今すぐ行くから待ってろよ!─10

 室内には複数の気配があった。柱や壁で全体が見渡せない作りの部屋の中、がさがさと動く音が聞こえる。春奈は思わず壁に張り付いた。
 化物だ。
 この部屋は化物が満ちている。
「七瀬どの。後ろへ」
「……はい」
 真里野は木刀を構えたまま前へ出る。既に春奈の目にも鞭を振り上げる人間型の何かや、ふわふわ浮いている子どもサイズの化物が見える。真里野は怯むことなく木刀を振り上げた。
「死に急ぐな」
 少し、笑っているようにも見える。
 木刀の一振りで一匹が声を上げて消滅する。子どものような声。気分が悪い。
「スマッシュはいいかな?」
「とりあえずは任せとけ」
 春奈の隣には七瀬。少し離れて、八千穂と皆守が壁に背を付いて立っているのが見えた。皆守はカレーパンを食べている。落ち着き過ぎじゃないだろうか。
 七瀬は真剣な目で真里野を見ているが、心配しているようには見えない。これが当然、という表情にも見えた。
 少しずつ中へ向かっていく真里野。襲ってくる化物をほぼ一刀両断する。本当に、強い。
 影から複数飛び出してきたときも、即座に後ろに飛んでその攻撃をかわしていた。だが、これで真里野の前に5匹。大丈夫か。
「真里野、避けろ!」
「いっくよー!」
 そう思った瞬間、真里野が皆守の声に反応して伏せる。八千穂のスマッシュが5匹にまとめて振りかかった。
 化物たちが動きを止めたその隙を狙い、真里野は次々と敵を仕留めていく。
「うっわぁ。だ、大丈夫そうだね」
「ええ。剣介さんは強いですから」
 ……おや?
 どこか嬉しそうな顔をしている七瀬に少し疑問符が浮かぶ。
「な、七瀬さんって真里野くんと付き合ってたりする……? カップルは皆守くんとやっちーだけだと思ってたのに」
 何だか疎外感がある。
 言ってしまった言葉に、大きな反応を示したのは何故か皆守だった。
「ごほっ、お、お前何を……」
 飲んでいた缶コーヒーでむせたらしく、皆守が咳をしながらこちらを睨みつける。八千穂も少し驚いた顔をしていたが、直ぐに笑顔になった。
「ええっ、私たち別に付き合ってないよ? あ! そっかー。だから皆守くんのことで私に謝ったりしてたんだ」
 ずっと気になってたんだ、と笑う八千穂は何かに納得して頷いている。
 春奈の方が唖然としてしまった。
「え、あれ? ち、違ったの? だって……あ、でも……」
 付き合ってる、など一度も言われていないことに春奈は初めて気が付いた。そういえば、そもそも何故そう思い込んでいたのだったか。
「旅行に連れてきたし……普通そういうのって彼氏じゃない?」
「彼氏が居ないんだからしょうがないじゃんっ」
 確かに、彼氏が居てほかの男を連れてくることはないだろうが、居ないなら友達を……で、いいのか? 本当に。勿論、そもそも普通の旅行ではないのだが。
 皆守に目を移してみると、ようやく咳が収まったらしく、そっぽを向いて食事を再開している。
「そうだな、八千穂に彼氏でも出来ればおれが振り回されることもなくなるのか。よし、お前……お前、彼氏なんか出来るのか?」
 皆守の目が心底疑問だ、と言っている。八千穂が頬を膨らませて反撃した。
「皆守くんに言われたくないよっ。皆守くんだって彼女いないでしょ」
 2人のやり取りには何て言っていいものやらわからない。
 七瀬もそんな2人を見て、ため息をついていた。
「仲の良さと恋愛感情は違うものだと思います。あと私と剣介さんも……そ、その、付き合ってるわけではありませんので……」
 九龍とのことを聞いたときよりは、幾分冷静に見える。しかしそれは真里野への思いがないから、とは思えない。どこかきっぱりとした言い分に、意識してはいけない、というような切り捨てた思いを感じた。
「それより、終わったみたいだぞ」
 扉付近でくだらない話をしている間も、真里野は戦っていた。そして、最後の化物を倒したらしい。断末魔の悲鳴と共に、部屋に満ちていた嫌な空気が霧散する。
 ほっとして春奈が壁から離れたときだった。
「わっ……!」
 どん、という低い地面の震えと共に。
 目の前に化物が現れた!
「きゃあああっ!」
 悲鳴を上げて後退さる。だが、すぐそこは壁。避けられない。
「春奈っ!」
「春奈さん!」
 皆守と七瀬の声が聞こえるが、化物から目を離せない。振り向けない。
 振り上げられた腕を見て思わず目を瞑った瞬間、真横の空気が大きく動いた。
「ぎやぁぁああァァ」
 すばっ、と何かを切る音に、化物の悲鳴。
 腰を抜かした春奈は、目の前に化物ではない、男の背中が見えるのに気付いた。
「九龍……」
「九ちゃん!」
「九龍くんっ!」
 男が振り返る。
 自分たちと同じ年頃だろうか。頭にゴーグルをつけたがっしりした体格の青年が、剣を片手に笑っていた。










「お前らっ! 何でおれ置いて勝手に入って行ってんだよ!」
「文句言う前に敵を何とかしろ」
「お前も手伝えっ!」
「だりぃ」
「あーもうっ! 棒読みの方が真実味があるのは何でだっ!」
 九龍は部屋の中にわらわらと存在している敵に剣を振るいながら怒鳴る。人型の敵にはこれが一番だ。前方に真里野が居る。銃は危ない。
「九ちゃんっ、スマッシュいる!?」
「まだいい! やっちーは他の奴ら守ってて! 甲太郎は放っとけ!」
「わかった!」
「わかったじゃねぇよ」
 八千穂が本当に皆守から離れて、七瀬と春奈の間に立つ。
 皆守は壁にもたれたままだが、敵や九龍たちの動きを注視しているのはわかった。部屋の奥から敵を倒しながらこちらに近付いてくる真里野が九龍の名を呼ぶ。九龍はそれに答えながらも敵を倒すことに集中した。
「やっちー、頼む!」
「いっくよー!」
 やがて敵が中央に集まった頃、九龍はさっと身を引いて、八千穂に向かって叫んだ。相変わらず見事な威力で、敵は数体まとめて消滅した。九龍はほっと息を吐く。
「まだ油断するな九龍」
「お?」
 背後の八千穂たちを振り返った九龍に、とん、と背中合わせになってきた真里野が言う。しばらくそのまま緊張態勢だったが、やがて何も起こらないとわかると、真里野の力も抜けた。
「……何かあったのか?」
「先ほど、敵を殲滅したあと、もう1度敵が出てきたのでな」
「なるほど、二段構えだったわけね」
 扉を開けた瞬間、飛び込んできたのは見知らぬ女性が襲われている光景。あの状況になるまで誰も動かなかったのかと思ったが、一瞬のことだったのだろう。随分いいタイミングだったようだ。
「九龍、しかしお主……どうやってここへ?」
「は? いや、普通に港から山まで車で案内してもらって。山ん中は、あれ、七瀬だろ? 印付けてくれてたの」
「はい。こちらに来るまでの扉は……開いていたのですか?」
「いやいや。全部こっちで仕掛け解除して開けたよ。でも一方通行の遺跡だなぁ。戻る扉が開かない」
 九龍が言ったとき、はっとしたように七瀬が元の扉に手をかける。開かないだろう。こういう遺跡は、扉が閉じないように仕掛けをしても無駄だったりする。同じ文明の秘宝でも使えば別かもしれないが。
「さーて、とりあえず、自己紹介しようか? おれは葉佩九龍、トレジャーハンター。もう聞いてるかな、春奈ちゃん」
「え?」
 九龍は当然、この中で初対面となる春奈に向かったのだが、春奈は突然のことに驚いたように目を見開いた。……興味なしか?
 思わずぼやくが、春奈は直ぐに表情を戻す。
「あ、うん、私は春奈陽子。春奈は苗字だよ」
「知ってる知ってる。で、君がこの遺跡の発見者?」
「発見者っていうか……。昔来たことがあるんだよね」
「外に向けて発言してくれれば、それで発見者扱いになるんだよ。で、七瀬。首尾はどう? メールじゃ詳しいのは無理って言ってたけど」
「あ、はい。ノートにまとめておきましたのでどうぞ」
 七瀬からノートを手渡される。九龍は受け取ってその場に座り込んだ。
「おい、九龍」
「待て待て。読むから待て。お前は後で殴るから待て」
「ざけんな」
「絶対行くなっつったのに! お前、おれのことは怒るくせに自分は勝手にピンチになってんじゃねぇよ!」
 先ほどの皆守は動かなかったというより、動けなかったのかもしれない。心底だるそうだった。この前の部屋にどれだけの時間居たのか。青ざめた顔が何となく直視出来ない。
「そうだよっ。ご飯も食べずに!」
「いや、やっちー、そこ違う」
 八千穂の怒りの方向は、どこかずれている。気が抜けてしまい、九龍は笑いながらノートを読み進めた。急いで書いたようだが、それでも整然として読みやすい字が七瀬らしい。この地域に伝わる伝承。そして山で人が行方不明になるといった事実。それらと七瀬の推測がきっちり区別されながらまとめられていた。
「……甲太郎」
「あ?」
「ポケットの中のもん出せ。アロマじゃないぞ」
「ポケットの中? アロマ以外なんざ携帯と……」
 皆守が左のポケットに、次いで右のポケットに手を突っ込む。
 皆守の言葉が止まった。
「……そういや、こんなもんあったな」
 ぽい、と投げられたそれが九龍の広げるノートの上に落ちる。投げんな、と言いながら九龍はそれを取り上げた。
「ああっ」
 それを見て七瀬が声を上げる。
「そう、でした……。皆守さんはそれを持っていたんですよね。何故忘れていたんでしょう……」
 板についての報告はあったのに、その後七瀬がそれに触れていないことが気になっていた。この様子では本当に忘れていたようだ。そして、忘れていた理由は、遺跡に関係するのだろう。
「それって何なの? 秘宝?」
「まあある意味秘宝だな。HANTも反応してるし」
 改めてHANTで取り込む。わかりにくくなっている彫刻の形が分析される。九龍はそれを七瀬へと見せた。
「七瀬、このマークわかるか?」
「それは……」
 七瀬が眼鏡を上げて覗き込む。そしてはっ、と気付いたように顔を強張らせた。
「これは、この遺跡に……おそらく、この遺跡に眠るとされている権力者に刻まれた……罪人の、証です」
 七瀬がノートのページをめくる。
 本にはその模様も載っていたのだろう。絵まで描いている時間はなかったのか、図解は省かれている。
「それ……どういうこと?」
「まあ七瀬の推測はほぼ正しいだろうってこと。最初の壷の部屋は、まあ生贄を選ぶとことして、次に寒さ、次に鞭を持った敵、この場合次は……」
「水、ですかね」
「面倒だなぁ……」
「おい、どういうことだ」
 ぶつぶつ七瀬と共に呟いていたらついに皆守が突っ込んできた。
 ようやく壁から離れて近付いてきた皆守が九龍の隣に座り込む。ノートを覗き込み、顔をしかめていた。
「お前、生贄に選ばれたんだよ。この板が証。で、権力者が受けてた拷問を体験させて弱らせようってとこか?」
「……あ?」
「言っててすげぇ嫌だから、あんま突っ込むな。とにかく、一番奥まで行かないことにはどうにもなんねぇな。誰かが入ってきたら別だけど」
 初めからそのつもりだったし、準備は十分だ。何日もかかるほどの規模ではないと思う。少なくとも、子ども時代の春奈が外に出ることが出来ている。
「では、行くのか?」
「出来れば女の子たちはここに居て欲しいな。多分ちょっときつい」
「えっ、嫌だよ。私だって役に立つんだから!」
「うん、それは十分わかってる」
「私の知識が、」
「うん、だよね……」
 九龍は春奈に目をやった。
 一人で置いて行くのも忍びないが、それでもこの先の不安がある。春奈は少し呆然とした様子で言った。
「……私、そんなにきついと思わなかったな……。子どもの頃見たものと、違うし……あ、でもその板は持って……あ、あれ夢じゃなかった?」
 少し混乱しているようだった。考えがまとまっていない。
 こういう証言は貴重なので、九龍は根気強く待つ。
「一番最初に扉は3つあったぞ? 春奈どのが入ったのは別の扉だったのではないか?」
「それも可能性はあるんだよな。例えば、入った人間の条件次第で開く扉が変わるって場合もある」
 年齢、性別、血。
 子どもだったが故に、楽な道が選ばれたとも考えられる。
 生贄は、最後まで辿り着かなければならない。衰弱はさせても、死なれては意味がない。捧げる相手は……その権力者だ。
「その板……」
 春奈がいまだ九龍の手にあったそれを横から掴む。そして、いまだ分析部分を表示させたままだったHANTを覗き込んだ。
「……うん。そうだ。このマーク、夢で見たよ。板を見たから夢に出てきたかと思ったけど、それじゃあマークの模様わかんないもんね。うん、これ、持ってた」
「……持ってた?」
「そうだよ、私これ持ってこの中歩いてた。これを持ってたら……化物に襲われない」
 きっぱりと春奈は言い切った。自分の記憶に自信が出てきたのだろう。
 九龍は頷く。
「だな。これは生贄を殺さないための……まあ、お守りみたいなもんでもあるんだろ。これを持って奥まで行って、そこに眠る権力者の生贄になる」
「あっ!」
「ん?」
 そこで春奈が何かに気付いたように大声を上げる。
 全員の視線が集中したが、春奈は何でもない、というように手を振った。そしてごまかすように早口で言う。
「わ、私も行くから。死にはしない……んでしょ?」
「このお守りがあればな。けど、持てるのは一人だし、途中で人を変えるのってありなのか? とりあえずおれが持っててみるか?」
 化物に襲われないかどうかは、持って敵の前に立ってみればわかるかもしれないが。
 ああ、そんな役なら皆守が一番適任なのに。何でさっさと選ばれてやがる。
 どうしようもない愚痴を頭の中だけでもらし、九龍は立ち上がった。
「ま、これ以上は考えてても仕方ねぇな。行くぞみんな!」
「おうっ!」
「はいっ!」
 元気良く返してきたのは冗談っぽい叫びの八千穂と七瀬だけだった。真里野は静かに頷き、皆守は欠伸をしている。お前。
「あ、でも、出来れば何か武器とか、欲しいな……。心細いし」
 そして春奈はそう言った。
 九龍は少し考える。
「……そうだな。よし、これを持ってろ」
 持ち物から取り出したのは金属バット。
「お前、何持ってきてるんだ」
 皆守の呆れた声が聞こえる。春奈もきょとん、とそれを見返していた。
「そりゃぁお前と野球するためにな!」
「ボールとグローブは」
「そんなもんなくても何とかなる!」
「なるかっ! どこで盗んできた!」
「拾ったんだ、人聞き悪いな!」
 それは事実だったのでしっかりと主張する。森の中だ。ぼろぼろだ。
「何でもかんでも拾ってくんなっ!」
「うるせぇ、役に立ったりするんだからいいだろっ!」
 今回がまさにそれだ。
「素人に刃物や銃は危ないから。振り回せば結構効くぜ!」
 そうして言った九龍の言葉に、春奈は戸惑いながらも、黙って受け取ってくれた。


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