。何言われてたんだ？」
「え……いや、特に……あ、大和の──彼女の婚約者の高校時代について」
　無難な答えが思い浮かび、咄嗟にそう答える。
　九龍と大和が同級生であることは既に知れ渡っていた。同僚は、あー、と納得したような声を上げる。
「一瞬口説かれてんかと思って焦ったぜ」
「えええっ」
「……あの人、誰にでも声かけるからな？　用心しとけよ」
「そ、そうな……んですか」
　お前遊び相手に良さそうだもんなぁ、と言われて九龍は少し凹む。
　まさに同じ台詞を年上のお姉さんに言われたことがあったりする。
「え、でもそういうのって……ありなんですか」
「ん？　晶子さんならありじゃね？　あの人ちょっといい男見ると絶対２人きりになろうとするらしいぜ。おれは全然お呼びないけど」
「……へ、へぇ……」
　そう言った男の容姿は──普通、といったところか。
　特に劣っているとも思えない。ならば晶子さんの基準は高いわけで……あ、やっぱりおれいい男だ。
「……にやけてんじゃねぇよ」
　同僚の声には呆れの他に怒りもちょっと混じっている気がして慌てた。
　顔に出やすい性格は何とかしなければならない。
　それにしても。
　……誰にでも声かける、かぁ……。
　確かに派手で遊んでそうな外見ではあるのだけれど。
　……考えるのは止めとこう。うん、おれ、女見る目ないしな。
　そのまま同僚と雑談をしながら厨房へと戻る。
　まだまだ荷物は残っている。

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