ねらわれた学園─1
小鳥のさえずりが聞こえる。
いつの間にか朝になっていた。
夕薙を見ていた瑞麗がようやく顔を上げる。
「……先生……」
「ふむ……」
ベッドに向かってかがんでいた瑞麗は腰を伸ばし一息つく。椅子に座って、いつものパイプを取り出す様子が見えた。
どうやら、終わったようだ。
九龍もほっと息をつく。
「大丈夫なんですか?」
「ああ。激しい脱水症状を起こしていたが、処置しておいた」
火が付けられ、煙草の煙が上がる。
ここは一応夕薙の部屋の中なのだが。いいのだろうか。
ちなみに部屋の鍵は九龍が勝手に開けた。皆守はあまりに眠そうだったので部屋に戻しておいた。というか処置してる側でうとうとされても嫌だろう。
九龍はほぼ徹夜だが、興奮状態のせいか、あまり眠気は襲ってこない。
瑞麗はゆっくりと息を吐き出すと、夕薙の状態について聞いてくる。
何があったのか、と。
……何て言えばいいのかなぁ。
「月の光を浴びたら干からびるっていうか……老人みたいになっちゃうみたいで。病気……ってか呪いですかね」
「呪いだと?」
こういった話題には着いて来てくれる人だと思う。案の定ごく普通に瑞麗はそれを受け止め、月の光の魔力について語り始めた。
バイオタイドね。わかりません。いや、月の満ち欠けが人の精神に影響するみたいな話は聞いたことあるけど。夕薙のこれも、それに関係があるのか?
月を使った……呪い?
「この夕薙の症状を見る限り──明らかに月の力が夕薙の体の水分に影響を及ぼしているとしか思えない」
「まあ……現象としてはそうなんでしょうね」
更に瑞麗は続ける。
夕薙の体からは、月光下で約40%の水分が失われていると。
……マジで。
普通なら死んでいてもおかしくない。それぐらいは説明されなくても九龍にもわかった。脱水症状は恐ろしい。だから、探索中の水分補給についてもいろいろ学んでいる。
常識に外れた現象。
やはり、呪いか。
瑞麗は神の奇跡か悪魔の業か、などと呟くように言った。
「どちらでも……ない……」
「大和っ……!」
否定の声はベッドから。
こんな状態でもそこには反応するのかよ!
「お前、まだきつそうじゃねぇか。寝てろ」
「そうだ、まだ応急処置をしたばかりだ。せめて横になってた方がいい」
体を起こしかけた夕薙を瑞麗が制する。
だが夕薙は瑞麗には目も向けず、九龍を見た。
「何だ……?」
「……君に、話しておかなければならないことがあるんだ……」
苦しそうに胸元を押さえながらも夕薙は言う。
いいから横になってろ、とベッドに押し倒したが、それでも夕薙は続けた。
「君は……喪部をどう思っている?」
「喪部……?」
C組に新たにやってきた転校生。
どう思ってると言われれば。
「……嫌な奴だよな」
性格に間違いなく問題がある。それに、商売敵だろう、多分。
そう言うと夕薙は微かに笑ったように見えた。
「そうか……。どんな理由にせよ、警戒しているなら、それでいい」
夕薙は、喪部がハンターであることに気付いていたようだ。
そして、邪魔者を始末するのに躊躇わない奴であろうことも。
気を許すなと忠告されて、九龍は頷く。
「わかってるよ。ああいう手合いは何度か見たことあるしな。ただ……」
「ただ?」
「いや……あいつ……うん、何者なんだろうな」
九龍の頭に浮かんだのはレリックドーン。
だが、今までに会ったことがある者とは少しタイプが違う気がする。単に若いからかもしれないが。
それよりも、今になって気付いたこと。
ああいう輩は……九龍に勝てないと思ったとき、人質という手段に出るのではないだろうか。
喪部はほとんど授業に出ていない。それでも、九龍が八千穂や皆守とよく行動を共にしているのには気付いているだろう。急に、不安になってきた。
「喪部か……。九龍、君は出雲がどういうところか知っているか?」
「……は? 出雲?」
考えに沈みそうになった九龍を引き戻したのは夕薙のそんな言葉。
戸惑いつつ、よく知らないと答えればそれについても丁寧に説明してくれる。
神話の話、歴史の話。大和朝廷。そして──荒吐族。
九龍はそれを黙って聞く。何が言いたいのかはわからない。だが最後には繋がるのだろうと思っている。荒吐族なんて昨日初めて聞いたんじゃなかったっけ。
だが瑞麗は知っていたようだ。夕薙の言葉を聞いて呟くように言う。
「荒吐神を信仰していたまつろわぬ民か。確か、この国では蝦夷とも呼ばれていたな」
「詳しいですね先生……」
「君は蝦夷を知っているのか?」
「えーっと……」
何か聞いたことはあるような?
いや、もう説明してください。
徹夜明けの頭に入れるにはちょっときつい話題だが、九龍は必死で聞く。
蝦夷と呼ばれた荒吐族を率いていたのが長髄彦という男。
彼は大和朝廷に逆らい、津軽へと落ち延びた。
そこで荒吐族は大和朝廷に対抗しうる力を身に付けたが、結局邇芸速日命に殺され、衰退する。
この、邇芸速日命の子孫の名が物部――。
「……ああ、ここで喪部に繋がんのか」
多分、何とか着いていけた。
喪部は、物部氏の末裔かもしれないと。
……なるほど。さすがは夕薙。何だか思いもしない方向から責めている。知識のない九龍には絶対に無理だ。
「おれが君に喪部に気をつけろといった意味がわかるだろう? おれは……」
そこで夕薙が顔をしかめてぐらついた。
九龍が慌ててその体を押さえつける。寝てたままだと話しにくかったのだろうが、夕薙はいつの間にか体を起こしていた。
「わかった、わかったって。無理すんなよ、もう……!」
完全に横になった夕薙は、少し落ち着いたのか、一旦目を瞑ったあと、しっかりと九龍に視線を合わせてきた。
「これがおれの知っている全てだ。九龍、おれは……君の役に立てたか?」
「な……にを。当たり前だろ。十分だよ」
自分じゃ絶対辿り着けないところだ。
真面目な質問には一瞬答えに詰まったが、ここは茶化す場面でもない。
夕薙は少し安心したように微笑んだ。
「そうか……それなら良かった」
そして信頼を裏切ったことを何度も呟くように謝罪して、そのまま夕薙は眠りについた。
……気にしてたのか。
……そりゃそうか。
だけど、つまり、やっぱり友達だったってことで……いいんだよな?
利用するつもりで近付いたんでも、それだけで終わりたくないと思ってくれたなら……いい。
瑞麗にいい仲間を持ったな、などと言われるのは少し照れくさい。
頭じゃ敵いません、とここは少し冗談交じりに返した。
いい加減恥ずかしい。
「さて、もうこんな時間か。夕薙のことは任せておけ。目が覚めるまで傍に付き添ってやろう。だから君は登校するといい」
「げっ、マジですか……」
時計を見て僅かに引きつる。
登校、というにはまだかなり早い時間だが、だからと言ってこれから寝る時間でもない。既に起き始めている生徒は多い。
「何かあったら真っ先に知らせるから安心したまえ。じゃあな」
瑞麗に押されるように、九龍は夕薙の部屋を出る。
「あ……」
「どうですか? 夕薙くんの具合は」
「神鳳……」
部屋の前には神鳳が立っていた。
ずっと気にしてたのだろうか。っていうかいつから居たんだ。瑞麗を呼んだあとは一度帰っていたようなので、タイミング的に入り辛かったのだろうか。別に気になるなら入っても──いや、やっぱりそれほどの付き合いじゃないから無理か。一晩付き添うってのはなぁ。
「まぁ、大丈夫そう……だよ。瑞麗先生も居るしな」
ちらりと背後を振り返って言う。
閉ざされた扉からは、もう何の気配も感じない。
「そうですか……」
あんなの見たら衝撃だよな。でも普段からあの姿になってたってことは、まあ皆守の言う通り、すぐに危険に結びつくものでもないのだろう。今回ちょっと無理したようだが。っていうか夕薙の体調不良の原因って……これなんだな。
ホントに病気なのかとちょっと疑ったこともあったことを反省する。
彼が朝から出てこないときは本当に──こんな状態だったんだろう。
昼間途中で抜けてたのはサボリの気がするが。
「おれも瑞麗先生に追い出された。あとは見てるってさ。もう寝れる時間じゃないし、学校行くしかないかなぁ……」
寮内に瑞麗が居るんじゃサボりにくい。
というより今気分的に落ち着かない。
教室に行って八千穂たちと騒ぐ方がマシか。
「気を付けてくださいね。夷澤は、ぼくや双樹さんのようにはいきませんから」
「へ? ……夷澤?」
「ええ。彼は……危険過ぎる」
自分の部屋に戻りかけていた九龍は神鳳の言葉に足を止める。
夷澤──生徒会副会長──補佐。
そうか、次はあれか。
「あいつ……まあ生意気そうではあったけど……」
この間、たまたま校舎内で会って突っかかられたことがある。
阿門たちと比べて妙に貫禄がないというか小物臭がするというか。ああ、だから補佐なんだなと勝手に納得していた。あれは確かに副会長という器じゃない。
神鳳は、結局それ以上は言わず、九龍に弓道場の鍵だけ預けて去って行った。
いつでも来いということか。
夷澤の弱点聞きに行ったら教えてくれるだろうか。
そんなことを考えつつ、今度こそ九龍は自室へと戻って行った。
ううん、やっぱり眠いような気がする。
校舎への道を歩きながら、九龍は少しずつ自分の歩みが遅くなっているのに気付いていた。
何だろうな。眠いというより妙に現実感がないというか……歩きながら寝てんのか、おれ。
帰ろうかなぁ、あ、今保健室に先生居ないんだから、あそこで寝てやろうか、などと考えていたとき、背後から声が聞こえた。
「いや〜若いっていいねぇ〜」
……ん?
「……鴉室さん」
「よっ、グッドモーニング葉佩くん」
そこに居たの鴉室洋介。どうやらテニス部(勿論女子テニス部)の練習を眺めていたようだ。九龍が声をかけるとにやけながら寄って来る。
「ちょうど良かった。こで会ったのも何かの縁だ。君に協力して欲しい事がある」
「いきなり何ですかあんた」
腕を組み、偉そうに述べる鴉室に、つい冷たい声で返す。
どうにもこのキャラクターのせいか、九龍は彼に対する扱いがどんどん乱暴になっている。自覚はしているが、本人が気にした様子を見せないので放置している。慣れているのだろう。雑な扱いに。
「いやいや、これは、この学園の調査に関する重要な事でな。どうだ? 興味あるだろ? 協力してくれるかね?」
あくまで偉そうな口調を貫く鴉室に九龍は思い切り嫌な顔をして見せた。
別に協力は構わない。どうせこんな態度でも鴉室は気にしない。
「そんな嫌そうな顔することないだろ……」
情けない顔をしつつも、思った通り鴉室は勝手に話を続ける。
彼がこの学園を調査していて気付いたこと。
「あの寮――隣の男子寮から女子寮が覗けるんじゃないかと思うんだよっ!」
「いや、無理」
「……………………」
一刀両断すると鴉室は黙った。
少なくとも部屋の中は見えない。絶対に。窓の位置が逆だ。
「じゃ、そういうことで」
去ろうとする九龍を鴉室が慌てて追いかけてくる。
「おいおいっ、本当か? ちゃんと見たのか? なぁ、あの距離なら男子寮の窓から──」
だからそれは、と言い掛けて九龍は止まった。
何だか嫌な声が聞こえたからだ。
「ん? あれは……」
鴉室も気付いてそちらに目をやる。
複数の男子生徒に絡まれている少年。言いがかりを付けて暴力。
……この学校にも居るんだな、こういうの……。
「助けてやらないのかい?」
鴉室は他人事のように九龍に声をかけてくる。
まあ他人事か。
「……そう言われちゃ助けないわけにはいきませんね」
下手に騒ぎを起こすとまずいが。正直もう今更だ。
鴉室にかっこいいとこでも見せてやるか、と思ったのに鴉室は人に見付かるとまずいだの言って退散してしまった。
おい……見てろよ、ちゃんと。
「ったく……」
それでも止めるわけには行かず男たちの方に足を向ける。だが、向かいだす前にあちらから駆けて来た。
「うぉっと……」
「うわっ……! あ、あなたは……」
絡まれていた華奢な少年。何故か大きなマスクで顔を覆っている。
「ん? おれ、葉佩九龍。これから君を助ける正義のヒーローだな!」
「葉佩……九龍さん……、あ、ぼ、ぼくは2年A組の響五葉と言います……」
「……ツッコミなしか。くそぅ」
何だそれ、とかあほか、でもいい! 何か反応しろ!
そこへ響に絡んでいた男たちもやってくる。
よし、今からかっこいいとこ見せるからな。
と、戦闘態勢に入ろうとしたのに、九龍に気付いた男たちは慌てていた。
噂の転校生じゃないかと。
……噂……?
男たちは恐怖の目線で九龍を見る。
「それじゃ、こいつが……」
「転校早々、墨木や真里野にヤキ入れたり、あの神鳳さんをまるで舎弟のように扱ったり、双樹さんや朱堂さんを手篭めにしてもて遊んだという――生徒会も恐れる不良ぉぉぉっ!?」
待て待て待て!
突っ込みたいところが山ほどあるぞ……!?
「……落ち着けお前ら。墨木や真里野を張り倒したのはまあ事実として、」
「や、やっぱりっ!?」
「あ、あの2人を……!」
「あ、あの、すみません、あなたが葉佩さんとは知らずに、その」
「ぼ、ぼくたちは決してあなたともめようとかそういう訳じゃ」
部分的に肯定したのが悪かったらしく、男たちは早口にそんなことを言ってそそくさと去ってしまった。
……待て。
恐れられるのはいいが、何か違う。それは違うぞ。
神鳳なんか昨日──日付的には今日か? 仲間になったばっかだし、双樹を手篭めにした覚えもないし、朱堂に至っては……多分噂流した張本人じゃねぇか! あいつ以外の誰が朱堂を手篭めにしたとか言い出すんだ! いや、でもそれなら双樹は入れないはずだよなぁ、噂が交じり合ってる……?
「あの……ありがとうございます。危ないところを助けてくれて……」
響と名乗った少年は考え込む九龍に戸惑いつつ、礼を述べる。
「……もっとかっこよく助けたかったんだけどな……」
何だかなぁ。
っつうかおれ、この学園ではやっぱり不良なんだなぁ。
そこでHANTが突然音を立てて、響がびくりと反応を返す。
音や振動が苦手って。普通の電子音でそれはまずいんじゃないか。
思いつつ、九龍はHANTを開いた。
鴉室からだ。
……情報、あるんじゃねぇか。まぁ、別にどうでもいい感じだけど。
やっぱり鴉室に対しては冷たく思いながらHANTを仕舞う。響がまだそこに居るので、何となく目をやって、その手から血が流れてるのに気付いた。
「ん? お前、どうした、それ」
「え? あ……何かヒリヒリすると思ったら……さっき、あの人たちに掴まれた時に引っ掻いたのかも……」
まあ放っておいてもすぐに止まりそうな傷だが……。
九龍は消毒液を取り出してその手を引っつかむと、とりあえずかけておいた。ひっ、だのあっ、だのいちいち大げさに声をあげているが、気にしない。
「あ、あの、何で」
「ん? こんなもの持ち歩いてるか? それはな、」
「何でぼくなんかにこんな風に親切にしてくれるんですか?」
「……そこかよ」
せっかくいいタイミングで消毒してやったのに。
当然のことをしたまでだ、と言う言葉が出掛かって、そのまま直にとられそうだと気付く。
「……消毒液を持っていたからだ」
そして結局よくわからないことを言って、九龍はその場を後にした。
響は戸惑っていたようだが、知ったことじゃない。
……どうにもかっこよくやれないなぁ、おれは……。
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