今すぐ行くから待ってろよ!─9

 鬼に食われる。近付いてはいけない。
 そんなお伽話にもなっていない言葉が、そもそものきっかけだった。
 山で行方不明になった人たちは、実際に居る。複数だ。
 春奈の祖母も覚えている。そう遠い昔の話ではない。
「だけど、あの山は大きいとは言っても、それほど険しいわけではありませんし、標高も低いです。この辺りは滅多に雪も降らないようですし、例え冬でも、山狩りが困難な状況だとは思えません」
 昔も今も。山で人が消えたなら探すだろう。探して見付からない、ということは、確かにある。だけど当たり前のように何人もの失踪者が出るような場所ではない。
「それって、つまり、遺跡に入って戻れなくなったってことだよね……?」
 八千穂の言葉に七瀬は頷いた。
「そして、その事実を把握して尚、放置している者が居る、ということです」
 山狩りの記録すらない。
 探しても無駄だとわかっている。それは、もしかしたら島ぐるみ……いや、今はともかく、かつては多くの大人に知られていたものなのかもしれない。
「何故だ。それは……墓守か?」
 背後を歩く真里野が言った。七瀬は僅かに振りかえって答える。
「わかりません。ですが、事実を把握していたのは複数……それもかなりの人数である可能性があります。私がそこで思い至ったのは……」
 生贄。
 遺跡に存在する何者かのためか、遺跡自体がその存在を保つために必要なのか。
 七瀬の言葉に全員が沈黙した。
「そういえばここに来る前の老婆の言葉も……だが島の人間がそう思い込んでいるという可能性は……いや、皆守は自ら遺跡に行ったのだったか……」
 真里野は顎に手を当て、考え込みながらぶつぶつと喋る。
「はい。遺跡が人を必要としているのなら、皆守さんの行動にも説明が付きます」
 何故皆守だったのかはわからないが。
 あの遺跡内で率先して行動を起こしていたのは皆守だ。本人は不本意だったかもしれないが、結果的にはそうなっている。その何かで、皆守は選ばれた。あるいは、誰でも良かったのかもしれないが。
「それから……あの遺跡に眠っているかもしれないもの……。いくつか、それらしい話がありました」
 七瀬はいつも持っている本と、一緒にしていたノートを掲げる。本自体を持ち出すことは出来なかったので必要な部分はノートに写してきた。七瀬自体はほぼ記憶しているのだが、九龍たちに伝えるなら、文をそのまま見せた方が早い。
「……島流しにあった権力者の話です」
 七瀬はそれを語り始めた。
 山まで約1時間。
 八千穂も真里野も、それ以上は口を挟まず、ただ黙って聞いていた。










 春奈は医者の言葉を思い出している。
 何かを知っている様子だった医者。
 皆守の素性と、その両親を気にしていた医者。
 いつ帰るのか、と聞いてきた。それは帰宅予定の日。
 ……もしも皆守がこのまま行方不明になったら、騒がれる日。
 だが春奈はそれを言い出せない。
 七瀬の言葉通りなら、島の人間が「生贄」を見過ごしていることになる。少なくとも、医者は関係している可能性がある。それは信じたくない推測。
 そして、春奈は子どもの頃会った少年のことも同時に思い出していた。
 誰の記憶にもない少年。
 島の外の人間ではないかと、七瀬たちは言った。
 もし、どうしても生贄が必要だというのなら、島外の人間を選ぶのは自然なことに思える。
 あの子は、一体どうなったか。
「……陽子、大丈夫?」
「えっ……」
 考え込みながら歩いていたため、突然隣からかけられた声に驚く。
 八千穂が心配げに春奈を覗き込んでいた。
「さっきから元気ないし。……あの、ね。陽子まで行く必要はないんだよ? 多分凄く危険だし、何か、巻き込んじゃってる気がするからさ」
 そう言った八千穂の方が、元気がないように思える。
 普段が無駄に元気な分、ギャップが激しいのだろう。
「な、何言ってんの。ここまで来て引き返せないでしょ。私だって皆守くん心配だよ? 一昨日助けてくれたのは皆守くんだしさ。それに……凄く気になることがある」
 自分の、過去の記憶。
 あのとき、自分はかなり奥まで進んだのだと思う。
 まだ記憶にある場面が出てきていない。
「……全部思い出したいし。絶対、忘れてることがあるはずなんだよね」
 これは、自分の問題だ。
 そもそも最初にこの話をもちかけたのは、自分なのだから。
「……ま、あんまり危なそうなら引き返すけど」
 笑いながら言って、少し空気が緩む。
 実際、またあのような化物が出てきたら、と思うと怖いのは確かだ。
 だが、蹴りやテニスボールで何とかなったのだ。今は木刀を持った男までいる。大丈夫だ。
 考えたこともない化物との遭遇で、感覚が麻痺しているだけだとは気付かない。春奈は根拠もなく、何とかなるような気がすると思う。
「ここか?」
「はい。まだ山を随分歩きます。剣介さん……その格好で大丈夫ですか?」
「問題ない。かつての日本人は皆、このような格好をしていたのだ」
 そうだろうか。
 2人のやりとりに、なんだか急に現実に引き戻される。
 真里野の格好は剣道着に近い。山を歩くには不便だろう。だが、それを言うなら港に着いた直後か、むしろ来る前に言うべきだ。今更どうにもならない。
 七瀬もそれ以上言う気はないのか、4人は無言で山を登り始めた。
「……遺跡に入る前に、九龍さんがこの島に着くかもしれませんね」
「……しまった。一人残しておくべきだったか」
「私は嫌だよっ、それに、私のスマッシュは必要でしょ!」
「私の知識がなければ遺跡の謎は解けないかもしれません」
 八千穂と七瀬が順番にそう発言する。
「…………」
 どうしよう。
 春奈は何も主張できるものがなかったため、必死で考えるが言葉が浮かばない。
 だが、誰も春奈にそれを振ってこなかった。よく考えれば、九龍を知らない春奈を残しても仕方ないだろう。伝言ならメールでしても一緒だ。
「ああ、やはりここだと圏外になりますね。待って下さい。九龍さんへのメールを打っておきます」
 七瀬が小走りに少し戻る。
「……九龍が来るまでは待たないのか」
「とりあえず皆守くんと合流してからにしようって。皆守くん、お腹空いてると思うし」
 何故か八千穂は皆守の空腹ばかり気にかけている。皆守はそんなによく食べるのか。それとも単に、自分に置き換えて考えてそうなってるだけだろうか。
 それでも八千穂が、昨日より元気を取り戻している様子なのはほっとする。
「では、行きましょう」
 戻ってきた七瀬が宣言する。
 七瀬を先頭に。二日前とは逆に、春奈は最後尾を歩いた。










 井戸の中は二日前とまるで変わらない。日がほとんど遮断されているせいで一日日陰になるそこはひんやりと涼しい。七瀬が懐中電灯を取り出し、先頭を歩こうとしたが、真里野がそれを遮ってその前に立つ。そういえば、結局皆守が選ばれた理由は何なのだろう。
 春奈は最後尾を歩きながら思う。
 3つの扉がある部屋は、以前と同じく一番右側しか開かない。八千穂が皆守の名を呼んだ。返事はない。
「……やはり中に入っているのでしょうか」
「ここだと外が見えるし落ち着かないとか……?」
 外と行っても、ここから井戸の底は見えない。通路が暗いせいだ。皆守の視力なら見えるのか。
「……入ってみましょう。あ、壷には近付かないで下さい」
 七瀬は真里野に向かって言った。壷の仕掛けを知らないのは真里野だけだからだろう。だが、中に入っての発言で、それだけではなかったことを知った。
「……開きませんね。壷に近付かずにこちらに向かえば開いた、と皆守さんからは聞いたのですが……」
 部屋の右側にあった扉は、以前と同じく閉ざされたまま。
 だが、この部屋に皆守の姿はない。
「じゃあ皆守くんは……? 出て行っちゃったのかな……?」
 八千穂がおそるおそる、といった感じで発言した。答えは予想できているのだろう。七瀬は閉ざされた扉を見つめたまま言う。
「……おそらく、先に。皆守さんのみに、開く扉なのかもしれません」
「じゃ、じゃあ私たち行けないの?」
 八千穂の言葉に七瀬は答えない。その可能性はある、ということか。
 だが七瀬は首を振った。
「いえ……いいえ。こういった遺跡には、何か解除の仕掛けもあるはずです。遺跡の管理をする者が、入るための……」
 七瀬が考え込む。春奈は手持ち無沙汰に部屋の中を見渡した。二日前と同じく、整然と並んだ壷。……あれが、化物になった。
 身震いする。
 やっぱり、怖い。
 いつ化物に変わるかわからない物と一緒の空間は落ち着かない。
 春奈は部屋を出てしまおうかと一瞬思って、入ってきた扉へ一歩近付く。
 そのとき、かちりと音がした。
「え……」
 一瞬鍵が閉まったのかと、焦る。怖い。また化物か。
 ばっ、と振り返る。壷は、壷のままそこにある。
 真里野は七瀬の前のドアに駆け寄っていた。
「今の音は……」
「扉が……」
 開く。
 何をしても開かなかった扉が、何もしていないのに開いていた。
 七瀬が振り返り、戸惑うように全員と視線を合わせる。
「開いたの……? み、皆守くんは?」
 八千穂が僅かな隙間の開いたドアを押す。開いたドアから冷気が噴出してきた。
「皆守くーん! 居るのー!」
 大声が響いている。その反響で、向こうの部屋は随分広いのだと感じた。
 部屋の中に駆けていってしまった八千穂を見て、七瀬と真里野も中へと向かう。春奈も慌てて後を追った。置いて行かれるのは、嫌だ。
「皆守くんっ!」
 春奈が部屋に入ったとき、一際大きな声が響いた。それは本人への呼びかけだと直ぐに気付く。七瀬や真里野も駆け出した。何本もの柱のある部屋。その一番奥に皆守の姿があった。目の前には、もう一つの扉。
「皆守くん、冷たいよ! だ、大丈夫なの?」
「うるせぇよ。いいから離せ」
「皆守さん、どこに行くつもりですか!」
「次の部屋だろ。やっと開いた」
「待て。もうすぐ九龍が来る。一度元の部屋に戻るのだ」
 騒がしい一角に、春奈もようやく追いつく。皆守は青ざめた顔はしているが、思ったよりは元気そうだった。声も安定している。
「もう1度ここに来るのか? ごめんだな。どこに居ても一緒だろうが」
「本気で言ってるのか? 先に進みたがるなど、お主らしくもない」
 真里野の言葉に皆守は沈黙する。
 遺跡には、人の考えまで左右する力があるのだろうか。
 皆守ががりがりと頭をかく。
「確かにな。だが行かなきゃならない。戻るのはごめんだ」
「…………」
 七瀬も、八千穂も言葉を挟まない。真里野が、手にしていた木刀を皆守へと突きつけた。
「ま、真里野くんっ!」
「……九龍との約束だ。お主を引きとめろと。どうしても行くと言うのなら力尽くでも引き戻す」
 真里野の声は淡々としていたが、本気が滲み出ている。皆守の口元でアロマパイプが揺れた。
「おれとやるつもりか?」
「今のお主に負けるつもりはない」
 睨みあう二人。武器を構える真里野に対し、皆守の構えは戦闘態勢になっているようには見えない。それでも、空気が張り詰めているのを感じつつ、春奈は言わなければならないことをおそるおそる告げる。
 元々、これを言うために駆けてきたのだ。
「あ、あのさ。入ってきたドア……開かなくなってるんだけど……」
 ドアの閉まる音がしたあと、妙に不安になって春奈は一度取っ手に手をかけた。
 そこは既に鍵がかかったような手応えで、押してて引いても開かなくなっていた。
 七瀬たちの驚いた顔が見える。
 皆守に対峙していた真里野も振り返った。
「そ、そっちは開くの?」
 八千穂は皆守に尋ねる。
「あぁ、開いてる。行くしかないみたいだな」
「…………」
 皆守の視線は真里野にあった。真里野は一瞬険しい顔をしたが、この寒さの中に居るよりはいいと判断したのだろう。皆守を押しのけ、扉に手をかける。
「おい」
「下がっていろ。……八千穂どのが差し入れも持ってきている」
「は?」
「あっ、そうそう。皆守くん、これ、カレーパン。カレーライスもあったんだけどさ、温めても冷めちゃうと思って。……こんなとこなら缶コーヒーもホットにすれば良かったかな」
 八千穂が明るくコンビニ袋を差し出している間に、真里野が扉を開いた。


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