今すぐ行くから待ってろよ!─8

 真里野剣介がその島に着いたのは、既に日も高くなった午後11時過ぎのことだった。
 いつもの和装に風呂敷で荷物を包んだ時代錯誤な格好は、ここに着く前から注目の的だった。だが真里野は慣れているので気にしない。そもそも奇異の目を向けられていることに気付いていないと言ってもいい。
 見知らぬ者が珍しいのだろう、くらいの感覚だ。
「ふむ……」
 そこで取り出される携帯電話は最新式。特にこだわりもないため、店員が勧めるものをそのまま買った。報告した時刻より少し早い。と、それだけを確認して真里野は辺りを見回した。
 港に着く時間は連絡してある。ならば、その時間まで待っていればいい。
 荷物を持ち、木刀を抱えたまま真里野は直立不動で立っていた。迎えに来るのは七瀬かもしれない。無様な姿は見せられない。
 それでも真里野は落ち着かなげに腰に手を触れる。
 木刀は、さすがに腰に下げてはいない。注意されたことが何度かあったのに加え、先輩から木刀袋を譲られ、使用しないわけにはいかなくなった。元々真里野は剣道部で、竹刀も扱うため袋自体は持っていたのだが。
 立っていると汗がじんわり滲む。今日は気温が高い。剣道部の合宿はどうなっているだろう、と真里野はふと思う。
 本来なら今週末まで合宿の予定だった。昨日の夜、九龍からの電話を聞き、仲間にろくな説明もしないまま飛び出していた。友人の危機だ、と。そう言ったと思う。そうだ、皆守が危ないのだ。決して七瀬に会うために来たわけではない。
「真里野くーん!」
「剣介さん。お疲れ様です」
 やがて駆け寄ってくる女性陣の姿が目に入る。手を振りながら近付いてくる八千穂。七瀬は、いつものように本を抱えたままだった。その後ろにもう1人、真里野の知らない女性の姿が見える。
「すみません。まだ合宿中のところを……」
「いや、皆守が危険な状態なのであろう? 友として当然のことだ。それに、九龍からの頼みでもある。九龍にはまだまだ借りがあるからな」
 誰かが止めなきゃ七瀬が遺跡に行くぞ。
 九龍がそう言ったことは勿論伏せておく。
 そもそも皆守が付いていると言われたからこそ、合宿の方を優先したのだ。その皆守が戦えない状態だと言われれば、何を置いても来るに決まっている。
「……九龍さんが到着するのは、おそらく早くても2時過ぎになると思います。既に皆守さんが遺跡に入って12時間は経過していますし、先に……付いてきて頂けますか」
 七瀬が強い目でそう言う。思わず視線を上げると、八千穂も同様の表情をしていた。ずっと待っていたのだろう。そして、既に覚悟を決めている。真里野は頷いた。九龍からは、七瀬たちを止めろと言われている。それは、危険に晒さないためだ。真里野が守れば、問題はない。
「皆守は部屋から動いてないのか?」
「わかりません。連絡が取れないんです。じっとしているなら問題はないのですが」
「とにかく水とか、ご飯だけでも届けようって。皆守くん、多分昨日も丸一日何も食べてないんだよ! 死んじゃうよ!」
 八千穂が何より心配しているのはそこらしい。コンビニの袋らしきものにパンが詰まっている。多分カレーパンだ。
「もし先に進んでいた場合……七瀬どのはどうするつもりだ」
「進みます」
 答えは早かった。既に考えてあったことなのだろう。
「あれから徹夜で調べました。今日も朝から聞き込み調査をしています。おそらくあの遺跡は……」
 七瀬が言葉を止める。
 真里野も思わず振り返る。背後からの気配。明確な、敵意。
「あなたは……」
 振り返った真里野の後ろから、七瀬の声が響く。
 目の前に老婆がいた。腰が曲がり、杖をついた状態で真里野を見上げ、きつく睨みつけてくる。
「……山に登ったらいかんよ。何考えとんか知らんけど。近付いたら死ぬ」
 低い声は落ち着いていたが、感情を抑えているようにも見える。確かな敵意を、真里野は感じていた。
「……何か知っているのか」
 思わず袋に入ったままの木刀を握り締める。真里野の視線にも、老婆は動じることなく言った。
「みんな知っとる。近付いたらいかんって、子どもでも知っとる。何で行くんや」
 後半で、老婆の言葉が少し頼りなく揺れた。押さえていた感情は、これは、
「で、でもっ。友達が行ってるんです。友達を迎えに行くだけ、だから……」
 八千穂がそこで食いついた。本当はそれだけでは終わらないだろうが、今の気持ちはそこが強いのだろう。八千穂の言葉は嘘を付いているようには聞こえない。
 老婆は再び強い口調になった。
「……友達は諦め。鬼に選ばれたら、諦めんと。鬼の怒りを買うだけや」
 そう言って踵を返す老婆に、七瀬が慌てたように呼びかける。
「おばあさん! 待ってください。その、鬼の話は、」
「…………」
 老婆は振り返らない。足も止めない。七瀬が小走りに追いつくが、何を言っても、老婆はそれ以上語らなかった。
「……七瀬どの」
「……行きましょう。皆守さんを、止めなくては」
 七瀬は既に何かを掴んでいるのか。
 その強い覚悟が皆守のためと思うと、少し複雑な気持ちになった。そんなこと、今まで考えたこともなかったのに。
「……七瀬どのは……七瀬どのたちは、拙者が守る」
 木刀を取り出し、真里野は結局それだけ言った。七瀬が微笑んで返す。
「……はい。……よろしくお願いします」
 七瀬が歩き始め、真里野が続こうとしたとき、八千穂の隣に居た女性が言った。
「あ、あの……紹介してもらって……いい?」
 戸惑いながら告げられた言葉に全員がさすがに足を止める。
 すっかり忘れられていたその女性は、春奈陽子と名乗った。










 皆守が目を覚ましたのは、3つの扉が並ぶ、遺跡最初の空間だった。
 最初の扉を開けるかどうか悩み、化人が出るかもしれない場所で眠る気にはさすがになれず、扉の前に腰を下ろし、アロマを吸っている内に眠っていたらしい。火は途中で消えていた。眠る前に無意識に消したのかもしれない。
 皆守はジッポで再び火をつけ、アロマをふかす。携帯で時間を確認すると、まだ皆守の感覚では朝早い。普段の生活からするとありえない時間だが、そもそも昨日は昼間から夜まで病院で眠っていたはずだ。睡眠時間が十分過ぎるのだろう。眠くなくてもうとうとしているのは好きだったが、そんな気分でもなかった。
 アロマパイプを口にくわえたまま、皆守は立ち上がる。
 最初の部屋は、既に2度訪れた。続く部屋は、今も開くだろうか。
 皆守は扉に手をかける。中はやはり静かなもので、正面に並んだ壷からも何の気配もしない。
 皆守はそれを無視して右側に見える扉に向かう。
 そこはやはり、開いていた。
 皆守は躊躇いもせずそこを開く。一歩踏み出せば、ひんやりとした空気が皆守を包んだ。夏の最中、かなりありがたい部屋だ。
 奥に踏み出して扉が閉まる。次の扉は、どこだ。
 大きな柱が何本も建って視界を邪魔している。敵は居なさそうだった。
 ……寝るなら、この部屋がいいか。
 ちらりとは思ったが、まずは部屋の確認だ。眠っている間に変な仕掛けでも作動したら面倒だ。
 壁に沿って歩きながら部屋の中を見回す。涼しい、と感じていたそこは急速に寒くなってきた。感じ方が変わったわけではない。実際に気温が下がっている。
 皆守は、天香時代に見た雪の降る区画を思い出した。
 超古代文明という奴は本当に何でもありだな。
 少し足を速め、ようやく一番奥に扉を発見する。だが、開かない。
 ここまでしか無理か、と皆守は引き返した。今度は反対側の壁を通り、部屋をぐるりと一周する形になる。
 入ってきた扉に手をかけて、皆守は固まった。
 ……開かない。
 思わず扉を見上げる。
 ……まずい。
 既に何かの仕掛けが作動しているらしい。解除しない限り、部屋からは出られないのだろう。
「くそっ」
 扉から離れ、再び部屋を見渡す。石碑のようなヒントはない。どうせあっても読めない。
 九龍が解除してきた遺跡の仕掛けを思い出しつつ、皆守は慎重に部屋の中を探る。
 寒い。
 夏服の皆守は思わずむき出しの腕をさする。
 長時間居るのはまずい。
 皆守は九龍の言葉を思い出した。
 一日待て、か。
 何となく、九龍はこちらに来るつもりではないかとは思っていた。
 携帯でもう1度時間を確認する。
 待てと言われてから、まだ半日も経っていない。
 皆守はため息をつきつつ、部屋の調査に戻った。










「陽子ちゃん、ちょっと……」
 春奈陽子は朝、七瀬たちと向かった病院から帰る途中、そこの医者に声をかけられていた。子どもの頃からここに居た春奈は、当然唯一の病院であるそこの医者とは顔見知りだ。既に定年間近のその医者は、皆守を見た医者でもあったが、個別に声をかけられたため、別の用件だと思った。
 七瀬たちに待っていてもらうように頼み、春奈は医者のもとへ向かう。
「……入院してた子なんやけどね」
「え? ……は、はい」
 皆守が居なくなったとの連絡は朝になってから告げられた。患者が自分の意思で抜け出したことを伝え、七瀬たちは謝罪に来ていたのだ。入院費用のこともある。だが、医者は費用のことは何も持ち出さず、七瀬が話そうとしたのをはぐらかした。払わなくていい、という意思が見えて戸惑った。眠っていただけだとは言っても診察はされているはずだ。問題ないという判断をくだしたのだから。
「友達? やろ」
「……はい」
 先日会ったばかりだが、そう答える。友達の彼氏です、と言おうかとも思ったが、そこまで言う必要もないだろう。
「東京の子?」
「多分……」
 そういえば皆守の素性は全く知らない。八千穂と七瀬とは高校が同じで、今は別の大学、というくらいだ。まあ東京に住んでいるには違いないだろう。
「ご両親とか」
「知りませ……えっ、あの、何か」
 普通に答えようとして、その意味を理解して思わず声が出る。何故、突然両親のことなど聞く。春奈の頭に瞬時に浮かんだのは「本人には伝えられない病気」だ。
 だが医者は春奈の反応に驚き、慌てたように手を振った。
「いやいや、そういうことやないって。いや、何か女の子だけと旅行とか、やるなぁ思て。まあ例え未成年でも親に伝えるほどやないわな」
 とってつけたような言葉だったが、春奈はそれに何も言えなかった。
 不安が広がる。
 この医者は何かを知っているのか。
「いつ帰るん?」
「……まだ、わかりませんけど」
「……そうかぁ」
 医者はそれだけ言うと、看護師に呼びかけられ去って行った。残された春奈がしばらく立ち尽くしていたためか、やがて七瀬たちが駆け寄ってきた。
 何かあったかと聞かれても、上手く答えられなかった。


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