今すぐ行くから待ってろよ!─1
今でも、あのときのことは夢だったんじゃないかと思うことがある。
薄暗い洞窟内。
三つに分かれた扉。
奇妙なレリーフ。石像。
取っ手の位置が高いのは、自分が幼かったためだろう。
確かに誰かの手を握り締めたまま、その扉を押し開いた覚えがある。
その後の体験は、誰にも語ったことがない。
長い間に見たアニメや漫画が混じっているのだろう、現実にはありえない、そう今なら判断できることが次々と起こっていた。
そこの記憶ばかりは、やはり、半分以上は夢や妄想なのだと思う。
だけど、そこに居たことだけは事実だ。
そこがあったことだけは、事実なのだ。
春奈陽子が忘れられないその記憶を、初めて真剣に語ったのは、大学に入って2年目の夏のことだった。
「…………」
目の前の相手は沈黙している。
会話には度々口を挟んできたが、全てを語り終わった今、かける言葉が見付からないように見えた。
「あの……今言った話ね、」
話半分で聞いて──嘘、とまでは言えず春奈は慌てて言った。呆然としているように見えた相手は、その言葉にようやくはっと我に返る。
「春奈さん、それは……超古代文明の遺跡、の可能性があります」
「……はい?」
眼鏡を押し上げ、真面目な顔をして目の前の女性──七瀬月魅は言った。
戸惑う春奈を気にせず、七瀬はいつも持っている本に目を落とし、続ける。
「超古代文明をご存知ですか? 現代よりも遥か以前に栄えた高度なテクノロジーを有した文明のことですが、」
「あー、聞いたことはあるよ。ウチの教授とか好きじゃん。オーパーツだっけ? いや、でもこれウチの地元の話でさ」
「日本にも超古代文明は存在しています。実際にオーパーツが出土された例もありますし、この東京都にもかつての文明の遺跡が眠っていたんです。私はこの目で見ていますし、春奈さんが見たものを否定する要素はありません。春奈さんの地元は四国でしたよね? 私が聞いた限りでは、その辺りに超古代文明の遺跡が存在したという話はありません。その場所を詳しく教えて頂けますか? もし本当なら新発見ということになります。いえ、きっと、間違いなく、そこは超古代文明の遺跡です!」
段々興奮してきたのか、七瀬の声が大きくなる。大学の食堂内。さすがに春奈は少し慌てて七瀬の前で手を振った。少し落ち着くようにと。七瀬もはっとして体を引く。本の影に顔を隠す仕草は、恥らってるようにも見えるが、それもこんな場所で大声を上げたことに対して、だろう。発言内容に、ではない。
「ええと……七瀬さん、そっち方面詳しいんだね」
知ってはいたが、ここまでの熱意があるとは思わなかった。
馬鹿げたことでも笑わずに聞いてくれるだろう、とその思いで口にした話だったが。
第一超古代文明だのという発想まで持っていたわけでもない。
「……ええ。私が本当に進みたい分野はそちらなんです。そのための勉強はしていますし、ロゼッタ……いえ、専門組織との連絡も取り合ってはいるのですが、なかなか実地で体験する機会はなくて」
「専門組織……?」
「あ、な、何でもありません! それより春奈さん、その遺跡というのは……」
「あー、うん、興味……ある?」
「あります。もうすぐ夏休みですし、出来れば実際に行ってみたいです」
「そ、そこまで?」
七瀬の目が輝いている。大学で同じ学部、学科となってからよく一緒に話す友人の一人ではあったが、ここまでの反応を見たことはない。
春奈は考える。
夏休みに入れば、どうせ帰省する予定ではあった。その遺跡らしきものへの入り口付近は、立ち入りが禁止されていてとても近付ける雰囲気ではない。だが、それも地元に居たからこそ感じ続けていた空気だと思う。今思い返すなら、そこに至るまでの障害があるようには思えなかった。何より、地元の人間ではない第三者が一緒ならば心強い。
子どもの頃から気になっていた過去の記憶。
本当に、その正体がつかめるのなら。
「……行くだけ……行ってみる? 観光出来るようなとこじゃないから、何もなかったらホントすることないんだけどさ」
「行きます。行かせてください」
古人曰く、自分が行動したことすべては取るに足らないことかもしれない。しかし、行動したというそのことが重要なのである。
七瀬のその口癖に、春奈は笑って頷いた。
行ってみよう。
例え何もわからなくても、このままもやもやを抱き続けるよりはずっといい。
「………あ?」
大学2年の夏休み。
昼過ぎになってようやく起きてきた皆守は、ちょうど玄関近くに居たこともあり、インターホンを鳴らす音に何も考えず扉を開いていた。そこで見えた顔に驚き、寝ぼけた頭が覚醒する。相手も、すぐさま皆守が出てきたことに驚いたようだった。
「八千穂に……七瀬? どうしたんだお前ら」
思わず辺りを見回してみるが、他には誰の姿もない。九龍辺りが一緒なら、不思議でもない顔ぶれだったが、2人だけで皆守を尋ねてくる理由はない。事前にメールでもあったのだろうか、と思ったが携帯は部屋の中だ。今更確認も出来ない。
「皆守くん、起きたばっかり? もう、休みだからって昼まで寝てちゃ駄目だよ。ご飯も食べてないんでしょ」
「うるせぇよ。お袋かお前は」
相変わらずの八千穂の言葉にツッコミつつ、皆守は部屋の中へと戻る。上がれ、とも言わなかったが八千穂は着いてきた。そのあとを七瀬が遠慮がちに続く。立ち話も面倒だし、一言で済まない用がありそうだったので、これでいいのだろう。狭い廊下を通って部屋に戻ったついでに、枕元に置いていた携帯を確認する。メールの受信はあった。ひょっとしたらこれで自分は目覚めたのかもしれない。
「あ、やっぱりメール見てない? これから行くって書いてたんだけど」
「10分前かよ。それで返事もないのに来たのか」
「だってどうせ寝てると思って」
皆守がベッドに腰を下ろすと、八千穂はその前の床に座り込む。七瀬が迷っているようだったので、座れ、とだけ言った。椅子もなければ座布団もない。夏だし、別に構わないだろう。
「で、何の用だ」
「皆守くんさ、夏休み暇?」
「…………」
何だか嫌な予感がする。
皆守はちらり、と七瀬に視線を移すが、落ち着かないのかきょろきょろ辺りを見回していて目が合わない。あまり部屋の中を見渡されるとこっちが落ち着かない。仕方なく、皆守は八千穂に視線を戻した。
「忙しい」
「嘘でしょ」
言ってはみたが即否定された。
授業が終わり、バイトもしてない現状では言い訳のしようもない。夏休みの予定など何もなかった。
「あのね、四国に九ちゃんも知らない謎の遺跡があるかもしれないんだって。九ちゃん、まだ仕事中だから駄目って言われてさ。九ちゃんは危ないって言ってたけど、ちょっと見るだけだし、皆守くんも連れて行くから! って言っちゃったの。四国なら、そんなにお金もかかんないし、パスポートとかも要らないでしょ? だから一緒に行こうよ」
八千穂がようやく説明を開始した。
皆守は七瀬を見る。
「七瀬、説明しろ」
「えっ、今言ったじゃん……!」
「……私の大学の同級生の話なのですが、」
八千穂の言葉は流され、七瀬が詳しい話を始める。
四国に謎の遺跡があるらしいこと、九龍に話をしてみたが、まだ仕事中で行けないこと。八千穂の話でもわからなくはなかったが、その丁寧な情報に皆守は頷く。
「剣介さんも来てくれると言ってくれたのですが、剣道部の合宿があるらしく明日からはさすがに無理なようなんです。でも一日も早く行ってみたいですし、そうなると女ばかりの3人連れになりますから皆守さんに護衛として付いてきてもらいたいと」
剣介さん?
一瞬誰かと思ったが「剣道部」の言葉で気付く。真里野か。
いつの間にそんな呼び方になってるのかと思ったが、あまり突っ込んで聞くのも馬鹿らしい。その後の話にだけ皆守は答えを返す。
「だからっておれじゃなくてもな……他に、」
居るだろ、と言い掛けて言葉を止める。
東京に残っているかつての九龍のバディたちは何人居たか。誰なら適当か、と言われても返す言葉がない。真里野が一番順当だが、既に来られない理由がある。墨木は結局自衛隊に行ったし、肥後や黒塚は世界を飛びまわってて、夏休みに捕まえるのは不可能だろう。後は取手と……神鳳くらいか。いや、女性ばかりの集まりなら朱堂は適任かもしれない。来てくれるかどうかはともかく。
「皆守くんが駄目なら他の人に頼むんだけどさ。みんな忙しいんだよ。皆守くんなら暇でしょ?」
結局、それが一番の理由となる。
「まあもう出発は明日だから駄目って言われたらどうしようもないんだけどさ。仕方ないから月魅と陽子とで行くよ」
怪我しないように祈っててね。
そう続けられた言葉に、皆守は頭をかいた。わかって言ってる。わざとらしく悲観的な顔をした八千穂に皆守はため息をついた。
「……九龍や真里野が来れるのはいつだ?」
「九ちゃんは早くても来週かなぁ。真里野くんは8月6日までだから……ええと、5日後?」
5日。
正直言って長い。それは、皆守が行動を共にすることを考えても、八千穂たちだけで遺跡に潜ることを考えても、だ。
「で、出発は明日か」
「うん。私も聞いたのは昨日なんだけどさ。こんな面白そうなこと逃せないでしょ!」
同意が返ってくるはずもないのに八千穂はそう言い切る。
ああ、これは本当に皆守が付いていかなくても勝手に行く。もう1人の女がどんな奴かは知らないが、七瀬には少なくとも止められない。止める気もないだろう。むしろ積極的に進む。
「……わかった。行けばいいんだろ行けば」
断れば後で何を言われるかわかったものでもない。主に九龍と真里野に。
皆守の了承に八千穂が満面の笑顔を浮かべた。
「うんっ、ありがとう皆守くん! そうだ、これからお昼でしょ? 朝ごはん? おごっちゃうから食べに行こう!」
旅費は自分持ちなんだろうな、と聞くまでもないことを考える。
去年の夏、九龍の仕事に付き合って受け取った金額は、しばらくバイトしなくても良いほどのものだったが、今年は完全自腹らしい。
まあいいか、とアロマに火を付けているとそれより先に着替えだろうと怒られた。
なら出て行け、と思いつつ皆守は立ち上がった。
次へ
戻る
|