これが私の新たな一歩─5

「おい、何なんだあれは?」
「……何って言われても」
「お前昨日あいつに何言ったんだ」
「あっ、そう、それ! お前にも話そうと思ってたのにお前起きねぇし! 寝すぎだろいくら何でも!」
「おれは準備なんかないからな。いいだろ、ぎりぎりまで寝てたって」
「少しは手伝え。お前はおれに雇われてんだぞ」
「荷物持ちしてやってるだろ」
「当たり前だ。これで手ぶらで遺跡とか、さすがに怒るぞ」
 前回よりも多めの装備。出来れば今回の探索で最奥まで行きたいと、ジャックとの意見が一致した。ジャックは少し焦っているようで、行程に関して随分切り詰めた計画を立ててきた。本来なら街で丸一日はゆっくりして物資を揃える予定だったのに、昨日の夜帰ってきて今日の午後出発だ。九龍に異論はなかったが、ジャックらしくない、とクイーンは言っている。
「今日も運転はお前か?」
「……あれに任せられねぇだろ。今日はとくに」
 ジャックとクイーンの態度や会話は、昨日までとそう変わったものではない。 ただ圧倒的にクイーンの服が……派手になった。
 露出の激しいそれは、探索には向かないだろうと思うが本人が選んで決意したものだ。とやかくは言えない。
 遺跡に足りないのは色気──。
 そういえば九龍の同僚に、そう言い切ってた男も居た。あれはあれで、必要なものには必要なのだろう。
「お前さぁ、ああいうの嬉しいと思う?」
「本気で聞いてんのか」
「嬉しいとか言ったら大笑いするけどな」
「お前はどうなんだよ。大喜びするだろ」
「おれは叱ってくれる女がいい」
「阿呆か」
 いつもなら軽く蹴りぐらい入ってそうなノリだったが何も仕掛けてこない。
 昨日から随分大人しい、と思ってから気付いた。
 ああ、おれが怪我してるからか。
 胸の辺りを押さえる。
 普通にしてれば痛みはないが、動くとまだ響くだろう。腫れてもなかったし、今日中には引く痛みだと思うが。
「さあ、準備完了だ。クロー、お前が運転するんだよな?」
「おお。甲太郎、行くぞ」
「ああ」
 車の点検をしていたジャックが顔を上げる。すぐさまクイーンが飛びついた。
 ジャックの腕を取りながら九龍の方を見上げる。
 目が合って、微笑まれた。
「……やっぱ何かあったな」
「説明しときたいとこなんだけどな……」
 ジャックは気付かなかったらしく何も言ってこない。
 車の中ではどうせ2人の世界だろう。
 説明はそのときだ。
 どうせ日本語ならわからない。
 そう思っていたのに。結局背後の会話が気になって話は出来なかった。
 そもそも九龍は、運転しながら会話をするのが苦手だ。
「まあ……ジャックの見張り頼むよ」
 結局、着くまでに言えたのはそれだけだった。










 ジャックは焦っていた。
 彼女との約束の日まで、もうあまり時間がない。
 遺跡内は思ったより広かったが、同行のハンターは優秀で、いつもより早いと言えるほどのペースで進んでいる。それでも、不安は募る。
 彼女が自分に愛想を尽かすなんてことはない。絶対にない。そう思っていたのはつい数日前までのことだ。彼女が他の男と居る場面を見た。それは、今までの関係からしたらありえないことだった。
 浮気されてると思ったわけではない。
 ただ、そうなる可能性はあると、示されたのだと思った。
 だからジャックは急いでいる。
 せめて約束の日までに、彼女を満足させなければと。
「あーっ、ジャック! 違うっ、そっちじゃない!」
「っ……」
 背後から悲鳴のような声が聞こえて、手にしていた秘宝を取り落としかける。
 横からぱしっ、とそれを掴んだのはジャックの恋人、クイーンだった。
「大丈夫? ジャック。この間からぼーっとしてるわよ」
「ああ、すまんクイーン。ええと、こっちに入れるんだったな」
「だから違うって言ってんだろ!」
 ぐい、と肩を掴まれ後方に寄せられる。ジャックを追い越した九龍が、クイーンから秘宝を受け取り問題の場所へはめ込んでいた。
 かちり、と音がして部屋の扉が開錠されたのを知る。
 九龍は何とも言えない顔でジャックを振り向いた。
「……すまん」
「ホントにな。しっかりしてくれよいい加減」
 少し怒っているようにも見える。
 温厚な日本人の彼が怒るのはよっぽどだ。元々ジャックは失敗の多いハンターだが、今回のそれは異常と言っていい。何を言われても仕方ない。
「じゃ、じゃあ、次行くか。クイーン、さっきはありがとうな」
「いいえ。あなたの役に立てるなら嬉しいわ」
「おれは本当に駄目な奴だよ」
「何言ってるの。あなたほど素敵な人がどこに居るのよ。それにたまには落ち込んで失敗してる方が可愛いものよ。慰めたくなっちゃうもの」
「ああ、慰めてくれるかい?」
「勿論よ。ほら、あなたが怪我しなかっただけでも、」
 クイーンが寄ってきてジャックの体に確認するように触れる。慣れた感触に安心しながら次のエリアへの扉に手をかける。
 そのとき、背後から声がした。
「おい九龍、ここは何だ?」
「ん? 何かあるのか? おおいジャック、ちょっと待ってくれ!」
 九龍の友人の声と、それに答える九龍の声。後半は英語だった。ジャックとクイーンは同時に足を止めて振り返る。
「どうした? 何かあったのか」
「いや、甲太郎……コウが」
「この壁、壊せるんじゃないか?」
 皆守の言葉はわからなかったが、壁をこつこつ叩いている仕草で言いたいことは理解する。慌ててHANTを確認すると僅かに、空間が確認出来た。
「よく気付いたなお前。ほとんどヒビもないぞ、ここ」
「さっき変な音がしたからな。何かいるんじゃないか」
「え……」
 2人の会話はどうせわからない。
 ジャックが爆弾を投げるとき、驚いたような顔が見えたが何を話していたのだろう。
 空間があるなら開ける。ハンターの常識だ。
「うわあっ」
「な、何だ!?」
 壁が破壊され、白煙が上がる。まだ視界もきかない中、大量の何かが飛び出してきた。
「こ、こうもり?」
「うっわ、何だこの数!」
 九龍が鞭を構えるのが見える。ジャックも肩に下げていた銃を構えた。小さい。普通のこうもりサイズだ。ああ、爆弾で一掃したい、と思うがこれだけ部屋に広がられると無理だ。
 ジャックの背後から腰をがっちり掴んでくるクイーンに、支えられていると感じつつジャックは銃を乱射する。
 撃ちながらも、他のメンバーにも目をやった。九龍は大丈夫だ。鞭で確実に敵を倒している。クイーンもジャックの背後にぴたりと付いている。その更に後ろは壁なので問題ない。
 コーはどこだ?
 銃を乱射しながら辺りを見回す。それにつられて銃の向きも変わる。九龍の怒鳴り声が聞こえた。
「ジャックっ! 殺す気か!」
「そ、そんなこと言ったってな……!」
 ああ、もう、本当に、小さい相手は苦手だ。
 人間相手なら数人まとめてでも勝てる自信はあるのに。
「よしっ。ジャック、中に扉がある!」
「ん? おお、凄いぞクロー!」
 最後の一匹を倒し、爆破した壁に駆け寄ったところ、狭い部屋には小さな扉があるのみだった。この空間にあれだけの敵が詰まっていたとは。もし扉側からこちらに出てきていたらとんでもないことになっていたな。
 思いつつ、扉に近寄る。背後から皆守の声も聞こえてきた。ひょっとしたらずっとジャックの後ろに居たのかもしれない。だから見当たらなかったのか。
 やる気なさげにアロマを吸っているが、いざとなったら素早い動きをするのは探索の過程でわかっている。戦闘能力はなくても逃げ足があればいいのだ。別に。
「ジャック、この扉……」
「まさか……ショートカットか?」
 扉の先に、少し広い空間と、また扉。
 見覚えがある。
 超古代文明の遺跡の多くで、最奥へと通じる物々しい扉。
 ジャックと九龍は顔を見合わせた。
 そしてすぐさまクイーンへと目をやる。
「クイーン……!」
「やったわね! 秘宝はきっとこの中よ!」
 遺跡の中で手に入れたいくつかの秘宝。
 その全てが霞むほどのモノが、この中には眠っている。
「よし……よし、行くぞ……!」
 ジャックは、その扉を開けた。










「あいつは本当に、おれたちを殺そうとしてるとしか思えなかったよ」
 ジャックと遺跡に潜ったハンターは言う。
「悪気があったとも思えないがな。一人のときは完璧に仕事をこなしてると言われちゃあなぁ」
 元々の疑惑は、スパイではなく他のハンターに対する攻撃性。
「悪いのは女の方さ」
 別のハンターはそう言い切った。
「常にジャックの邪魔をしてる。焦らせ、他が目に入らないようにしている」
 ロゼッタ協会の事務員たちは、それらの情報を九龍には伝えなかった。
 先入観を持たないように、と。まずは九龍の印象を聞いてから、と。
「九龍はジャックの方を疑ってるわ」
「女の話を聞いて、でしょ? 単純にも程があるわね」
「九龍は戦闘は凄いけど……頭がねぇ」
 頭が悪いわけではない。
 ただ、頭を使うのが下手なのだ。
 頭を使え、と言われないと頭を使うことにすら気付かないような男だ。
「まあともかく、まだ遺跡の攻略には時間かかるでしょうし。一応その辺のこと、伝えときましょう」
 事務員がメールを打ち始める。
 九龍から先日届いた調査報告への返信。
 誰もが、まだ時間はあると考えていた。


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