今すぐ行くから待ってろよ!─6
「あれ……?」
旅館の人に挨拶しながら2階の部屋まで駆けて行く。八千穂は皆守の部屋の前で声をかけながら扉に手をかけた。がちゃ、とノブが回る。戸惑って押してみると簡単にドアが中へと動いた。
……鍵、開いてる?
「皆守くん? 起きてるの?」
この旅館は玄関で靴を脱いで中はスリッパで移動する。部屋の入り口に、スリッパはなかった。
「皆守くんー」
八千穂はそれを確認して中に入る。部屋の中には、中央付近に置かれた布団がそのまま残っていた。だが、予想通り皆守の姿はない。
シャワーでも浴びに行ったか。それともただのトイレか。
八千穂は戸惑いつつも、そこに座り込んだ。すぐに帰ってくるだろうと思って。
携帯を取り出して時刻を確認する。昼少し前。皆守が起きるには少し早い気もするが、元々不規則な生活のためか逆に早朝起きていてもおかしくはないのだ。
しばらくじっとしていたが、帰ってくる様子がなく、八千穂は立ち上がる。
じっと待っている、というのは苦手だった。
風呂やトイレは無理だが、洗面所ぐらいは覗きにいける。
部屋を出て、そちらに向かおうとすると、ちょうど別の部屋から出てきた人にぶつかりそうになった。布団のシーツを抱えている。宿の従業員だろう。
「ご、ごめんなさい」
「いえ、こちらこそ」
お互い謝って道を譲る。通り過ぎようとして、八千穂は気付いたように声をかけた。
「あの、この部屋に居た男の人、知りません?」
従業員も女性だったので見て来てもらうのは無理だが、見かけているかもしれないと思って聞く。女性はあっさりと答えた。
「先ほど出ていかれましたよ? 先ほどというか……少し前ですが。お客様が出て行かれた少し後に」
「ええええっ? 出てって……外に、ですか?」
「ええ。まだ朝食も残ってましたし、食べるようならと思ってお声をおかけしたんですが……」
皆守はそれを断り、そのまま手ぶらで外に出て行ったらしい。
確かに部屋の中に荷物は残っている。だからこそ、八千穂もすぐ戻ってくると判断したのだが。
「何か言ってませんでした?」
「いえ、特には……。ただ、顔色があまりよろしくなかったのでひょっとしたら病院かどこかへ行かれるのかと」
「…………」
八千穂は言葉を失った。
昨日、この部屋で見た皆守はいつもと変わらなかったはずだ。傷も思ったより酷いことにはなっておらず(今思うと、あれが墓守の力という奴で、自然治癒していたのかもしれないが)、声も表情も普通だった、と思う。
「あの……あ、ありがとうございました」
何と言っていいかわからず、八千穂は礼だけ言って廊下を引き返す。階段を駆け下りながら、携帯を取り出した。
黙って出て行ったことに不安が募る。
皆守の性格からいくと、わざわざ連絡を入れないだろうか。だが、そもそもどこに行くというのだろう。本当に……病院?
外に出て、皆守の番号を呼び出す。
呼び出し音が聞こえる間に心臓が高鳴っていく。
「……もしもし?」
不機嫌そうなその声が聞こえてきたとき、八千穂は安堵のあまり泣きそうになった。
「……八千穂?」
皆守の戸惑うような声が耳に響く。
「皆守くんっ! どこにいるの! いきなり居なくなってるからびっくりしたじゃない!」
「はあ? 別にわざわざ言うことでもないだろ。どうせ夜まで帰って来ないと思ってたしな」
「そうだけどっ……うん、そうだけど……」
皆守の声を聴いていたら、何故自分があんなに不安になったのかわからなくなった。皆守が起きて外に出ていた。ただ、それだけなのに。
「怪我、大丈夫なの? 顔色悪いって言われてたよ」
「ああ、朝はちょっとな。外の空気吸おうと思って出てきたんだよ。もう大丈夫だ」
「そ、そうなんだ……」
ほっとして。ようやく肩の力が抜けた。
皆守の言葉に、不自然なところは感じない。
「でも今どこに居るの? 私、皆守くんと一緒に聞き込みする予定なんだけど」
「ああ? 勝手に決めるな。七瀬がいれば十分だろ」
「月魅は調べ物あるからさ」
何となく、歩き出しながら会話をする。
旅館付近に皆守の姿は見えない。外の空気を吸いに、で、そう遠出するとも思えないが。
「春奈は」
「陽子も別行動。ねぇ、どこに居るの」
「今、あの山の麓だ」
「へ!?」
「これから遺跡に行って来る。聞き込みは一人でやっとけ。あー、聞くことはきちんとまとめて言えよ? この辺りに伝わってる伝承や伝説はないか、特に山の付近で、」
「ちょ、ちょっと待って皆守くん! え、何で? 何で遺跡に居るの?」
「ちょっと気になることがあるんだよ。すぐ戻る」
「えええええ」
旅館は港の直ぐ側だ。
山までは歩いて1時間はかかる。
八千穂たちが宿を出て直ぐに出たという皆守。真っ直ぐ遺跡へ向かったのか。
「聞いたことはメモっとけよ。いや、もう出来れば向こうに書いてもらえ。どうせ忘れるだろうから」
「わ、忘れないよっ! メモは……取るけど」
「ああ。それじゃあ頑張れ」
「うん……って、皆守くん!」
呼びかける前に、電話は切られた。
八千穂は呆然とそれを見る。
不安が、また蘇ってきていた。
「山ん中? あー、鬼がおるとかは言うねー」
「私らが子どもの頃はほんとに山でよう人がおらんなっとったんよ。大っきい山やし、迷ったら帰ってこれんのやろ」
母と祖母の言葉を聞きながら春奈は適当に頷いていた。
一応山の伝説や鬼については聞いてみたが、どうにも遺跡のことを切り出しにくい。井戸があって、その中に遺跡があって?
言えばまず山に行ったことを咎められる。それに遺跡といってピンと来てくれるだろうか。
春奈は大学で考古学を学んでいるためその話題を出すことに違和感は持たれないだろう。だが同時に、自分たちには関係ないことだと耳を閉ざされる可能性がある。2人とも勉強は嫌いなのだ。
「お父さん、まだ会社?」
「当たり前やろ。夏休みはまだ先よ」
話が通じる可能性があるのは父かと思ったが、当然のように仕事の時間帯。まだ8月に入ったばかりの昼間である。
「陽子ちゃん、お昼はどうすんの?」
「あー、どうしよ」
まだそれぞれ分かれてから時間が経ってない。昼のためにまた集まるというのも効率が悪い。どうせ七瀬は動かない気もする。お弁当でも買って差し入れに行こうか。八千穂と皆守は自分たちで食べるだろう。
それだけ思い、春奈は立ち上がる。
「ええわ。もう出るし。あー、あとね、山にある遺跡のこととか知らん?」
立ち上がり、玄関へ向かいながらさりげなく聞く。
面倒臭そうな顔をされればこのまま立ち去るだけだ。
祖母は首を傾げた。
「遺跡って何よ。山になんかあるん?」
「知らんかったらええって。それじゃ、もう行くわ」
「今日も帰らんの? お友達ぐらい連れてきてもええで?」
「3人もおるし、一人は男やし、無理やろ。帰るときは電話する」
ひらひらと手を振って、春奈は家を出た。
本当はもう少し居る予定だったが、実家でくつろいでいると何もしてないようで落ち着かない。夜までに何か役に立つ情報を得たかった。
コンビニに向かって弁当を買いながら、ふと春奈は山の方に目を向ける。
小さな島とはいえ、それなりの広さはある。情報を得るなら、山の麓付近だろうか。知られていない遺跡、というのはあくまで文献上であって、地元の人間には常識だったりするものだ。ただ、それが何なのか知らないだけで。
七瀬に弁当を渡した後、行ってみよう。七瀬も何か気付いたかもしれないし。
春奈は小走りに公民館へと向かう。
遺跡について知りたい。
それはもう、純粋な興味でもあった。
子どもの頃の記憶がちらつく。あの体験を、風化させたくない。
遺跡が近付くにつれ、楽になる。
皆守は歩きながら、そんな自分の症状を冷静に見ていた。
倦怠感。発熱。山で受けた傷。
最初に浮かんだのは破傷風、という言葉。
バディが傷を受けたときに、九龍が気にしていたのもそこだった。予防接種がどうとか潜伏期間がどうとか言っていた言葉は、あまり真面目に聞いていなかったせいで覚えていない。
傷を受けたあと、手当てどころか水で洗うことさえしなかった。そもそも水など持ってない。七瀬のリュックには、入っていたのかもしれないが。
改めて、九龍はその場その場で適切な処置を取っていたのだと思う。九龍の判断に任せることに慣れ、自分たちで考えることを忘れていた。
皆守は頭をかいた。
深く考えずに行動を起こす九龍に何度も呆れた経験があるというのに。
自分もその一人か。
九龍が居ない状況で初めて実感する。
もう日がすっかり高くなってる中、皆守は井戸へと辿り着いた。
火を付けていないアロマパイプを噛み締め、皆守は井戸の中に降りる。前日と何も変わっていない。同時に、体の不調が嘘のように消えたことにも、皆守は気付いていた。
これは破傷風なんかじゃない。
横穴を歩きながら皆守は考える。
次に浮かんだのは、化人が持っていた毒という可能性。それも今消えた。場所によって効果が変化する毒などないだろう。
残りは単なる疲労による体調不良。
遺跡の中に入ったことによる興奮で、それを感じなくなったとしても違和感はない。
皆守は三つの扉の前で立ち竦む。
本当に、ただそれだけか。
そもそも何故自分はここに来た。
左から順番に扉に手をかける。左端。中央。どちらも開かない。前日と同じ。
一番右の扉はかちゃり、と軽い手応えがあった。
皆守は前日に見た敵を思い出す。
化人が復活する場合、また戦うことになるだろう。今日は七瀬たちも居ない。一人で、何とかなるか。
皆守は一瞬後、大丈夫だろうと判断して思い切り扉を開ける。
正面に並んだ壷。一番左端だけが消えていた。あそこは、皆守が蹴り壊した壷のあった場所だ。
次の扉は右側にある。皆守は壷に近付かず、その扉に手をかけた。
……開いている……?
何気なく押して、微かに扉が開いたのに驚く。
視線を壷に移すが、何かが現れる様子はない。前日は確か、壷に近付いたことで作動したのだったか。
……化人が出なければ、開くのか?
さすがに迷った。
この扉をくぐってみるかどうか。
皆守は携帯を取り出し、すぐに舌打ちした。昨日は気付かなかったが、圏外だ。外と連絡は取れない。
皆守は右手を扉に押し当てたまま、携帯を仕舞う。
遺跡に来ていることは八千穂が知っている。
万一、出られなくなったとしても直ぐに気付かれるだろう。しかし、九龍の居ない状況で探しに来られても困る。
皆守は扉から手を引いた。
ひとまず、このことを連絡してからだ。
外に向かって歩き出す。何気なくポケットに手を入れて、ふとズボンの違和感に気が付いた。
「……これは」
昨日壷の中から見つけた板。
ポケットに入れたままだったらしい。いや、確か七瀬が写真を撮るというので旅館に着く前に七瀬に渡した。それを……返して貰っていた。
何故わざわざ持ち歩いていたのか思い出せない。
そして井戸の外に向かいながら、段々体が重くなっていくのにも気付いていた。
これは、呪い、か?
ロープに手をかける。
かつての天香遺跡で。墓守は墓に縛り付けられていた。墓から離れられない。それは精神的に、だけでなく離れすぎれば肉体が死に至る呪い。
あのときと同じだ。
自分は今、この墓に縛られている。
皆守は井戸を出た。
来たときよりも体の不調が酷い。墓に戻るしかない。だが、その前に九龍や、八千穂たちに知らせなければならない。
左手に携帯を持ち、通じそうな場所に着くまで画面を見ながら歩く。
面倒だ。
自分を心配する人間がいるということが、酷く面倒だ。
これだから、嫌なんだ。
山を降り、麓に辿り着いても携帯は繋がらない。
視界が揺れる。真っ直ぐに歩けている気がしない。
体が熱い。
息が荒い。
風邪か、など場違いな考えまで浮かぶ。
それでもしばらく歩き続けて、人影が見えたところで、皆守は気を失った。
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