これが私の新たな一歩─3
罠の発動。
HANTから聞こえる「移動してください」の言葉。九龍は日本語設定のままにしているのでジャックたちにはわからないだろう。ジャックのHANTも同じようにハンターへの注意を英語で繰り返している。
「おい、大丈夫なのか」
「今ジャックたちが見てるから」
真後ろから聞こえてくる声に答える。微かな震動。風を切る音が聞こえた、と同時に九龍の体はその場からぐいっと引きずられていた。頬を掠めるのは矢。九龍はゆっくりと皆守と目を合わせる。
「大丈夫なのか」
皆守が低い声で先ほどと同じ言葉を繰り返す。口調に棘があるように感じるのは気のせいだ。とりあえず礼を言っておく。
「サンキュ。矢が来るとは思わなかったな」
「発射口があっただろうが。ちゃんと見てろ」
「お前何でそんなとこまで見てんだよ」
この部屋は暗い。罠をわかりにくくするためだろう。肉眼では見渡せない。
九龍はゴーグルのスイッチを入れて一通り部屋を見渡してはいたが、電池が勿体無いのでそうそうに切っていた。
この暗さでも、皆守には見えるらしい。
「大体そこで待ってろ、って言ったのはジャックで……」
九龍は言葉を切る。壁際に向かって何かしているジャックは罠の解除に忙しそうだ。先ほどから矢が飛ぶ音が何度かしているが、ジャックとクイーンの居る場所は安全地帯のようだ。今九龍が居る、皆守から引っ張ってこられたこの場所もそうなのだろうが。
「……スパイっつってたよな」
「あ、その辺の話題はなるべく避けて……日本語はわからないと思うけど万一」
小声で返す。部屋の震動と矢の発射音で、言葉自体聞こえてないかもしれないが。
先ほどから何度か九龍は危ない目に合っている。
それはジャックの注意不足としか言えないものばかりだった。
だが、それは故意と言い切れるほどのものでもない。
「……まぁ、ここでおれ狙っても意味ないはずだし」
疑惑を持たれている中(それを知ってるのかどうかすら知らないが)、同行しているハンターを殺していいことなんてない。事故に見せかけるにしても、だ。
九龍に何かあれば、HANTを通じてすぐに協会には連絡がいく。
殺すならせめて最後の秘宝を入手した後……か、その直前ではないだろうか。
「出来たぞ」
そのときかちっ、と音がしてHANTが罠の解除を知らせる。立ち上がったジャックの顔に、妙なところは何もない。
「さ、次行きましょ」
そういえばクイーンは一切九龍たちの方に話しかけてこないな、とジャックの腕に絡みつく彼女を見て思う。
「なあ、どこまで行くんだ?」
既に時刻は真夜中だが、誰も引き返そうとはしていない。
皆守のうんざりしたような声に、そろそろ疲れてきてるな、と判断する。大して動いてないだろうに。
「ジャックー、おれのバディがばててんだけど」
皆守にはわからないのをいいことに英語でそんな物言いをする。念のためかなり早口で。
ジャックは少し不満げな顔で、皆守の方を見た。
「……そろそろ休憩するか?」
丁度次の部屋が静かな空間だったこともあってか、ジャックはそう言う。
引き返す、という選択肢はないらしい。
「ひょっとして今日ここで泊まるつもりか?」
「おれたちは最初からそのつもりだが? ホテルでないと寝られないとでも言うか?」
「ああ、いや……」
多分どこでも寝る。
何せ既にうとうとしかかっている。
「今日は下見ぐらいのつもりだったからな。あんまり奥まで行ける分の装備はしてないぞ」
「そうだな……。まあでも、行けるとこまでは行ってみよう」
リーダーにそう言われると、反論のしようもない。
遺跡に入ってからは、隣にくっついているクイーンのこともあまり気にならなくなっていたため、九龍は何も考えず頷いた。
あの2人と一晩を過ごすということがどういうことかまでは、思い至らなかった。
「あほ」
皆守の言葉に九龍が沈む。そのまま動かないので、皆守は床に座り込んだまま蹴ってやった。ごろん、と九龍が転がり仰向けになる。
「あー……どうしよ」
「おれは寝る」
「待て待て待て!」
壁にもたれかかったまま、とっとと寝る体勢に入った皆守に、九龍が慌てたように体を起こす。そしてその後ろで寝息を立てるバカップルを振り返っていた。
「……あのな、一応交代で寝るってことになってるけどな」
「ああ」
「……おれたち二人揃って寝るわけにはいかないわけで」
何かを仕掛けてこないか、HANT以外を使ってどこかと連絡を取っていないか。
それを見張るのも、今回の九龍の仕事だ。
かといって遺跡の中、4人まとめて眠りに入るのも却下だろう。第一相手が起きても気付けない。
「で、お前はどっちがいい」
「どういう意味だ」
「先に寝るか、後に寝るか」
「…………」
今ここで一人起きているか、それともバカップルと一緒に起きているか。
「先に寝ろ。今は起きててやる」
「おれも同意見だ。よし、クジで決めるか」
「ジャンケンにしろ」
「お前にジャンケンで勝てるかっ!」
反則気味の動体視力を持つ皆守に、九龍が怒鳴る。そういえば高校時代は、九龍は何も知らず負けまくっていた。
「……っていうかな、お前はあいつらの会話わかんないだろ。おれは嫌でも聞こえてくるんだよ、あいつらが起きてるときに寝かせろ!」
「言葉がわからないんじゃ監視の意味もないんじゃないか」
正直、目の前で裏切りの話をされていてもわからない。そう言うと九龍は真顔で答える。
「そこは雰囲気で」
「無茶を言うな」
お前が寝ろ、と皆守は九龍の頭をつかむと無理やり寝かせる。九龍は諦めたようなため息をついた。
「お前は寝るなよ。絶対寝るなよ」
「わかったわかった」
「信用できないんだよ、お前絶対寝るだろ」
「寝ないって言ってるだろ」
欠伸しながら答える。
正直自信はない。
今も眠くて仕方ない。
せめてもと、アロマは消してあるが。
「ちゃんと見張ってろよー……」
九龍の目が閉じ、声が弱くなる。すぐに寝息が聞こえてきた。
九龍は寝つきがいい。皆守といい勝負だ。ハンターたるものいつでもどこでもすぐに眠れなければならないらしいが。ならばついでに怪しい気配がしたら気付いて起きるべきだろう。
皆守は静かになった空間で、奥に眠るジャックたちを見る。
器用に絡みついたまま眠る2人には呆れの感情しか浮かばない。
少し女の方が身じろぎをしたが起きる気配はなかった。
……この空間で眠れないってのはストレスだな。
無意識にアロマに手を伸ばしかけ、止める。付けたら本格的に寝そうだ。
眠気を覚ますために皆守は立ち上がり、辺りを見回した。
同時に、女が何やら色っぽい寝息を立てて脱力する。
再び女に目をやる。
探索用の色気のない服だが、かなり肉感的なのは見ればわかる。
だが双樹ほどじゃないな、とつい思ってそんな自分に自己嫌悪した。
そういえば双樹もいつも阿門にくっついていた。それと同じだと思えば……無理か。
皆守は頭を振って目を逸らす。
実際それほど気になるわけではないのは、やはりあの2人に慣らされていたのかもしれないが。
「ジャック」
「どうした、クイーン?」
「あの子たち寝てるわ」
「ん? ああ、本当だ。コーはともかく、クローはハンターだろう。何やってるんだか」
「チャンスじゃない?」
「そうだな……チャンスだな」
ジャックはクイーンの腰を引き寄せる。挨拶代わりのキスをして、ジャックは少し体を起こした。
「なあクイーン、あのコーって奴どう思う?」
「あら、妬いてるの」
「まさか。そんな心配は欠片もしてないよ。ただ、素人なのかな、と」
「そうじゃないの? クローはそう言ってたんでしょ」
「日本の友達、としか聞いてないよ。武器も扱えないって」
「素人じゃない」
「そうなんだけどな……」
化け物どもが出てきたときの反応、罠が作動したときの動き。
素人だとしたら大した度胸だ。あるいは現実感がなさ過ぎて却って冷静になっているだけか。
「もう、そんなことどうでもいいじゃない。チャンスなんでしょ」
楽しみましょ、と体を寄せてくるクイーン。
ジャックは応じながら九龍たちの方を気にしたが、特に動きはなかった。
……ホントに始めるか。
皆守は何だか頭を抱えたくなる思いで寝た振りを続けていた。
隙を見せれば何か喋るかもしれない、とは思ったが実際喋られてもさっぱり理解は出来なかった。聞こえてくる単語から、どうやら自分たちのことを話しているらしいというのはわかったが。
……伝える必要もないか。
隣で眠る九龍を意識する。寝息は規則的で、目覚める様子はない。
……本気で寝ちまうか。
皆守は聞こえてくる声から意識を逸らし体の力を抜く。
アロマが欲しい、と切実に思った。
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