ねらわれた学園─2

 結局午前中は完全に寝て過ごした。
 ……保健室で。
「あ、はっちゃん起きた?」
「取手……?」
「よく眠ってたもんだな。そこまで寝るなら寮で寝ればいいだろ」
「お前が言うな。それだけはお前が言うな」
 のそのそと体を起こせば、そこに居たのは皆守と取手。取手はこちらを覗き込むようにして。皆守は隣のベッドの上であぐらをかいていた。
「あれ……今何時?」
「さっき昼休みのチャイムが鳴ったぜ」
「え、マジ……!?」
 慌てて時間を確認する。
 本当だった。一瞬たりとも目が覚めなかったらしい。
「起こそうかどうか迷ってたんだけど……よく寝てたから」
「いや、まあ別にいいんだどな。授業はさぼるつもりだったし」
 欠伸をしながら九龍はベッドから出る。
 保健室には他の生徒の姿は見えない。昨日までの霊の影響はもうないのだろう。そうなると途端にこの2人が戻って来ている辺り、2人にとっての保健室とは何なのかと思うが。
「取手は? 具合悪かったのか?」
 いやいや、皆守はともかく取手をそういう扱いしちゃいけないだろうと思い直し、そう聞いてみる。
 取手は少し目を伏せた。
「ここ最近、なんだか寒気がするんだよ」
「寒気……? 寒くなってきたから、とかじゃないよな?」
「うん……何て言ったらいいんだろう。そう──心の奥底が、少しずつ凍りついていくような、そんな寒さんなんだ」
「おいおい……」
 取手はそれを、遺跡に囚われていた頃のような寒さだと言った。それが……ここ最近?
 真面目な話に九龍も思わず姿勢を正す。
 封印が、解けかけているせいだろうか。
 この寒さに囚われないように、と言われてとりあえず頷くが、九龍自身は何も感じては居ない。気付いたら凍えていた──は、あんまり洒落になんないな。
「まぁ、気を付ける。そろそろ……どこに居ても気を引き締めてないとな……」
 墨木に学園で襲われたのは例外としても、双樹の香り、神鳳の霊、と学園中を巻き込んでの騒動が起こり始めている。九龍は実は、今日はナイフをカバンに入れてきていた。薬もいくつか持っている。今朝響に渡せたのはそのためだ。もう学園内でも、油断は出来ない。
「……にしても腹減ったな……」
 ぐぅ、とお腹が鳴って引き締めていた表情もだらしなく緩む。
 武器や薬を持って、パンすら持ってきてないとか。
 何やってんだ、おれは。
「あー、今から売店行ってあるか……?」
「コッペパンならあるだろ。いつも売れ残ってるからな、あれは」
「甲太郎、買って来てくれよ」
「何でおれが」
「たまにはお前がパシれよ」
「体動かすの好きなんだろ。おれのカレーパンも頼む」
「だからこっちに押し付けんなっ!」
「あ、あの」
 ベッドに腰かけたまま言い合いする2人を、慌てたように取手が止める。
「パンならぼくが買ってくるよ。ぼくも、これから買いに行くところだし……」
「え、いや、」
 いいの? と言いかけたが、いや、取手にパシリをさせるのは何か申し訳ない。
「じゃあカレーパンと缶コーヒー。ブラックなら何でもいい」
「ってお前な!」
 皆守はとっとと取手に金を渡している。
「はっちゃんは?」
「え、えと……」
「コッペパンでいいかな?」
「……頼む」
 コーヒーは微糖な、と結局注文を付けて九龍も金を渡す。
 まあ、ここからなら売店は近いし……な。
 取手が外に出て行くのを見送っていると、隣で皆守がアロマに火を付けた。
 本来なら絶対禁煙になりそうな保健室だが、主が普通に吸っているせいか、皆守のそれが注意されたこともない。
 ……ああ、精神安定剤、だったか?
「甲太郎」
「ん?」
「お前のそれさぁ」
「それ? ああ、アロマか」
「……落ち着く、か?」
 何と言えばいいかわからずそんな言い方をする。
 皆守は少し驚いたようだった。
「……まあな。お前も吸ってみるか?」
「いや……遠慮しとく」
 ラベンダーの匂いは、最早九龍の日常でもあった。
 今更吸わなくてもなぁ。常にまとわり付いてる気がする。
 何となく2人ともそのまま無言で取手を待つ。
「……なぁ、九龍」
「ん……?」
「お前は、大切なものをなくしたことが、あるか?」
「大切なもの……?」
 言われて思い返す。
「いっやぁ……ないかなぁ……」
 大切なものって何だろう。
 なくして困るもの……HANT? いや、まあ困るけど。
「そうか……。そいつは今でも大事に持ってるか? それとも、それは大切なものなどないって事なのか?」
「後者……かな」
 大切なもの──なくはないんだろうけど、
「そういうのって……なくして初めて気付く、とか?」
 どこかで聞いたような言葉が浮かんで言ってみた。
 だって、思いつかない。大切なものと言われても。
「ってか何なんだよ急に?」
「いや……まあ大したことじゃない。忘れてくれ」
 皆守がそう言ったと同時に取手が帰ってきて、九龍は追求する機会を失った。
 皆守も、過去に何かあったんだとは思う。それはいまだに聞けていない。聞く必要があるとも思えなかった。九龍は、人の過去にあまり興味がない。
 今だけで手一杯だしな、と思いつつ九龍は皆守のアロマに目を向ける。
 過去に囚われているのなら──そう言ってもいられないのかな。
 皆守も、それを相談してくるタイプに見えない。
 あー、こんなこと、考えるのも嫌だ。
 九龍は頭を振って、取手の持って来たパンに手を伸ばす。
 瑞麗が戻って来て追い出されるまで、結局3人は保健室でくだらない話だけして過ごしていた。










「あ〜ダルい」
 午後の授業が終わり、九龍は皆守と共にだらだらと教室を出て行く。いつもの言葉を聞きながら九龍も欠伸をしていると、皆守が思い出したように言った。
「そういや寮を出るときに大和に会ったんだがな」
「え? もう起きてたのか? ……って、お前が寮出たの何時だ?」
「昼前だったか……?」
「お前っ、午前の授業出てないんだな、つまり!」
 じゃあ保健室で目を覚ましたとき、そもそも皆守も来たばかりだったか。どうりで眠っていた様子がなかったはずだ。まあ、昨日遅くまで付き合わせた身としては、あまり突っ込んでは言えないのだが。
「……で、大和どうだった?」
「……まあ大分具合が悪そうだったが。お前の力になってやってくれと頼まれたよ 」
「大和……。そしてお前はそれを午後の授業が終わるまで忘れてたんだな」
「まあ力になれって言ってもおれは生徒会や大和のようなおかしな力を持っているわけでもなし」
「おい」
「できることといえば、アロマを吸いながらお前を見守ることぐらいだがな」
「まぁ、うん、着いてきてくれるだけでありがたいけどな……」
 ついでにあまり気負わないところも。
 大和の言葉は嬉しいのだが、ちょっと重い。真面目にこられると真面目に返さないと、と緊張してしまう。嫌な話も辛い話もとっとと忘れておちゃらけたいのが九龍の本音だ。言えないが。
「あぁ、ちゃんと生温かい目で見守っててやるから心置きなくやってくれ」
「くそぉ、想像出来るな、その感じ……!」
 いいんだけどさ。いいんだけどさ!?
 1階まで着いて、九龍は、あ、と声を漏らす。
「ん? どうした」
「ちょっとおれ、保健室に寄ってくるわ。瑞麗先生に頼まれてたもんがあって」
 八卦碑。
 昼休みに持ってないかと聞かれたものだ。
 ちょうどクエストの依頼人から贈り物として貰ったものがあったが、当然学園には持ってきていなかった。
 後で届けると言って休み時間の間に取りに行ったもの。
 それを見せると、皆守はふぅん、と気のない返事だけして、それじゃあおれは先に帰る、と後ろ手に手を振りながらとっとと行ってしまった。
 ……ま、それ以外にも話がありそうだったし、それなら時間かかるからなぁ。
 九龍は八卦碑をカバンに仕舞い直して保健室へと向かう。
 そこへ、朝も聞いた嫌な声が、九龍の耳に響いてきた。
 おい……また絡まれてんのかよ。
 響が九龍のもとへ駆けて来るのが見える。
「響っ」
「あ、は、葉佩先輩。た、助けてください……」
 しがみついてくる響を手で制しながら、九龍は追ってきた男たちを眺める。
 大して喧嘩強そうじゃないんだけどなぁ。何でこんなに威張ってるんだ。
 九龍の顔を見て、一旦は引きかけた不良たちだが、直ぐに思い直したようだ。
 そんなに凄い奴には見えない、と。
 ……この鍛え抜かれた肉体美が見えないというか!
 いや、確かに背は高くないからわかるんだけどな……!
 脱いだら凄いんだぞ、とか言ってみようかと思う。だがそれより早く、背後から別の声がかかった。
「何してんすか、センパイ?」
 生意気そうな声にぱっと振り向く。
 生徒会役員、夷澤。
 ええい、おれの後ろに立つな。
「何もしてないよ……まだ」
 一応生徒会役員の前で喧嘩はまずいだろうか。
 ここで一発強いとこ見せときたいんだけどなぁ。
「そうみたいっすね。で、何をするつもりなんです? 随分楽しそうじゃないっすか」
 笑いながら近付いてくる夷澤。
 そして九龍の正面の男たちを眺めた。
「……楽しそうか?」
「ええ。おれも混ぜてくださいよ」
 そのまま、夷澤は九龍を抜かし、男たちの前に立つ。
「おい、夷澤──」
「何だ、てめぇっ」
 夷澤を知らないのか。
 男たちは夷澤にも絡もうとし、その次の瞬間──吹き飛ばされた。
「うわ……」
 文字通り、吹っ飛んで壁にぶつかった男に、九龍も思わず声を上げる。
 も、もうちょっと手加減しろよ!?
 普通の人間だろ?
 更に襲ってくる生徒を叩きのめす夷澤。
 呆然と見ていた響が呟いた。
「凄い……強い……」
「うん……」
 あの役、おれがやるはずだったんだけどなぁ。
 まぁ、響が可愛い女の子ならともかく……男だしな……いいか。
「ふっ。何、モタモタしてるんすか、センパイ。こんな連中、こうやって手っ取り早く、ノシちまえばいいでしょ」
「……悪かったな」
 夷澤が来なければそうするつもりだった。
 いや、でも、そこまで徹底的には……。
 倒れている男たちまでも蹴り付ける夷澤。男たちは立ち上がる隙すらない。
 仕方なく、九龍は夷澤を止めた。
 こうなったら今度は、暴力生徒会を上から注意出来る男ってのでどうだ。それもかっこいいだろ。
「何すか、センパイ? おれのやり方に文句がありそうなその態度は……」
「そりゃ大いにある。やりすぎだ」
 出来るだけ強い口調で、それでも感情的にならないように言ってみる。
 夷澤は当然文句を返してきたが、その間に男たちの方は逃げていった。
 ……まあ、いいか。
 だが夷澤はそれを見て、あっ、と小さく声を上げる。
「センパイのせいで、逃げられちまったじゃないっすか」
「お前、あれ以上どうする気だったんだよ……、弱いものイジメになってるぞ、完全に」
 さすがに戦意も失せてるような奴をなぶるようなのは気分が悪い。しかめっ面で言えば、夷澤もまた不愉快そうに顔をしかめる。響が、その夷澤に向かって言った。
「あ、あの夷澤くん」
 少しぴりぴりした雰囲気を破ったその声に、夷澤は少し表情を緩める。この2人、どうやら同じクラスだったらしい。またあんな連中に付きまとわれて、か。よくあることだったのか、やっぱり。
 それを知ってたんなら何とかしてやれよ、と思うが、何とかしようとして、あれか? 確かにあそこまで徹底的にやられたら、もう絡んでは来ないだろうか。夷澤は響が絡まれてたのには気付いてなかったようだが。
 情けない奴だ、と響に向かって断定する夷澤だが、そこに蔑みは感じられなかった。そんなに仲は悪くないのか。響は俯いてしまっているが。
「あーあ、それにしてもせっかく気晴らしが出来ると思ったのになぁ」
 夷澤はそんな響に興味はないらしく、すぐに目を逸らすとわざとらしく肩を回しながら九龍に目を向けてくる。
「そうだ、代わりにセンパイにおれの相手してもらおうかなぁ」
 にやついてそんなことを言う夷澤にため息をつく。
「やるか? おれは別にいつでもいいぜ?」
 どうせ戦わなきゃならないし。
 ここで叩きのめして、遺跡の扉開放させたら手っ取り早くていいんじゃないだろうか。
 これだけ喧嘩っ早い奴なら殴り合いに躊躇いは感じない。
 あれ、でもこいつボクシング部のエースなんだよな。
 ……す、素手で勝てるかな。
 体格的には夷澤の方がかなり細身に見えるが、それは引き締まった体、と言っていいのだろう。九龍みたいに無駄に筋肉が付いてない。……違う、おれの筋肉は無駄じゃない!
 自分で自分にツッコミながらも、戦闘態勢に入る。
 一触即発の空気を遮ったのは、またも響だった。
「や、やめてよ夷澤くん」
 同じくファイティングポーズになっている夷澤を止めにかかる。
 だが、夷澤はもう九龍しか見ていない。
「実は前からあんたのことが目障りだったんすよ。どいつもこいつも葉佩、葉佩って言いやがって」
「知らねぇよ」
「止めて、夷澤くんっ」
「それじゃ、そろそろ行きますよセンパイ」
 体に力が入ったのが見えて、九龍の体にも緊張が走る。
 次の瞬間。
「止めてよぉぉぉっ!」
 響の絶叫が廊下中に響き渡った。
「おわっ……」
「な、何だっ……」
 夷澤と共に思わず耳を押さえる。
 窓ガラスが一斉に揺れ、目を向けた瞬間、音を立てて破裂した。
「なっ……」
 廊下にばらばらとガラスの破片が落ちていく。どこから加えられた力なのか、外にもそれはぶちまけられていた。
 思わず戦闘態勢を解いて、呆然とそちらを見やる。
「何で窓が……」
 夷澤の呟きにびくりと体を震わせたのは響。
「あ……あ……」
 青ざめた顔で夷澤を見て、そのまま駆けて行く。
 ……今の、響の声、で?
 まさかと思うが、夷澤もそう感じたのか、あいつが? と小さく呟いてその姿を見送っている。
「……くくくっ、面白くなってきたぜ」
「……夷澤?」
 一瞬、その雰囲気ががらりと変わった気がした。
 夷澤は不気味な笑みを浮かべたまま去って行く。最早九龍のことには興味ないように見えた。
「……何だよ」
 気が削がれてしまったのは確かだ。
 九龍も息をついて、そのまま足早に保健室へと向かう。
 このままここに居たら面倒なことになりそうだ。
 もう校舎内に人はほとんど残っていない。
 あの割れた窓ガラス、誰が発見することになるのかな。
 そんなことを思いつつ、保健室の扉を開けた。


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