七瀬ふたたび─7

 部屋の中は静まり返っていた。
 九龍の体はぼろぼろだし、真後ろに居た皆守もダメージは受けている。八千穂は捻挫した足を引きずりながら、倒れた夕薙のもとへ寄って来る。
「大和……」
「九龍……おれを倒してくれたんだな……」
 顔をしかめつつ体を起こす夕薙。九龍は思わずそれを支えた。
「って痛ぇ……」
「お前な……お前の怪我の方が酷いだろうが」
 皆守が呆れた声で九龍を引き剥がす。だが、そのために夕薙を支えた腕はそのままだった。
「大和、今のどういう意味だよ。っていうかお前の力……」
 ようやく正面を向き合える。
 夕薙は何かを確認するかのように続けた。
「お前のような超常的な力を持たぬ者が、人ならざる者にさえ近い力を持ったこの俺を倒してくれた、」
「それが──」
 重要だった、のか。
 超常現象を毛嫌いし、呪いも奇跡も信じない夕薙。その力の否定こそを、求めていたというのか。自分自身が不思議な力を持っているにも関わらず。
「クックックッ……。人の子の力、確かに見せてもらったぞ」
「あっ、お前……!」
 部屋の隅で自体を静観していた神鳳──に乗り移っているものが、静かに近付いてきた。
 夕薙がそちらに顔を向け、問いを発する。
 お前は、荒吐神かと。
 ……何だ、それ?
「鍵だ。鍵を探せ――。我が元へと辿り着き秘宝を手にせんと欲するならばな……」
 相手はそれには答えない。
 神鳳にかかった影がうっすらと消えかかっているのに気付く。
「待てっ──」
 叫んだのは夕薙だった。だが、遅い。
 影は消え、残された神鳳がふらりとその場に倒れ掛かる。
「神鳳っ……」
 駆けつけようとしたが、全く動けない。
 神鳳は、倒れる前に気を取り戻したらしく、何とか踏みとどまる。そして、九龍たちを見て、動きを止めた。
「大丈夫か?」
「ええ……今の霊は一体……」
 神鳳がゆっくりこちらに近付いてくる。
 霊は、アラハバキと名乗っていた。
 それ以上のことは九龍には言えない。だが、さすがに夕薙は詳しかった。
 先ほど問いかけた荒吐神という言葉について、詳しく説明してくれる。
 ……結局、よくわからないということしかわからなかったが。
「夕薙さん。あなたは一体、何者なのですか……? 朧気ながらあなたと葉佩くんが戦うのが見えましたが……」
 そして説明の終わった夕薙に、まず問いかけたのは神鳳だった。
 思わず九龍も、夕薙を見つめる。
 夕薙は、謎の奇病に冒されている。そしてそれを解く鍵になるかもしれないと学園にやってきて──秘宝を手に入れるために九龍に近付いた。九龍を、利用するために。
 半分は神鳳の言葉だったが、夕薙はそれを肯定する。
「そういうことだ。九龍……おれを軽蔑したか?」
 夕薙の真っ直ぐな視線。
 九龍は少し怯んだ。
「……別に……お前が何か企んでるのはわかってたよ。けど……なぁ」
 友達だと思っていたのに。
「出来ればおれにも話して欲しかったな……おれは全部話しただろ」
「……そうだな。すまない九龍──」
「いや……」
 いつか話してくれるのではないかと。
 そう思って、夕薙についての追求をしなくなっていたのだと、九龍は今になって気が付いた。
 最初はもっと怪しんでたのに、おれ。
 いや、それにしたって──こうも真っ向から向かってくるとは思わなかった。ただの喧嘩じゃない、命をかけたやり取りになるとは。
「で、全部話してくれるのか?」
 沈黙したままの夕薙に、少し緊張しつつ声を絞り出せば、夕薙は頷いた。
「おれは超常的な力など信じない」
 相変わらず最初はそれか。
 だが九龍は突っ込まずに続きを聞く。
 夕薙は、今まで誰にも気付かれず──生徒会公認で墓地を歩き回っていたと。
 ……どういうことだ?
「まさか……では、あなたは──」
 神鳳は何かに気付いたらしい。
 夕薙は軽く笑って、ようやくゆっくりと立ち上がる。
「地上まで長い道のりだ。昔話をするにはいいだろう──」
「……そうだな。いい加減井戸に寄らないとこっちも限界だ」
 九龍も立ち上がるが、よろけてしまう。
 支えてくれたのは夕薙だった。
 お前、ホントにダメージあるのか……。
「八千穂、大丈夫か?」
「う、うん。井戸までなら何とか……」
 額に脂汗を浮かべながら笑みを浮かべる八千穂に胸が痛む。
 ごめん、マジごめん。
「甲太郎は大丈夫なのか?」
「あ? おれはこれくらい──」
 夕薙の問いかけに答えかけた皆守を、その夕薙が軽く押した。
「──っ!」
 それだけで皆守が顔をしかめる。
 ……痛いんじゃねぇかよ。
「やせ我慢はするな、甲太郎」
「大和〜!」
 睨み付ける皆守を夕薙は全く気にした様子もなく笑う。
 それでも、化人からのダメージのあと九龍と一緒に動き回っていたのだから、当然か。
 ……また、怪我させたなぁ。
「神鳳や夕薙はどうなんだ? 墓守ってあんま後まで引きずらないよなぁ」
「ええ……そうですね、それも墓守の力なのかもしれません」
 平気で歩いている神鳳は、誰を支える気もなさそうだ。
 まあ、どうせ井戸はすぐそこ。
 中に入って、傷を癒し、体力を回復させる。
 これがあるから無茶をするのか、これがなければもう死んでるか。
 深く考えたくはないなぁ。
 井戸を出て、ハシゴを登りながら、夕薙が話を始める。
 それは、5年前のことだった。










「俺は中学を卒業してすぐ、父の仕事を手伝うために海外へ渡った。戦地や、被災地での医療援助をしている父に同行しながら、俺は、人が人を救うことの尊さを感じていた」
 夕薙も、九龍と同じく中学卒業後日本を飛び出した口らしい。
 彼の目的は医療支援。誇りの持てる仕事に、就いていたというわけか。
 九龍は何となく、夕薙の手当ての上手さを思い出していた。器用なだけでなく、経験があったのだろう。
 夕薙の話は更に続く。
 ハイチを訪れたときのこと。
 そこは難民が急増し、山奥に人が増え、医療設備もない集落で疫病が蔓延する──そんなところ。
 九龍にはハイチの場所すらよくわからない。
 重い話になる予感が、全員の口を閉ざさせていた。
 誰も、何も言わない中、夕薙の声だけが淡々と響く。
 ある村に向かったときのこと。
 そこは、ヴードゥー教の信仰が篤い、閉鎖的な村。
「九龍はヴードゥー教について知っているか?」
 夕薙が突然振り向いて言った。
 聞くことだけに集中していた九龍は、一瞬反応が遅れる。
「……聞いたことはあるな。何か、ゾンビとかの分……だっけ? いや、これ漫画とかの話か?」
 答えない方がマシな理解度だった。
「そうだな、それが一番有名だろう。あれはただのフィクションじゃない。だが本来罪を犯した者に対する古式刑法の一つで魔術や呪いなんてものでもないがな」
「あ、そうなの」
 ゾンビを作る方法、なんてものが夕薙の口から流れ出る。それは……毒を使った科学的方法。
 何となく夕薙に怒られなかったことにほっとしつつ、先を促す。
 その村の司祭は、祈祷や呪術で病をも治そうとしていた。治ると、信じていたのだろう。今のような医学知識がない時代を思えば、その辺の理解はしやすい。
 夕薙とその父は、その村で現代治療を受けさせるべく奮闘した。
 そのとき協力してくれた相手──。
 司祭の娘。
「…………」
 その相手を語るときの夕薙の言葉に、心臓がどくどくと音を立てる。
 嫌な予感。
 お前、まさか、それ。
「ある日──いつものように彼女の協力で村人を診察しているとき、」
 聞きたくないと思った。
 だが、聞かなければならない。
「司祭に見付かり、抵抗した父は捕らえられ──殺された」
「…………」
 司祭は、全ての災厄を夕薙たちのせいだと決め付けた。
 受け入れられなかった、のだろう。
 そういった価値観の違いは、簡単には埋まらない。最初に説得すべきは──司祭だったんじゃないか。
 ……それで、受け入れられなかったなら、踏み込んじゃいけないんじゃないか。
 九龍は無責任にそう思う。
 それでは苦しむ村人を見捨てることになる。それはわかっているから、九龍も口には出せない。
 夕薙の話は更に続く。
 娘も夕薙も捕らえられ、娘は夕薙の目の前で──殺された。
 夕薙は怪しげな薬を飲まされつつも何とかそこから逃げ出し、彼らの信仰を破壊し──司祭から、呪いの言葉を浴びた。
 その身に、恐るべき呪いが降りかかるだろうと。
「……呪い」
 夕薙が毛嫌いする、それ。
 ちょうどそこで最初の広間に戻り、夕薙は九龍を振り返った。
「父と彼女の命を奪ったのは人間の無知なる悪意だ。今でも、俺はそう思ってる。九龍……君は、どうだ? 神や超自然的なものの大いなる意志とやらが、二人の死を……村人たちの死を必然と定めたのだと思うか?」
「まさか」
 運命だとか神さまの加護だとか。
 九龍だって、それぐらいのことは口にする。
 運が悪い、天に見放された、という言葉だってすんなり耳に入る。
 だけどそれは、そんな理不尽なものではない。
 「誰か」が決めるものではない。
「そんなもん信じたら、頑張る意味がなくなるだろ」
 神さまに選ばれるための努力だけをしろってことだろうか。
 どうもそういう考えは理解しにくい。
「そうか……。君ならばわかってくれる、そんな気がしていた」
 夕薙は笑い、そして頷いた。
 おれには呪いの力などは……ないからだろうか。
「俺は超自然的な力など信じない。オカルトも神の奇跡も――この世の超常的な出来事の全てを」
 再び呟くように言い始める夕薙。
「何が祟りだ、何が生贄だ! 父も、彼女も、あんなところで死ぬべきだったなど、俺は絶対信じない!」
 次第に激昂する口調に、九龍は何も言えなかった。
 夕薙の怒りの原因は……これだ。
 だけど、それでは、わからないこともあるんじゃないのか。
 九龍が何と言おうか迷っているとき、口を開いたのは神鳳だった。
「夕薙さん、君の言うことは半分くらいは正解ですよ」
「……どういう意味だ?」
 神鳳は言う。
 墓守の持つ力は、根拠のない超常的なものではないと。
 呪いでは……ないのか。
 いや、根拠のある呪い?
 どうにも遺跡の不思議については脳内でスルーしていた。遺跡の中は不思議でいっぱいなのが当然だったからだ。
 そして神鳳が肯定したのは……人の想い、魂が与える影響。
 それは確かにある、と。
「例えその姿は見えなくとも、今も君を案ずる声が、僕にはすぐ近くに聞こえる気がしますよ」
 霊が見えると言う神鳳。それはただの気休めではないのかもしれない。
 夕薙は顔を逸らして言った。
「まやかしだ、そんなものは……」
 だが、これまでの否定の声より口調が弱い。
 信じたいのかも、しれない。
 そう思うのは君の勝手、と神鳳は微笑んで言う。こちらもただ、言いたかっただけなのかもしれない。
 本当に……見えているのか?
 九龍は夕薙を見る。
 先ほど神鳳に取り憑いていた何者かの姿は、はっきりとこの目に映った。
 夕薙の周りに見えるものはない。
 聞こえる声もない。
「それにしても、ヴードゥーの呪いとは……。村人の怨嗟の声は、一体君に、どんな報いを負わせたのですか?」
 九龍の反応も夕薙の言葉も気に留めず、神鳳は淡々と話を続ける。
 そうだ、それだ。
「大和……」
「……今夜もいい月が出ている。外へ出よう。そうすれば……すべてわかるさ」
 夕薙は、墓地へと続く穴を見上げて言った。
 ロープを伝い、全員が無言で遺跡を出る。
 まだ満月には遠いが、雲の少ないこの天気、月明かりが辺りを明るく照らしている。
「4人ともよく見ておくといい。これがおれの……正体だ」
 空を見上げていた夕薙がゆっくりと振り向く。
 月明かりを浴びたその体は急速に──干からびていく。
「や、大和っ!?」
「そ、その姿は!」
 慌てて駆け寄る九龍。背後で絶句する神鳳。
「も、もしかして夕薙くんって……」
 八千穂も呆然としていた。
「……あの、墓守か……」
 皆守の呟きが聞こえる。
 九龍は改めてその顔を見上げた。
 確かに……そうだ。
 あまりマジマジと見たことなどなかったが、その、皺だらけの老人の姿は、間違いない。堂々とこの墓地を歩き回っていた男──そういうことか。
「こんなことが……」
「……これがおれの背負った業だ……うう……」
「ちょっ、や、大和!?」
「夕薙くん!」
「夕薙さんっ!」
 崩れ落ちる夕薙を慌てて支える。八千穂と神鳳も寄ってきた。
「甲太郎っ! 何してんだお前も手伝えっ!」
 呆然とそれを見ていた皆守がはっとしたようにやってくる。2人で夕薙を支えている間に、神鳳が動く。
「ぼくは瑞麗先生に連絡してきます。2人は、彼を寮の方に」
「ああ」
「わかった、急げよっ!」
「はい」
 神鳳が駆けて行く。寮に向かいながら、九龍は八千穂を振り返った。
「……やっちー、ごめん、今日は……」
「……うん、夕薙くん……大丈夫だよね?」
「……わざわざ自分からやってみせたんだ。死ぬほどのことじゃないだろう」
「甲太郎……」
 それはそうなのだろうが。何だか支えられている夕薙が苦笑してるような気がするぞ。
「何かあったら連絡するから。今日はありがとう」
「うん……」
 男子寮まで八千穂を入れるわけにはいかない。
 八千穂は名残惜しげに、寮に入っていく九龍たちを見送っていたが、やがて女子寮へと戻って行った。


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