あなたの代わりはどこにも居ない─1

 電車とバスとで数時間。そこから歩きで数時間。ようやく目的の屋敷が見えてきたとき、背後の皆守は疲れきっていた。
「甲太郎ー。着いたぞー」
 九龍も疲れている。皆守が途中で寝てやしないかと何度も振り返ったせいもある。何せ途中からほとんど返事を返さなくなった。電車でもバスでも寝ていたくせに。そこに居るのに会話が全く出来ていないのも妙にストレスがたまる。皆守は案の定返事をしないまま、その屋敷をぼんやりと眺めた。
「なあ……こんなところに家を建てて何かいいことでもあるのか?」
 山の奥の奥の奥。町でも村でもない。ただ一軒の屋敷が森に埋もれるようにしてそこにある。屋敷の広さはかなりのものだが、土地単価は安そうだ。九龍は肩を竦めて言った。
「静かでいいんじゃねぇの。お前好きだろ、そういう環境」
「なるほどな……。だが買い物とかはどうするんだ? 通販なんざ届くのか?」
 届かせるなら特別料金でも貰わなければ割に合わないだろう。そもそもどうやって建てたんだ。
 というか、静かでいいという点には普通に納得するのか。
「外に出るのはほとんどヘリらしいな。自家用の。町に近いところにヘリ置き場があって、ついでに郵便もそこで受け取るんだと」
 九龍たちへの迎えはなかったが。
 ここまで自力で来られないようなら要らないということだろうか。
 九龍たちは今日からここで使用人として働くことになっている。
「……帰りてぇ」
「今更無駄だ。行くぞ」
 今回の任務は潜入任務。屋敷の主人が隠し持っているという秘宝の確認と、奪取が目的。
 それも、出来るだけ早く。
 九龍たちにはそうしなければならない事情があった。正確には皆守には、だ。










「で、今回お前と行く任務なんだけどな」
「……いきなり何だお前は。今年は駄目だ」
 皆守の大学3年の夏休み。
 九龍は7月も半ば頃、日本に帰ったついでに皆守の家に泊まりに来ていた。夕食のカレーを食いながら言った九龍に、皆守はうんざりしたようにそう返してきた。
「いやいや、今回は日本だぜ。潜入任務だから日本人じゃないときついんだよ。 もうロゼッタにはお前とやるって言ってるし。8月からだから夏休みだろ?」
 既にその辺の予定は把握してある。皆守は去年もバイトを入れていなかったことだし、誘われたら対応するつもりはあるのだと思っている。普通に働くよりバイト代はいいはずだし。
 カレーをつつきながら、皆守は言った。
「いつまでかかる?」
「へ? いや、それはわかんねぇけど……。お前の夏休み終わるまでには何とかするって」
 皆守の大学の夏休みは8月と9月。2ヶ月丸々使えることだし、よっぽどのところじゃなければ何とかなる。だが皆守は真面目な顔で言った。
「9月からは駄目だ。予定がある」
「は!?」
 皆守に、夏休みの予定?
「ちょ、ちょっと待て! 何でだ! 夏休みはおれからの依頼来るってわかってんだろ!」
「だからって何も言われてないのに予定空ける必要もないがな。そうじゃない。9月からは教育実習がある」
「ああ、教育実習……って、教育実習!?」
 思わず机に手をついて体を乗り出す。
 教育実習って……あれだよな、大学生が教師になる前に学校で……。
「お、お前……教師になんの?」
 そういえば九龍は皆守の学部すら知らない。将来を考えているなど欠片も思ったことがなかった。皆守は平然と続ける。
「ああ。教員免許のための単位は取ってる。実習は阿門から9月に来いと言われたから、」
「天香かよ!」
 実習と言えば自分の卒業校でやることが多いらしい、とは聞いたことがある。だがそれよりも九龍の頭に浮かんだのは別のことだった。
「それでお前、天香で阿門に雇ってもらうつもりだな! ああ、確かにサラリーマンとかよりお前に似合う……! 上司は阿門で仕事相手は高校生か! 畜生、楽しようとしやがって」
「何か問題あるか」
「ある! お前はこのまま就職決まらなくてふらふらしてるところをバディに引きずっていく予定だったのに!」
「知るか」
 それは本音だった。
 元々九龍は固定のバディが欲しかった。仲間たちは信じないだろうが、九龍は人見知りの気があるのだ。毎回違う相手と仕事をするのはストレスだし、日本語で会話出来る相手も欲しい。
 日本人ハンターは少ないし、九龍はその中で一番の新人だ。自分がハンター、相手はバディというやり方は難しい。
「えー、お前絶対普通に就職とか出来ないとか思ってたのに。あー、そうか阿門が居たかー」
 能力に問題なければ阿門は普通に雇うだろう。阿門は結局大学には進学せず、理事という形で学園に居る。
 ……そうか、また学園に戻るのか。
「……まあともかく。じゃあ8月まではいいんだな? 何とかなるんだな? 実習は9月初めからだよな?」
「8月じゃ高校も夏休みだろうが。ああ、ちょうど9月になってすぐだな」
「……じゃあ、それまで付き合え」
 というかそれまでに終わらせなければならない。
 9月に入ったなら皆守だけ抜けるという手もあるが、それはそれで面倒が起こりそうな気はする。九龍が残る以上、適当な理由も必要だ。
「9月までには終わらせようぜ!」
 行ってくれるか、など最初から聞く気はない。皆守は同意もしなければ、反対もしなかった。










「ここに住んでいらっしゃるのはご主人さまの他、奥さまに娘さま一人、奥さまの妹さまとその息子さん夫婦とその息子さん夫婦の息子さまと奥さまの妹さまの娘さまとその婚約者さまと、ご主人さまのお兄さまです」
 一覧を作っておきましたから見ておいてください、とその使用人は一枚の紙を九龍たちに差し出した。まだ20代だろうが、はきはきとした言動には落ち着きがある。少しぽっちゃり系で、メイド服のサイズは微妙に合ってない気がした。そのままじっとこちらを見つめてくるのを感じて、九龍は皆守と顔を見合わせる。
「……覚えろよ?」
「……面倒くせぇ」
 皆守の小さな呟きは、それでもこのメイドには聞こえただろう。
 使用人も含めればかなりの大所帯だ。これだけ広い屋敷ならそれも当然か。使用人たちの部屋だけで何部屋あるのかわからない。しかも全員一人部屋だ。
「すごいね。コーヒーの好みとか書いてるんだ」
 九龍たちと一緒に居たもう1人の男が紙を見つめて関心したように言う。パソコンで作られたであろうその名簿には、名前の横に手書きで「砂糖1個」「ブラック」などの注意書きがあった。メイドは慌てたようにそれを奪い返す。
「こ、これは私の個人的なメモですので。名簿は寺井さんのところに行けば貰えますが、出来れば今ここで覚えて下さい」
 少し慌てた言動に、何だか可愛いなと思ってしまい見つめていると目が合ってしまった。こちらも慌てて逸らす。再度渡された紙に、HANTに取り込みたい、などと思ってしまう。名前の羅列。頭が痛くなる。
「これ、でも名前だけ覚えても意味ないよね。っていうかぼくたちの仕事で関係あるの?」
 今回新たに雇われたという使用人は九龍たち含め3人。もう1人の男は妙に爽やかな笑顔でメイドに微笑んでいる。メイドは少し頬を染めて顔を逸らしていた。
 イケメンめ。
「お顔は夕食のときなどに……ああ、でも全員揃われるわけではありませんし、ですが使用人は全て制服着用ですので、会う人には失礼のないようして頂ければ」
 そんなものでいいのか。写真ぐらい用意してないのか。まあいずれ覚えるということだろう。
 皆守ともう1人の男は庭や屋敷周りの掃除人、ということになっている。九龍は何故か料理人という扱いだったが、仕事内容を聞く限りは雑用係といった感じだった。実際に現在居るコックたちの助手なのだろう。
「そっかー。ありがと。じゃあ、これからぼくたちどこに行けばいいのかな?」
「詳しい説明は、それぞれ担当の方が居ますから……とりあえず部屋の方に案内しますね」
 メイドに案内されて廊下を歩いている間、もう1人の男が九龍たちに目を向けてきた。
「ええと、初めまして。ぼくは青野海。海って書いてカイね。よろしく」
「よろしく。何か爽やかな名前だな」
「よく言われるよ。君は?」
「おれは葉佩九龍。九龍でいい。九つの龍って書く。苗字は……気にすんな」
 説明出来た試しも伝わった試しもない。青野は頷いて、皆守に目を向けた。
「皆守だ」
「皆を守るって書くんだぜ」
「おお、それもかっこいいな」
 2人が元々知り合いということにするかどうかは随分迷った。お互い知らない振りをしていた方が、どちらかがドジを踏んだとき安全なのだが、知らない振りをする、がそもそも難しそうだったので止めた。そちらの演技でドジを踏みそうだ。主におれが。
「あら、新しい人?」
 そのとき、廊下の正面から人がやってきた。ノースリーブにミニスカートで、やたら挑発的な格好をした胸の大きな女性が、がっしりしたたくましい男性にすがりついて……って、
「大和!?」
「ん? 九龍じゃないか。ああ、甲太郎も一緒か」
 そこに居たのは夕薙大和。かつて天香時代に一緒になったクラスメイトであり、共に探索をした仲間だった。


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