七瀬ふたたび─4
何だろう、この空気。
教師の言葉を聞き流しながら、九龍は微妙に体を緊張させていた。
6時間目の化学は実験のため化学室で行われている。さぼっていた生徒も帰ってきたらしく、3分の2程度は席が埋まっていた。なのに、それほどの気配を感じない。そうだ、静か過ぎる……。
「こら、余所見しながらの実験は危険ですよ」
その声にびくっと体を揺らしたが、教師が言ったのは九龍のことではなかった。顔を上げると、前の席の生徒が実験器具を持ったまま俯いている。
「どうしました? 聞こえないんですか?」
教師はそれでも落ち着いた声で話しかける。周りの生徒が反応していない。これは、異様だ。
「クックックックック……。先生。あんたこそ、聞こえないの?」
不気味な、声。
その生徒だけではなかった。
教室中で、あちこちからその声が上がる。
同時に、悲鳴も。
「ぐうあああっ」
「うっ、頭が痛ぇ……」
「い、痛いっ、ああああっ!」
何だ、何なんだ!?
笑い声を上げる生徒と、頭を抱えてうずくまる生徒。
九龍は思わず立ち上がった。
「いたたたっ……」
「やっちー!?」
「大丈夫か、八千穂」
立ち上がりかけた八千穂も机に手を着く。別の班に居た皆守がやってきた。
「ん……何とか。急に頭痛が」
焦ったが、八千穂のそれは周りの生徒ほどではなかった。そんな八千穂を見て、皆守が九龍に目を向ける。
「九龍、お前は何ともないのか?」
「ああ……って、何だ!?」
「──!?」
いつの間にか、生徒が九龍たちを取り囲んでいる。
「葉佩……お前か」
「お前が全ての元凶か……」
「葉佩九龍……」
「墓荒らし……」
「墓荒らしに死を……」
ぶつぶつと呟くような声が重なり合う。
その中には、教師の姿もあった。
見渡してみると、頭を押さえていた生徒も、笑い声を上げていた生徒も、全てこちらに向かっている。
「な、何でっ!? みんな、どうしちゃったの!?」
八千穂のいつも通りの声に酷く安心する。
腕を握られた。
悪い、そのまま握っててくれマジで。
「今、流行の霊的障害って奴か……? どいつもこいつも、何かに取り憑かれてるってのがぴったりだな」
「……だ、な……」
遺跡の呪いか、本当に幽霊か。
そんなことどうでもいい。
ってか怖ぇ。
「皆守くんは大丈夫なの?」
「まあな」
「さすがアロマとカレーの匂いしかわからない男」
「おい」
ふざけている場合でもないが、ふざけてないとやってられない。
「……とにかく、逃げよう」
「ああ……でないと、クラスメイトを片っ端から殴り倒さなきゃいけなくなる」
皆守の言葉が終わるか終わらないかの内に、九龍は机に登って生徒たちの間を飛び越えるようにして廊下へ向かう。皆守たちも着いてきた。こういうとき、運動神経の良い友達は助かる。
「って、何だ!?」
ほっとする暇もなかった。
廊下にも、見知らぬ生徒含めた十数人が溢れている。
嘘、だろ、これ。
「葉佩九龍──」
生徒たちの口から漏れるのは九龍の名前。
明確に、九龍が狙われている。
「ちっ、まさか学園中がこんな感じじゃないだろうな」
「……そんな気がするな」
いまだぞろぞろとこちらに向かってくる生徒は増え続けている。それを制止するような声は聞こえない。学園全体を包む呪い。
九龍は舌打ちした。
甘く見過ぎていたとしか思えない。
「九ちゃん、とりあえず逃げようよ。ここにいたら──」
「ああ……」
最早、生徒を傷つけずに進むのは無理そうだが。
男なら少々殴ってもいいよな。
九龍が拳を握り締めたとき、九龍の目の前に見慣れた背中が現れた。
「えっ……」
「ここはおれに任せて、君は一旦どこかに身を隠せ」
「夕薙くんっ!?」
「大和、お前……」
八千穂と皆守が呆然と夕薙を見ている。
夕薙は、取り憑かれてはいないようだ。
「クラスメイトの危機を放っておく訳にはいかないだろ? それに、おれならこの場を鎮めることが出来ると思う」
「どういう意味だよ」
「説明している暇はない。九龍、君はおれを信じるんだろ?」
「……お前……ああ、わかったよっ、お前なら大丈夫だと思っとけばいいんだな!?」
怒鳴るように言うと、夕薙は少し苦笑して頷いた。そして、この階に強い力のわだかまりを感じるなどと言う。思わず廊下を見渡した。
この階……すぐに目に入ったのは、図書室。
「……行くか。大和、任せたぞ」
「ああ。早く行け。気を付けてな──」
夕薙が開けた道を八千穂と皆守と共に進む。図書室──図書室に気配は感じない。飛び込んで、一応鍵をかける。中は、やはり静かだった。
「月魅っ! ……あれ、いないのかな。」
八千穂がまず呼んだのは彼女の名前だった。
不気味な現象。強い気のわだかまり。そして昼間の話。
九龍もここに、七瀬が居るかと思ったのだが。
「書庫室が開いてる。行ってみよう」
先頭を切ったのは皆守だった。
最後になった九龍は、扉も閉めずに中に入る。2人の呼びかけに続こうとしたとき、突然ドアの閉まる音がした。
「なっ!?」
振り返る。そこに居たのは──神鳳。
「お前……」
「やはりここでしたか、葉佩くん。ぼくがどうして来たかもうおわかりでしょう?」
「はぁ……?」
戦いに、か?
それは、墓の中ではなかったのか?
というかこの現象──それどころじゃないだろう。
九龍はそう思う。だが、皆守は言った。大和の言っていた墓荒らしはお前かと。
どういう意味だと思っていると、神鳳が勝手に続ける。
彼には、霊の声が聞こえると。
そして、九龍に恨みの声を上げる霊たちを解き放ったと。
つまり、現在の学園の状況は──お前のせいか。
「……本当に生徒会ってのは学園のことはどうでもいいんだな」
遺跡優先かよ。
睨みつけた九龍の言葉に、神鳳はさらりと、悪いのは九龍の方だと言う。
確かに九龍もそう思っていた。実際、九龍のせいでこうなっているのは確かだ。だけど、これを引き起こした奴が言うか!? 巻き込むならおれだけにしろよ! あとせめて皆守ぐらいまでに!
「おい、こら」
どうやら口に出ていたらしく皆守が突っ込んでくる。
お前はもう今更だろ。
皆守だって間違いなく墓荒らしの一員だ。墓に入る頻度は九龍の次に高い。
「ふむ……それにしてもこれだけ死霊達の渦巻く中で、君たちはよく無事でいられる。大した意志の強さですね。その点については、感服しますよ」
「意思?」
そういえば、そもそも、狙われている九龍はともかく何で皆守たちが無事なのか。
それが、九龍の与えた影響ということか。
「ですが、葉佩くん。君の意志がどれほど強かろうとも、生徒会役員である僕の力の前では、何の抵抗もできない……。残念ながら、ただの口寄せ師という訳ではないんですよ」
そうだ、神鳳は──墓守。
言った瞬間、何かの力がほとばしり、頭がぐらついた。
……こんなところで、攻撃をしかけてくるとは思っていなかった。
戦うなら墓の中だと。
「やっ、頭が──!」
「っ……」
背後で八千穂と皆守の呻きが聞こえる。九龍も必死で声をかみ殺し、神鳳に向かう。今の九龍は丸腰だ。なら、殴るか蹴るか、それしか。
だが、更に強い力に、九龍はついに膝をついた。
痛ぇ……くそっ……。
「九ちゃんっ……!」
「うっ……」
神鳳が近付いてくるのがわかる。
顔を上げることすら出来ない。
せめて、タックルぐらい──
思ったとき、突然奥から何かが崩れる音がした。
「!? この気配は──」
神鳳の意識がそちらに向く。
途端に、体が軽くなった。
「あっ、おい……!」
神鳳はそのまま音のした方に駆けて行く。九龍も立ち上がり、慌てて追いかける。奥に居るのは──多分七瀬だ。
「あっ、待って九ちゃん!」
「おい九龍!」
2人も着いてきた。奥には確かに七瀬の姿。だが、そこから漏れる声は──
「つ、月魅っ!? どうしたの!?」
「ない……どこだ……。どこにある。あの鍵さえあれば……」
低い、男の声。
微かに、人の影のようなものがかぶさって見える。
「……おい、マジで幽霊かよ」
「……お前にも見えるか。そうか、気のせいじゃないか」
皆守も少し呆然としている。
七瀬から漏れる声は、更に「鍵」を探して前へ踏み出す。下へ落ちた本を、七瀬の足が踏んだ。
「お前っ……!」
これを、七瀬は嘆いていたのか。知らない間に自分の体がこんなことをしていたら──ショックなんてもんじゃない。
「これは――。僕の呼んだ霊とは違うようですね」
そんな七瀬を見ていた神鳳が淡々と言う。
……何だって?
「あなたは何者ですか?」
霊に対して堂々と問いかける神鳳。七瀬──の姿をした何かが振り返った。
「くくく……。魂のない者がいるな。さては墓守か」
探るように辺りを見回した七瀬の顔が、少し不気味に歪んでいる。
……見たくないな、これは。
「忌々しい墓守ども……よくも長きにわたって我をあのような場所へと封じてくれたな……」
そしてその霊はそう続けた。
こいつが……封印されているもの!?
まさかこんなところで現れると思わなかったそれに、九龍は思わず絶句する。
墓守が封じていた、存在。
もう出てきてる──いや、出掛かってる? それは──九龍のせいか。
神鳳が、そんな霊に対して先ほどの力を放った。だが、効いてない。霊は、捨て台詞だけ残して消えていく。七瀬の体が支えを失ったかのように倒れた。
「七瀬っ!」
「月魅っ、しっかり……!」
八千穂が七瀬を抱え上げる。七瀬は目を閉じたままぐったりしていた。
「大丈夫ですよ。気を失っているだけでしょう」
言ったのは神鳳だ。九龍は神鳳を睨みつけるが、やはり意に介した様子もなくぶつぶつと独り言を続ける。
「……あれが、僕たちの守ってきたものなのか? 我々生徒会の、いや――あの方の……」
「お前ら、自分が何守ってるのか知らないのかよ?」
ようやく神鳳が九龍に目を向けた。
だが、何も言わず出口へと向かう。
「おいっ」
「たとえそれが何であろうと僕は守らなければならない」
振り返らずに、呟くように神鳳は言う。
「君さえ来なければ、僕にはこれ以上争う理由は何もない」
それだけ言って、神鳳はそのまま去って行った。
……でも、行くけどな。
墓を守るのは、ただの墓守の本能。……解放してやるよ。
神鳳を見送りながらそう思う。ドアが開く音が聞こえたと同時、七瀬が目を覚ました。
迷惑をかけてしまった、と少し落ち込んだ様子で謝ってくる。
八千穂は助けたのは神鳳だ、などと言っていた。そこは言わんでいい。
「それより……おかげでいろいろわかったよ」
迷惑どころか有益だった。
七瀬は九龍の言葉に頷く。
「ええ。私に取り憑いていたものがあの遺跡に眠る何かである事は間違いありません」
「ああ。おれもそれは聞いた。そして、鍵を探していると」
「はい。その鍵というのが何なのかはまだはっきりしませんが、恐らく、私の他にもその鍵を探している人が――いえ、探させられている人がいると思います」
七瀬は立ち上がりながらきっぱりとそう言った。
だろうな。夕薙や瑞麗の話からすると、この現象にあってるのは一人や二人じゃない。
「鍵か……。それは恐らく、あの遺跡の最下層に至るためのものだろうな……」
「へ?」
皆守の呟きに九龍は間抜けな声を上げる。
七瀬の方は頷いていた。
え、そうなの。
遺跡に封印されたものが探す鍵……ああ、出てくるために使う鍵も、入るために使う鍵も一緒──か。
何にせよ、遺跡に関わるものであることは間違いない。
「よぉ、無事か?」
「あ、大和……」
沈黙した空間に入ってきたのは夕薙だった。図書館の鍵は閉めたと思うが──ああ、神鳳が開けていったか。
「無事だったか大和」
「ああ。どうやらみなも正気に戻ったようだし、正直、拍子抜けしたよ。そっちは何があった?」
「まぁ色々と、な」
答えたのは皆守だった。
……うん、そうとしか言えない。
詳しい話は後にしよう。
ちょうどチャイムが鳴った。
もう放課後になる。
「ああ、今日もまた日が暮れるな……。九龍、今夜も行く気なら十分気を付けて行けよ。何か……妙に嫌な予感がするからな」
「……いや、お前も来いよ」
他人事のように言ってんじゃねぇ。
嫌な予感がするのは九龍も一緒だったが、だからこそ来てもらわねば困る。
「……ああ、わかってるよ」
「私も行くよっ……って、そうだ、もう放課後なんだよね! 温室行かなきゃ!」
「あーそうか、白岐との約束があったな」
「うんっ。それじゃ私先行くね!」
八千穂は慌しく駆けて行く。4人で何となくそれを見送った。
「ええと……手伝おうか?」
「すみません九龍さん……」
散らかってしまった本を見て途方に暮れている七瀬に九龍は声をかける。
どうせ夕薙と皆守は帰るだろう──そう思っていたのに、珍しく2人とも手伝ってくれた。
おかしな空気は、大分マシになってきた気がする。
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