君の素顔が見たいから─1
取手がその声を聞いたのは、昼食を食べに外に出た帰り道。このまま駅に向かおうかと歩いている昼過ぎのことだった。
「出てこーい!」
「そのまま出てけー!」
ひゅっ、と何かを投げる音。がつん、とそれがぶつかる音。
少し道を逸れてそちらに行ってみると、小学生くらいの少年たちが、アパートの窓に向かって石を投げている光景があった。
「お前の、届いてねえじゃん!」
「もう1回やれ、もう1回!」
出てけ、と叫びながら再び石を飛ばす。子どもの腕の威力では窓が割れるようなことはないようだが、それでも、これは酷い。
子どもたちの声はどちらかと言えば楽しそうで、遊び半分にやっているのはわかった。
「ねえ、君たち……」
毅然とした対応をしようと近付きながら声を上げる。随分弱々しい口調になってしまい思わず口を閉ざしたが、子どもたちは取手の姿を見上げるとすぐさま駆け出して行ってしまった。
「あ……」
追い払うことは出来たが何も言えなかったことで取手は少し落ち込む。そして、子どもたちが石を投げていたアパートを改めて見上げた。
「……あれ?」
見覚えのある場所だった。問題の窓は2階の左から2番目。
取手は少し早足でアパートの表に回りこむ。裏から来たことはなかったのですぐにはわからなかった。
ここは、墨木のアパートだ。
「…………」
高校を卒業して。
取手は音楽系の大学に進んだ。バディ仲間で唯一大学に落ちた墨木は、住んでいる場所が取手と近かったため、卒業後も何度か顔を合わせている。
アパートの階段を上りながら、取手は妙な視線を感じた。
きっと自分が挙動不審なせいだと思う。
慣れない場所に来るときは、いつもそうなのだ。
そして墨木の部屋の前まで来て、一瞬息を呑んだ。
ドアが蹴られたような位置で凹んでいる。刃物でつけられたような傷もあった。比較的新しいアパートだ。以前来たときはこんなことにはなっていなかったと思う。
取手はインターホンを鳴らし、ドアをノックしてみる。
だが、反応はない。
留守だろうか、とも思うが、中には人の気配があるような気がした。
「ちょっと、あんた」
「!? は、はい」
そのとき突然声をかけられた。
アパートの廊下の先に、40代ぐらいの女性が訝しげな顔でこちらを見ている。
「そこの人に何か用?」
「え、あの、と、友達で」
探るような視線に言葉がつっかえる。女性は、その言葉に表情を険しくした。
「あんたも仲間か。全く、大人しそうな顔してる奴ほど怖いね」
「え……」
女性は吐き捨てるようにそう言うと階段を下りていく。どこかの部屋から出てきたのだろう。取手はしばらく固まったまま動けない。
……帰ろうか。
元々用があるわけではない。通りかかっただけだ。子どもが、この部屋の窓に石を投げていたから──。
そこまで考えて、取手は再び部屋をノックした。
「墨木くん。あの、取手だけど……」
声を張り上げる。それでも大した音量じゃなかったと思うが、それが取手の精一杯だった。
中の気配が動く。
「取手……ドノ……」
扉が開いた。
ガスマスクを付けて表情の見えない墨木が、そこには立っていた。
「あの辺で起きた発砲事件って……皆守くん、知ってる?」
日曜の夕方。そろそろ夕食にするかと財布を持って外に出た皆守は、アパート前に佇んでいる取手を見て動きを止めた。
いつから居たのか。思わず携帯を確認するが、メールも電話の着信もない。
皆守が呼びかけ、ほっとしたように駆け寄ってきた取手が、悩んだ末に出した言葉がそれだった。
「さあな。新聞なんざ取ってないしな」
ニュースをやっている時間帯にテレビの前に居ることも滅多にない。
皆守は取手を誘って近所のファミレスに向かいながら、そう答えた。
取手は更に迷うように視線を巡らせる。
「何かあったのか? 確かあの辺りは墨木も住んでるだろ。発砲事件って言うなら墨木が」
「墨木くんじゃない。彼はもう、そんなことはしないよ」
突然強い口調で遮られて驚く。
睨むような視線に何となく気まずくなって目を逸らした。
「まぁ、そりゃそうだろうが……」
「でも、疑われてるんだ……」
「…………」
なるほど。
これは墨木の相談だったようだ。
何故自分のところに来るんだと思いつつ、皆守はアロマの煙を吐き出す。
「発砲事件現場の近くに怪しいガンマニアの青年……ってとこか。そりゃ、疑われるだろうな」
「でも墨木くんじゃない」
「ああ、わかった。わかってるよ」
ぼりぼりと頭をかく。真っ直ぐ過ぎて、どうにも迂闊なことは言えない。
ファミレスに着いて注文を入れ、皆守は正面に座る取手を見た。
「で、警察にでも呼ばれてるのか?」
「それはないよ。ただ、墨木くん、誰かが来ても出なかったらしいから……」
「何だ、閉じこもってるのか」
「ガスマスク、付けてた……」
取手が視線を落とす。
皆守も言葉を返せなかった。
墨木砲介は、学生時代から常にガスマスクをつけていた。視線が怖い、と。そんな理由で。
だが九龍と出会って少しずつ変わり、最初に九龍に、そしてバディ仲間たちに素顔を見せるようになった。
高校を出たあとはマスクを外し、皆守も、もう墨木を思い出そうとすると素顔の方が浮かぶほどにマスクのない生活に慣れていたはずなのに……。
「誰かが見張ってる、って。それに、近所の人からの中傷とかも凄いみたいだ……」
石を投げる小学生。侮蔑の視線を送る女性。
取手が遭遇した人物以外にも居るのだろう。墨木は、再び視線に怯えることになった。
「……ちっ」
何だか不快な気分になる。
先ほど、軽い気持ちで発砲事件と墨木を結びつけたことを後悔した。
「ああいう奴らは、警察に捕まってないとか証拠がないとか言っても無駄だからな。真犯人が捕まりでもしない限り……」
とん、とパイプを灰皿に打ち付ける。
その言葉に、取手が大きく反応した。
「そう、か……。犯人が捕まれば……」
その手があったと言わんばかりに取手の顔が輝く。
皆守はそれに嫌な予感がした。
「おい、何考えてんだ?」
多分取手はここに来るまでも考えていた。
いろいろ考えて、考えに考えて、出なかった結論。
「皆守くん……ぼくらで犯人、捕まえられないかな」
ぼくらって何だ、おれを巻き込むな。
九龍相手になら蹴り付きで繰り出せるツッコミも言葉にはならない。
取手の真剣な表情に、皆守はため息をついた。
ああ、見張られてるな。
墨木の部屋の前まで来るとはっきりと感じる。
何でこんなにあからさまなんだ、いや、あからさまだと感じているのは自分だけなのか、と思いつつインターホンを鳴らす。
それで出てくるとは思っていない。
「墨木。聞こえるか」
墨木の携帯は電源を切っているのか、ずっと通じない。
あのあと、九龍、八千穂、七瀬に真里野にまで話が周り、ともかく墨木を部屋から連れ出すことになった。一体何日篭っているのかわからない。学園内でもレーションを大量に保有していた墨木は、外に出ずとも食事は何とかなってしまうのだろう。見張っている者がいるのなら、そろそろ逃走や、中での死亡を心配しそうだ。
開いた扉から出てきた墨木は、学園時代に見慣れたマスクと、アーマー。学ランではなかったが、黒い上着と黒いズボンであの頃と本当に変わらない。
皆守は墨木が何か言うより早く、部屋に入ると扉を閉める。
連れ出す前に、確認しておかなければならないことがあった。
「み、皆守ドノ」
「ちょっと聞きたいことがあるんだが」
狭い玄関先で墨木を見上げる。
墨木は黙って部屋の奥へと戻って行った。
皆守はそれに続きながら部屋の中を見回す。
ダンボールの山。銃にナイフ、缶詰やレトルト食品の山にクラッカー。更にコンロや蝋燭が使われた状態で転がっていた。
部屋の中でサバイバルをしていたようだ。本当に。
「おれが来た用件はわかるか?」
「自分の……いや、発砲事件のことだろウ。取手ドノが皆守ドノたちに相談すると」
最初から言ってたのか。
九龍は今、探索中だから仕方ない。何故かそういう予定を元バディたちはやたらに把握している。九龍は言ったり言わなかったりだが、八千穂が連絡を回すのだ。そのため、墨木も九龍に相談は出来なかったのだろう。別に探索中だろうが、相談くらいすればいいと思うのに。
「まあ、そうだな。それで、九龍が気にしてたことなんだが……お前、実銃は持ってるのか?」
本物の銃を持っていれば、それだけで法律違反だ。痛くもない腹を探られるのはともかく、本当に警察に踏み込まれてはやばい状況だとしたら対応の仕方も変わってくる。
墨木は皆守の問いに首を振った。
「いや……実弾発射が可能なものは卒業のときに全部処分シタ。ここにあるのはモデルガンとエアガンだけダ」
元々墨木は改造銃で実弾を撃っていた。弾はなくても作り出せてしまう能力なので持っていなかったのか。一応法律違反という意識ぐらいはあったらしい。正直九龍からこの可能性を聞かされたときは、あながちただの冤罪でもなかったのではないかと思ってしまったのだが。
「そうか。で、もう一つだが……お前、先々週の日曜、どこに居た?」
こちらは少し聞き辛い。
完全なアリバイ検証。皆守が聞くと疑っていると思われる気がする。墨木は皆守に顔を向けているが、ガスマスクのせいで表情は全くわからない。皆守の言葉を聞いてどう思うのか。
「あの事件があるまでは、毎週日曜は天香でGUN部の後輩に指導していタ。あの日も朝から夕方まで、」
「アリバイあるんじゃねぇか!」
墨木の言葉を思わず遮って大声を出す。墨木がびくりと驚いたように体を震わせた。
天香は皆守たちの卒業後、大分校則が緩くなっている。守るべき墓もなくなったからだろう。それでも墨木が簡単に出入り出来るのなら、それは阿門の口添えがあってのことかと思うが。
とにかく、実際の所持品、そしてアリバイ。警察に連れられても問題ないことが簡単に判明した。むしろこれなら、さっさと捕まって証言した方が良かったんじゃないか。
……いや、警察に連れて行かれたというだけで近所の噂は更に酷いものになるだけか。証拠不十分で帰ってきた、などイコール無罪だった、にはならないのだ。
「とにかくな、墨木。お前は部屋を出ろ。そんな格好で閉じこもってりゃ益々疑われるだけだ。八千穂たちが真犯人見つけるとか張り切ってるしな。お前も手伝え」
例によって一番関係ないはずなのに一番張り切ってる八千穂が、ここに皆守をよこした張本人だ。女性だと、墨木は家に入れないかもしれないし、取手が無理矢理引っ張ってこれるとも思えない。帯刀の真里野だと何だか別の問題が発生しそうな気がする。その辺りの理屈は一切抜きで「皆守くん行って来て!」だったが。
墨木は迷うように顔を伏せる。せっかく外せるようになったガスマスク。
今再び付けているのを見るのは、確かにいい気分じゃない。
「おれの視線も怖いか?」
言ってみると、ばっと墨木が顔を上げた。
そして急いで、というように首を振る。
やがて、そのガスマスクに手をかけた。
「そうダ……。閉じこもってばかり居ては何もならナイ……! 自分は……!」
情けナイ、とまた項垂れそうだったので皆守は先に立ち上がる。
墨木も覚悟を決めたように、ガスマスクを外し、それを手に持った。
更に銃やナイフを体に装備していくのを見て、皆守はとりあえず、言っておく。
「……ナイフは捕まる。止めとけ」
この格好で外に出たら、突き刺さる視線があるのも仕方ないんじゃないのかと思わず口に出しそうになった。
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