今すぐ行くから待ってろよ!─5

 翌日。
 結局あのまま眠ってしまった皆守は、風呂にも入っていない。起きたらシャワーでも浴びるか、と思いつつ目は開かない。差し込んでくる光から、既に夜が明けているのはわかった。
「皆守くーん、皆守くーん?」
 携帯が鳴っている。
 ついでに扉の外からどんどん、とノックの音も聞こえてくる。
 皆守は起き上がるのが面倒で、とりあえず携帯の方に手を伸ばした。着信表示は八千穂。外から声をかけながら、電話もしているらしい。
 電話を取ると、ようやく外の音も止んだ。
「皆守くん、おはようー。もう朝ごはんの時間だよ。起きて」
「眠い」
「わかってるけど! 9時までには食べないと下げられちゃうんだって」
「お前が食べとけ」
「もうっ、そんなこと言って皆守くんはどうするのさ!」
 ぎゃんぎゃん喚かれるが、本当に起きる気分にはなれない。
 だるい。
「適当に食うさ。お前らも今日は遺跡に行かないんだろ? ならおれは休みだ」
「あっ、ちょっと、皆守くん!」
 言うだけ言って電話を切る。叫ぶ声はドアの外から聞こえてきた。
 聞き込みやら調べ物にまで巻き込まれるのもごめんだ。どうせ昼まで寝ているので朝食をとらなくても関係ない。
 しばらくドアの外で声がしていたが、やがて諦めたように気配が遠ざかっていく。これでゆっくり寝られる、と思ったとき、ずきりと背中に痛みが走った。
 ……何だ?
 昨日の負傷箇所だ。だが、大した怪我ではない。自分では傷口が見れないが、八千穂も大した反応はしていなかった。実際、山から下りたときは既に痛みは意識されなかったし、八千穂が手当てにくるまで忘れていたぐらいだ。
 その傷が、妙に熱を持ってきている。
 ずきずきと、背中を中心に痛みが広がる。じんわりとしたそれは、その気になれば無視出来ないこともない。それよりも体がだるい。
 ……熱があるのか?
 ようやくそれに思い至る。汗もかいていた。真夏に、クーラーもつけずに寝ていれば当然かとも思うが、暑さの感覚とは違う。
 皆守は体を起こした。途端にぐらりと頭が揺れる。
 背中の傷が熱い。
 傷の具合が見たくてもこの部屋には鏡はなかった。どうせ一枚では見られない。
 ……風呂場に行けばあるか?
 ここはトイレも洗面所も、部屋の中にはない。
 皆守は立ち上がった。
 軽く触れてみるが表面の痛みはない。八千穂がガーゼを貼り付けていったので、それ越しではあるがやはり傷自体は問題ないように思えた。
 ……面倒くさい。
 やはり寝ていよう。
 皆守は布団に戻ると倒れるように横になる。掛け布団がどこかにいってるが、夏なので問題はない。
 今日は一日寝てやろう。
 皆守はそこまで思って眠りに落ちた。










 朝食を取ったあと、春奈たちは直ぐに旅館を出た。とりあえず2泊と言ってとっていた宿だが、まだしばらく滞在するらしい。幸い2部屋ぐらいならしばらくの長期滞在も可能なようだ。とはいえ、お金もかかるし春奈は実家の方に戻ろうかと思いつつ、七瀬たちをまずは公民館に案内していた。
「小さい頃だから自信ないんだけどね。古いぼろぼろの本があって、地元の歴史とか書いてたと思うよ」
 まずは本が読みたいという七瀬に最初に思い付いて言ったのがそこだった。絵本の類も数冊あったが、大半はよくわからない資料のような本ばかりで子ども心につまらないと思っていた覚えがある。
「今日は本当に遺跡に行かないの?」
「何かわかれば別ですが……今出来ることは、ここの知識をもっと得ることだと思います。探索にもきっと役立ちますし」
「九ちゃんはまだ?」
「ええ。あと一週間は無理とのことです」
「ふーん……」
 八千穂は少し、つまらなそうにしていた。調べ物はあまり得意そうではない。春奈も同様だったので、少し下がってその八千穂に並んだ。
「ね、私らはもうちょっと別のことやらない? 調べ物とか役に立ちそうにないし」
 八千穂の顔が輝いた。
「う、うんうん! そうだっ、私、聞き込みの方やるよ! 話を聞くのも重要なんだよね?」
 八千穂が前を歩く七瀬に言う。七瀬は眼鏡を押し上げ、少し戸惑いながら言った。
「構いませんが……大丈夫ですか?」
「大丈夫っ。私、人の話聞くのは得意だよ?」
「はぁ……」
 そうだろうか。
 それに関しては少々疑問に思う。聞きたいことをまとめ、相手の言ってることを咀嚼する。それは、八千穂の最も苦手な分野に思える。
「でしたら……皆守さんも一緒の方が……」
「あー……うん、そうだよね。うん、皆守くん連れてくるよ。さすがにお昼になったら起きてくると思うし」
 起きなかったら宿の人に言って開けてもらおうか、と八千穂は笑う。
 七瀬も安心したように微笑んだ。
「それでは二手に分かれましょう。私は公民館。八千穂さんたちは地元の方への聞き込みということで」
「了解っ!」
 八千穂が敬礼のようなポーズを取る。春奈はそんな2人を見比べて、少し考えながら言った。
「私はとりあえず七瀬さん案内してくるね。でー……私は私で聞き込みやるよ。遺跡があったのは確かみたいだし、親にもそのときのこと聞いてみる」
 今まで躊躇いがあったのは、やはりあれが自分の妄想ではないかという思いが多少はあったからだ。確認したからにはもう問題はない。ついでに、自分の幼い頃を知っている地元民が多い都合上、八千穂たちと一緒に聞き込みに行くのは少し嫌だった。八千穂だけならともかく、皆守も来るようだし。
「そうですね。それが一番効率がいいかもしれません。何かわかったら連絡を取りましょう」
「うん。じゃあ私、皆守くん呼んでくるね」
 八千穂がそう言って引き返していく。そこまで急ぐ必要もないだろうに、ほとんど駆けるようにしてその場から去って行った。ひょっとして二人きりになれるのが嬉しいのだろうか。
「では、行きましょう」
 そんなことを考えながら見送っていると、もう七瀬は歩き出している。慌てて隣に並び、春奈は何となく聞いた。
「あのさ、九龍くん……って言ってたよね? 宝探しの」
「? はい」
「その人ってもしかして七瀬さんの彼氏だったりする?」
「えっ! い、いえ、そのようなことは……! あ、憧れの人ではありますが、そういうのじゃ……」
 頬を染めて俯く七瀬。予想以上に過敏な反応に、ちょっとからかいたくなってくる。春奈はにんまり笑みを浮かべて更に聞く。
「えー、かっこいいの? 片思いとか?」
「違いますっ。そういうんじゃないんです、本当に……。か、かっこいいとは思いますが……」
 強い否定のあと、小さな声で呟くように言う。これだけ見れば、普通の男なら脈ありと判断するんじゃないだろうか。
「それに、あの人は一人の女性に縛られるようなタイプではないと思います」
「え、女たらし?」
「そういうわけでもないのですが……」
 何だろう。凄く会ってみたい。
 でもこの様子だと、惚れちゃったら面倒だなぁ。七瀬さんが恋敵になっちゃうし。
 などとくだらない妄想をしていると公民館が見えてきた。
「あ、あそこだよ。朝電話したら鍵、ポストに入れとくって言われたから……」
 先に駆けていって郵便ポストを探る。
 あった。
「……いい加減ですね」
「まあ泥棒も来ないだろうし」
 鍵を開けて中に入る。
 窓を締め切り、冷房も入ってない建物内からむわっとした熱気が押し寄せてくる。春奈は靴を脱ぐと、そのまま玄関口正面に見える階段を指した。
「この上に確か資料があったと思うよ。行ってみよう」
「は、はい」
 暑さにまいったのか、七瀬が少し扉を閉めるのを躊躇していた。春奈はとりあえず玄関脇の窓を開ける。
「上、クーラーとかあったかなぁ。扇風機は見たことあるんだけど」
 ばたばたと階段を駆け上がっていくと、七瀬が少し遅れて付いてきた。階段が少し埃っぽい。掃除してないのだろうか。
 2階の大広間も、空気が悪い。春奈が片っ端から窓を開けに走ると、七瀬は既に本棚の前まで駆け寄っている。もう周りが見えてない。
 苦笑して春奈は七瀬のところに向かった。
「どう? いい本ありそう?」
「まだわかりませんが……可能性はありそうです」
 何冊か取って、七瀬はその場に座り込む。畳なので問題ないだろう。本棚の隅にあった本をとったことから、おそらく全て確認するつもりなのだとわかる。
「ええと、じゃあ私は聞き込みの方行くね」
「はい。……あ、春奈さん」
「ん?」
 去りかけていたところを呼び止められる。七瀬は座ったままだったので春奈は一度そちらに戻った。
「山に関する伝承などは……やはり聞いたことありませんでしたか?」
「うーん、昨日も言ったけどさ。ホント大したものないよ。山は鬼の縄張りだから近付くと食われるぞ、とか、その程度のもん」
 どこにでもあるよね、と言いかけたが七瀬の顔つきが変わった。
「それは……あの山のことですか!?」
「あの山っていうか……この辺で山って言ったらあそこを指すけど……他にないし」
「鬼の縄張り、ですか」
「いや、それは、鬼じゃなくて天狗かもしれないし、よくある話なんじゃないの? 子どもを山に近づけないために」
「確かにそうですが、山に近付いてはならない理由がやはりあるということでしょう」
「いやー、だって危ないじゃん。禁止するのは普通じゃない?」
「そうでしょうか? 私たちは大した準備もありませんでしたが、無事に行って戻ってこれてますし、それほど高い山でもありません。何か危険な動物でも居るのですか?」
「それは聞いたことないけど……私らが入ったのってホント一部分で、もっと広い山だしね。もっと奥まで行ったら迷うだろうし。あー、だから、帰ってこれなくなった子を鬼に食われたとか説明するんじゃない?」
「そうですね……それはそうですが」
 七瀬はいまいち納得いかないらしい。何やらぶつぶつと呟きながら本をめくっている。
「……まあ、鬼の話も一応聞いとくよ。それじゃ、頑張ってね」
「はい。春奈さんもよろしくお願いします」
 七瀬の真剣な顔に頷いて、春奈は公民館を出た。
 外の風が涼しい。七瀬は扇風機もなしに大丈夫だろうか。まさか倒れるまで熱中したりはしないと思うが。
 思いながら、春奈は実家へと足を向ける。帰ってきているのに旅館に泊まるということで前日は電話でもいろいろ言われた。仕方ない。春奈の実家は3人も4人も泊められるほど広くない。自分だけ別に寝るというのも嫌だし……。
 一人になったことで自然と早くなる足で歩いていると、ふと前方に知った影を見つけた。
 あれは……皆守くん?
 一瞬止まって目を凝らす。
 もじゃもじゃ頭と細身の体。だるそうに歩く後姿が、確かに皆守に見える。
 確信を持とうと春奈は更に足を速めて男の方へ向かう。だが男はそこで角を曲がり、見えなくなってしまった。
「あっ……」
 慌てて走る。
 角を曲がったときに、既に男の姿は見えなかった。
「えー、どこ行ったの」
 更に走っていくつかの道を見渡してみるが、見付からない。
「……やっちー、どうしたんだろ」
 男は一人だった。
 では、やはり皆守ではなかったのだろうか。
 春奈は足を止めると、元来た道へと戻っていく。まあいい。どうせまた後で会うのだし、その時聞けばいい。
 春奈は再び、実家へ向かって歩き出していた。


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