今すぐ行くから待ってろよ!─3
井戸の底で皆守はロープを支えながら、他の3人を待っていた。
見上げる視界に空は映らない。ただ一面の木の葉が見えるだけだった。日の光も奥まで来るとほんど届かない。七瀬は多分懐中電灯ぐらいは持ってきているだろう。それを待つことにして、皆守は見える範囲で辺りを見回す。
春奈の言っていた横穴はすぐ側に確認出来た。
明らかに人工的な、四角く切り取られた道。高さは2メートルはないだろう。皆守の身長でぎりぎりかがまないですむレベルか。
皆守はもう1度上を見上げた。
ロープがなくても何とか飛び降りられる高さ。だが、それは皆守にとって、だ。小学校低学年の子どもが落ちて無事でいられるものだろうか。
柔らかい地面のおかげなのか、よっぽど上手く着地したのか。
「ちょっ、これ、怖い……!」
皆守の持っているロープに揺れが伝わる。
春奈陽子が降りてくるところだった。
八千穂たちは天香で慣れているが、ロープ一本で降りてくるのはなかなかきつい。危なそうなら支えてやるか、とその姿を見守る。
天香のときとの大きな違いは、女子がズボンをはいていることだな、とふと思った。
制服で降りてくる女たちは、さすがに下から見上げることは出来なかった。
「よっと、と、と、と……」
ロープの半ばで飛び降りた春奈は、上手く着地できずたたらを踏む。鈍そうには見えなかったが、動きの様子を見る限り、あまり運動神経は良くなさそうだ。
「次、月魅がいくよー!」
上から八千穂の大声が聞こえる。七瀬はさすがに慣れたもので、するするとロープを降りてきた。本を扱うからか、七瀬は意外に腕力もある。
「七瀬さん器用だねー」
「コツを掴むと降り易くなりますよ」
運動面で褒められることなどないだろうから嬉しいのだろう。七瀬が珍しい笑みを見せている。そして予想通り、リュックの中から懐中電灯を取り出していた。七瀬が道を照らしている間に八千穂が下りてくる。
「わわわ、どいてどいて〜!」
「ええっ?」
「きゃっ」
「おいっ!」
見ていなくても大丈夫か、と目を離した隙に八千穂は手を滑らせたのか随分な高さから滑り落ちてくる。慌てて避けようとした春奈が七瀬にぶつかる。地面に激突しそうになる寸前、ぎりぎりで皆守の出した腕が間に合った。腰を掴んで起こしてやると、すぐさまバランスを取り戻してとん、と軽く着地する。
「何やってんだお前は」
「あははは……下見てたらうっかり滑っちゃって。あっ、それが横穴!?」
立ち直りの早い八千穂はすぐさま穴、というか通路に向かって駆ける。元々狭い井戸の中。4人で立っているのも辛いため、何となく全員で歩き出した。八千穂が先頭に行ってしまったが、通路が狭いため追い越せない。皆守は仕方なく最後尾を歩いた。
「何か向こうの方、明るいね?」
「前を見て歩け、前を」
振り返りながら進む八千穂に少し声を張り上げつつ進むと、少し広い空間に出た。ぼんやりと明るいそこは、正面に三つの扉が並んでいて、壁画のデザインといい、天香遺跡によく似ている。
「これは……」
「やっぱり……あったんだ……」
七瀬が壁に近づき、その彫刻に手を触れる。春奈はいくらか呆然としたように呟いて、扉へと向かった。
「……間違いなく、何かの遺跡ですね」
七瀬がまたリュックから何かを取り出す。今度はデジカメだった。壁画と扉を順番に写していく。
春奈はそれを避けながら、がちゃがちゃと扉を順番にいじっていた。
「……開くの?」
「左のと真ん中のは開かない。これは……開く……」
かちゃりと音がして、扉が僅かに動く。春奈が振り返り、全員が顔を見合わせた。
「……行くのか?」
遺跡の確認、という目的ならもう達せられた。七瀬がこれから知りたいのはこれが超古代文明の遺跡であるかどうか。だが、春奈にそれは関係ないだろう。
「行こうよ! ここまで来たんだから! お宝あるかもしれないし」
そして最も関係ないはずの八千穂が一番張り切っていた。
春奈は戸惑うように、何故か皆守を見る。
「……開けていい?」
「おれに聞くな」
ああ、九龍がいればあいつが仕切ってくれるのに。
皆守はため息をついて春奈を押しのけると、開きかけの扉が閉じる前に右手で押し開いた。取っ手は左についている。皆守は左利きなので取っ手を持つと手で体が塞がれて反応が遅れる。
だが中は静かで何事もなく、気にする必要もなかったようだ。
「何か壷がいっぱいあるね」
「春奈さん、この辺は見覚えありますか?」
「あるようなないような…。うーん、壷は見た気がするけど」
「おい、あんまり近づくな」
「え……」
かちっ、と。
嫌な音がした。
「わあっ」
「な、何なになに!?」
八千穂が驚いて後退する。春奈は足が止まってしまっていた。
部屋の端に並んだ壷から現れた数体の化人。人型だが人ではない。大きなクモも混じっていた。
それがはっきりとこちらに向かってくる。
「春奈っ、下がれ!」
一番近くに居たのは春奈だ。
間に合わない。
一気に駆けて、固まってしまっている春奈の肩を掴むと無理矢理引きずり倒す。頭上を化人の攻撃が通り抜けていく。皆守は倒れた春奈を放り出し、そのまま正面の化人に蹴りを食らわせた。一撃では倒れない。
「八千穂っ、スマッシュは!」
「ちょ、ちょっと待ってちょっと待って……!」
テニスラケットは持っていた。だが袋に入れたまま、準備が出来ていない。皆守は振り返らずに七瀬に春奈を頼むと叫ぶ。二撃目で、化人は消滅した。攻撃目標に定めたのか、クモや他の化人が寄ってくる。
「いっくよー!」
漸く用意できたのか八千穂の声がした。
「おまっ……」
「皆守くん、避けてね!」
慌てて視線を八千穂に移す。スマッシュに数体のクモが巻き込まれた。皆守にも攻撃の余波がくるが、何とかかわしてトドメを刺す。
「み、皆守さんっ!」
「いやあっ!」
その隙に一体が皆守を通り越し七瀬たちに向かった。七瀬が気丈にも春奈の前に立ち塞がるが、あれでは2人とも危ない。
「ちっ……」
皆守は目の前の敵に背を向け、そちらに向かった。背後からの一撃で化人が悲鳴を上げる。
「皆守くん危ないっ!」
「がっ……!」
その瞬間、化人の攻撃が背中に突き刺さった。
強い痛みが走るが、倒れるほどではない。
無視して七瀬の前に居る化人をまず倒し、もう1度向き直る。七瀬たちが下がっていく気配がした。
「何でっ!? 開かないよ!」
がちゃがちゃという音。入ってきた扉に戻ったのだろう。皆守は敵の攻撃を避けつつ、確実に蹴りを食らわしていく。
「八千穂っ!」
「うんっ! いっくよー!」
皆守が下がった瞬間に、再び八千穂のスマッシュが炸裂した。
残っていた数体が音を立てて消滅していく。
ごご、と一瞬部屋が揺れて、扉が開く音がした。
「あ、開いた……」
「やはりここも天香と同じ…。敵が居る間は開かないようになっているのかもしれません」
春奈は扉の前でへたり込んでいる。皆守たちは慣れたものだが、初めて経験すればびびるだろう。いや……初めてではないのか?
皆守は春奈の言葉を思い出す。
もし過去にここに来たなら……子どもが無事出られるとは思えない。
この部屋ではなかったのか、かつてとは何か条件が違うのか。
「っつ……」
考えていると突然背中に痛みが走る。いつの間にか背後に来ていた八千穂が慌てたように謝った。
「あっ、ご、ごめん。これ、背中……大丈夫?」
どうやら背中の傷に触れたらしい。油断していて思わず声が出たが、今の痛みはそれほどではない。
「あー、大丈夫だろ。これぐらいなら直ぐ治る」
それは墓守の治癒力でもある。
墓が崩れた今、かつてほどの影響はないが、それでも人より治りは早い。
「ご、ごごごごめん……! 私がとろとろしてたから……! ホントごめん!」
八千穂とのやり取りに気付いたのか、春奈が慌てて立ち上がって寄ってきた。こういう謝罪は正直面倒くさい。頭をぼりぼりかきながら別に、と言いかけると何故か八千穂の方が春奈に寄っていく。
「大丈夫だよー。皆守くん、こう見えて丈夫だし! 初めて見たらびっくりするよね! 私も最初動けないときとかあってね、」
突っ込みたい。非常に突っ込みたいが、ありがたいフォローではあったので皆守は黙る。代わりに、今度は七瀬が寄ってきた。
「すみません、あらかじめ退避しておくべきでした」
「だからな……」
「ここは間違いなく、超古代文明の遺跡ですね」
皆守の言葉を遮るように七瀬は言う。謝罪を受けるのが苦手なのは知っているのだろう。話題が変わって、皆守もそちらに合わせる。
「だろうな。他にこんな化物が出てくる遺跡もないだろう。見た目も天香そっくりだしな」
「ええ。やはりこれは、詳しく調べてみる必要がありますね」
七瀬の目が燃えている。
次にリュックから取り出したのは、ノートだった。
「九龍くんのHANTがあればいいんですが……とりあえず原始的ですがこれで地図を作っていきます。先ほど試したのですが、次の扉は開かなかったので何かこの部屋の中に仕掛けがあるのだと……」
部屋の中を歩き回って歩数を測り、壁や床を調べる七瀬。
皆守も一応部屋の中を見渡す。壷の並んでいた一面。ほとんどが化人たちに代わったが、一つだけ隅にそのまま存在している壷がある。明らかに怪しいのはそれくらいだった。
「皆守さん……」
「やっぱり、それか?」
一通り部屋の中を探った七瀬も、そこに戻って来て止まった。皆守も近づく。八千穂と春奈も、それに気付いてやってきた。
「それ……また何か出てくるの?」
「さあな。こういう壷はアイテムが入ってることも多いが」
「次の扉への鍵が見付かりませんから、それかもしれません。皆守さん──」
「ああ。離れてろ」
一応、化人たちが出てきたのと同じ壷ではある。用心するに越したことはない。
3人が離れていったのを確認して、皆守は壷を蹴り飛ばした。
がしゃん、と軽い音を立てて壷が割れる。そこには四角い板のようなものがあった。
「? 何だ?」
手のひらサイズのそれを摘むようにして拾い上げる。
一瞬、板が光った気がした。
「?」
「ねえねえ、何かあった?」
八千穂が後ろから覗き込む。
何かの模様があるように見えるが、錆びていてよくわからない。厚さは数ミリ程度だが見た目よりは重い。
「それが鍵……ですかね?」
「こんなもんはめるとこでもあったか?」
開かない扉に向かってみる。はめ込めるようなくぼみはない。しばらく全員で探してみたが、開錠方法はわからなかった。
「あっ、ひょっとしたらさ、外の3つの扉の開かなかったところの奴だったりして!」
「外の……ですか。でも、あそこの扉も特に何かをはめ込むような場所はなかったと思いますが」
それでも、これ以上部屋を調べてもどうにもならないかと4人は部屋を出る。七瀬の言った通り、外の扉も変化がなく、板を埋めこむ場所もなかった。
「……いきなり詰まっちゃったねー」
「九龍くんが居ればわかるかもしれませんが」
「石碑も何もないのにか?」
あっても読めなかったりするが。九龍は。
「私たちはあらゆる可能性を考えて試してますが、様々な経験を持つ九龍くんなら、まだ私たちの思いも付かない方法を知っているかもしれません」
確かに。
板を扉にはめ込めば開くかもしれない、なんてのも天香での経験則だ。春奈はわけがわからずおろおろしているだけだった。
「ねえ……もう日も沈むし、今日はとりあえず帰らない? 私は記憶の場所がちゃんとあっただけでも満足だな」
そして明るく春奈がそう言って、その場は引くこととなった。
皆守は壷から出した板を持ったままだ。
「春奈さん、この辺りに遺跡に関する伝承などはないんですか?」
縦に並んで歩きながら、七瀬が聞く。
「え、ええ? 聞いたことないよ。遺跡なんて話自体知らないし」
「では、この地に伝わる伝説とか」
「伝説ねぇ……お伽話みたいなものでも?」
「はい。桃太郎のようなものでもいいんです」
「この地ならではって……何かあったかなぁ」
うーん、と春奈が唸る横で八千穂が首を傾げる。
「伝説とかやっぱり関係あるの?」
「何かしらの言葉や出来事が伝わっている可能性は高いと思います。それが扉を開けるヒントになるかも……」
本を見ながらぶつぶつ呟く七瀬。
井戸を出てもどこか上の空だった。
「明日はその辺を調べてみた方がいいかもしれませんね。とりあえず今日見たものを九龍くんに連絡して……」
ほとんど独り言のように七瀬は言う。
井戸から全員が出て、ロープはそのままにとりあえず蓋になっていた板だけ戻しておいた。しかしあの横穴のことを考えると、これは完全に井戸ではない。見た目がそれっぽいというだけだ。入り口としてのカモフラージュにはなっているのかもしれないが。こんな山のど真ん中にあっては不自然だろう。
……昔はもっと何かあったのか。
単に、井戸だけ残ってしまったということかもしれない。
小屋のある場所まで戻ってきたときは、ほとんど日は沈み、辺りは薄暗かった。皆守の目には問題ないが、八千穂たちは歩き辛いだろう。
そして小屋の前を通り過ぎたとき、突然前方から低い声が聞こえた。
「あんたら、そこで何しよる」
「きゃっ」
「わっ」
思わず一瞬身構える。
湖の側に老人の姿があった。
腰が曲がり、杖もついているが、言葉はしっかりしていて、皆守たちを睨みつけている。見た目でよくわからないが、声の感じからすると女だろうか。
「え、あ、あの……」
先頭に居た春奈が慌てたように言葉に詰まる。
老人は4人を順番に見渡した。
「その先は立ち入り禁止や。地元のもんでも絶対近寄らんところや。……近付いたら、死ぬで」
随分直接的な脅しだった。
子どもを諭すような言葉にも聞こえるが、明確な敵意があるようにも思える。
「ご、ごめんなさい。道に迷って」
それは無理があるんじゃないか、と皆守は思う。
だが老人はそれ以上何も言わなかった。道を降りていく様子を何となく全員で見守る。帰りの方向は同じなので直ぐ降りると追いついてしまうだろう。
「び、びっくりしたぁ。あのおばさん……おばさんだよね? 陽子、知ってるの?」
「さあ……。でもウチの方言だし、ここの人っぽい感じだよね。親戚の人じゃないけど、何か居そうな感じ」
影が見えなくなってようやく一息ついた春奈がそう言う。
謎の遺跡。薄気味悪い老人の警告。
皆守は夕薙のことを思い出していた。多分八千穂もそうだろう。
同級生としての夕薙ではなく、墓守をしていた老人姿の夕薙。嫌な条件が揃ってる。
「帰ろっか……」
春奈がぽつりと言って全員が動き始める。麓に着くころには、八千穂もいつもの調子を取り戻していた。
「あーお腹空いた! ねえ、あの旅館ご飯出るんだよね?」
「朝と夜は出るよ。あっ、遅くなるって電話しとかなきゃ。結構おいしいらしいよ。量多いから食べきれないかも」
「八千穂なら大丈夫だろ。人の分まで食べる」
「そこまでじゃないよっ!」
街に入る頃には、すっかり日は暮れていた。
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